CubとSRと

ただの日記

① 天皇「制」  「御」皇室  天皇「御一家」

2020年04月04日 | 心の持ち様
2017.05/08 (Mon)

 「天皇制」という言葉は、西欧の「君主制」に倣って、コミンテルンがつくった訳語です。
 「君主制」は国王と国民が対峙、対立する形で存在する国の「仕組み」です。
 それに倣って「天皇と国民が対峙している」と恣意的に捉えた結果、「天皇制」という訳語がつくられました。

 しかし我が国は、天皇と国民が対峙するのではなく、同じ方向を向いて共に国の弥栄を願い、日々を懸命に生きる、というのが本来の形です。
 ですから「天皇制」と言うのは「国を仕組みと捉えない、我が国の在り方」に全くそぐわない訳語なのです。日本は国民が天皇を戴く国です。

 「天皇家」という言葉も同じです。日本には「天皇家」、等というものはない。
 天皇は国体(國體)であって、どれだけ高貴であろうと日本の中の一部である「家」等ではない、からです。
 だから、「皇室」、なのであって、「皇室」は皇統が途切れないように皇族が守る。

 唯一無二の存在である皇室を、わざわざ「御」皇室と言い、「王家と言うのはおかしい」と言いながら「天皇家」と言い、「国体護持」と言いながら「天皇制は我が国独自のもの」などと言う。
 こういう言葉こそ大事に考えなければ、「言霊の国」も何もないでしょう。


 ~再び「天皇制」という悪訳のこと(2013年8月11日の日記より)~


 ~~~~~~~~

 どうも日記を書くことがならないので、これから数回分になると思いますが、ちょっと読み返してみようと思っています。
 自分の物の見方の再確認です。

 ネット上の情報や意見などは能く見ているのですが、それら、テレビのニュースなどより半日か一日早い情報や感想を見ているうちに、ネット上のスラングに溢れる文章から、自分は気づかず何を得ているのだろうか、と思い始めています。
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みどりの日

2020年04月04日 | 心の持ち様
2017.05/04 (Thu)

 もう~、「この上ない」、というか何というか。

 とにかくワクワクして、じっとしていられないほどの上天気。

 ちょっと風が強いのが重箱の隅、かもしれないけど、きっと同じように思って、早く外に出ようとそわそわしている人が一杯いるんでしょうね。
 あ、そんな人は既に出ているのか。


 十時前になって、やっと国旗を掲げました。
 白雲のたなびく澄んだ青空の下、少し強めな風の中で日の丸がはためいています。

 昭和天皇の、植樹祭への多くの行幸にちなんで「みどりの日」という名の祝日が制定されたのは、平成になってからのことです。
 「何でそんなことをいまさら書くんだ?」
 と言われる方もあるかもしれません。
 でも、うそみたいですけど、平成も29年ですからね、平成になって生まれた子供が、もうすぐ三十歳になるんですよ?

 三十年も経てば、由来、いわれを聞かなきゃ分からないことっていっぱいあるでしょう?
 何しろ日本とアメリカが戦争したことや、どちらが勝ったか知らない、って学生が多くいる、というのが話題になったのだって、もう十年も前のことですよ。
 それどころじゃない。日本では十年前の話なんだけど、戦争相手国のアメリカの学生は、さらに十年前(二十年前だったかな?)、それもアメリカでは名門中の名門の学生が、同じことを言ってたらしいんですから。

 本当は「昭和の日」にしたかったんだけど、国会では猛反発を食らうから、
 「昭和天皇と言えば植樹祭。焼け野原になった日本の山野をはじめとする緑の復活、そして保全に思いを致された昭和天皇の御誕生日を、御遺徳を偲ぶ日として祝日にしようではありませんか」
 と提案して、祝日に制定した。
 「昭和天皇には戦争責任が~」と言ってる政党、ばかりでしょう?自民党の中にだってそう考えている者がいるんですから。

 それが制定されてから何年か経つと、「みどりの日」は国民にとって
 「何でそう名付けられたのか分からないけど、とにかく休日」
 という存在になってきた。
 それと共に、昭和天皇のことを知らない平成生まれの子供も増えてくる。
 そうなると、「昭和天皇の誕生日を祝日にしたい、って?別に。いいんじゃない?」、「みどりの日は残るの?じゃ休日が増えるんだ。やった~!」という、特別深い考えを持たない人々も増えてくる。

 でも、以前にも書きましたけど、
 「『みどりの日』と『昭和の日』。昭和天皇のことを思い出す日(祝日)が二回もある。これはもしかしたら素晴らしいことなんじゃないか」
 、なんてことを思う人もあるんじゃないかな、と想像しています。

 あっ、もう十二時過ぎてしまった!
 早く出掛けねば。

 もちろん、こんな日はSRです。 
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明日は何の日。

2020年04月04日 | 日々の暮らし
2017.05/02 (Tue)

 5月3日は言うまでもなく「憲法記念日」。当然、国旗は掲げません。
 でも、ふっと思ったんですけど。
 九条教の人々には、憲法記念日は「大事な九条の載ってる憲法が施行された祝日」だけど、「日の丸は血塗られている~!戦争の記憶が~!」、となってるんだろうから、当然、国旗なんか掲げないわけだ。

 じゃ、「国旗揚げない」、ということでは、ナカーマ?
 中身は正反対ですけどね。

