2010.09/01 (Wed)
「赤ん坊に対する形から、社会の形を考えてみる」
なんて、大上段に振りかぶったわけですが、内容はお粗末かもしれません。(なんて、いつものことなんですけど)
いくつかの手掛かりしかないのですが、いつもどおりの推量をしてみます。
さて、日本の子育てについてですが、イザベラ・バードは
「日本では子供は叱られない。何をしても許される。泣けば大人が飛んで来て、すぐにあやしはじめる。自分の子供に対してだけではなく、全ての子供に対して、日本人はそうする。子供はまるで、国王か主人のようであり、宝物のように扱われる。実際、『子宝』という言葉があるくらいだ」
と、書いています。
数十年前の英国では、子供はバスでは立っているもの、だったそうです。座ると叱られる。イザベラ・バードの昔と同じようですね、根本は。
この話をちゃんとするならば、またまた、何回かに分けて書かなければ、間に合いそうにありません。
「子供の楽園」という言葉の真偽を考えるためには、その「楽園」と、現実の社会が、早い話、違和感なく、重なるか否か、を見ればよいかと思います。
イザベラ・バードの場合は、「子供の楽園」とする日本人の子供への応対と、「その中で育てられて来た筈の、日本人の営む社会」が、どうしても重なって見えなかった。
「あれだけ甘やかされて、やりたい放題をしている子供が、一体どこで、この行儀の良い、何一つ文句のつけようのない、道徳的な日本人になるのか。一体いつの間に、どこで躾けられているのか。」
逆に、それが分からなかったため、自分には理解出来ない、と判断。
何よりも自身は「旅行記作家である」と、事実を丹念に書き留め、判断は読者に委ねようとした。
それでも、疑念は持ったままだったので、全体を通して見れば解決出来ない苛立ちが、好感のみに撤し切れない文章に垣間見える。
イザベラ・バードの場合は、赤ん坊への応対と、現実の日本社会の在りようとが、重ねられなかった、と書きましたが、でも、現実問題、当時の日本は、そのどちらもが当たり前のことでした。
謎解きをするためには、「赤ん坊はいかにして育ち、社会の一員である大人へと育っていくか」という過程を見なければなりません。
A、「社会の一員となれるように育てる」(方針、決意)
B、「育てたら、社会の一員となる」 (さだめ)
かなり乱暴ですが、Aの方は欧米型です。人が営々として築き上げて来た社会、が、厳として存在する中に「参加出来る」ように、というのが、こちらの育て方。
それに対して、Bの方はアジア型。みんなで可愛がっていたら大きくなる。大きくなったら、当然のこととして社会の中に入る。社会は最初から在って、参加するのは当然のこと、と考える。
日本は間違いなくBです。中には、「大きくなって困るといけないから」、と特別、厳しく育てる家庭もありますが、それでも家庭まで、で、基本的にはBです。
やっと、人間の育ち方です。これをはっきりさせれば、大体は分かりそうです。
「人」は、「(人間)社会」の中に、赤ん坊として生まれた瞬間から、「人間」として扱われます。生まれた瞬間から、全面的に社会の一員として、認められます。
つまり、人は社会の中に「人間」として生まれるのです。
「人間」として生まれ、「人間」として育ち、「人間」として、社会に積極的に(意図的に)参加し、「社会を営む一員」として、又、「社会を変化、発展させる一員」として、社会の中で生活します。
「ヒト」という生物としてではなく、初めっから「(人間)社会」という、特殊な環境の中で生きることが決まっている、「人間」という意図的存在として生まれて来ます。
だから、生まれた瞬間から(生まれる前から「学習」は始まっていますが)、「教育」、という人間独自の「学習」が始められます。
以前に、「良い子の60年安保」と題した日記で、赤ん坊の感情形成について、少し書きましたので見て頂ければ助かります。
・・・・・・・・・・
「赤ん坊に対する形から、社会の形を考えてみる」
なんて、大上段に振りかぶったわけですが、内容はお粗末かもしれません。(なんて、いつものことなんですけど)
いくつかの手掛かりしかないのですが、いつもどおりの推量をしてみます。
さて、日本の子育てについてですが、イザベラ・バードは
「日本では子供は叱られない。何をしても許される。泣けば大人が飛んで来て、すぐにあやしはじめる。自分の子供に対してだけではなく、全ての子供に対して、日本人はそうする。子供はまるで、国王か主人のようであり、宝物のように扱われる。実際、『子宝』という言葉があるくらいだ」
と、書いています。
数十年前の英国では、子供はバスでは立っているもの、だったそうです。座ると叱られる。イザベラ・バードの昔と同じようですね、根本は。
