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みどりの野原

野原の便り

10月17日 カタシモワイナリー 太平寺周辺 高井田横穴群

2016年10月17日 | Weblog
最寄の安堂駅はそう遠くないのに、大阪への電車の窓から見るブドウ畑以外全く知らない土地だ。
今日はお食事付きでワインが楽しめる。軽い気持ちで参加した。

今日の見どころは
①柏原市(大阪府 かしわらし)カタシモワイナリー と、その周辺
②高井田横穴群

①カタシモワイナリー

工場を少し見学されてもらい2階のお部屋へあがると、すごい!そこはまるで博物館(内容は後で書く)

まずは社長さんの案内でブドウ畑へ。

  
途中の立派なお屋敷はブドウ生産に携わっておられたお家。静かで落ち着いた街並み。
右)在原業平が大和国(現在の天理市)から河内国(現在の八尾市)高安の姫のもとへ通ったという業平街道を横切った。
 
石(イワ)神社に立ち寄る。太平寺地区の鎮守 式内社   
        右)目に飛び込んできたクスノキの巨木 樹齢800年と言われる大阪府天然記念物


片隅の大きい石は古代寺院・智識寺の東塔心柱礎石だという。塔は高さ50mぐらいあったらしい。
智識寺はこの西方にあった。
飛鳥・奈良時代、堅下地区の古道沿いには「河内六大寺」と言われた寺院が立ち並んでいたという。
智識寺もその1つ。
説明板によると「智識」というのは仏教を深く信仰し、寺や仏像を造るために財産や労働力を提供した人のことで、7世紀中ごろから後半、これら知識の人々によって建立されたと考えられるとのこと。
寺域は120メートル四方、東塔・西塔・中門・金堂・講堂からなる薬師寺式伽藍であったらしい。
大仏があり(半分は土に埋まっていたらしいが、今の奈良の大仏より2mも高かったという)
仏教の力を借りて国を治めようと考えていた聖武天皇がこの大仏を見て、このような仏像を作りたいと思われ東大寺の大仏建立のきっかけに なったとのこと。  へえ~~。

河内六大寺はすべて廃寺となり今はない。この他にも国分寺などもあり、難波から大和川をさかのぼってきた人たちは立ち並ぶ寺群にさぞ畏敬の念を感じたことだろう。
説明版もありウォーキングコースが整備されている。まだまだ見どころがありそう。
ゆっくり歩いてみたい町である。

そこからは坂道や階段を登ってぶどう畑の上の道に出る。

すばらしい見晴らし。六甲山 ハルカス 淡路島も見えた。
眼下にブドウ畑が広がるが、昔は下は川のそばから上は山の上の方までずっとブドウ畑だったそうだ。
全盛期には家の庭も前栽にせずにブドウを作っていたという。ブドウ畑はだいぶ減ったらしい。

そこからブドウ畑の間の道を下り、ワイナリーのブドウ畑に到着。

 
ブドウを試食。甘い。おいしい。これは巨峰と何とかのハイブリッド種でワインにも生食にも向く種類だとか。しばらくして「皺のよったのを選んで食べてみてください」といわれた。
         右)きれいに皺のよったブドウ 甘さが凝縮している感じ。味が濃い。

ワイナリーに戻って2階テイスティングルームでワイン&お食事&タイム

 
カウンターとテーブル席がある。        ワインにピッタリ9種盛り 
        
解説付きで甘口~辛口 5種類のワインをいただく
タコとセロリのマリネや大根とパプリカのピクルス、どて煮赤ワイン仕込み エビとホタテのジェノベーゼ
・・普段は口にしないお料理の数々 酸味のあるものがワインに合うんですね。どれもおいしかったです。
ワインもついお代わりを・・

このお部屋はカタシモワイナリーさんの歴史が詰まった博物館のようだった。
明治初期、山の斜面を開拓しブドウ栽培を始めた先祖。
病害虫被害など困難もあったが、硫黄と消石灰を溶かした水に紙を浸し、糊付けして袋を掛けるようになって病害虫被害も克服、ブドウ栽培も軌道にのり、全盛期を迎える。そしてワイン醸造に成功。 

