“川崎の翁” 探訪の記

「ウオーキング」と「乗りつぶし」で日本全国制覇を計画し実施中。

東海道五十三次 歩き終えて

2012年05月26日 | 東海道を歩く

 

東海道五十三次を歩き終えて

1.東海道五十三次 とは

    日本橋を起点とする五街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)

    の一つで、江戸と京都を結ぶ。慶長6年(1601)、徳川家康は東海道の宿に

    伝馬制を設け、宿ごとに36頭の馬を置き、旅人の利便をはかるようにした。

 

2.なぜ、歩いたのか

    横浜の翁の強い要請を受けて、歩く気になった。

    要請を受けた当初、歩く気持ちは全く湧いてこなかった。理由は東海道は

    国道であり、①車の交通量も多く危険が伴う、②排気ガスが多く快適に歩けない

    等であったが、その後アルコールを交えての話し合いを重ねることにより、

    だんだん歩く気が出来てきて、よし!歩こうという気になった。

    結果、歩く課題(テーマ)としては申し分なく、楽しく歩けて満足している。

 

3.距離

     江戸日本橋(東京都中央区) ⇒ 京・三条大橋(京都市東山区9

     126里 6町 1間    495.5 Km

 

4.日程

    下記の通り、18泊31日をかけて 完歩出来た

           2008年 ⇒ 2012年  5年の歳月

 

     2008年  12月13日   日本橋・品川・川崎

             12月15日   神奈川・保土谷・戸塚 

             12月18日   藤沢・平塚 

             12月24日   大磯

             12月29日   小田原

     2009年   1月 4日   箱根

              4月15日   三島

             10月21日   沼津・原

             12月 2日   吉原

     2010年   2月23日 ⇒ 2月26日  三泊四日

                       蒲原・由比・興津・江尻・府中・丸子・岡部

                       藤枝・島田

             11月16日 ⇒ 11月21日  五泊六

                       金谷・日坂・掛川・袋井・見附・浜松・舞阪

                       新居・白須賀・二川・吉田・御油・赤坂・藤川

     2011年   10月6日 ⇒ 10月12日  六泊七日

                       岡崎・知立・鳴海・宮・桑名・四日市・石薬師

                       佐野

     2012年    5月22日 ⇒ 5月26日  四泊五日

                       亀山・関・坂下・土山・水口・石部・草津・大津

                       京 

 

5.誰と歩いたか

 

     横浜の翁と歩いた

横浜の翁とは「楽歩会」と言う名のハイキング同好会で

1990年4月より歩いている仲間。

6.歩く計画・条件・工夫 

     *全体計画は資料を集め、何回も作りなおした。 

     *個別計画は、日帰り・宿泊歩行にかかわらず、計画を綿密に立てて、二人で

       納得するまで話し合った。

     *実行するに当たっては、無理をしないこと。

             計画を中止することに躊躇しないこと

     *一日の歩行は20Km~25Kmを目標とした。

     *宿泊は一人部屋を確保すること。

     *回数を重ねるうちに、荷物の重さが随分少なくなった。知恵が出てきた

     *宿泊時のアルコールを交えての振り返り会は、充実して楽しかった。

 

7.持参した地図

     ①宿場マップ 歩く・知る・発見する東海道!  ①~⑤

       神奈川東海道ルネッサンス・国土交通省関東地方整備局

     ②東海道 さんさく マップ  ①~22

       中部建設協会

     ③宿駅散策  近江東海道中絵巻  ①~②

       近江歴史回廊推進協議会

     ④東海道 歴史マップ ①

       草津宿街道交流館

     お世話のなりました。助かりました。ありがとうございました。

 

 

 

次回は

琵琶湖一周を決めた

琵琶湖の周囲・・・・235.2Km

琵琶湖の面積・・・・670平方キロ


東海道五十三次を歩く 四日目

2012年05月25日 | 東海道を歩く

東海道五十三次を歩く

四日目 5月25日(金)

