CubとSRと

ただの日記

本音がそんなにえらいのか(やせ我慢をする意味)

2020年04月14日 | 心の持ち様
2013.05/16 (Thu)

 問われていないことを、まるで待っていたかのように話し始めた。これはどうも本当らしい。
 十分間ほど一方的に話し続けたということで、仮に合いの手のように質問が浴びせられていたとしても、呼び水程度のものであったろう。
 その辺も考慮した上で、十分間は長いのか。それとも短いのか。

 この話が出た時、何だか釈然としなかった。何故、今、唐突に慰安婦問題なのか。
 で、考えたのは、やはり前後から見て、政治工作活動の一環でしかないな、という事だった。

 間違いなく橋下氏は本当のことを言っている。与党自民党が、今、言うに言えないことを、単身、「橋下個人」として言っている。
 何でも今朝の2時ごろまで40回ほどツィートしているらしい。
 周りはみんな非難する。石原氏と松井氏だけが擁護するようなことを言っている。
 維新の内部でも「人気取り」「選挙対策」などと言っているらしいが、橋下氏にとって、そんなことはどうでもいいだろう。自民党に恩を売れば良いだけのこと。
 少なくとも、この発言で韓国の目は橋下氏に釘付けになっているし、シナだって己の国がやってきたことは棚に上げて、例によって加減を知らない批判振りだ。(「日本の政治家が人類の良識と歴史の正義に公然と挑戦する言論を発表したことに驚きと強烈な憤慨を示す」、だって。)

 本来なら、今、これらの国の安倍政権潰しの工作が本格的になる時期のはずだが、この囮(陽動)作戦を無視して工作活動を続ければ、自国内での統制が全く利かなくなる。そして、世界中から本心を見透かされてしまう。だから、どうしてもこれへの対応が必要になる。
 「もしかして」飯島顧問の訪朝とリンクしてるのか?なんて思ったりする。


 ところで、今回の日記も、政治の世界なんか全く分からないおっさんの、「床屋政談」ではありません。
 初めに書いた通り、何だか釈然としないものを感じたからなんです。

 橋下氏が何らかの政治工作的意図を以て、の発言だろうという事は明らかです。釈然としないのは、だからそのことではない。
 今回の夕刻の備忘録を見て、
 「ああ、そんなことを言ってたのか。そういう事か」
 、と思ったからなんです。

 備忘録氏の文中にある、橋下氏の言、
 「世の中、建前では回らない」。 
 その通りです。
 でも、これ、大変な妄言です。
 そして、備忘録氏が問題にされている通り、もっと大きな問題は米軍司令官にそれを直言したという事です。
 更には日本軍への賞賛までも打ち消してしまった。


 「世の中、建前では回らない」。 
 そうです。その通りです。
 でも、そんな当たり前のこと言って何になる。
 世の中は、社会は、個々人みんなが幸せになりたいから、助け合うためにつくったものでしょう。
 つまり社会は「本音を実現するために考え出され、つくられた」、「建前」じゃないですか。
 「世の中、建前では回らない」、なんて見下した言い方するんじゃなくて、「世の中、建前で回すよう努力すべきだ」、というのが政治家じゃないですか。
 政治家がニヒリズムや打算に走ってどうする。

 性欲の問題は大問題です。
 でも、
 「性欲を処理してすっきりしたら、明日は一人でも多く敵を殺せ」
 というのでしょうか。
 兵士は、剣闘士でもなく、殺しを請け負う殺し屋でもない。国家国民のために必要とあらば覚悟して命を捨てようとするごく普通の人間です。普段は普通に生活している一人の日本人です。これでは有事の際には命と性欲を天秤に掛けよと言ってるのと同じじゃないですか。
 更には、自衛隊にだってこんな軽はずみな事を言える筈がないのに、同盟国の軍司令官に同じことを言う。・・・・言えますか?

 こんなだから、外国から日本軍の優秀性について称賛の声が挙がっても、
 「性欲を抑えきれないのはどこも同じ。男だから」
 みたいなことを平気で言う。これ、軍を、特に日本軍を本当に擁護していることになりますか?

