CubとSRと

ただの日記

題名はいずれ。

2020年04月02日 | 重箱の隅
2017.04/12 (Wed)

 三月末、数日間、田舎に帰っていた。
 白兎神社に参拝しようと思い、鳥取海岸経由でこちらに戻って来た。
 海に面して東西に道路が走り、道路に面して神社がある。神社のすぐそばに、道の駅が作られている。
 道の駅から十数歩で、白兎神社の鳥居をくぐる。

 大国主神が旅をしてきたところ、ワニに皮を剥かれて泣いているウサギが居たので手当の方法を教えてやった、という神話が有名だが、その白兎を祀る神社だ。
 あの神話、妙なところというか、何とも謎の多い話だ。
 まあ、神話というのは細かいことを言い出せばきりがないほどおかしな話が多いんだけども。

 本質を無視、乃至は軽視して理屈をこねくり回し始めたら、どうにもならない。「木を見て森を見ず」、だ。「例外」とか「特殊な例」の袋小路にハマって二進も三進もいかなくなる。
 以前に竹田恒泰先生が「神話というのは『事実』ではなく『真実』を書いてあるんです」と言われていたのを聞いて、なるほど上手い説明だな、と感心したことがある。
 何しろ、神話というものは文字のない昔のことを「口伝え」できていたものだから、伝承違い、記憶違いということが起こらない方がおかしい。口伝どころか、筆写したって誤写、誤字、脱字は当たり前に起こるのだ。
 神話はそんな「口承」を、或る時点で文字化したものだから、個々に見ていけば辻褄の合わない伝承がどうしてもできてしまう。
 それを、そこばかりを論(あげつら)って
 「だから神話『でしか』、ない。本当にあったことではない」
 と全否定してしまえば、歴史なんか、もっと言えば、先人の作ってきた考え方、文化など全ての物事は全く信用のできない物になってしまう。つじつまの合わない部分に留意しつつ、全体(本質も)を把握しようと見詰めてこそ、前進できるというものだ。

 いきなり、話が逸れてしまった。
 隠岐にいた兎が、海を渡ろうと思い、
 「仲間の数を数えてやるから、並んでごらん」
 と、ワニをだまして並ばせ、その上を跳ねて陸地に着く、寸前に辛抱できず、
 「こっちに来たかっただけだよ。馬鹿な奴らだ」
 と、笑いながら言ってしまった。
 怒ったワニは寄ってたかって兎の皮を剝がしてしまった。
 面倒なことをしたもんです。いっそみんなで噛みついてずたずたに・・・、というのが普通なんじゃないでしょうかね。何で、生かして返したんでしょうね。分からん。ちっともワニらしくない。ナンセンスだ。
 ・・・、と、まあ、「本質を無視、乃至は軽視して理屈をこねくり回し始めたら、どうにもならない」実例です。
 「数を数える」とか「(殺すのではなく)皮を剥がす」ということに、本当に伝えたかった「何か」があるのではないか、と考える方が意味がありそうなんですが。

 ところで、あの「ワニ」。あれは「鰐」ではなく「鮫」のことだ、というのは能く知られています。日本には鰐は、いませんから。
 でも「鰐」という字はある。それも「魚偏」ですからね。水中にいて泳ぎ回るんだから、魚じゃなくても魚、とみなされていた「ワニ」。揚子江(長江)にもワニがいるんじゃなかったですか?だから「鮫」とは違う生き物で、「鰐」という字が作られたのかも。
 こうなると白兎の皮を剝いだのは爬虫類のワニの方かも、となってきますが、いくらなんでも日本海にそんなに「ワニ」が棲んでいたとは思えないでしょう。
 やっぱり、「鮫」ですかね。