この話をちゃんとするならば、またまた、何回かに分けて書かなければ、間に合いそうにありません。
「子供の楽園」という言葉の真偽を考えるためには、その「楽園」と、現実の社会が、早い話、違和感なく、重なるか否か、を見ればよいかと思います。
イザベラ・バードの場合は、「子供の楽園」とする日本人の子供への応対と、「その中で育てられて来た筈の、日本人の営む社会」が、どうしても重なって見えなかった。
「あれだけ甘やかされて、やりたい放題をしている子供が、一体どこで、この行儀の良い、何一つ文句のつけようのない、道徳的な日本人になるのか。一体いつの間に、どこで躾けられているのか。」
逆に、それが分からなかったため、自分には理解出来ない、と判断。
何よりも自身は「旅行記作家である」と、事実を丹念に書き留め、判断は読者に委ねようとした。
それでも、疑念は持ったままだったので、全体を通して見れば解決出来ない苛立ちが、好感のみに撤し切れない文章に垣間見える。
イザベラ・バードの場合は、赤ん坊への応対と、現実の日本社会の在りようとが、重ねられなかった、と書きましたが、でも、現実問題、当時の日本は、そのどちらもが当たり前のことでした。
謎解きをするためには、「赤ん坊はいかにして育ち、社会の一員である大人へと育っていくか」という過程を見なければなりません。
A、「社会の一員となれるように育てる」(方針、決意)
B、「育てたら、社会の一員となる」 (さだめ)
かなり乱暴ですが、Aの方は欧米型です。人が営々として築き上げて来た社会、が、厳として存在する中に「参加出来る」ように、というのが、こちらの育て方。
それに対して、Bの方はアジア型。みんなで可愛がっていたら大きくなる。大きくなったら、当然のこととして社会の中に入る。社会は最初から在って、参加するのは当然のこと、と考える。
日本は間違いなくBです。中には、「大きくなって困るといけないから」、と特別、厳しく育てる家庭もありますが、それでも家庭まで、で、基本的にはBです。
やっと、人間の育ち方です。これをはっきりさせれば、大体は分かりそうです。
「人」は、「(人間)社会」の中に、赤ん坊として生まれた瞬間から、「人間」として扱われます。生まれた瞬間から、全面的に社会の一員として、認められます。
つまり、人は社会の中に「人間」として生まれるのです。
「人間」として生まれ、「人間」として育ち、「人間」として、社会に積極的に(意図的に)参加し、「社会を営む一員」として、又、「社会を変化、発展させる一員」として、社会の中で生活します。
「ヒト」という生物としてではなく、初めっから「(人間)社会」という、特殊な環境の中で生きることが決まっている、「人間」という意図的存在として生まれて来ます。
だから、生まれた瞬間から(生まれる前から「学習」は始まっていますが)、「教育」、という人間独自の「学習」が始められます。
以前に、「良い子の60年安保」と題した日記で、赤ん坊の感情形成について、少し書きましたので見て頂ければ助かります。
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生まれた瞬間、外気の冷たさにびっくりし、全身に力を入れ、力を抜いた瞬間、今度は冷たい空気を吸い込んでしまう(体内に入る)ほぼ、一瞬の二つの衝撃に赤ん坊は驚いて、再び全身に力を入れる。この時、あげる声が、産声です、と書きました。「びっくり」したわけです。
この「びっくり」は、次からは「不快」に変わります。
そして、身体をきれいに洗われ、空気(呼吸)にも慣れて、疲れて眠る頃、「快」の感情を覚えます。(覚える。解する)
「快」と「不快」の感情は、段々に分化して行きます。
そこまでの間、例えば、産まれた瞬間、赤ん坊を取り上げるのは誰でしょうか。母親ではない。イザベラ・バードの頃は、日本では産婆さんか、身内の誰か、です。赤ん坊をきれいに洗う(産湯を使う)、拭く、の作業も母親ではない。きれいになって、産衣を着せられ、初めて母親の胸に抱かれる。
以降、母親に限らず、色々な人がやって来て、その全てが笑顔で赤ん坊に接する。まだ、「見る」という意図的な行動ができず、「見える」段階でしかない赤ん坊なのに、です。
こうやって、赤ん坊を取り巻く環境は、初め、笑顔だけです。そして、その笑顔は、常に、赤ん坊のために良かれと思う行動と共にある。
赤ん坊は、ここで、周囲の人々は全て自分を見ていて、自分の喜ぶことだけをしてくれる、と学習します。(勿論擦れ違いはあります)
学習の一つに、「言葉」という名の音声があります。繰り返されるうちに、それを、決まりとして、一つずつ覚えて行きます。
