2010.08/11 (Wed)
是非お読み下さい。
これを読んでしまったら、これについては、もう書けない。
「謝りたがる人達ー日本を考える八月-5」
(夕刻の備忘録)
http://jif.blog65.fc2.com/
謝りたがる人達―日本を考える八月-5
是非お読み下さい。
これを読んでしまったら、これについては、もう書けない。
「謝りたがる人達ー日本を考える八月-5」
(夕刻の備忘録)
http://jif.blog65.fc2.com/
謝りたがる人達―日本を考える八月-5
「小人閑居して不善をなす」という。暇人はそのまま無為に過ごして頂いた方が宜しい。白紙同然の「首相動静」を見てつくづくそう思う。これが人間業かと思える程に、働きに働いた麻生首相の、まさに千分の一も動いていない。どのみち、碌なことはしないのであるから、動いてくれない方が、確かに有難いのではあるが、支持率に関する話題が出る時、何故こうした「明白な証拠」「無能の証」に注目する人が少ないのか、大いに疑問を持つのである。
国旗国歌法に反対しておきながら、これまでも国旗国歌に対しては「で・き・る・か・ぎ・り・敬意を表してきた」と嘯いて、それが強烈な反論になると信じている愚か者が、今の首相である。国家への敬意は「出来る限り」でよろしい、と宣う輩が国のトップに座っているのである。
「君が代を歌わなかったというなら、その証拠を出せ!」と気色ばんでも、複数の異なる人間からの証言が一致すれば、既に充分な証拠であろう。直ちに証拠は出たのである。「菅直人は君が代を嫌い、歌わず、すすんで起立することすらなかった」と。ホンの数時間後にはバレる嘘を吐いて、自らを窮地に追い込む人間を、マスコミは「論客」と呼ぶらしい。嘘吐きに高い評価を与える、これだけでお里が知れるというものである。
「謝罪マニア」なる言葉がある。謝りたがる人達がいる。自分を善人に見せるために悪人を捜す。見付けた悪人になりかわって謝ってみせる。よくもまあ、自分が生まれる遙か以前の話を、調べるでもなく、議論を興すでもなく、仲間内で勝手な結論を出して軽々と謝れるものである。議会を無視、国民を無視、そしてなんと自党も無視である。
まさに「小人閑居して不善をなす」である。
謝りたがる人達は、常に他人の行為に対して代理で謝る。決して自分に責任のあることに関しては謝らない。謝りたがる人達は「決して謝らない人達」なのである。他人の失敗を大袈裟に論って被害者に取り入り、謝罪行為を通して顔を売り名を売る。顔を売って名を売って得た権力で、遂に国を売るのである。
ラジオ番組での「歌った・歌わない」に対しては、顔を真っ赤にして抗議する人間が、国家対国家の複雑な関係を、今や歴史の一部になりつつある問題を簡単にひっくり返し、自ら進んで謝罪をする。
今さら謝るべき事実など何処にも無い。それでも相手が謝れと言うから謝る。国民の知らない間に、取引をしている。「こんなもんで如何でしょうか」とお伺いをたてて謝るのである。自分の懐さえ痛まない問題なら、お安い御用とばかりにしゃしゃり出てくる。これを偽善者という。今回の謝罪事件により菅直人は一円の損もしない。動くのは我々の払った税金である。
我が国は二代続けて偽善者が、国を預かる為政者となった。
これほどの悲劇は他に無い。
★ ★ ★ ★ ★
民主党に投票された方は、そろそろ気付いた方がいい。あれは「政権交代」などというものではなかった。あなた方が望んだのは二大政党ではなかったか。
党の綱領もない民主党は、単なる「選挙互助会」であって政党ですらないのである。政党でないものが政策を実現できる筈がない。全ては絵に描いた餅である。
あなた方が望んだのは、国を愛する政党の競い合いではなかったか。国家観や外交、防衛では大きな差が無く、国内経済や福祉の方面での方法論の違い、そこでの競い合いこそ望んだものではなかったか。
今、目の前にあるのは「政権交代」により誕生した新政権ではない。国内経済や福祉の方面での違いはなく、いやその意味すら知らず、国家観を持たず、外交・防衛など全く興味のない連中が権力を得た。要するに我が国は乗っ取られたのである。