草津宿 ⇒ 京 三条大橋

 ⇒ 

雨模様の四日目 草津を出発、ゴールの三条大橋まで

草津宿・追分道標

東海道と中山道の分岐点に立つ火袋付きの道標。

京都・大阪・尾張・美濃などの定飛脚問屋、播磨・備前・江戸

などの日雇方などの寄進によって建てられた。

 

草津宿 本陣

本陣2軒・脇本陣2軒・旅籠屋は70軒余も有していた草津宿。

当時の姿を残す全国で唯一の本陣とされ、平成8年・整備された。

  

脇本陣跡

本陣は天皇のお使いである勅使や公家・大名・公用で旅する幕府の役人などが

宿泊する施設。本陣だけに宿泊出来ない時には予備にあてた宿舎が脇本陣。

  

立木神社

境内には樹齢400年のご神木がある。

  

矢倉立場  旅人が杖を立てて休んだ

野路の一里塚

 

草津宿 から 大津宿 へ入る。小雨に見舞われた。

三条大橋まで5里あまり、江戸日本橋まで百二十里余り

 

瀬田の唐橋

近江八景「瀬田の夕照」で知られる日本三大名橋の一つ。

古来から軍事上の要地となり、幾多の戦乱や俵藤太の百足退治伝説の舞台にもなった。

  

逢坂山

国道一号線 東京から486Km 逢坂山を登る 交通量多し

 

  

逢坂の関

  

逢坂の関跡碑

「合坂」・「相坂」と書かれた時代もあったそうだが、やはり「逢う」という字が似合う

蝉丸  これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

追分道標

みきハ京 ひだりハふしミみち を右に進む

  

五条別れ道  追分道標

 

  

国道の九条山を登っている時 ゴールの三条大橋の標識が現れた

 

東海道五十三次 ゴール

 

  

 

横浜の翁制作の

旧東海道五十三次完歩 平成24年5月25日 

のスモール・横断幕を掲げて 記念写真 パチリ

  

弥次さん 喜多さんも渡った三条大橋

 

 

京都駅前タワー

 

 

横浜の翁・川崎の翁

江戸日本橋を出発して、京・三条大橋までの五十三次を

無事歩き終えることが出来ました。

おめでとうございます。 そして  万歳!!

 


東海道五十三次を歩く 

2012年05月24日 | 東海道を歩く

東海道五十三次を歩く

三日目 5月24日(木)

水口宿 ⇒ 草津宿

  ⇒ 

昨日の終了地点、近江鉄道「水口石橋駅」まで戻り草津へ向けて歩く

 

コース風景

  

北脇縄手と松並木

東海道が直線に延びるこの辺りは、江戸時代「北脇縄手」と呼ばれていた。

縄手とは、田の中の道のことで、東海道整備で、曲がりくねった伊勢大路を

見通しの良い道にした。

  

水口宿の一里塚

 

東海道 横田の渡し

かって、野洲川はこの辺りで横田川と呼ばれていた。

「横田の渡し」は「東海道十三渡し」の一つで、その跡地に文政5年(1822)に建立

された石の常夜灯は、街道一の規模を誇る巨大なものでした。

  

すぐ後ろを流れる野洲川・・横田川

水口宿 ⇒ 石部宿へ

弘法杉

天井川になった大沙川の堤の上に聳える大杉は、

幹周囲6m・高さ26m・樹齢750年と言われる「弘法杉」。

弘法大師がここで昼食をとり杉の箸をここに挿されたのが成長した。

  

石部宿 と 道の辺広場

東海道五十三次の51番目の宿場。「京立ち石部泊まり」といわれ、

京都を出て一日の行程にあり、現在は平成の大合併を終えて滋賀県湖南市。

昔の面影を色濃く残す町並みを保存しようと広場を作った

  

昔の街並みも保存されている

  

歌川広重の浮世絵に描かれた「田楽茶屋」を再現された。

  

和中散本舗跡

「和中散」という薬は、家康の腹痛をたちまちに治したことから家康が直々に名付けた

 

  

昔のままの街並みが保存会の方々の努力で保存されている。

 