 
 
大正から昭和にかけて使用された木製の破砕機や道具の数々、樽や桶。明治時代のブドウ栽培絵図など所狭しと展示されている。
何気なく置かれているこれらの道具や資料は市指定の有形文化財になっている。
またカタシモワインフード貯蔵庫は国登録有形文化財になっているそうだ。すごい。 
古い道具に囲まれて、いろいろお話を聞きながらの優雅なひと時だった。

お土産に1本購入した。

② 史跡高井田横穴群

午後はひと駅離れた国分駅から大和川 国豊橋を渡って「史跡高井田横穴公園」へ。
ボランティアさんの案内で横穴群をまわる。

横穴墓は6世紀中ごろ~7世紀ごろまでにかけて造られたもので、凝灰岩の山肌をくりぬいて造られている。

「岩をくり抜いた横穴」と聞いて、もっと素朴なものかと思ったら、規模は小さいものの横穴式石室と同じような立派なものでびっくりした。高井田横穴群には全部で200基以上あるとのこと。
大阪府下には他に柏原市の安福寺横穴群40基、玉手山東横穴群などがある。

まとまりごとに第1支群~第4支群分けられた横穴群。今日は上り下りしながら第2支郡 第3支群を巡る。

 
第3支群19号墳 きれいに切られた壁、中に石棺が見えた。

古墳と同じように墓道・羨道・玄室がある。棺台のある横穴墓もあった。
副葬品は古墳ほど立派ではないが刀や農耕具・須恵器や土師器など出土しているところもある。
そして、多くの横穴に線刻画が見つかっていることが特徴。

  
いくつかの横穴墓は中へ入ることができる。 玄室入口の上部(玄門)に線描きされた蓮華紋、
                        右)中から外を見る。(同じ墓ではないかも)
玄室の天井はドーム型 壁はきれいに加工されていた。

 
 
第3支群5号墳 ガラスが反射して中は見えにくかったが、羨道の左右横壁には線刻画が描かれていた。
線刻画の復元模型が前に展示されていてわかりやすい。      右)ガイドさんの資料
ここには舟に乗った人物や錨やオールを持つ小さい人物 槍を持った人などが描かれており、埋葬者の生前の姿か、旅立つ姿かと言われている。人物を描いた壁画で有名な横穴だ。
線刻は後のいたずら描きも混じるそうだが、これらの人物像は古墳時代のものとのこと。 

 
5世紀末ごろに造られた「高井田山古墳」。高井田古墳群の中で唯一の横穴式石室をもつ古墳。
22mの円墳と推定されている。
天井部は崩壊していて、石室には透明の屋根をかけて、内部を見られるようになっている。
石室内には火熨斗など出土物の模造品が並べてあった。
火熨斗は日本で2例目(1例目 橿原市新沢千塚6号墳)で、渡来人の墓かと言われている。
他にも鏡や耳輪やガラス玉や甲冑や刀 槍 鏃や鎌や須恵器 土師器など。
棺釘も見つかり、棺は2基あったらしい。

 
上り下りでちょっと疲れたがたくさんの横穴墓を見学できた。

河内六大寺・大規模な横穴墓 大和川を挟んで玉手山の横穴墓など、 
この辺りが早くから栄えた所だということがよく分かった。
ワイン造りのお話とおいしいワイン。今日も充実した1日だった。
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10月16日 イガホオズキ モンキチョウ羽化 クビキリギス

2016年10月16日 | Weblog
①イガホオズキ


            イガホオズキ ガクから果実がはみ出してきた。
イガホオズキは今までにも見たことがあるが、こんな風になるのは新発見

②モンキチョウの蛹
10月8日 畑でいただいてきた小松菜の葉にチョウの蛹がついていた。
ベランダの棒に葉っぱごとくくり付けておいたら・・


(15日)黄色い翅が透けてきた。モンキチョウらしい。羽化が近いようだ。


今日の朝、見たら、見事に抜け殻になっていた。見逃しだ~。
その後、裏庭で見たのはここから巣立った子に違いないと思っている。



前庭で、水やりをしていたら・・ぴょんと飛び出したものがある。
オンブバッタかと捕まえてみたら、クビキリギスの雌。 どこから来たのやら・・我が家では初めて見る。
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10月15日 ヒナノウスツボ ハダカホオズキ ?の葉(11.17オオツヅラフジと判明)