 軍人は多くの部分で武人、武士の心の有り様に重なります。一番大きいのは「自律」の心です。
 「性欲を抑え込むこともできないで何の軍人か!」 
 という気持ち。できるできないではないのです。
 「建前で生きなきゃならない」
 というやせ我慢をするからこそ、軍人は武士と同じく尊敬された。
 氏はこの軍人の「痩せ我慢」を「建前では、回らないんですよ」、と一蹴した。

 慰安婦云々よりも、軍人のやせ我慢を侮辱したこと。それも同盟国軍のことを同盟国軍の司令官に。
 「痩せ我慢なんてつまらないことしてないで、風俗産業に行かせて発散させなさいよ。でないと、いざという時、十分に働いてくれないよ?」

 こんな言い方されて、腹を立てない方がどうかしている。

 しかし、この言い種を採り上げて、批判、非難したマスメディアは居たか?
 
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、はや中年の男が「世の中、建前では回らない」との発言までしたようである。一体どれほど狂っているのだろう。ここまで馬鹿だと批判する方も疲れる。「世の中、本音では回らない」のである。本音で回らないからこそ、建前を繕うのである。その繕った建前が、ようやく世の中を回しているのである。そんなところに個人の本音など入ろうはずがない。それをやたらに入れたがるのはエゴイストであり、革命家を気取る狂人である。

                    (略)

この記事の中身で最も恐ろしい部分は、「コントロールできない」「認めないとダメ」「考えないといけない」の件である。この男は、誇り高き米軍司令官に対して、「何々はできない」「何々ではダメ」「何々をしないといけない」と誹謗し、侮辱し、命令したのである。他国の軍幹部に、その前段が如何なる内容であろうとも、「できない」「ダメ」を連呼して、ただで済むはずがない。しかもその前段たるや「聞くも書くもおぞましい下半身ネタ」なのである。

                    (略)

 何しろ「海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と断言しているのである。米軍のエリート中のエリートである海兵隊を、「自らの精神すら制御できない愚者の集団である」と言ってのけたわけである。恐らくは軍人にとって、これ以上にない侮辱であろう。ましてやその指揮官にとっては、全てのアメリカ軍人の名誉に賭けて、許せるはずもない発言であろう。

                    (略)

 日本側の立場として、過去の様々な事件を念頭に、こうした暴言が出たのだというのなら、彼等も本国に報告のしようもあるだろう。しかし、そうではない。「因果関係はない」としての発言である。所詮「命をおとしかねない極限状況」には、あなたがたの部隊は耐えられないだろうから、こんな息抜きは如何か、と女郎屋の主人ばりに躙り寄って、骨の髄まで海兵隊を侮辱したのである。

集団行動の全くできない男が軍に、しかも他国の軍に、自らの主張を聞けと迫る。大したシビリアンコントロールである。こんな問題を「軍の最重要課題」などと論じている段階で、軍人は元より、シビリアンにもなれはしない。あらゆる方策を講じて、公人の座から引き摺り降ろすべきである。この発言の責を問われるのは、この男ではない。誠に残念ながら我々日本国民なのである。ゲスを公人として選んだのは誰か。一都市の選挙であるという言い訳は、もはや通じない。

                     (略)

 史実として旧軍の規律が極めて高かったことは、様々な場面で立証されている。それは我が国が殊更示さずとも、他国から声が上がるレベルにある。それを「世界中どこの軍においても云々」という発言で自ら否定し、同列にまで落とし込み、そのことによってこれまでの我が国の主張を、その価値を徹底的に貶めた。

 
           「武人の誇りとゲスの本音」

                      ~夕刻の備忘録より~
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考え方と感じ方

2020年04月14日 | 重箱の隅
2013.05/13 (Mon)

 昨日のアサヒ新聞、「天声人語」。

 初め、「ヘイトスピーチ」の話で、途中から司馬遼太郎を引き合いに出して、かなり強引に安倍総理批判に持って行く文章だったんですが、①何となしに読み流してしまう人と、②ヘイトスピーチで脚を停められてしまう人と、があったんじゃないでしょうか。

 勿論アサヒ新聞の本意は安倍総理批判で、ヘイトスピーチは、実は、
 「総理自身、無意識のうちにヘイトスピーチをやってるんじゃないか」
 という、例の「安倍の葬式はウチが出す」の一環の印象づくりではなかったかと思います。

