みどりの野原

野原の便り

3月28日 橿原 史跡めぐり 初めて来た小山古墳と沼山古墳 教えて「治定」「比定」

2017年03月28日 | Weblog
橿原の西の方、益田堤跡~宣化天皇陵~新沢古墳群~倭彦命墓~小谷古墳~益田岩船~沼山古墳を回る。


今は堤跡として一部が残されているだけの「益田池」は平安時代に高取川を堰き止めて作られた灌漑用貯水池
その大きさは、狭山池の半分 水上池の3~4倍 と説明があった。

その跡地に橿原ニュータウンが出来たのだからいかに大きかったか。
江戸時代にはまだあったらしい。


宮内庁では宣化天皇「身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)」とされる。
考古学的には「鳥屋ミサンザイ古墳」といわれている前方後円墳。鳥居は木製
周濠は文久の修陵で広げられている。
「ミサンザイ」とは「みささぎ」が訛ったとのこと。
だからあちこちにミサンザイ古墳があるのか・・もの知らずな私は納得した。

新沢千塚古墳群
4世紀~6世紀に渡って造られた約600基ぐらいの墓がある。

  
北エリアで、長方形墳で火熨斗やガラス皿などが出土したという126号墳
南エリアで竪穴式の古墳と 右)横穴式古墳を見た。


新沢千塚は近年きれいに整備が進んだが・・自然さが失われないような整備であってほしいなあ。


倭彦命の身狭桃花鳥坂墓とされる桝山古墳
前方後円墳に修陵されているが、元は方墳だったらしい。
倭彦命がなくなった時、近習の者を生き埋めにし、そのうめき声に天皇が心を痛められ、野見宿禰の進言によって殉死が廃止され、埴輪を埋めるようになったといわれるが、史実とはあわないらしい。こんなことはよくあるけれど。

午後から小谷古墳と益田岩船と沼山古墳を回ったが、小谷古墳と沼山古墳は初めて行った。

小山古墳
 
坂を登ると、向こうに大きい石室の入口が見えた。そばには行かなかった。初めて来た。
中に家型石棺があるらしい。この近くには双墓かといわれる同じような古墳があるそうだ。

益田岩船 

 
ニュータウンから山に登る。
 
山の上の巨石「益田の岩船」いろんな説がある。 
                右)高い所からは彫られた2つの穴が見える。
この山にあった石を利用して石室を作ろうとして失敗したものか?

沼山古墳
 
はじめて来た。石室入口の鉄柵越しに中を覗いた。中は高く、よく見えなかったが天井はドーム型だという。ミニチュアの竈などが出土し、朝鮮半島の影響を受けているらしい。

2か所、初めての所を見れたのでよかった。2つはもっとよく見たかった。

ところで、いつも何気なく使っている「比定」「治定」という言葉。
調べると
「治定」は「じじょう」と読む? 知らなかった。簡単に言うと「国が決めた」という意味でいいのでしょうか?
「比定」は「他の似たものと比較して判断した」という意味でいいですか?
よく・・天皇陵に「治定」又は「比定」と両方使われていますが、国か学者からの見方の違い?で、どちらでもいいということでしょうか? ご存知の方、教えてください。
コメント
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