2016年10月15日 | Weblog
車に乗せてもらって寄り道した。

車を降りて少し歩いた。

 
横倒しになっていたヒナノウスツボを見つけた。   おちょぼ口のような花 小花柄に腺点    

 
    色づき始めたハダカホオズキ           ガクに突起のあるヤマホオズキ

 
             花が咲いていたヤマミズ 葉は対生

 
                     カテンソウ 葉は互生


      この葉は何かな?(11月17日オオツヅラフジと判明)
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10月14日 埴輪

2016年10月14日 | Weblog
埴輪についてお話を聞いた。

埴輪の始まりについては、殉死の代わりに埴輪を置いたという垂仁天皇や野見宿禰の話(日本書紀)を聞いたことはある。

・・が考古学としては、弥生時代後期後半の吉備を中心に分布する「特殊器台」が埴輪の起源だそうだ。
(吉備と出雲、行き来はあったことは考えられる)
特殊器台という言葉は初めて聞いた。(物知らずで・・)
特殊器台とは普通の器台(上に皿や壺などを乗せる)が、だんだん装飾性と大型化が進んだもので、首長の埋葬祭礼に使用されたらしい。

それが形も単純化して円筒埴輪や朝顔形埴輪になる。
4世紀になるとその流れとは別に家型埴輪。また盾や蓋(きぬがさ)・靭(ゆぎ=うつぼ)・翳(さしば)や甲冑などが出現する。
太刀や盾を持った人 船の埴輪も。

家形埴輪は亡くなった人が住んでいた又は死後の住居を表現していて、当時の建物を知る手がかりとなる。
盾や蓋・靭・翳・甲冑・・埴輪はなくなった人の権威を表している。

顔に入れ墨をした人 盾を持つ人 馬を引く人 楽器を持つ 巫女・・人物埴輪はそのころにいた人々を再現している。

動物埴輪の内でも「鶏形埴輪」は早い段階から出現しているそうだが、なぜ鶏が「死者の再生に関わるのか?
水鳥形埴輪がなぜ「死生観を表す」のかよくわからない。

その他の動物埴輪 イノシシ・イヌ・シカ・ウマの埴輪。
デフォルメされているがそれらしく見え可愛い。
ただ、馬の尻尾が短く上向いているのがなぜかな?
動物埴輪の「胴体に空いた穴」これは何かなと思っていたら、後で質問が出て、棒を通して持ち運んだりしたのかも・・ということだったが、大きさはどんなものだったのか?
ネットで、穴は内側まで火が通るようにしたのかという記事があった。

埴輪は前方後円墳の広がりとともに全国に広がり、前方後円墳と共に消えていった。

後の質問の回答からは、埴輪は初めは土器を作る延長上で作られ、窯はなく古墳を作る人が野焼きで埴輪も一緒に作っていたがだんだん工人といわれる専門職も出てきたらしいこと。大和古墳群(おおやまとこふんぐん)あたりで作られていたのだろうとのこと。

いろんなことを聞いたが、まとまらない・・

お話の中にあった赤土山古墳というところに行ってみたくなった。機会があれば・・
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10月13日 オヒルギ シロミルスベリヒユ アボカドその後 ホオズキ収穫

2016年10月13日 | Weblog
①南大東島のオヒルギ シロミルスベリヒユとアボカドのその後

 
左の写真の左)アボカドを埋めておいたら(日不明)育ってきた。  左の写真の右)5月15日南大東島で拾って来たオヒルギの胎生種子 8月11日頃ようやく芽が出てやっとこのぐらいになった。
今から冬に向かいうまく冬越しできるかどうか・・前には失敗している。
右)これも南大東島のシロミルスベリヒユ 植えるともなく土にさしておいたら活着して、今のところ元気そう。