その明々白々たる証拠が、今回の謝罪事件である。国内の誰にも相談せず、相手国とだけその内容に関して極秘に打ち合わせをしていたのである。
これは国益毀損などという生易しいものではない。内閣総理大臣による犯罪、スパイ活動そのものである。
一億の人々が見詰める中、世紀の劇場型犯罪を為し得た菅・仙谷はさぞ満足であろう。お帰りはあちら。千葉に立会の準備でもさせておけ。
★ ★ ★ ★ ★
今、日本を考えるとは、民主党を考えることである。その処理方法を考えることである。その裏に潜む、影に回った「仕掛け」を見抜くことである。こんなガラクタを選んだ、そして今なお支持している一部の国民の資質を考えることである。
情報は多ければいいというものではない。特にマスコミ経由で得たものは加工されているが故に、混乱を齎すだけで終わってしまう。先ずは、自分で考えることである。「自分で考える切っ掛けにマスコミ情報を利用しよう」などと安易な気持ちで接するから、結局自分の頭で考えられなくなるのである。
事実関係を精査するまでもなく、顎を上げて上から人を見下ろし、腹を突き出してふんぞり返る、閣僚達の醜い表情と弛んだ姿態を見れば、全てが分かるはずである。
もっと自分の感覚を信じようではないか。あらゆる先入観を排除して、事に臨もうではないか。
マスコミが左と言えば右、黒と言えば白、雨と言えば晴れ、一度そう考え直してみて欲しい。先入観を捨てるためには、一旦正反対の方向に振る必要がある。さもなければ、流される。何処が「本当の真ん中か」が見えてこない。今やマスコミは流言蜚語の総本山なのだから。初手は反マスコミ、あまのじゃく作戦が効果的だ。
あの閣僚達を見て、不潔さも汚らわしさも感じないようなら、如何なる説明を受けても、民主党の本質を理解することは出来ないだろう。あの国会答弁を聞いて、その不誠実と傲慢とに気付かないようなら、他の問題に対する自分の判断も疑った方がいい。政策云々はしばし横に置き、閣僚の態度と姿を見て欲しい。あの下品さを支持しているのは、唯一マスコミだけである。
とうの昔に死んだはずの極左グループに命を与え、政権を委ねるという途方も無い失敗をしたのも国民なら、それらウイルスを駆除し、日本を再浮上させ得るのも我々日本国民だけである。
日本を考える八月。
風物詩とも化した「靖国問題」が、何故か一言も語られない今年の夏。その意味をも含めて、この一ヶ月を日本を考える好い機会と捉え、友人・知人と議論を深めて頂きたい。亡き先祖を語ることは、日本を語ることである。我々の責任は重い。
2010.08.11
国旗国歌法に反対しておきながら、これまでも国旗国歌に対しては「で・き・る・か・ぎ・り・敬意を表してきた」と嘯いて、それが強烈な反論になると信じている愚か者が、今の首相である。国家への敬意は「出来る限り」でよろしい、と宣う輩が国のトップに座っているのである。
「君が代を歌わなかったというなら、その証拠を出せ!」と気色ばんでも、複数の異なる人間からの証言が一致すれば、既に充分な証拠であろう。直ちに証拠は出たのである。「菅直人は君が代を嫌い、歌わず、すすんで起立することすらなかった」と。ホンの数時間後にはバレる嘘を吐いて、自らを窮地に追い込む人間を、マスコミは「論客」と呼ぶらしい。嘘吐きに高い評価を与える、これだけでお里が知れるというものである。
「謝罪マニア」なる言葉がある。謝りたがる人達がいる。自分を善人に見せるために悪人を捜す。見付けた悪人になりかわって謝ってみせる。よくもまあ、自分が生まれる遙か以前の話を、調べるでもなく、議論を興すでもなく、仲間内で勝手な結論を出して軽々と謝れるものである。議会を無視、国民を無視、そしてなんと自党も無視である。
まさに「小人閑居して不善をなす」である。
謝りたがる人達は、常に他人の行為に対して代理で謝る。決して自分に責任のあることに関しては謝らない。謝りたがる人達は「決して謝らない人達」なのである。他人の失敗を大袈裟に論って被害者に取り入り、謝罪行為を通して顔を売り名を売る。顔を売って名を売って得た権力で、遂に国を売るのである。
