昨年12月に会社が麹町に移転し、それまでの三田線・南北線利用から、三田線・半蔵門線に変わりました。
いつも、朝の半蔵門線は降りる駅(半蔵門)の出口の関係で、進行方向の前車両に乗るのですが、たまたま今日はタイミングでいつもより、後ろの車両に乗車を。
そうすると、いつもは社内がゆったりしているのに、次の「九段下」の駅で自分の乗った車両だけが、ギュウギュウ詰めになってしまいました。
同じ半蔵門下車でも、エスカレータ利用の出口に近い車両だけは、混んでいたのです。
もう二ヶ月近い半蔵門線利用なのに、全然知らなかったのですが、乗る車両が代わるだけで、同じ線でも違う表情があるものですね。
些細な発見ですが、こんな発見でも楽しくて、ひとり悦に入ってます。
(どうも、自分の性格として、毎日、発見や変化がある方が楽しく、自宅から駅に行く道を、その日によって変えてるぐらいなので・・・。)
でも、変化に気付かなくなったり、発見に喜びを感じなくなったら、老化の第一歩かもしれませんよね。
やはり、毎日の生活の中でも小さな発見から、“感性のときめき”が必要だと思うんです。
例えば、簡単な“ときめき法”として
地元の喫茶店に入ってみる。
近くの銭湯に行ってみる。
図書館を利用してみる。
結構、簡単な行動で発見があったりするものです。
私の場合は新しい飲み屋の開拓でしょうか?
(う~ん、発想が完全に習慣化してるか・・・。)
いつも、朝の半蔵門線は降りる駅(半蔵門)の出口の関係で、進行方向の前車両に乗るのですが、たまたま今日はタイミングでいつもより、後ろの車両に乗車を。
そうすると、いつもは社内がゆったりしているのに、次の「九段下」の駅で自分の乗った車両だけが、ギュウギュウ詰めになってしまいました。
同じ半蔵門下車でも、エスカレータ利用の出口に近い車両だけは、混んでいたのです。
もう二ヶ月近い半蔵門線利用なのに、全然知らなかったのですが、乗る車両が代わるだけで、同じ線でも違う表情があるものですね。
些細な発見ですが、こんな発見でも楽しくて、ひとり悦に入ってます。
(どうも、自分の性格として、毎日、発見や変化がある方が楽しく、自宅から駅に行く道を、その日によって変えてるぐらいなので・・・。)
でも、変化に気付かなくなったり、発見に喜びを感じなくなったら、老化の第一歩かもしれませんよね。
やはり、毎日の生活の中でも小さな発見から、“感性のときめき”が必要だと思うんです。
例えば、簡単な“ときめき法”として
地元の喫茶店に入ってみる。
近くの銭湯に行ってみる。
図書館を利用してみる。
結構、簡単な行動で発見があったりするものです。
私の場合は新しい飲み屋の開拓でしょうか?
(う~ん、発想が完全に習慣化してるか・・・。)