 
左の写真の左)センナリホオズキ ガクも果実も緑色 少し色が薄くなった。その右)ヒロハフウリンホオズキはガクも薄く色づき、果実は半分紫褐色になった。
                      右)普通のホオズキ(ほおずき提灯にしたもの)と比較  
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10月12日 淀川堤防 植生調査講座

2016年10月12日 | Weblog
植生調査法を勉強する講座 
お手伝いとはいえ復習の機会になっている。

淀川堤防や河川敷の植生を調べて(枠をおいてその中を調査する面的方法で)「植生調査票」を作る。
植物は環境に応じて生育しているので、植生を調べるによってその土地の大まかな環境を知ることができ、そこでどのような生態系が形成されているかをある程度知ることができる。

練習なので、コドラート(枠)は1m×1mとする。
調査地は
1つ目は斜面の草地
2つ目は平地の草地
3つ目は平地のヨシ原の中
4つ目は平地のオギが繁る場所 の4か所

3班に分かれて
1、それぞれに4つの調査地の1m四方にある植物リストを調査票に書き出す。午前2個所・午後2か所
 芽生えなどの同定はむつかしい。講師先生にヘルプ
 ヨシの中にカヤネズミの巣が見つかった。

2、植物ごとに
 被度(どのぐらい覆っているか)(被度 調査面積の3/4=5 1/2~ 3/4=4 ・・など)
 群度(どんな感じで生えているか)(群度 1面に連続=5 斑紋状に穴の開いた状態で生えておれば4・・など)を判定して書き込む。

3、調査地の概要 
 調査地に関する情報 地形・方位・傾斜角度・土壌の硬度 水分量 等・・
 傾斜や土壌の硬度・水分量など計器を使うものもある。

受講生は次の講座で、今日作成した「植生調査票」を元に「群落素数表」「群落常在度表」から「群落組成表」を作成する予定。

 
堤防は草刈りの済んだ場所や、まだ刈ってない場所もある。


通路そばにはオオフタバムグラ(写) やイヌコウジュ ヒメジソ ノイバラの実もあった。
去年、帰り道、あんなにたくさんあったジャコウアゲハの蛹。今年は一つもなかった。
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10月11日 京街道~奈良坂 なつかしい・・奈良少年刑務所 般若寺

2016年10月11日 | Weblog

京街道を奈良坂方面へ。

「○○八景」聞いたことがあるが、奈良にも室町時代、足利義正のお供で春日詣でをした室町時代の僧 蔭涼軒真蘂が風光明媚な奈良の景色を日記「蔭涼軒日録」に書き残した「南都八景」といわれる景色があるそうだ。

奈良から京都へ至る街道を「京街道」と言うらしい。
(ネットによると京街道というのは平安遷都後の言い方で ”大和から京へ上る街道”ということらしい。
”奈良街道”と言う方が一般的との記述もあるが、今日は京街道としておく)
東大寺と興福寺の境にもなり、東七坊大路とも言われる。

道沿いには奈良八景と言われた跡が残る。
平城京の東の端にあたり都の周囲には広い側溝がめぐらされ、その外と平城京をつなぐ「轟橋」は人や馬が行き交ったことは想像できる。

奈良八景その七「轟橋の行人」橋の石の名残が見られた。

その六「雲井坂の雨」の碑もあった。京都から奈良への旅人が行きかう街道に降る雨。東海道五十三次の浮世絵にある雨の景色を想像する。
他には「東大寺の鐘」「春日野の鹿」「三笠山の雪」「猿沢池の月」「佐保川の蛍」「南円堂の藤」が八景に選ばれている。今の景色と違って、昔はもっと風情があったのだろうな。

東大寺の西大門跡を示す礎石も残っていた。
今は南大門を正門としているが、昔は街道に沿った西大門が重要視されたらしい。

弘法大師が掘ったいわれる威徳井は道路工事で井戸枠のみここへ移されたもの。小さくてびっくり。
名水の出る井戸だったそうだ。
奈良はきれいな水を利用した奈良晒作りが盛んだった。