 ~~~~~~~~~~~~~~

 ~「憲法記念日」ですと!?~
 「休日」として甘受しながらも、今日は国旗は揚げません。ええ、揚げませんとも。
 何故なら、・・・・これはいつも書いていることだから省略しようかな?
 いやいや、一応書きましょう。
 《現憲法は主権のない時に一週間ほどで「決めさせられた」憲法ですよ。「服従命令」と同じじゃないですか。何でそれが未だに「祝日」、「お祝いの日」なんだ?!服従したことをお祝いするのか!!!》
  ↑    
 これ、前回の日記に書いた分です。手抜きみたいですけど。

 もう知らない人はないでしょうけど、この憲法、英語で書かれてたんですよね、元々。
 そりゃそうです、日本の学者が散々苦労して書いた草案を
 「だめ!こんなのは」
 と何度もペケつけて、
 「これで考えるように」
 と渡された。
 受け入れるか否か。その期限は一週間。
 
 だから、現憲法擁護学者は「ちゃんと猶予を与えられているじゃないか。それに国会で議決し、最終的には昭和天皇が署名捺印してるじゃないか。だから自主憲法だ」と言うんです。何という欺瞞!何たる屁理屈!!
 占領下ですからね。自分で決めた、って言うけど、その前に日本がつくった草案を否定されてる、ってところを考えたら、そんなの、自主的に決めた、ってのは詭弁ですよ。銃を衝きつけられて「あなたが決めなさい」、って。
 そりゃやくざのやり口じゃないですか。

 それからもう一つ。
 「憲法記念日」、って普通は「施行の日」と「発布の日」がある、ってのは分かるけど、何で両方とも祝日なんでしょうね。
 常識的に考えたら「発布の日」こそ祝日にして、「施行の日」は何もなし、なんじゃないでしょうか。

 ということで、「憲法発布の日」は「文化の日」とされているけど、実は「明治節」である、ということ。
 そして、「憲法施行の日」は「憲法記念日」とされているけど、実は「極東軍事裁判開廷の日」である、ということを思い出しておくべきでしょう。
 そこには明らかに占領軍の、統治のための意志、悪意と言っても良いものが見える筈です。

