2017.06/22 (Thu)
今年に入ってからSRのフロントフォークのサスペンションがおかしい。時々、小さな段差でも何だか底を打つような衝撃がある。
そうは言っても大体自分の運転技術が「はあ?」みたいな程度だから、
「勘違いかもしれない。今頃になって腕の未熟さが分かるようになった?…ということは上手になったのかも?」
、なんて能天気なことを思って数ヶ月様子を見ていた。
ゆっくり走っている分にはほとんど気にならない。
バイク店に聞くと
「バネがヘタって来てるんだと思います」。
確かに、20年も経てばサスペンションも疲れてくるだろう。そうなると交換するしかないのだが・・・・。
「まあ、いきなり駄目になる、なんてことはないわけだから・・・。だましだまし乗る、か」。
先日、思いついて往復で200キロほどの日帰りツーリングに出た。
帰りがけ、スピードメーターをちらっと見たら、針が小刻みに揺れている。
以前、針が大暴れし始めた時は、スピードメーターのケーブルがいかれていた。今度はそれほどひどくはないけれど、まず直る(収まる)ことはないだろう。これは間違いなくもっと大きく揺れ始め、いずれは大暴れに発展する。ただし、そうなっても走り方がぎくしゃくするわけではない。速度がどのくらい出ているか分からなくなる、だけだ。(勿論、整備不良で、交通違反ということになる)
ということで、仕方なく再びバイク店に連絡。やはり、メーターのケーブルが駄目になっているんでしょう、と言われる。
一瞬迷ったけれど、「来年にでも」と言っていたフロントフォークのサスも、一緒に直してもらうよう、お願いした。
幸い、部品はすぐに手に入るということで、実際、言葉通り、二日後には部品交換(修理)が終わる。
20年間、7万7千キロ近い走行距離のSRは、取り敢えず健康状態になった。
勿論、新車の時の性能には遠く及ばないのだけれど。
ところで。
「まあ、いきなり駄目になるなんてことはないわけだから。だましだまし乗ればいいじゃないか」
そういう選択肢もあった。
「まだ大丈夫。用心して乗っていれば。今がその時、というわけじゃない」って。
あれ?何だかどこかで聞いたような科白だな・・・?
「これまで大丈夫だったんだ。これからだって大丈夫だろう。どんな経緯だって、『良いものは良い。駄目なものはダメ』。下手に触って取り返しのつかないようなことになっては。どうしても直すというのなら十分に議論をして、それからでもいいだろう」・・・?
「大体、どこの国が攻めてくるって言うんだ?諸国民には『公正と信義』があるんだぞ。それにミサイルだって一発だけなら誤射かもしれないじゃないか」・・・・ってね。
でも、とにかく金がないんだから。四月には自分のミスで車のバッテリーを駄目にした。それが余計な出費となった。
五月は固定資産税。今月は県・市民税。バイクの車検。
だから、本来ならば
「それに加えて緊急でもない部品交換?そんなの後回し!」
・・・・、となるのだけれど、決心して直してもらうことにした。2万数千円かかった。
「一瞬迷った」と書いたけれど、我ながら「いつもに似合わず決断が早かった」のは、このショートツーリングに出てすぐに(10キロほど走ったあたり)、路面の横波のような亀裂(小波のように数メートル間隔で並んでいた。大げさに言えば波状路みたいな)で、ハンドルから両手が離れそうになったからだった。
慌ててシートから腰を浮かし、ハンドルを抑えたのだが
「これは早く交換した方がいいな。事故ってからじゃ遅い」。
その時、そう思った。
ニワトリだかカラスだか知らんが、三歩歩けば忘れてしまう我が鳥あたま。ツーリング初めのことだから、帰ってきた時には本当なら危機感なんてすっかり忘れているのが平常運転。
それが、今回は帰路になって始まり、家に帰るまで続いたスピードメーターの異常、のせいで問題意識(危機意識)を持ち続けていた。
「緊急の問題ではない。用心さえしていれば大丈夫」
確かにミスをしなければバッテリー上がりなんてなかったわけだし、そうだったらバッテリー交換なんてする必要はなかった。
けど、ミスしたんだから。猛省したってバッテリーが復活するわけはないんであって、結局、交換して安心を得るにはお金を使うしかなかった。
「20年たってバネがヘタってきたから、って。大体、バネが破断する、なんてことはないんだから。大丈夫、だいじょうぶ」。
でも、本当に「用心してゆっくり走っていれば大丈夫!」・・・?
