今日の昼食は、夕方の5時近い時間になってしまいました。
打合せが続いたのと、少し食欲がなかったこともあります。
昼食といっても何処ででも食べれるよう、山の神が作ってくれるオニギリなのですが・・・
そして、今日の食べた所が五反田駅近くの公園。
公園で食べたのは、今日は二度目かもしれません。
公園は高層マンションに囲まれ、東京の原風景はもうどこにもない状態です。
たまたま、前日の研究会のテーマに、景観と住環境を考えるがあったため、その無機質感に人間のふれあいも、どうしても希薄に感じてしまいます。
無機質と云えば、33年前に高島平に移り住んだ時、当時の高島平団地を見て、同じように感じました。
今は住んでる人の加齢で、適度な“味”があります。
その無機質感を救ってくれたのが、私の座ってるベンチに止まった、一羽の雀でした。
山の神の作ってくれた、オニギリが幸いしました。
どうやら、それをねだって来たようです。
その一羽のために、30�も離れてない所に米粒を置くと、直ぐに銜えて離れていきます。
よく見ると、そばにいた小雀に一生懸命与えてます。
それを続け、3度目からはもう手移しで、米粒を銜えるようになりました。
小雀もお腹が満たされたようです。
それを見て、どうしても思うのが、今朝の母子餓死の痛ましい事件。
もし、DVが原因で自分の子供に満足に、食事を与えられなかったとしたら、母として無念でならなかったと思います。
それにしても、こうも今の時代、オトコが情けなくなったことか・・・
雀の世界には、DVは多分ないと思います。
そう云う意味では、雀の方が幸せなことが多いかもしれません。
マンションに囲まれた狭い公園で、そんなことを思ってしまいました。
今度、また公園でオニギリを、食べてみようと思います。
あの親子の雀が、私を覚えていてくれたら、とても嬉しいのですが・・・
ウィッシュ - 『六月の子守唄』
打合せが続いたのと、少し食欲がなかったこともあります。
昼食といっても何処ででも食べれるよう、山の神が作ってくれるオニギリなのですが・・・
そして、今日の食べた所が五反田駅近くの公園。
公園で食べたのは、今日は二度目かもしれません。
公園は高層マンションに囲まれ、東京の原風景はもうどこにもない状態です。
たまたま、前日の研究会のテーマに、景観と住環境を考えるがあったため、その無機質感に人間のふれあいも、どうしても希薄に感じてしまいます。
無機質と云えば、33年前に高島平に移り住んだ時、当時の高島平団地を見て、同じように感じました。
今は住んでる人の加齢で、適度な“味”があります。
その無機質感を救ってくれたのが、私の座ってるベンチに止まった、一羽の雀でした。
山の神の作ってくれた、オニギリが幸いしました。
どうやら、それをねだって来たようです。
その一羽のために、30�も離れてない所に米粒を置くと、直ぐに銜えて離れていきます。
よく見ると、そばにいた小雀に一生懸命与えてます。
それを続け、3度目からはもう手移しで、米粒を銜えるようになりました。
小雀もお腹が満たされたようです。
それを見て、どうしても思うのが、今朝の母子餓死の痛ましい事件。
もし、DVが原因で自分の子供に満足に、食事を与えられなかったとしたら、母として無念でならなかったと思います。
それにしても、こうも今の時代、オトコが情けなくなったことか・・・
雀の世界には、DVは多分ないと思います。
そう云う意味では、雀の方が幸せなことが多いかもしれません。
マンションに囲まれた狭い公園で、そんなことを思ってしまいました。
今度、また公園でオニギリを、食べてみようと思います。
あの親子の雀が、私を覚えていてくれたら、とても嬉しいのですが・・・
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