 「悪意?だからネトウヨは困るよ。何でもかんでも陰謀にして。都市伝説じゃないんだから、いつまでもそんなひねくれたこと言ってると、世界中から嫌われるよ。もっとグローバルな目を持たなきゃ。」、なんて言われますかね?
 でも隣国だって喧しく言ってくるでしょう?「歴史を直視せよ!」って。
 直視したら、あの時、日本はただ一国で世界を相手に戦い続け、十分に彼らを苦しめたわけです。
 何の抵抗もできない一般国民の住む街を絨毯爆撃されたって降参しなかった。
 そんな国を、「復活できるように、以前にもまして強大な国になれるように」、って占領統治、しますか?常識的に考えたら、「地球上から消えてほしい」、となるもんじゃないですか?
 「統治のための意志、悪意と言っても良いもの」が、ない方がおかしいじゃないですか。

 どこへ行くか分からないのでもうやめます。

 あ、最後に。
 「靖國暦」にはこうあります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 憲法記念日
 被占領下に制定された日本国憲法の施行(昭和二十二年)を記念し、国の成長を期する。昭和二十三年制定。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 (極東国際軍事裁判の開廷は昭和二十一年です)

            2014年5月3日の日記より転載

 ~~~~~~~~~~~~~~~

 ネットで調べても、「五月三日は極東軍事裁判開廷の日」って、なかなか出てきませんね。
 それに「一日はメーデーだから駄目。五日は子供の日だから駄目。間を採って三日にしよう」ってのは、分かり易そうで、何だか妙に胡散臭さが残る気がしませんか。
 それに「まず施行日が決まって、それから逆算して十一月三日が発布(公布)の日になった」とあったけど、「十一月一日を憲法記念日にしたい」、って言ったらGHQは「五月一日がメーデーだから駄目」、って。
 ニワトリと卵みたいな話になっているような・・・・。

 で、思うのは、「間を採って三日にしよう」ってのが、実は、「どうしても五月三日は譲れない」とGHQが強弁したんじゃないのかな、と。

 で、そうすると、GHQが「戦前の国家体制による祝祭日はみんな廃止!」としたことで折角「明治節」も潰したのに、「明治節は許す!」、と復活させることになってしまう。たとえ一部でも戦前を肯定するわけにはいかない。

 「じゃ、別の名前にして、とにかく、十一月三日は守り抜こう!実質、『明治節』は守れる!」と、日本政府の最後の意地・・・・。
 妄想ですけどね、新嘗祭と同じで。考えられなくもないでしょ?


 米占領軍の陰謀説。
 「5月3日」憲法記念日は、極東軍事裁判所の開廷の日。
 「A級戦犯の提訴」は4月29日、昭和天皇誕生日。
 「A級戦犯の処刑」は12月23日、今上天皇の誕生日。

 「意図的なものは感じない」という方がどうかしている。
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明日は何の日。(5月2日の日記です)

2020年04月04日 | 重箱の隅
2017.05/02 (Tue)

 言うまでもなく「憲法記念日」。
 当然、国旗は掲げませんよ。
 でも、ふっと思ったんですけど。
 九条教の人々には、憲法記念日は「大事な九条の載ってる憲法が施行された祝日」だけど、「日の丸は血塗られている~!戦争の記憶が~!」、となってるんだろうから、当然、国旗なんか掲げないわけだ。

 じゃ、「国旗揚げない」、ということでは、ナカーマ?
 中身は正反対ですけどね。

 ~~~~~~~~~~~~~~

 ~「憲法記念日」ですと!?~

 「休日」として甘受しながらも、今日は国旗は揚げません。
 ええ、揚げませんとも。
 何故なら、・・・・これはいつも書いていることだから省略しようかな?

 いやいや、一応書きましょう。
 《現憲法は主権のない時に一週間ほどで「決めさせられた」憲法ですよ。「服従命令」と同じじゃないですか。何でそれが未だに「祝日」なんだ。》
  ↑    
 これ、前回の日記に書いた分です。手抜きみたいですけど。

 もう知らない人はないでしょうけど、この憲法、英語で書かれてたんですよね、元々。
 そりゃそうです、日本の学者が散々苦労して書いた草案を
 「だめ!こんなのは」
 と何度もペケつけて、
 「これで考えるように」
 と渡された。
 受け入れるか否か。その期限は一週間。
 