東京から通しで歩いている仲間と出会った。

横浜の翁と話しながら歩く。テントを背負っての歩き。

  

 

石部宿の旧い民家の街並みをご覧いただいた。

 

 

石部の宿を抜けて 草津の宿に入った

草津駅前に設置された道標

  

京都から来ると草津で中山道と東海道に分かれる

 

 

 

  

今日の行程を終了して昨日同様 「ほがらか亭」で夕食

 

 

きょうは一本釣りの大きなアジとカツオの料理を楽しんだ

 

 

 

三日間、天候に恵まれ、体調もよく、計画通りの行動で満足です。


東海道を歩く 亀山⇒京都三条大橋

2012年05月23日 | 東海道を歩く

東海道を歩く

二日目 5月23日(水)

鈴鹿峠の坂下から鈴鹿峠を越えて、水口宿まで

   スタート

  

関ロッジの車で峠の下まで送ってもらい、鈴鹿峠を目指す

 

片山神社

鈴鹿峠の中腹、現国道一号線高架をくぐる手前に小さな社殿がある。

延喜式に載る神社で社殿は近代のもの。

嶮しい登山道を登る、横浜の翁。2本のストックを用意。

登山道を登る風景をもう一枚

  

鈴鹿峠の頂上に着きました。御苦労さまでした。

ここから滋賀県に入り、三重県とお別れです。

いよいよ近江東海道です。

   

万人講常夜灯

江戸時代中期、四国金毘羅参りの常夜灯として建てられた。

国道一号線を歩く。東京より437Km歩いた。頑張ったものだ。

 

南土山  蟹ケ坂

 

田村川橋

この橋を渡る諸注意が高札に書かれている。

  

田村神社

昔、鈴鹿峠で人々を苦しめていた鬼を退治した坂上田村麻呂が祀られている神社

土山宿

東海道53次の49番目の宿場。滋賀県甲賀市。

土山宿は嶮しい鈴鹿峠を行き来する旅人の休泊場所として賑わった。

陣や旅籠が並ぶ町並みは現在も残され、宿場町の面影が偲ばれる。

  

  

土山本陣

旧土山本陣は将軍・皇族・諸大名の宿泊場所として、寛永11年(1634)

3代将軍家光の上洛の際に設けられた。

  

 

 

水口宿

東海道五十三次の50番目の宿場。滋賀県甲賀市

水口宿は中世から伊勢参宮道のまちとしてひらけ、江戸時代は東海道の宿場町として

また、自然の湧水の掘りを巡らした碧水城として栄えた。

  

高札場

 

 

本日は鈴鹿坂下から水口宿まで歩き、近江鉄道・JRに乗って草津駅まで来た。

宿泊場所は草津駅前にとった。

 

ホテル横の銭湯に入り、本日の疲れを癒して

楽風林 ほがらか亭で 新鮮な魚を見事に料理するオヤジの料理を味わった。


東海道53次 ウオーキング

2012年05月22日 | 東海道を歩く

東海道ウオーキング 最終章

横浜と川崎の翁が東海道53次を歩こうと決意して

2008年12月13日、江戸・日本橋を出発して4年余りかけて

2011年10月11日に45番目の庄野宿まで歩き終えた。

そして、最終章の亀山宿から京都三条大橋まで完歩するのが

今回のウオーキング。

2012年5月22日(火)から5月26日(土) 四泊五日

70歳を超えた翁二人が、大きなリュックを担いで歩き終えた。

万歳 !!   万歳 !!