一気に生まれてから三年間ぐらいを書きましたが、今回のこの文の、初めの方で、
「赤ん坊が泣くと、大人が飛んできて、あやし始める。自分の子に対してだけでなく、全ての子に対して、そうである」と書きました。
この小さな時に、赤ん坊に対して、大人(周囲)が採った行動は「子供を甘やかす」ことではない。勿論、「やりたい放題をさせる」ことでもない。
子供からすると、「自分を見て、可愛がってくれている」安心させてくれる存在であり、「分からないでやっていることを直してくれる」存在、全面的に信頼できて、助けてくれる存在。それが大人なのだと学習しているのです。
他者を信じ、力を併せて何かに取り組む、ということが自然にできる民族。
日本人は、こういう環境の中で育つからこそ、自然に、何一つ文句のつけようのない社会を「継承」し続けて来た、と言えます。
全てを安心して委ねられる環境の中で、育ち、大きくなった者が、突然
「他人は他人。自分は自分」「言わなきゃ何も伝わらない」、という考え方に目覚める、ということは、普通には考えられないわけです。
「全てが自分を肯定し、受け入れてくれる」、中に「育つ」のが日本の子供で、
「言葉が分からないうちからでも、社会に参加する一員としての学習はできる」、と躾けることの重要性を立てる中で「育てられる」のが、欧米の子供です。
双方とも、(人間)社会の一員、として子供を捉えてはいるものの、社会全体で「自覚すること」を教えようとする欧米と、「信頼・協力」を教える日本。
イザベラ・バードの「楽園」という表現は、女史の意図するところと違って、本当に、言葉通り「世界一の子供の楽園」日本、と捉えるべきでしょう。
ただ、日本が「子供の楽園」であったのは、明治時代辺りまでだったようですが。
この「びっくり」は、次からは「不快」に変わります。
そして、身体をきれいに洗われ、空気(呼吸)にも慣れて、疲れて眠る頃、「快」の感情を覚えます。(覚える。解する)
「快」と「不快」の感情は、段々に分化して行きます。
そこまでの間、例えば、産まれた瞬間、赤ん坊を取り上げるのは誰でしょうか。母親ではない。イザベラ・バードの頃は、日本では産婆さんか、身内の誰か、です。赤ん坊をきれいに洗う(産湯を使う)、拭く、の作業も母親ではない。きれいになって、産衣を着せられ、初めて母親の胸に抱かれる。
以降、母親に限らず、色々な人がやって来て、その全てが笑顔で赤ん坊に接する。まだ、「見る」という意図的な行動ができず、「見える」段階でしかない赤ん坊なのに、です。
こうやって、赤ん坊を取り巻く環境は、初め、笑顔だけです。そして、その笑顔は、常に、赤ん坊のために良かれと思う行動と共にある。
赤ん坊は、ここで、周囲の人々は全て自分を見ていて、自分の喜ぶことだけをしてくれる、と学習します。(勿論擦れ違いはあります)
学習の一つに、「言葉」という名の音声があります。繰り返されるうちに、それを、決まりとして、一つずつ覚えて行きます。
一気に生まれてから三年間ぐらいを書きましたが、今回のこの文の、初めの方で、
「赤ん坊が泣くと、大人が飛んできて、あやし始める。自分の子に対してだけでなく、全ての子に対して、そうである」と書きました。
この小さな時に、赤ん坊に対して、大人(周囲)が採った行動は「子供を甘やかす」ことではない。勿論、「やりたい放題をさせる」ことでもない。
子供からすると、「自分を見て、可愛がってくれている」安心させてくれる存在であり、「分からないでやっていることを直してくれる」存在、全面的に信頼できて、助けてくれる存在。それが大人なのだと学習しているのです。
他者を信じ、力を併せて何かに取り組む、ということが自然にできる民族。
日本人は、こういう環境の中で育つからこそ、自然に、何一つ文句のつけようのない社会を「継承」し続けて来た、と言えます。
全てを安心して委ねられる環境の中で、育ち、大きくなった者が、突然
「他人は他人。自分は自分」「言わなきゃ何も伝わらない」、という考え方に目覚める、ということは、普通には考えられないわけです。
「全てが自分を肯定し、受け入れてくれる」、中に「育つ」のが日本の子供で、
「言葉が分からないうちからでも、社会に参加する一員としての学習はできる」、と躾けることの重要性を立てる中で「育てられる」のが、欧米の子供です。
双方とも、(人間)社会の一員、として子供を捉えてはいるものの、社会全体で「自覚すること」を教えようとする欧米と、「信頼・協力」を教える日本。
イザベラ・バードの「楽園」という表現は、女史の意図するところと違って、本当に、言葉通り「世界一の子供の楽園」日本、と捉えるべきでしょう。
ただ、日本が「子供の楽園」であったのは、明治時代辺りまでだったようですが。