 これ、ヘイトスピーチで脚を停められた人は、或る程度、彼ら(ヘイトスピーチをする人々)に好感を持っている人でしょう。
 逆に言えば在日特権をいくらか知っていて、それを苦々しく思っている人、更には
 「あれぐらい言わなきゃ、全く気が付いてない日本人が多いからな」
、と、却ってアサヒの意に反して心の中で快哉を叫んでいる人。
 これらの人々に関しては、アサヒの目論見は完全に失敗したと言えるでしょう。
 
 新聞というのは、嫌われるために、又は、反感を持たれるために記事を書いているわけではない。
 勿論、読者に阿(おもね)って、発行部数を増やすためだけ、ということでもない。
 出来るだけ上手く読者を納得させ、読者を教育し、世論をつくる。それが目的だ。
 「真実を伝える」とか、「いや、事実を伝えるのが使命なんだ」とか言うけれど、本当のところは「社会の木鐸」という表向きの在り方と、「社会に警鐘を鳴らす」という実利面と、同じく、裏には社会を煽動する、という顔を持つ。

 だから、②ヘイトスピーチで脚を停められた人より、①何となしに読み流してしまう人の方が心配なんです。物を知らないただのおっさんや、B層はこちらにいるのがほとんどです。そしてその数は圧倒的に多い。金官デモ以上です。

 「アサヒの反対をやれば正解だ」というのが最近よく聞かれる言葉です。
 事実そうなのだけれど、それでは、まずはアサヒをいつも読まなくちゃならない。
 考えてみれば、それもまた、ただのアサヒ頼みになっているんじゃないか。

 それよりも、アサヒの何が悪いのか、論理はどこにあるのか、それは破綻していないか等々、考えようとするのと、
 「要らない」「潰れてしまえ」「あんなの読んでる奴は非国民」と、どちらが必要なのか考えてみる方が良いでしょう。

 大体が戦前は、朝日、毎日共に御用新聞のような色合いを持っていた。
 アサヒなんかは「かわら版」とか「よみうり」と言われていた扱いの軽い新聞を、欧米に倣って、
 「いっぱしの紳士なら毎朝新聞を読んで世事に通じなければならない」
 という風潮をつくる旗振り役だった。
 それで漱石も、破格の主幹待遇で連載小説をここで発表したのが始まりと聞いている。

 それが何故、敗戦後、GHQによって訴追されるどころか、戦後報道界の中心となったのか。
 そんなことを全く知らずに「潰れろ」、だけでは潰れないだろう。
 日本人は馬鹿ではない。決して低能ではない。理由が周知されれば、不買運動なども徹底してできる。
 その分、理由がはっきりしなければ、ダメだ。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「新聞記者ができるまで」という日記を以前に書きました。
 少し転載して見ます。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なぜ、アサヒ新聞なのか。教育界にも戦後教育の結果、そのような学閥があるので云々、というのは後の話。「天声人語」は、やはり、文章としての完成度が高かったからです。
 随筆として見た場合、新聞業界の中では、群を抜いた存在であった。
 だから、よく出題文となった。
 時機に応じた話題を採り上げるのは当然ながら、古典や名言を実に上手く引用する。
 牽強付会に陥る寸前のところまでの引用、としておき、次に全く違ったような短文を持って来る。この時点でモンタージュが完成する。

           (略)

 「知識」と「教養」は違います。
 「知識」は各新聞社の編集主幹、そんなに差はない。
 けれど、「教養」はアサヒが一番です。決して褒めているわけではない。

 以前にも書いたことがあるのですが、「教養」というのは、「教えられ、それを元に自らが養う」ものです。
 「考え方」を教えられ、それをもとに「自身の考える力」を養う。
 
 各新聞社、それぞれに、その会社の編集方針というものがあります。
 「真実を報道する」「事実を報道する」「事実を掲げて社の考えを述べる」等々。
 アサヒ新聞の場合は、この「考え方」がはっきりしている。つまり、「ブレない」「揺るがない」。
 もう一度、誤認のないように言っておきますが、「考え方がはっきりしている」と書いたからと言って、褒めているわけではないのです。
 「教養がある」「考え方がはっきりしている」、と書くと、なんだか褒めているようにみえるでしょう?そうではないのです。

 アサヒ新聞の考え方、それは「敗戦前の自社の全否定」、です。
 これまでの過去は、自社の在り方はいうまでもない、間違いである。
 その自社の存在を認め、国のために、と活動することを奨励した国も、間違っていた。

 「過去の間違いを明らかにする」、と、表向きは言っているのですが、実際は、「だから、過去は全否定する」。

            (略)