 

東海道53次

江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。

古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や俳句の

題材にもしばしば取り上げられた。

 

今回のスタートは46番目の亀山宿から

 

亀山宿

東海道五十三次の46番目の宿場である。現在は三重県亀山市。

第一日目

    

 

 

  

このような古い民家の家並が続く

 

 

池の側の松並木

亀山城濠の風致として植えられたもので、樹齢は約300年と言われている。

  

慶長9年(1604)徳川家康の命により亀山城主関一政が構築した。

もともと南と北にそれぞれ塚があり、左榎・右椋であったが現在は北の椋だけが残ってる。

 

東の追分(一の鳥居)

旧東海道と伊勢別街道の分岐点で、関西からの伊勢参りはここから

外宮・内宮へとここから向かっていった。

鳥居は伊勢神宮を遙拝するために建てられた。

 

関宿

東海道五十三次の47番目の宿場。現在は三重県亀山市。

古代から交通の要衝で、壬申の乱の頃に古代三関の一つ「伊勢鈴鹿の関」が置かれた。

  

旧い民家の街並み

  

関の地蔵院

「関の地蔵に振袖着せて奈良の大仏婿にとろ」の俗謡で名高い。

我が国最古の地蔵菩薩の霊地である。

 

 

・・ コマーシャル ・・

翁のブログ開設以来 初めてのコマーシャルです

関宿 関の地蔵前 で見つけた

 

素晴らしいお店   美味しいお店

あいづや

名物  山菜おこわと街道そば

この絵は有名な画家   黒田知宏さんが描かれたそうです。

あいづや

関宿を代表する旅籠の一つだった会津屋。

現在は気軽に立ち寄れる食事処となりました。

サービスセット

山菜おこわと街道そば・煮物・酢の物・昆布の煮つけ・お漬物・デザート付き

お店のおばちゃん達が、大変愛想よく旅の疲れを癒すにはお薦めです。

 

女将と娘さんががんばっておられます。

女将さんと記念写真を パチリ

 

 

 

今回のメンバー

横浜の翁と川崎の翁

宿泊場所の 関ロッジで夕食

 

初日  5月22日(火)の御報告

23日以降のブログは少し時間を下さい。土・日曜日はつくば国際ウオーキングに行ってきます。


東海道53次 ウオーキング

2011年10月12日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次ウオーキング

七日目  関宿から帰宅

 

六泊七日で東海道53次をウオーキングした

 

1.行程を振り返る

     一日目  本宿→岡崎宿           岡崎宿泊         25km

     二日目  岡崎宿→東阿野村       前後駅付近宿泊     25km

     三日目  東阿野村→宮宿(熱田)    桑名宿泊         18km

     四日目  宮宿(熱田)→佐屋宿      桑名宿泊         23km

     五日目  桑名宿→泊村          関ロッジ宿泊       21km

     六日目  泊村→亀山宿          関ロッジ宿泊       24km

     七日目  帰路 関→柘植駅→名古屋→新横浜    合計  136km

2.次回計画

     1.四泊五日で 関宿→鈴鹿峠越え→甲賀→草津→山科→京都三条

     2.時期は来年1月か2月を計画しているが、鈴鹿峠が雪のため、考慮中    


東海道53次  ウオーキング

2011年10月11日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

六日目  2011年10月11日(火)

泊村(JR関西本線・南四日市駅) ~ 亀山宿(JR関西本線亀山駅)

東海道53次ウオーキング 最終日 関宿に向けて歩く

コース

泊村→小古曽→釆女→石薬師→庄野→西冨田→和田→東町→亀山宿→関宿

日永(ひなが)の追分

東海道と伊勢参宮道の分岐点。左いせ道、右京・大阪道、すぐ江戸道。

   

佐々木信綱資料館

歌人で国文学者の信綱(1872~1963)。文化勲章・著書・遺品が収納

石薬師(いしやくし)宿

三重県鈴鹿市で、JR加佐登駅から3Km。東海道44番目の宿場。

石薬師寺

高富山瑠璃光院石薬師寺といい、真言宗の寺院です。

  

信綱かるた道 1.8Kmの間に36の歌が掲示されている

杖衝坂と芭蕉の句碑

日本武尊は伊吹山の賊を討ち病に倒れ、剣の杖にすがりながらこの坂を越えた

との伝説の坂。「杖つき坂を落馬かな」芭蕉の句碑

 

     庄野宿

       東海道53次の45番目の宿場

       庄の宿が宿場として成立したのが東海道で

       一番遅く、寛永元年(1624)でした

 

 

 

 