 島根、鳥取では昔から鮫のことを「わに」と言っていました。
 実際に「ワニ漁」があって、「ワニ漁師」もいた。昔、NHKのドキュメンタリー番組で、近くの漁港の漁師がこれをやっているのが放送され、びっくりしたことを覚えています。
 人力では無理なので、ウィンチで巻き上げるんですが、船に引き揚げられてからでも暴れまわります。下手に近づくと腕でも足でも食いちぎられてしまう。それで、呼吸ができなくなってちょっとおとなしくなったところで、金槌で頭部を何度もぶん殴る。大声で「成仏してください!」と言いながら。でも、本当にこうでも言わなけりゃ祟られるんじゃないか、と思うくらいの暴れようで、漁師も、鮫も気の毒なくらいの疲れようでした。(「気の毒な」、と思いながら、私はこの肉を湯引きして酢味噌で食べるのが好きで・・・・。)
 このワニのひれを切り取って「フカヒレ」として売る。身は解体して魚と同じく、売る。新鮮なうちは淡白な味の刺身になるけれど、鮮度が落ちるにつれてアンモニア臭がひどくなってくる。それでも腐っているわけではない。
 それで、中国山地の最奥部、広島との県境を越えて、山間部の方でも、生のままで食べられる。

 ・・・・脱線ばかりなので、今日はこの辺で。

 (いずれは「ご利益」という題名で括ろうと思ってるんですが。)
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石造建築と木造建築

2020年04月02日 | 心の持ち様
2016.05/24 (Tue)

 「西洋の教会などの建築物には数百年以上経っているものはざらにあって、一般庶民の家だって、石造りの集合住宅などは百年以上前のものをそれぞれが内装だけ替えて住み続けている。それに比べたら、日本の家などは長屋は言うまでもなく、一戸建てでもたかが数十年でガタが来る。そうなるといとも簡単に建て直してしまう。結局、安普請で、重みがない。」
 「そりゃ、しょうがないだろう。日本の建物は木なんだから。石に比べたら耐久性はないし。それが日本の文化だろ?地震も多いし。所詮文化が違うんだよ」

 ネットで最近こういうやり取りを見た。
 いや、こんなやり取り自体は今に始まったことではない。還暦を過ぎたこの歳になるまで、これに類することは何度も見聞きしてきた。そして結論はいつも同じだった。
 「だから日本は西欧のまねをするばかりで、追い抜くことはおろか追いつくことさえできない。」つまり、永久に二等、二流国民なんだ、と。

 今、「シナは日本のまねをするばかりで、追い抜くことはおろか追いつくことさえできない」と言われている。ホントか?
 「それは間違ってない!」と言われそうだけど。パクリ国家をバカにしちゃいけない。いつまでも共産党が続くわけがないんだから。
 これ、視点を変えたら、全く違ったものが見えてくる。
 数百年前に作ったものだって、形あるものはいつか劣化し、壊れる。そのとき、それを作った人々は当然この世には存在しない。だから修復の技術は、ほとんどの場合途絶えている。つまり、もう直せない。
 それで、「直す」のではなく、新しく作り足すか作り直すことになる。急激に客の増えた旅館のように増築に増築を重ねる。直せないんだからしょうがない。

 「文化」というものは、営々として築き上げてきたものではあるが、その時(今生きている人々)の要望をかなえるためのもの(道具)であるから、「復旧」するのではなく「必要とあらばきっぱりと破壊する」精神を尊ぶ。
 なるほど納得、だ。
 けれどまあ、毒を吐くならば、「先人の屍を踏み越えて新しい世界を作る」のが西洋文化と言えるか。
 「踏み越えて」を「踏みにじって」としたのがマルクス社会主義だとも言える。

 誰だったかはっきりとは覚えてないのだが、有名な大工(法隆寺の西岡常一氏だったか)が「千年生きてきた木は建築材にすると更に千年生きる」みたいなことを言っていた。実際木造である法隆寺の五重塔は千年以上その姿を保っている。対して、西洋の建造物で千年も当初の姿を保っているものは一つもない。
 日本人は「先人の屍を踏み越えて」ではなく「先人の遺業を継承し」尚且つそれを深化させようとする。だから修復の技術は途絶えることなく伝えられ、さらに高められていく。故に、一見何も進歩していないように見えることも、往々にしてある。

 そうみると、「だから日本は」の後に
 「所詮、マネしかできない。結局欧米には勝てないのだ」と散々に繰り返された結論はひっくり返ってしまう。
 「だから日本は」の後には、こんな言葉が来る。
 「だから日本は、文化が劣化することなく正統に伝えられ発展する、という絶対的な利点を持っている」