転害門(てがいもん)
東大寺西面にあった3つの門の1つ。(西大門跡・ 中門跡を通ってきた)
 
東大寺西北にある三間一戸の八脚門 大仏建立の時の守り神として九州の宇佐八幡宮から八幡神を勧請し東大寺の鎮守としたが、八幡神は一条通から転害門を通って東大寺に入ったそうで、それを由来とする転害会(てがいえ)が毎年10月に行われ、手向山八幡宮から転害門まで神輿の御渡りがあるそうだ。
昔は「おん祭り」をしのぐ大規模な祭だったらしい。

正倉院と共に、治承・永禄の二回の兵火にも燃えず、創建当時のまま残っている貴重な建造物で国宝となっている。(改修はされている)

ボランティアの方の説明を聞く。

 
何気なく見ていた柱の節も「その木が生えていた(方向)のままに使ってある」
捻じれた柱が1本あるのも「まっすぐな木ばかりより強く」どちらもそれが建物を長持ちさせるやり方と知る。
う~ん。うなるなあ。     右)言われて気づいたが、基壇の石にはたくさんの穴ぼこがあった。
雨だれが穿った穴ではなく何かお祀りと関係があるらしい。盃状穴という。
また、平家一門の恨みを晴らそうと源頼朝の暗殺を謀るため悪七兵衛景清がこの門に隠れたことからまたの名を景清門ともいわれる。他にもいろいろな呼称をもつ。


道路(京街道)の西側には古い家並みが残る。
東側は昔は東大寺の塀がめぐらされていたのが兵火などでいつかなくなってしまったらしい。

佐保川に架かる石橋
 
       橋そのものだけではなく、橋げたまで石造りとは・・

 
北山十八軒戸 鎌倉時代につくられたハンセン氏病などの重病者の保護施設であり隔離施設だったらしい。
18の部屋に区切られた長屋(仏間もあった) ハンセン氏病は不治の病とおそれられ患者はと差別されていた
そんな中で病気で歩けない患者をおぶって町に連れて行ったという忍性というお坊さんの話が残っている。
                      右)近くにあった夕日地蔵

 
旧奈良市水道計量器室 大正11年、奈良市の水道創設時に建てられたレンガ造りの建物。

懐かしい奈良少年刑務所が見えてきた。
 
     旧奈良県監獄所 奈良少年刑務所             正門(表門)


今日は、守衛さんが警護する正門から中を覗くだけ。 広い前庭の向こうにこれもレンガ造りの本館が見えた。
もう30年ほども前、1回中へ入ったことがある。(受刑者としてではありません。念のため)
補導員というお役目を何年かした時に見学させてもらったもの。

忘れられないのは廊下のところどころに鉄扉があり、私たちが通るたびに開け閉めするのだが、通った後、ガッシャーン(音の表現ができない)と重い鉄扉の閉まる音が響き渡る。
この音を聞いた時、入所者は後悔の気持ちに打ちひしがれたのではと思う。

そして、放射状に延びた廊下の左右に部屋があり、その扇の要の所に立つとすべての通路が見渡せるのだ。
刑の重さによってテレビを見る時間も変わり、番組も決められたものしか見ることができない。
受刑者の人たちのまるで軍隊のように足並みそろえて運動場へ走っていく光景。
社会に出た時のための技術訓練の場。
殺風景な狭い部屋に椅子を兼ねた蓋つき便器がむき出しで置かれていた部屋。
見学は重苦しい気持ちに包まれた時間だった。


敷地は広く、周りは高い煉瓦塀で取り囲まれている。ぐるりとまわる形で鴻池運動場の公園へ移動。

午後からは般若寺へ。

創建は古く、平城京の鬼門を鎮守する寺だったらしいが焼き討ちなどで廃寺のようになっていたのを鎌倉時代に再建が進められた。

 
     京街道に面する楼門(国宝)               十三重の石塔(重文)