中冨田 一里塚  と常夜灯

川俣神社

鈴鹿川沿岸に沿って同一名称の川俣神社は6つある。

鈴鹿川が股のごとく分流しあるいは合流するところにある神社。

安楽川  ここで鈴鹿川と合流する。

亀山宿

東海道53次の46番目の宿場。亀山宿は城下町でも宿場は幕府直轄の

変則的な宿場。参勤交代の大名は通りぬけた。

関宿

東海道53次の47番目の宿場。東の追分からは伊勢別街道、西の追分からは

大和街道が分岐する活気ある宿場。

本日の宿は昨日同様、「国民宿舎・関ロッジ」です。

 

 

小さい秋・見つけた!!

    

金木犀                 柿の実が熟してる

   

イチョウの黄葉が始まった         もみじの紅葉も始まった

  

コスモスが咲き誇っていた         ススキが顔を見せていた

カンナの花が数多く咲いていた

 

 

お疲れ様でした。東海道53次のウオーキングは今日でおしまい。

本日打ち上げ会を盛大に行って、明日川崎へ帰ります。

六日間のウオーキング、天候に恵まれ、仲間に恵まれ、地域の方々に

お世話になり、楽しく歩くことが出来ました。

ありがとうございました!!

健康な体に感謝!感謝です。


東海道53次  ウオーキング

2011年10月10日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

五日目  2011年10月10日 (月) 祝日

桑名宿 (桑名駅) ~  泊村 (南四日市駅)

   

桑名宿 桑名・七里の渡し跡

慶長6年(1601)東海道が制定されて、桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は、

海上七里の渡船と定められた。

 

今日のコース

桑名宿七里の渡し→安永の町並み→町屋橋→朝日→冨田→羽津→四日市→日永

    

青銅鳥居としるべ石

「勢州桑名に過ぎたるものは 青銅鳥居に二朱女郎」と詠われた大鳥居

しるべ石は人を探す伝言板

   

員弁川(町屋川)と町屋橋の案内標識

矢田立場

東海道を往来する人の休息場として賑わっていた。

  

東海道・冨田宿  冨田の一里塚

立派な標識  意味不明??

諏訪神社

「おすわさん」と市民に愛称されている諏訪神社は商業・漁業の神として崇敬されてきた

本日のゴール  JR関西本線 南四日市駅

 

秋まつり

大四日市祭り 大入道

三重県四日市で開催される地区の氏神・諏訪神社の例祭。

大入道は妖怪・名称は大きな僧の意味。首がどんどん伸びる

獅子舞が各家を練り歩いていた

秋の気配

萩の花

マメ科ハギ属で落葉低木。秋の七草のひとつ

金木犀

中国南部が原産で江戸時代に渡来した。

秋になると小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ、芳香を放つ。

 

本日の宿・・国民宿舎 関ロッジ

本日の見聞きしたことを楽しく話し合い、明日の期待に胸ふくらます

 

 

東海道を歩いて早五日が過ぎた。天候に恵まれて、爽やかな秋晴れの下

東海道を楽しく歩いている。二人とも体調万全で、足が少し痛む程度。

新聞も読まず、テレビも見ず、世の中の変化に全く意識せず過ごしている。

素晴らしいことと思っております。

感謝!!感謝!!


東海道53次 ウオーキング

2011年10月09日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

四日目  2011年10月9日 (日)

佐屋海道を歩く

 

東海道53次  宮宿と桑名宿の間は海上交通

東海道53次の宮宿と桑名宿の間の交通手段である「七里の渡し」は東海道のルートのなかで

唯一の海上航路です。東海道で尾張より伊勢に入るのに

① 宮(熱田)から海上七里を舟で渡り桑名に上がるか

② 宮(熱田)から陸路で佐屋に出て舟で三里を渡って桑名に入る佐屋路を利用する

の二つの方法があった。

船旅は東海道を歩き続けた旅人の骨休めとなったであろうが、風浪の激しい時や

船旅に弱い者は佐屋路を利用したようだ。

 