「他に走っているものが居なかったとしたら~」の話なんか、する意味がないだろう。
「目の前で無駄にブレーキを踏む車」は、いないか?
「追い上げて、時には煽ってくる車」は、いないのか?
「ハンドルを切ると同時にウィンカーをつける車」は、いないのか?
そんな時に急ブレーキをかけたら、フロントサスは沈み切って底を打ち、乗っている者は前方に放り出される。
車だって同じことが起こる。助手席でシートベルトをして赤ん坊を抱えている母親なら、赤ん坊はフロントガラスを突き破って車外に放り出される。
自分だけ「用心してゆっくり走っていれば安全」、なんてあり得ない。
だから「金がない」、なんてブツブツ言ってないで「安全のために自分のできること」は、努めて、する。
え?「それなら車もバイクもやめたらいいじゃないか」って?
確かに、ね。やめたらぶつけることはなくなります。ぶつけられることは相変わらずだけど。
加害者にはならないけど被害者にはなる。つまり、事故は無くならない。
「車社会」も「国際社会」も同じみたいですね。
「自国だけが用心していれば、戦争は言うまでもなく、紛争だって起こらない」?
「平和を愛する諸国民の公正と信義に(を?)信頼してわれらの安全と生存を保持することを決意した」?
これなんか、「自身で用心さえしない」ということですからね。「命、預けます」、って。
で、言う。
「大丈夫だ。1952年から現在まで、ずっと平和だったじゃないか!」
車やバイクは「乗らない」という選択肢があるけど、国際社会は「参加しない」って言ったら、どうなるのかな?
周辺の「平和を愛する諸国民」は、讃辞や拍手を送ってくるんだろうか?
それとも「我が国の国民を守るために」、と自国の軍隊を送り込んで駐屯させるんだろうか?
今年に入ってからSRのフロントフォークのサスペンションがおかしい。時々、小さな段差でも何だか底を打つような衝撃がある。
そうは言っても大体自分の運転技術が「はあ?」みたいな程度だから、
「勘違いかもしれない。今頃になって腕の未熟さが分かるようになった?…ということは上手になったのかも?」
、なんて能天気なことを思って数ヶ月様子を見ていた。
ゆっくり走っている分にはほとんど気にならない。
バイク店に聞くと
「バネがヘタって来てるんだと思います」。
確かに、20年も経てばサスペンションも疲れてくるだろう。そうなると交換するしかないのだが・・・・。
「まあ、いきなり駄目になる、なんてことはないわけだから・・・。だましだまし乗る、か」。
先日、思いついて往復で200キロほどの日帰りツーリングに出た。
帰りがけ、スピードメーターをちらっと見たら、針が小刻みに揺れている。
以前、針が大暴れし始めた時は、スピードメーターのケーブルがいかれていた。今度はそれほどひどくはないけれど、まず直る(収まる)ことはないだろう。これは間違いなくもっと大きく揺れ始め、いずれは大暴れに発展する。ただし、そうなっても走り方がぎくしゃくするわけではない。速度がどのくらい出ているか分からなくなる、だけだ。(勿論、整備不良で、交通違反ということになる)
ということで、仕方なく再びバイク店に連絡。やはり、メーターのケーブルが駄目になっているんでしょう、と言われる。
一瞬迷ったけれど、「来年にでも」と言っていたフロントフォークのサスも、一緒に直してもらうよう、お願いした。
幸い、部品はすぐに手に入るということで、実際、言葉通り、二日後には部品交換(修理)が終わる。
20年間、7万7千キロ近い走行距離のSRは、取り敢えず健康状態になった。
勿論、新車の時の性能には遠く及ばないのだけれど。
ところで。
「まあ、いきなり駄目になるなんてことはないわけだから。だましだまし乗ればいいじゃないか」
そういう選択肢もあった。
「まだ大丈夫。用心して乗っていれば。今がその時、というわけじゃない」って。
あれ?何だかどこかで聞いたような科白だな・・・?