 これを「贔屓の引き倒し」、と一面だけ見て中庸を気取ることは、好い加減やめるべきではないか。
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繰り返し

2020年04月02日 | 重箱の隅
2016.05/10 (Tue)

 前回、日記を更新してから、気が付けば一週間が過ぎてしまっている。
 病気だったわけでもないし、忙しかったわけでもない。勿論忘れていたわけじゃない。けど、気が付けば一週間、だ。
 「書かないと、なあ」と、毎日思い続けての一週間。
 夏休み終わりの小学生のまま、と言ったら良いか。進歩がない。

 で、例によって「何故だろう」、と悩む。「何故書かなかったのか」。
 ついこの間、「逃した魚は本当に大きかったのかもしれない」、と書いた。
 「どうせ大したものじゃなかったんだ」、と酸っぱい葡萄を決め込むのではなく、敢えて「いや、もしかしたら、大物だったのかも」と見直してみる。再確認、だ。
 その上で自分の判断を肯定的に見るか、否定的に見るか。そんなことを書いた。

 漫画家が枕元にメモ用紙を置いておく。夢で面白い話を見たら夜中だって目を覚まし、早速その場でメモを執り、アイデアの一つとするためだ。
 「夢のような話」、なんていうけれど、突拍子もないことを「夢のような話」と前置きして書くことは出来る。
 実際、夏目漱石は「夢十夜」では、「夢」ということにして思索の結果を小説にした。「夢」、という前提があれば、そのスタンスで読者も考えたり感じたりすることができる。ならば、その逆もあり、だ。「夢からでもヒントを」、と漫画家もメモ用紙を準備した。

 「眠っている時に面白い夢を見たら、すぐさま起きてメモをしよう」。
 「そんな、都合よく起きられるか?」と思うんだけれど、何度か起きることは出来たらしい。それで、実際に半分寝ぼけたような状態ながらメモをした。そして、安心してまた寝る。
 半分眠った状態であっても、プロ根性(?)、目が覚めてからすぐにメモのことを思い出し、枕元のメモ用紙を見る。
 ところがメモだけだったからか、話の筋が全く思い出せない。或いは思い出せても、ちっとも面白くなかった。

 麻薬やら薬やらをやると、異常に研ぎ澄まされた神経活動や運動能力が発揮されることがある、というので、いつの時代でも芸術家やスポーツ選手はそういうものに手を伸ばす。仕事から逃避したい、という人もあるのだろうけど、大方は更なる高みを目指してのことらしい。
 昔、聞いた話では、確か画家のマチスだったか、が、いつもなら呻吟、苦悶の先に作品の完成を見るのに、薬を用いたところ、次から次へと素敵な発想が湧き起って「オレは天才だ!」とばかりに夢中になって筆を走らせることができた。
 最高傑作ができた、と興奮していたのだけれど、効き目が切れた時、その「最高傑作」を見て、「何だ、これは。こんなもの描きたかったんじゃない。何が最高傑作だ、どうかしている」となったのだそうだ。

 漫画家もマチスも、それこそ「藁をも掴む思い」で、「夢ノート」や「薬」にすがった、いや、「試した」のだろう。
 では、これ、結局無駄足だったのか。そうではないだろうと思う。
 「すがった」のではなく、「試した」。苦悩の果てに、でも「縋った」のではなく、「試した」。
 そして、やっぱり「苦しむ」しかないという解答を確かに掴んだのだと思う。薬や夢の、断続している部分こそが目覚めている時には必要なんだ。
 (小松左京は「日本沈没」を書くとき「どうやったら日本列島を沈められるか」ということをひたすら考えたという)

 とは言え、「試した」つもりがそのまま溺れてしまう、ということは往々にしてある。
 「縋る」つもりが、いつの間にかただの我儘になってしまうことも。

 新しい知識を夢中になって手に入れ続けるうちに、いつの間にか自分が何を求めていたのか見失ってしまう。
 この人、この考え、と思って全幅の信頼を置いていたつもりが、いつの間にか「初めに言っていたことと違う。あなたは間違っている」、と詰(なじ)る。初めの己の理解能力を振り返ることもなく(自身の物差しが変わっていることに気づかず)、断定する。