 「これまでの日本を全否定することが正しいあり方である」という「しっかりした考え方」を持ち、その「ぶれない考え方」で、全てを見た結果の「教養」を身につけたのがアサヒ新聞です。

 さて、何故、アサヒ新聞は、こんな極論を吐くようになったのか。
 そうしなければ、GHQは社の存続を許してくれない(と思っていた)からです。
 先頭切って、戦争遂行を叫んで来たのですから、そう思って当然。

 というわけで、これまでの中枢となっていた人物は、全て社を思い、退職して行きます。そして、残った人々がGHQの逆鱗に触れぬよう、社の方針を百八十度変更します。

 それが、現在のアサヒ新聞の「考え方」です。
 戦争遂行の協力をした中枢部(幹部)の者は、全て自ら辞職していった。
 だから、今のアサヒ新聞は平和のために再生した新聞である、として、辞めて行った人々に全ての罪を担ってもらう。
 自主的に「公職追放」を実行した、ということになります。


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おかしいなあ・・・・

2020年04月14日 | 重箱の隅
2013.05/10 (Fri)

 ものごとには順序というものがある。それが道理に適っていようといまいと、物事にはそれなりの根拠・理由があって、順を追って展開していく。

 枕詞はとにかく、次に来る言葉を大事にするが故に、言ってみれば露払いのように用いられる。
 物事も枕詞ほどではないにせよ「必ずそうなっていく」という、「何か」が前にある。繰り返しますが、道理の有無は関係ない。今日、また枕詞の話、というわけじゃないんですが。

 全く関係のない話みたいですが、西郷隆盛のやったことなんか、幼少の頃から西南戦争で没するまで、個々に挙げれば突飛に見えることが目白押しです。
 けど、全部、ちゃんとした誰だって納得できる順序・理由があった。
 そういうことをちゃんと見なければ、学者や評論家はとんでもないことをうっかりと口にしてしまう。それを私のようなただのおっさんは考えなしに鵜呑みにしてしまう。
 「西郷が月照と入水自殺をしようとしたのは西郷に男色の気があったからではないか」、なんてことを彼らは平気で書く。
 こんなブログだってそんな無茶は書かないのに。
 「同じ人間だから」って、西郷の一生をいい加減な学者の妄想で引き摺り下ろす、なんてのは言語道断だ。

 あ、脱線した。
 何を書きたかったのか、って?
 隣の半島国のパク・クネ大統領の大活躍(?)について、「おかしいなあ」と思ったことを書きたかったんです。

 西郷の育ち方には、その窮乏の生活と父や上司の教えが大きな影響を与えています。下級武士ではあっても、実直で真面目な生き方を貫いた父。西郷が早くに仕えた上司の、迫田太次右衛門の高潔な人柄。彼らに感化されたからこそ、後に島津斉彬に見出される人柄の良さ、勤勉さ、胆力をつくることができた。
 吉田松陰だって、叔父の玉木文之進の薫陶があったればこそ、です。

 誰だって幼少時から、見事な生き方をする大人のそばに居れば、その生き方を手本とし、真似ていくものです。孟母三遷の故事を繰り返し書くこともないでしょう。
 クネ大統領の父、朴正煕大統領が、クーデターによって現韓国の基礎をつくったことは能く知られています。
 しかし、何しろテロルがお家芸の国です。国挙げてテロリストを英雄視する土地です。武力で政権を取ったとしても、それで弾圧するだけでは、今度は自分がテロルにやられてしまう。
 だから、武力は威しの道具とするだけで、普段は細心の注意を払ってとにかく併合時に格段の向上をした生活水準を維持し、国民から不満が出ないようにした。

 当時、日本からの賠償金、借款を、「日本から」と明らかにすることは、自身の求心力をなくすことに直結している。なくせば、テロルにかかる。となると、李承晩の施策を継ぐしかない。
 日本は「えっ?将軍様よりみかどの方が偉いんだって?そりゃすごい」、で国民はあっという間に納得したけれど、韓国はそうはいかない。第一、既に王室は廃絶されている。もう、国民を納得させるためには、外に敵をつくり、団結するしか方法がない。それに国民は、「高い誇り」なんて、初めから持ち合わせていないんです。