十三重の石塔から発見された白鳳秘仏金銅阿弥陀如来立像(重文)と体内仏3尊(重文)が公開されていて見学した。体内仏は極小だ。

 
般若寺はコスモスの寺としても有名だ。石仏も絵になる。
今年は夏の高温と後の長雨で生育が悪く、蒔きなおして「これで3度目です」とおっしゃってた。
                          右)境内の隅に「平和の火」が燃え続けている。
これは原爆の火を分火されたもので、原爆の恐ろしさや平和の大切さを後世に伝えるために「平和の火」として燃やし続けていると聞いた。

最後に奈良豆比古神(ナラズヒコジンジャ)へ。
 
 ここには重要無形文化財の「翁舞」が伝わる。 
          右)クスノキの巨樹 樹齢1000年を超えるらしく、奈良県天然記念物に指定されている。
木肌に触れると、今日の疲れが飛んでいきそうだ。

ここで解散。それぞれの道へ。
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10月10日 ヒロハフウリンホオズキ センナリホオズキ その後

2016年10月10日 | Weblog
ベランダで育てているホオズキ2種 その後。

ヒロハフウリンホオズキ
「ホオズキ(宿存萼)は10稜があり・・始め緑色で、次第に脈が紫褐色を帯び、熟すと全体が紫褐色になる。
中の液果は・・始めは緑色、乾くと淡褐色、ときに紫褐色の斑点が出てやや赤色を帯びる」(三河の植物より)の通りの感じに色づいてきた。
又、別のネットにあったように「ホオズキ(宿存萼)が熟して網目状」になって中の実が崩れてきたのもある。
葉も枯れてきてこれが限度のようだったので収穫した。できたホオズキは4個

センナリホオズキ

まだ枝葉もいきいき。ホオズキは緑色のまま。「千成り」の名のとおり実は多数。


右側のがヒロハフウリンホオズキ ガク(ホオズキ)も色づき、実も上部はこげ茶色になっている。
後ろのがセンナリホオズキ ガクも実も緑色 
これからだんだん枯れ色になってホオズキは落ちる。


普通のホオズキ(新しいホオズキがなかったのでホオズキ提灯)左 と大きさ比較
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10月9日 新沢千塚周辺 ゴキヅル群生 タテバチドメグサ 

2016年10月09日 | Weblog
あさから小雨。でも出発の頃には雨も上がった。

橿原市内でもあまり行かない場所。
千塚も久しぶりで、周辺施設もだいぶ変わっていた。


           ルコウソウ 
似たものにはハゴロモルコウソウやマルバルコウソウがある。
5・6年前?観察会で、これをハゴロモルコウソウと間違えて言ってしまった。
後で気づいたが訂正もできず・・

今日も・・

池の水際に丸い葉の植物 タテバチドメグサとのことだった。
その草を見て「特定外来生物のブラジルチドメグサじゃないの?」と思って、例によって大きい声で言った。
帰ってから調べるとタテバチドメグサはウチワゼニクサの別名で、ブラジルチドメグサとは別種。
そして、ブラジルチドメグサは「葉に深い切れ込みがある」との記述があった。
(ネットの写真も曖昧なものがある。私の帰化植物図鑑にはない。正確な写真を見たい)

 
タテバチドメグサ 一面群生していた。  
右)ちぎってきた葉の直径は大きいので4.7㎝ぐらいのもあった。深い切れ込みは見えない。

以前家で育てていたものがある。写真を探したら2004年~2008年にかけての写真が残っていた。
ずいぶん昔に誰か?が外国から1本持って帰ったもの。長い間水鉢で育てていた。
  
ウォーターマッシュルームと家では言っていたが、=ブラジルチドメグサと思っていた。
写真を見ると、今日見たのに似ているが、葉によってはもう少し切れ込みがあるものもある。 
現物がなくなっているので、今となっては比べようもない。あれはタテバチドメグサだったのか?