ラジオ番組での「歌った・歌わない」に対しては、顔を真っ赤にして抗議する人間が、国家対国家の複雑な関係を、今や歴史の一部になりつつある問題を簡単にひっくり返し、自ら進んで謝罪をする。
今さら謝るべき事実など何処にも無い。それでも相手が謝れと言うから謝る。国民の知らない間に、取引をしている。「こんなもんで如何でしょうか」とお伺いをたてて謝るのである。自分の懐さえ痛まない問題なら、お安い御用とばかりにしゃしゃり出てくる。これを偽善者という。今回の謝罪事件により菅直人は一円の損もしない。動くのは我々の払った税金である。
我が国は二代続けて偽善者が、国を預かる為政者となった。
これほどの悲劇は他に無い。
★ ★ ★ ★ ★
民主党に投票された方は、そろそろ気付いた方がいい。あれは「政権交代」などというものではなかった。あなた方が望んだのは二大政党ではなかったか。
党の綱領もない民主党は、単なる「選挙互助会」であって政党ですらないのである。政党でないものが政策を実現できる筈がない。全ては絵に描いた餅である。
あなた方が望んだのは、国を愛する政党の競い合いではなかったか。国家観や外交、防衛では大きな差が無く、国内経済や福祉の方面での方法論の違い、そこでの競い合いこそ望んだものではなかったか。
今、目の前にあるのは「政権交代」により誕生した新政権ではない。国内経済や福祉の方面での違いはなく、いやその意味すら知らず、国家観を持たず、外交・防衛など全く興味のない連中が権力を得た。要するに我が国は乗っ取られたのである。
その明々白々たる証拠が、今回の謝罪事件である。国内の誰にも相談せず、相手国とだけその内容に関して極秘に打ち合わせをしていたのである。
これは国益毀損などという生易しいものではない。内閣総理大臣による犯罪、スパイ活動そのものである。
一億の人々が見詰める中、世紀の劇場型犯罪を為し得た菅・仙谷はさぞ満足であろう。お帰りはあちら。千葉に立会の準備でもさせておけ。
★ ★ ★ ★ ★
今、日本を考えるとは、民主党を考えることである。その処理方法を考えることである。その裏に潜む、影に回った「仕掛け」を見抜くことである。こんなガラクタを選んだ、そして今なお支持している一部の国民の資質を考えることである。
情報は多ければいいというものではない。特にマスコミ経由で得たものは加工されているが故に、混乱を齎すだけで終わってしまう。先ずは、自分で考えることである。「自分で考える切っ掛けにマスコミ情報を利用しよう」などと安易な気持ちで接するから、結局自分の頭で考えられなくなるのである。
事実関係を精査するまでもなく、顎を上げて上から人を見下ろし、腹を突き出してふんぞり返る、閣僚達の醜い表情と弛んだ姿態を見れば、全てが分かるはずである。
もっと自分の感覚を信じようではないか。あらゆる先入観を排除して、事に臨もうではないか。
マスコミが左と言えば右、黒と言えば白、雨と言えば晴れ、一度そう考え直してみて欲しい。先入観を捨てるためには、一旦正反対の方向に振る必要がある。さもなければ、流される。何処が「本当の真ん中か」が見えてこない。今やマスコミは流言蜚語の総本山なのだから。初手は反マスコミ、あまのじゃく作戦が効果的だ。
あの閣僚達を見て、不潔さも汚らわしさも感じないようなら、如何なる説明を受けても、民主党の本質を理解することは出来ないだろう。あの国会答弁を聞いて、その不誠実と傲慢とに気付かないようなら、他の問題に対する自分の判断も疑った方がいい。政策云々はしばし横に置き、閣僚の態度と姿を見て欲しい。あの下品さを支持しているのは、唯一マスコミだけである。
とうの昔に死んだはずの極左グループに命を与え、政権を委ねるという途方も無い失敗をしたのも国民なら、それらウイルスを駆除し、日本を再浮上させ得るのも我々日本国民だけである。
日本を考える八月。
風物詩とも化した「靖国問題」が、何故か一言も語られない今年の夏。その意味をも含めて、この一ヶ月を日本を考える好い機会と捉え、友人・知人と議論を深めて頂きたい。亡き先祖を語ることは、日本を語ることである。我々の責任は重い。
2010.08.11