 さて、何故、日記を書かなかったのか。少なくとも主因を外に求めることは出来ない。外に求めるということは主体性がない、誇りを以て考えることすらしない(できない)、ということだから。
 考え続けなければ日記は書けない。それも自分の、「錆びついて動かぬ頭で、無理やり考える」のでなければ意味がない。


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神の道

2020年04月02日 | 心の持ち様
2015.04/08 (Wed)

 実力のない者が真面目くさって、周囲から見ればバカみたいなことに一所懸命取り組む。
 でも、そうするしかないんだ。実力がないんだから悪足掻きにしか見えない、周囲から見れば噴飯ものにしか見えないようなことに、ひたすら真面目に取り組み、少しずつ力を蓄えるしか方法はないんだ。
 何故ってそれしか向上を目指す方法はないんだから。
 みたいなことを書いてきました。この日記、実は前回の「大袈裟」の続きです。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 というわけで、散歩(やや早歩き)に徹したい。何か良い方法はないか。
 そう思って、それじゃあコースをもっと大きくとったらどうだろう、と。
 運動公園の付属の駐車場も含めてみる。そうすると大体一周半になる。これなら6周と公園一周で十周分。

 けど、良い事ばかりではありません。駐車場の中を歩くのは味気ない。愛想がない。当然のことですけどね、駐車場なんだから。本当に自分勝手だと思います。贅沢ばかり言って。神戸に戻ったら、そんなに条件のいいとこ、近隣のどこにもないのに。

 で、考えた。良いことを思いついた。
 近くに由緒正しい、けれど、神職が居ない神社があって、そこまではずっと歩道がある。車がびゅんびゅん通る恐怖の道ではない、最低でも縁石がある、大半は独立した柵のある歩道です。
 歩いてみたら片道二千五百歩余り。だったら、毎日参拝に来ればいいじゃないか。早朝ということで、交通量も僅かです。これは良いコースを見つけた。
 ということで、それ以来「神社早朝参拝散歩」ということになりました。

 さて、やっと本題に入ります。実はこの日記、前回の「大袈裟」は枕だったんです。長~い枕でした。
 でも私の日記は本題は短いのが特徴ですので。「え、え~っ?」と言っている間に終わりますので。

 神社は旧道に面しているので、一旦神社の前を通り過ぎ、Uターンして数十メートル戻ると、参道の正面に出ます。短いながら真っ直ぐな参道は、神社に向けて伸びています。
 参道の端には赤い石州瓦の拝殿があり、その後ろの銅板葺の社殿は急峻な崖を従え、崖は岩山となって聳え立っています。大内氏が建てた「石見城」はこの山の頂上にあります。
 とにかく古い神社で、名前もそのまま「石見八幡宮」。
 出雲国の創造神である「八束水臣 津(野)命」がここに駒をつなぎ、岩山を仰いで奇観に感嘆したため「石見」と呼ぶようになった、などと書かれてありました。
 出雲の国の神が「石見」の名をつけた、というのも何だかなあと思うのですが、ここ、大国(おおぐに)は大国主命が朝鮮より戻られた時にしばらく住まわれたという岩穴があり、そこは八千矛山大国神社(八千矛神社)として祀られ、幕末、そこを訪れた国学者が感激して、以降自分の名前を大国隆正とした、という話もあります。

 創建は今から千五百年近い昔。
 八束水臣津野命。足利直冬が勝利祈願をし、周防の守護である大内氏が飛び地のようにして石見のこの地だけを治め、戦国期には吉川氏が社殿を再建し・・・・。
 「あれ~っ?考えてみたら、何で『八幡宮』なんだ?」
 ・・・・・ですよね。出雲国風土記の頃から八幡宮か?