(このように時々失敗するのでブログに記載の植物も自分で確認してください。間違えていたら教えてください)

 
水辺にはゴキヅルの大群落。鵜殿ではヨシを覆う困りものになっていだが、上下に割れる果実が可愛いので私は好き。
昔ここの近くで見たことはあるがこんな大群落ではなかった。

  
         ゴキヅルの花             果実は2つに割れ中に種子2つ 


クサギ 今年見たクサギの中で一番きれい。

 
左)ミドリハカタカラクサに気を取られている時、後ろの人たちは 右)シマニシキソウを見ていた。しまった。見逃した。
南国では道端にありふれた雑草だが、この辺りでは見たことがないので。

 
     ノアズキ(ヒメクズ)果実           久々に見たヒメミズワラビの群落
でも「群落が急に消える」というのも見ている。いつまであるか・・


アベマキどんぐりがたくさん落ちていた。
すでに根を出しているのもたくさんあった。
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10月8日 ハイキング&芋ほり 野菜収穫 ヒメミカンソウ ユウガオ?

2016年10月08日 | Weblog
観察ハイキング&芋掘り 
気持的には・・芋掘り&ハイキングという感じ。
今年は欠席ばかりのこの会。たまたま開催週が変わって参加出来た。ラッキー。

午前中は近くを歩く。

 
ニガカシュウ 道路にはみ出た部分は刈り取られていたが、外側の半分は残っていて、下にたくさんのムカゴが落ちていた。 
知らなければ「(ヤマノイモの)ムカゴ」と思って拾って帰る人もあるかもしれない。
このムカゴは苦くて食べられないそうだ。

花を見たいと思って2回ほど見に来たが、1回目は蕾 2回目、花も終わり近い感じだったので、見逃したようだ。

 
        ウラギンシジミ      カラムシの葉を綴った巣。アカタテハの幼虫がいた。
友達が「今から寒くなるのにどうするのかしら」と。
ほんとやね。キタキチョウは成虫で冬を越すって聞いたけど、アカタテハはどうなんかな。

帰って調べたらアカタテハも成虫越冬と書いてあった。か弱そうな体で冬越しは大変そう。

      
         ヒメミカンソウ             アメリカコナギ(メンバーの写真借用)

 
高い所から下の田を見る。稲刈りを待つ黄金色の田んぼが美しい。
  右)向かい側の山手。 「あの辺が家の畑」と今日の畑の主。今から向こうまで歩く。

 
途中で見たキノコ これ、ムラサキシメジじゃないの?と一人の方。確かに紫がかっている。そうなら食べられるが・・   右)これは何?  結局キノコはわからない。

 
ガマの穂にチョウセンカマキリの卵塊 穂がほどけたらどうなるのか・・
  右)ここで採ったタカサブロウはアメリカ・・ではなくて、モトタカサブロウだった。

  
ギョッ! 畑に骸骨がごろごろ・・みんな口を開けている。
私が思うに、これは種を採取するためのユウガオ(カンピョウ)ではないか?
スイカなどの台木にカンピョウを使うと聞いたことがある。  違ったら教えてね。

12時半近く、ようやく畑に到着。遅めのお弁当を食べる。

 
畑の縁の土手は草が刈り残されて、サクラタデやイヌタデ・ヤノネグサ・アゼガヤツリなどがびっしり。 ここだけでも観察会ができるわ。

一足先に畑に戻っていたIさんはこの暑い中、火を焚いて焼き芋の準備をしてくださっている。
寒い時なら喜んで火の近くに寄っていくが、現金なもので遠巻きに眺める。

 
  その後、奥様も来てくださって芋掘り      土から出てきたきれいな色に感動。


この3本の木は? 近づくとモロヘイヤだった。
この他、小松菜・人参や大根の間引き菜など野菜収穫 
カボチャもいただき、みんなで分けた。


出来上がった焼き芋。濃い黄色。ねっとりとして甘い安納芋だ。おいしい~。

欲張っていただいた野菜は重そうと思っていたら、Wさんが駅まで送って下さるという。
なんとありがたい。
しかも私は途中までお迎えに来てもらうことになっていている。
うれしい野菜収穫体験だった。 ありがとうございました。
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