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私は仕事柄、教職員に「この資料を作っておいてくれる?」と頼むことがあります。
このとき私は「頼んだのだから、すぐにやってくれる」と思いこみがちです。
そのうえ、そのようにして頼むとき、教職員の都合を尋ねていないことが、しばしばあります。
引き受けたとしても、
・相手は、それを快く引き受けている。
・イヤイヤでも、校長がいうことだから、引き受けている。
こんな時、相手の心情を汲み取る力や、相手の態度や表情を感じとる力があれば、ある程度の察しはつくものです。
しかし、部下だから、やってくれて当たり前と思いこんでいたら、相手の様子は見えなくなるし、相手の心情を察することもできません、
そこで、
「これをやってくれるかな? 今日中にはこの資料が欲しいけど、都合はどうかな」
「5限目が空いていて、1時間ほどあればできるので、大丈夫ですよ」
「ありがとう。すまないね」
となるとどうでしょうか。
この場合、部下の立場を思い計り、断られる場合もあると承知しています。
部下でも、相手に断る自由があるとわかっているのです。
しかし、人間関係が「支配する-支配される」になっていると、支配する側は、「相手は自分のいうことに従ってくれる」と思い込みがちです。
そして、頼んだからのに、やってないのか!
と感情的になるのです。
このことは、親子関係でも、基本的には同じだと、私は考えています。
もし、親子関係が「支配する-支配される」の関係になっていたならば、子どもがいいつけを守っていなかったとき、カッとなって、
「やっておいてと言ったでしょう。お母さんだって、働いて疲れて帰ってきているのよ」
子どもは、「こっちも、宿題してから塾へ行かないといけないからたいへんなんだ」
となります。
子どもだからといっても、選択の自由はあります。
断る自由はあります。
それを聞かずに、一方的に「しておきなさい」と、最初の段階で、相手の態度や表情に気がつかず決めるということは、相手を傷つけているだけでなく、自分を傷つけていることにもなります。
というのは、相手に期待していた側は、期待に応えてくれていないと知って、傷つくからです。
親子の対等な関係とは、子どもにも選択する自由があるとわかったうえで、相手の様子に敏感になり、言葉に気をつけ、断らられてもよしとする関係だといえます。