コース

江戸時代には舟が運航されていましたが、鉄道や道路が発達した現在は

運航されていません。そこで我々は宮宿(熱田)から佐屋海道で佐屋の渡しまで歩き

佐屋から電車で桑名の七里の渡しまで行った。

佐屋海道

  宮(熱田)で東海道と分かれ、岩塚・万場・神守・佐屋の四宿場を経て

   佐屋の渡しへ出て、佐屋川・木曽川・桑名川を川船で桑名まで下る

   脇往還。

   宮と桑名を結ぶ七里の渡しの風雨による欠航や、船酔いを嫌う

   旅人で賑わった。

 

 

   

宮の七里の渡し跡            桑名の七里の渡し跡

七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、慶長6年(1601)の東海道制定の

際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が七里であったことに由来する。

所要時間は4時間であった。「熱田の渡し」・「宮の渡し」などとも言った。

佐屋の三里の渡し跡

佐屋から佐渡川を下って桑名までの船旅は三里を数えたので、三里の渡しと呼ばれた。

庄内川を歩く

神守(かもり)の一里塚

神守宿の東の外れ、下町の街並みが始まる所。江戸から93里目の一里塚

ふるさとの川   日光川碑

レストラン 葉JUE  日光川手前にある。

本日の昼食場所、相方の横浜の翁、ハンバーグ定食の美味さに感嘆の声

埋田の常夜灯

 

秋の気配

秋の気配を感じながら、横浜の翁元気に東海道を歩く

秋の気配を感じながら、横浜の翁 刈り入れ前の田んぼ道を歩く。

 

 

晴天の中、秋の気配を感じながら気持ち良く歩いた

今日は、東海道ではなく、佐屋街道をあるいた。弥次さんと喜多さんの二人は

宮(熱田)から船で桑名まで行きたかったとボヤキしきりでした。


東海道53次 ウオーキング

2011年10月08日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

三日目  2011年10月8日(土)

今日のコース

  

東海道・東阿野村  →  東海道・宮宿・七里の渡し

東阿野村→前後→新栄→栄屋→有松村→鳴海宿→笠寺村→山崎村→宮宿

有松村の古風な家並み

慶長13年(1608)豊後の絞染からヒントを得て竹田庄九郎が考案した「有松絞(鳴海絞ともいう)」

は、この地の名産品。それらを扱った店々。

古風な家並みが保存されている

鳴海宿

尾張藩領の中でも大村で、概高5千石余。中世末までは海に面した地、鳴海湾として知られていた

江戸時代になって南方に新田が開けて海が遠くなり、宿駅として栄えた。

     

笠寺観音 (笠覆寺)

尾張四観音の一つ。奈良時代に禅光上人が霊木で十一面観音を刻み小松寺を建立。

この寺が荒れ果てて本尊が雨露にさらされているのを見た娘が自分の笠を

観音にかぶせた。

姥堂・裁断橋址

姥堂は延文3年(1358)の創建。本尊姥像は熱田神宮から移したもので「おんばこさん」

と親しまれた。第二次大戦で焼失。平成5年に修復

旧東海道  伝馬町

熱田神宮

熱田の大神を主神とし、天照大神・を相殿神に祀る。境内には織田信長が桶狭間の戦いの

大勝のお礼に奉納した信長塀がある。

新尾頭の道標

南面に「左さや海道・つしま道」、西面に「右宮海道・ひだりなごや道」とある。

ここから北は名古屋・南は宮(熱田)、西へ行けば佐屋の追分。

   

七里の渡し跡

寛永2年(1625)、犬山城主・成瀬正虎が熱田須賀の海浜に建てた常夜灯。

  

桑名の焼き蛤

その手は桑名の焼き蛤 ・・その手は食わないと桑名の名物焼き蛤を掛けたもの

三日目のウオーキングの夕食に名物の「桑名の焼き蛤」を堪能した。

 

 

東海道53次ウオーキング三日目、地味なコースであった。

名所・旧跡も少なく、淡々と歩いた。

最後においしい焼き蛤ですくわれた。

おいしい物が頂ける旅は素晴らしい。ごちそうさまでした!!