「これまで大丈夫だったんだ。これからだって大丈夫だろう。どんな経緯だって、『良いものは良い。駄目なものはダメ』。下手に触って取り返しのつかないようなことになっては。どうしても直すというのなら十分に議論をして、それからでもいいだろう」・・・?
「大体、どこの国が攻めてくるって言うんだ?諸国民には『公正と信義』があるんだぞ。それにミサイルだって一発だけなら誤射かもしれないじゃないか」・・・・ってね。
でも、とにかく金がないんだから。四月には自分のミスで車のバッテリーを駄目にした。それが余計な出費となった。
五月は固定資産税。今月は県・市民税。バイクの車検。
だから、本来ならば
「それに加えて緊急でもない部品交換?そんなの後回し!」
・・・・、となるのだけれど、決心して直してもらうことにした。2万数千円かかった。
「一瞬迷った」と書いたけれど、我ながら「いつもに似合わず決断が早かった」のは、このショートツーリングに出てすぐに(10キロほど走ったあたり)、路面の横波のような亀裂(小波のように数メートル間隔で並んでいた。大げさに言えば波状路みたいな)で、ハンドルから両手が離れそうになったからだった。
慌ててシートから腰を浮かし、ハンドルを抑えたのだが
「これは早く交換した方がいいな。事故ってからじゃ遅い」。
その時、そう思った。
ニワトリだかカラスだか知らんが、三歩歩けば忘れてしまう我が鳥あたま。ツーリング初めのことだから、帰ってきた時には本当なら危機感なんてすっかり忘れているのが平常運転。
それが、今回は帰路になって始まり、家に帰るまで続いたスピードメーターの異常、のせいで問題意識(危機意識)を持ち続けていた。
「緊急の問題ではない。用心さえしていれば大丈夫」
確かにミスをしなければバッテリー上がりなんてなかったわけだし、そうだったらバッテリー交換なんてする必要はなかった。
けど、ミスしたんだから。猛省したってバッテリーが復活するわけはないんであって、結局、交換して安心を得るにはお金を使うしかなかった。
「20年たってバネがヘタってきたから、って。大体、バネが破断する、なんてことはないんだから。大丈夫、だいじょうぶ」。
でも、本当に「用心してゆっくり走っていれば大丈夫!」・・・?
「他に走っているものが居なかったとしたら~」の話なんか、する意味がないだろう。
「目の前で無駄にブレーキを踏む車」は、いないか?
「追い上げて、時には煽ってくる車」は、いないのか?
「ハンドルを切ると同時にウィンカーをつける車」は、いないのか?
そんな時に急ブレーキをかけたら、フロントサスは沈み切って底を打ち、乗っている者は前方に放り出される。
車だって同じことが起こる。助手席でシートベルトをして赤ん坊を抱えている母親なら、赤ん坊はフロントガラスを突き破って車外に放り出される。
自分だけ「用心してゆっくり走っていれば安全」、なんてあり得ない。
だから「金がない」、なんてブツブツ言ってないで「安全のために自分のできること」は、努めて、する。
え?「それなら車もバイクもやめたらいいじゃないか」って?
確かに、ね。やめたらぶつけることはなくなります。ぶつけられることは相変わらずだけど。
加害者にはならないけど被害者にはなる。つまり、事故は無くならない。
「車社会」も「国際社会」も同じみたいですね。
「自国だけが用心していれば、戦争は言うまでもなく、紛争だって起こらない」?
「平和を愛する諸国民の公正と信義に(を?)信頼してわれらの安全と生存を保持することを決意した」?
これなんか、「自身で用心さえしない」ということですからね。「命、預けます」、って。
で、言う。
「大丈夫だ。1952年から現在まで、ずっと平和だったじゃないか!」
車やバイクは「乗らない」という選択肢があるけど、国際社会は「参加しない」って言ったら、どうなるのかな?
周辺の「平和を愛する諸国民」は、讃辞や拍手を送ってくるんだろうか?
それとも「我が国の国民を守るために」、と自国の軍隊を送り込んで駐屯させるんだろうか?