 日本で軍人教育を受けた朴大統領は、日本と比べて自国民の民度の余りの低さに口惜しい思いをしたことでしょう。クネ女史は本当にそんな父から真実を一言も聞いてないのでしょうか?
 結局は両親を暗殺され、普通に考えたなら政治家を引退するところを、彼女は何故、引退するどころか大統領選にまで立候補し、遂に大統領になったのか。

 このことらを並べてみるに、大統領になったのは「日本憎し」の故、という事になるのでしょうか?両親を殺したのは、同じ韓国人ですよ?
 そして彼女自身ももう少しで命を落とすところだったでしょう?カッターナイフで右顎の下辺りをかなり深く切られた。
 朴大統領は「親日」と言われ、彼女も当然、「親日」と言われる。その故にテロルに遭う。

 そんな人間が辛勝して大統領になって、正面切って日本批判をする。そこには何らかの理由がある筈でしょう。
 繰り返します。彼女を殺そうとしたのは日本人ではない。同じ韓国人ですよ?
 瀕死の重傷を負って、
 「両親が殺されたのも、私が殺されそうになったのも、みんな日本のせいだ!」
 と考えが変わったのでしょうか?

 接戦の選挙で、辛うじて勝った。これは反日に狂う人間が半分以下だった、という事です。そして同時に、今でも反日に狂う人間が半分近くいる、ということです。

 だから、なかなか組閣が出来なかった。彼女の下で大臣になる、というのは、暗殺の危険に晒される覚悟をしなければならない、という事ですから。
 その覚悟のある者が、多数いれば、組閣はすぐに完了しているはずです。
 そうでないということは、各人に相当な個々の思惑と、計算高さがあったと見るべきでしょう。
 つまり彼女は今でも、「何もできない」。安倍総理の対極です。
 思ったことすら迂闊には口にできない。

 彼女をかばう気持ちは毛頭ありません。
 しかし、彼女が就任後二か月近くかかってやっとのことで組閣をしたこと、安倍総理が既に各方面で大きな成果を上げてきていることと比べると、風当たりの強さは尋常ではなかったでしょう。
 それでも、やっとの思いでつくった政府は、各省バラバラ。ちっともまともな政治ができない。
 そんな中で、起死回生を目論んでアメリカに行く。行った途端に日本を厳しく指弾する。しなければどうなるでしょうか。
 非難の嵐の中、故国の土を踏まねばならなくなる。

 何にもできない大統領をいくら叩いたってしょうがない。問題は、大方の韓国閣僚の勉強不足と、大半となっている韓国のB層です。
 
 北鮮制裁の話で、日本を加えなかった、と日本のメディアはまるで半島の新聞みたいに危機感を煽っていますが、危機の真っただ中にいるのは彼女でしょう?各省、大臣それぞれが、国民の機嫌を取るために好き勝手をやっている。
 それなのに日本から要請もされないのに、勝手に日本に来ると言って、寸前になってやめる大臣の非常識を責めるどころか「麻生副総理が悪い」とか何とか大騒ぎして見たり、「八月十五日・A級戦犯」の二語がキーワードだった筈を、春季例大祭参拝で発狂するのを、どういう理由であんなに大々的に採り上げるのか。
 理解に苦しみます。
 

 半島のことにいちいち反応していたら、
 「効果あった!」
 として、彼女は当然のことながら彼の国が退くに引けなくなり、法螺の吹き過ぎで自爆しなきゃならなくなる。
 そうなると、経済面から難民救済から日本は知らん顔は絶対にできない。

 結局、日本が後始末をしてやらなきゃならなくなるんですからね。
 いい面の皮です。
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靖國神社の印象と実像

2020年04月14日 | 心の持ち様
2013.05/08 (Wed)

 ・・・・って言っても、私は一度も参ったことがないんです・・・・。
 一応、崇敬奉賛会の終身会員になってるんですけどね・・・・。
 生きてる間に一度は参りたい・・・・。
 だからというわけではないんですが、今日届いた靖國神社の、五月の社報の巻頭コラム「靖濤」を載せることで、靖國神社について再確認をしておこうと思います。

 敗戦時、GHQは、日本のあらゆる「繋がり」を分断することで統治を確実にしようと考え、特に「皇室と国民」、「神社と国民」を分断することを最優先課題としました。
 だから、その根幹は「神道指令」を発することでした。

