雨も上がり気持ちのいい一日となりました。
ベージュの建物はマンガミュージアム(旧・龍池小学校)。
烏丸通を北に進みます。
ハローウインの飾り付け。民家かな?
二条通は昔から薬屋さんの街。
北大路魯山人さんが10歳から13歳まで丁稚をしていたお店。
いい香りが漂ってきました。
お香の店でした。
いよいよ夷川。
なんと建具専門店がありました。
古家解体の時にでたものなどをきれいにして売っているのかな?
界隈、床几がきちんと残っている家もあってビックリ。
自転車の前に、折りたたまれているけれど、出したら夕涼みなどに使える床几が。
残念、豆政は定休日。
開いてたらほしい豆菓子があったんだけど。
交差点にはこのような表示。
座敷机専門店なるものもあります。
町家を活用したお店は減っていて、ビルが多くなっています。
交差点で左を見れば御所の森が見えます。
寺町に着きました。
寺町二条の交差点にビルにはさまれた一軒。
三階建てですが瓦屋根。お店なんでしょうか?平日にきてみなければわかりませんね。
てくてく、革堂に来ました。
フジバカマの鉢植えがあったのですが、花の盛りを過ぎていたので、写真は撮りませんでした。
さらに北に進み、下御霊神社では、ミニ陶器市開催中でした。
螺鈿蒔絵の御神輿展示中。
御所脇でトイレ休憩。
前回来たときとは大違いのピカピカトイレ。
新島 襄の旧宅です。
同志社の管理する建物のようですね。
寺町御門から御所に入ってお弁当。
大木に巻き付けられているのは、養生シートでしょうか?
皇宮警察のパトカーが何回も巡回していました。
ご飯のあと、また寺町歩き。
さて、これって、何の門でしょうか?お寺かな?
なんと、京都府立鴨沂(おうき)高校。
元は何だったんでしょう?女学校として始まった高校です。
最初からお寺風の入り口だったのでしょうか?
調べてみれば、最初は丸太町の鴨川のほとり、
旧九条殿河原町邸に設立されたとか。(今は石碑『女紅場跡』があります。)
現在地に移転したときに正門と茶室を一緒に持ってきたとのことで、
藤原氏の子孫である九条家のお屋敷の門を学校の門として使っていたようです。
北側に普通の校門がありました。
梨木神社は、萩で有名ですが、萩が終わり、ホトトギスが満開。
こちらは地植えのせいか、フジバカマがいい感じ。
さて境内、萩のところに、短冊がいっぱいぶら下げられていました。
満開の時には花と一緒にすてきだったことでしょうね。
台湾からの旅行者?
中華民国108年?辛亥革命が、1911年。民国歴というものもあるんですね。
ミズヒキソウも見事。
廬山寺は紫式部の旧宅あとだそうです。知らなかった…。
これは、紫式部とその娘大弐三位の歌碑。
読めません。
ありがたいことに、となりに解読書あり。
さて、北側の清浄華院、山門前に、立て札。
調べてみたら、お寺にご不幸があったときに、民間なら忌中とするところを、この立て札をあげるとか。
たしかに、9月に和尚さんが亡くなったと、ホームページにありました。
また新しい知識が増えました。
そろそろみんな疲れてきたけれど、頑張って上御霊神社へ。
絵馬堂にベンチがあったので、そこに座って小休止。
境内にこんな石碑。
応仁の乱の最初の争いが始まった地、ということですね。
烏丸通にでて、鞍馬口駅に近いところ、ようやく喫茶店を見つけ、おしゃべり。
地下鉄一日券600円、コーヒーが400円。
1,000円でほぼ一日楽しめました。
けっこう歩いたよね。歩数は…鞍馬口までで1万歩を超えました。
今これを入力中に地震。19:04くらいかな。震度2~3の感じですがニュースは?
大阪府北部で、震度2,津波の心配なし。たいしたことなくてよかったこと。
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