 初めに祀られた神様の名前はきっと違っていたんでしょう。いや、名前もなかったのかもしれません。
 神社の縁起には山頂に霊光が輝き、恐る恐る見に行ってみると、光る珠があらわれ、祀るように霊示があった、とか。

 これではどんな神社か分からない。
 でも、乱暴なことを言いますが、それでいいんじゃないかと思います。
 この間まで流行っていた「パワースポット」と同じで、「そこに行くと何だか元気になれる」「気分がすっきりした」「やる気が湧いてきた」などというのが、昔から神社になっています。
 「有難い」というのは「稀有のこと」という意味です。「滅多にない」、というのは、「滅多にない」ということそれ自体で人に何らかの力を与える。だから「有難い」の一言で、本当に素直に祀ったんじゃないか。
 「ありがたや、ありがたや」、って昔の年寄は念仏のように能く唱えました。
 私は先日、お坊さんがお経を唱える中で「ありがとうございます。もったいのうございます」と唱えるのを聞きました。

 神様は「見る」ものではなく、「感じる」ものでしょう。西行法師は「忝い(かたじけない)」と言ってます。
 (なにごとのおはしますかは知らねども 忝さに涙こぼるる)
 何とも言えない不思議な力を感じた。その力が自身の生きる力を引き出してくれたような気がする。不思議な力に感応して力が湧いてきたような気がする。
 神様を感じ、生き生きしてくる。これは感応性、感受性を磨くことと同じなんじゃないでしょうか。参籠はそのためにする。
 日本人は「謙虚さ」を常に意識してきましたが、謙虚さは感応性、感受性と直接繋がっていると思います。それで力を得て行動することができる。

 真っ直ぐな参道の先に赤瓦で葺かれた大きな拝殿があり、銅板葺の社殿のすぐ後ろの切り立った崖を見ると急峻な岩山が聳え立っている。その姿を見て何も感じない筈がない。
 「参道は神様がお通りになる道だから、参拝者は真ん中を開けて(遠慮して)右か左を歩きましょう」。
 最近、能くそんな説明を耳にしますが、何だかちょっと違うんじゃないかな、と思っていました。いや、その通りではあるんですよ、けれど「手水を使う」ことや「拍手をする」ことと同じく、何だか説明が違うんじゃないか。

 そんなふうに思ったことありませんか?「神様って人間くらいの大きさなんだろうか」、って。それに神様って、そんなにちょこちょこ出入りをされるんだろうか。
 神様は普通、「坐(いま)す」とか「おはす」と言います。それは「じっと座っておられる」ということです。
 たまに動かれる時はどうかというと「千早振る」という枕詞が示す通り、それこそ「神速」ですから。「神速」で参道を行き来されたんじゃあ危なくってしょうがない。
 だからそういうことじゃない。
 えらい人の前に出た時、我々は真正面に、頭がぶつかるほど接近して立つでしょうか。それじゃ昔のヤンキーの喧嘩です。
 えらい人の前に立つ時は、ちゃんと間を取る。そして相手の顔をじろじろ見たりはしない。人だってそうなんだから、神様、となると推して知るべし、でしょう。
 「距離を取る」どころか、正面には立たない。何故って神様の威光の前に、立っていられる筈はないからです。
 平気で立っているような者が、頭を下げに参るわけがない。「来てやったぞ。願い事をかなえろ」、なんて心根で。

 でも参拝する場合はそんなこと言ってられない。失礼を承知です。
 せめてものことは頭を上げないこと。それが「拝礼」、となる。
 となると、「参道」は「神様の通り道」なんかじゃない。どうしても、というなら「神様の威光」の道筋とでも言った方が良いかもしれない。
 尤も、「参道」って言葉からすると、これは神様の道じゃない、ということですけどね。これは我々のための道です。だって「参道」、でしょう?
 「参拝のための道」なんだから「「参拝道」或いは「参詣道」です。
 ただし、神様の威光が常に放たれているところにつくられているのだから、真ん中は自然、通れない、と「感じる」。

 ついでながら。
 「手水舎の水は飲むものではない」「神社では手を拍つのであって、合掌するのは間違いです」なども、正しいことを言っているのだけれど、説明を聞くと何だかおかしい。
 これは一番肝要な点である「感受性」「感応性」を全く説明してないが故に起きる、「何でもマニュアル化」の弊害なんじゃないかなと思います。
 そのため、説明を受けて詳しくなったようでも、単に理論武装をしただけで己がものになってないんじゃないか、と今回気付く機会を与えていただいたように思います。


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