 現人神とされていた天皇に、「自ら人間であることを宣言させる」ことで、皇室と国民のつながりを断ち切ろうとします。
 神社は地域、国、それぞれの人々の集まる場(社)でしたから、神道指令を発することで集会を禁ずる。神社と国民の分断です。

 「皇室と国民の分断」、「神社と国民の分断」。
 
 国家神道の廃止、信教の自由という美名に隠された神道の廃絶計画。
 靖國神社への誤解と歪んだ印象は、この時から始まりました。
 先人とのつながりを断ち切る。自国の歴史を間違ったものとして否定する(歴史の断絶)。
 つまり、占領統治のために、日本という国を日本人自らに否定させる。
 おそらくは歴史上例のない、醜悪な統治法が始まるのです。
 統治者が被占領国民を蔑視するのではない。
 いっそ蔑視されたなら、「今に見て居れ!」という気持ち、臥薪嘗胆、などもあるでしょう。
 薩英戦争に敗れた島津藩が、一転、英国に全てを習い、その理由を「もう一度やって、今度は勝つ!」ため、とした。英国はその表裏のなさに安心して全てを教えようとした。蔑視されたって、とことん叩きのめされたって、「次は負けんぞ!」という気持ちが国を再建する原動力になります。

 けれど、被占領国民自らが、自らを蔑視するのです。
 こんな賤しい統治法を我々は適用されてきた。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   
    巻頭コラム「靖濤」

 靖國神社についての印象は人や国によって様々であるが、とりわけ外国人には誤解に満ちた認識が多い。
 「戦没者の遺骨が埋葬されている」「魂を縛り付け独占している」「遊就館は歴史を歪曲し戦争を賛美する施設だ」「等は、その最たる事例である。

 こうした類の認識は数え上げれば切りがないが、列記した事項を少しく説明すれば、当然のことながら当神社に遺骨は無い。
 また神道では霊魂は多元的に存在すると考え、例えば戦没者の魂は遺族のもとに、そして郷里の護国神社や靖國神社にも併存すると捉えている。
 遊就館では、もとより史実に忠実な展示解説を厳守しているが、およそ戦後国内外で醸成された歪で不当な歴史観から見れば違和感があって当然であろう。

 今春二月「なぜ日本は誤解されるのか」と題した『ニューズウィーク』誌の特集号には、当神社に関する論評も掲載されていた。
 筆者によれば、靖國神社が果たしている役割にはいくつもの疑問を抱いていたが、訪れてみて見方が大きく変わったという。靖國神社は内観的で静謐(せいひつ)な場所だと。
 そして遊就館もまた喧伝されている内容とは異なり、戦争やその結果を美化するものではなかったと述懐している。

 「百聞は一見にしかず」という諺があるように、視覚的な情報から得られるものは正確な判断材料の要である。
 当神社では、四月末からホームページ上に「フォトギャラリー」を開設。年間の祭典・行事や四季折々移ろいゆく境内の様子を画像配信している。
 こうした試みがこれまでの誤った認識を少しでも払拭し、当神社の実像を把握する為の契機に資することを切望して已まない。

    (転載了)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 昨日行われた日中韓の環境相会談。当事者国、というより、元凶、のシナは大臣が欠席し、次官が代理でやってきました。
 「地震対応で手が回らないから」
 というのが表向きの理由でしたが、マスメディアの喧しく言っている通り、靖國神社への閣僚や超党派議員連の参拝に抗議して、というのが本当のところでしょう。
 
 でも、マスメディアの言うのと、全く反対のことを考えます。
 「靖濤」文中にある、「百聞は一見にしかず」の言葉です。
 大臣が来たら、靖國神社参拝自体に間違ったことはない、と認めたことになる。そうなると国内での立場が危うくなる。本当は抗議したくても抗議ができない問題なんだと知っている。だから、地震を口実にしてるだけです。言えないだけです。
 
 それをわざわざ
 「靖国参拝に腹を立てているに違いない。困ったことだ。総理の手腕が問われる」
 などと、おっかなびっくりの他国援助の記事を書くマスメディアの真意は一体どこにあるんでしょう。

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「天皇メッセージ」をどう見るのか

2020年04月14日 | 心の持ち様
2013.05/07 (Tue)