 だから、現憲法擁護学者は
 「ちゃんと猶予を与えられているじゃないか。それに国会で議決し、最終的には昭和天皇が署名捺印してるじゃないか。だから自主憲法だ」
 と言うんです。

 けど、占領下ですからね。自分で決めた、って言うけど、その前に日本がつくった草案を否定されてる、ってところを考えたら、そんなの、自主的に決めた、ってのは詭弁ですよ。銃を衝きつけられて「あなたが決めなさい」、って。
 そりゃやくざのやり口じゃないですか。

 それからもう一つ。
 「憲法記念日」、って普通は「施行の日」と「発布の日」がある、ってのは分かるけど、何で両方とも祝日なんでしょうね。
 常識的に考えたら「発布の日」こそ祝日にして、「施行の日」は何もなし、なんじゃないでしょうか。

 ということで、「憲法発布の日」は「文化の日」とされているけど、実は「明治節」である、ということ。
 そして、「憲法施行の日」は「憲法記念日」とされているけど、実は「極東軍事裁判開廷の日」である、ということを思い出しておくべきでしょう。
 そこには明らかに占領軍の、統治のための意志、悪意と言っても良いものが見える筈です。

 「悪意?だからネトウヨは困るよ。何でもかんでも陰謀にして。都市伝説じゃないんだから、いつまでもそんなひねくれたこと言ってると、世界中から嫌われるよ。もっとグローバルな目を持たなきゃ。」、なんて言われますかね?
 
 でも隣国だって喧しく言ってくるでしょう?「歴史を直視せよ!」って。
 直視したら、あの時、日本はただ一国で世界を相手に戦い続け、十分に彼らを苦しめたわけです。
 何の抵抗もできない一般国民の住む街を絨毯爆撃されたって降参しなかった。
 そんな国を、「復活できるように、以前にもまして強大な国になれるように」、って占領統治、しますか?
 常識的に考えたら、「地球上から消えてほしい」、となるもんじゃないですか?

 「統治のための意志、悪意と言っても良いもの」が、ない方がおかしいじゃないですか。

 どこへ行くか分からないのでもうやめます。

 あ、最後に。
 「靖國暦」にはこうあります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 憲法記念日
 被占領下に制定された日本国憲法の施行(昭和二十二年)を記念し、国の成長を期する。昭和二十三年制定。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 (極東国際軍事裁判の開廷は昭和二十一年です)

            2014年5月3日の日記より転載


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 ネットで調べても、「五月三日は極東軍事裁判開廷の日」って、なかなか出てきませんね。
 それに「一日はメーデーだから駄目。五日は子供の日だから駄目。間を採って三日にしよう」ってのは、分かり易そうで、何だか妙に胡散臭さが残る気がしませんか。
 それに「まず施行日が決まって、それから逆算して十一月三日が発布(公布)の日になった」とあったけど、「十一月一日を憲法記念日にしたい」、って言ったらGHQは「五月一日がメーデーだから駄目」、って。
 ニワトリと卵みたいな話になっているような・・・・。

 で、思うのは、「間を採って三日にしよう」ってのが、実は、「どうしても五月三日は譲れない」とGHQが強弁したんじゃないのかな、と。

 で、そうすると、GHQが「戦前の国家体制による祝祭日はみんな廃止!」としたことで折角「明治節」も潰したのに、「明治節は許す!」、と復活させることになってしまう。たとえ一部でも戦前を肯定するわけにはいかない。
 「じゃ、別の名前にして、とにかく、十一月三日は守り抜こう!実質、『明治節』は守れる!」と、日本政府の最後の意地・・・・。

 妄想ですけどね、新嘗祭と同じで。考えられなくもないでしょ?


 米占領軍の陰謀説。
 「5月3日」憲法記念日は、極東軍事裁判所の開廷の日。
 「A級戦犯の提訴」は4月29日、昭和天皇誕生日。
 「A級戦犯の処刑」は12月23日、今上天皇の誕生日。

 「意図的なものは感じない」という方がどうかしている。
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