 「狼魔人日記」から、いつもの通り、部分転載です。
 その前に。

 「天皇メッセージ」のこと、「天皇制」という言葉の成り立ち、等について意外に知らない人が多いんじゃないかと思います。
 なんて言って、「天皇メッセージ」については、私は「狼魔人日記」を読むまで、全く知らなかったんですが。
 でも、沖縄の若い人は勿論、或る程度以上(70代後半以上)の人々だって、知らない人や間違った解釈をしている人って多いんですよね。

 ・・・・・はい。言い訳をしているつもりではありませんけど、言い訳に聞こえるでしょうね。でも、恥を承知で書いて置きます。

 もう一つ、最近気がついたこと。
 これまでにも何回か書いて来たことなんですが、「人は己の能力の範囲内でしか物事を理解することはできない」、ということ。
 これ、当事者とか、その場に居合わせた証人、なんて人にも、言えることなんですよね。集団自決のことや、天皇陛下の言葉のメモ、なんてのもそうです。
 「当事者、証人が言っていることなんだから間違いない」って?そりゃ違うだろう、と。
 当事者の理解能力の範囲で理解したことしか喋れない筈です。どんな立派な人の言動だって、それを見て何かを得る人の理解能力次第で全く違った見方になる、ってことです。

  「窓外で殺人事件があった。翌日の新聞を見たら、私の見た物とは全く違う物になっていた」
 事実を伝えるのはこれほど難しい。でも、実は記事を書いた人の、そして証言をした人の、理解能力・把握能力の故、と考えたら納得できることです。

 沖縄戦の集団自決の生き証人がいたとします。一人は役場の職員だった。もう一人は小学校に上がったばかりの子供だった。どちらの把握能力の方が高いでしょう。同じく、職員が社会主義思想の持ち主(勿論隠している)だったら?

 誰もウソはついてないでしょう。
 けど、その把握能力や理解能力には、レベル的にも、質的にも随分な差異がある筈です。
 だから、「天皇メッセージ」は見方によれば、国民を思う「天皇親政」そのものにもなるし、「天皇は沖縄を見殺しにした憎むべき存在」にもなってしまいます。
 (勿論、ちゃんと冷静に考えれば、「後者だ!」という人は「頭、おかしくね?」、にしかならないんですが)
 
 お喋りが過ぎました。以下部分転載です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~         

           ☆
 今朝の沖縄タイムスも、「4・28屈辱の日」の関連記事はほとんど見当たらず、どうやら「屈辱の日」キャンペーンは消化不良のまま終わったようだ。
 一ヶ月にも及ぶ夥しい数の発狂記事の中で筆者は一つのキーワードを見付けた。
 「天皇メッセージ」のことだ。

 これまで沖縄2紙が報じる沖縄戦を報じる場合には、沖縄を「捨石にした」「人質にした」「犠牲にした」など日本に対する恨みつらみがそのバックボーンに横たわっている。
 ところが日本への憎悪を掻き立てる究極のキーワードが「天皇メッセージ」なのである。

           (略)
 
 結局彼らは、こう言いたいのだろう。
 「昭和天皇が命乞いのため沖縄を米国に売り渡した」と。

 そして天皇断罪の結果行き着くところは。
 「天皇制打倒」である。

 「天皇制」なるものはわが国には存在せず、明治憲法の下でも「君臨すれども統治せず」のイギリスを手本にした立憲君主制であり、わが国には「天皇制」なる文言さえ存在しなかった。

 ところが1932年、コミュンテルンの発したヨーロッパの絶対君主制を打倒せよという「32年テーゼ」を日本共産党が「君主制」の意味も深く考えず「天皇制」に翻訳したのがそもそもの始まりである。

 わが国のきわめて穏健な立憲君主制を「天皇制」と翻訳することにより、ヨーロッパの苛烈な「君主制」とイメージを重ね合わせたと言う意味では、「天皇制」という日本共産党の造語は成功したと言うことができる。
 
          (以下略)

   http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/8ae8798e6418b67fd43...

  ~昭和天皇を憎悪する三上アナ、QAB「4.28と沖縄」で~

                     狼魔人日記より

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  「昭和天皇が命乞いのため沖縄を米国に売り渡した」

 命乞いのためなら、日本全部の方が効果的でしょう。
 何で「沖縄だけ」、なんて?この期に及んで。
 命乞いをするなら、「全責任は私にあるのだから」、なんて言わないでしょう。
 だったら、そんな天皇は十数回もマッカーサーを訪ねて、一体何を頼んだのでしょう。

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