CubとSRと

ただの日記

ご利益関連

2020年04月03日 | 重箱の隅
2017.04/20 (Thu)

 「南無阿弥陀仏」、は「阿弥陀仏」を心に置き、常に
 「私は阿弥陀仏に抱かれている、阿弥陀仏と一つ(南無=帰命又は一体)なんだ」
 と言い聞かせることで、心の平安を得ようとする。
 対して
 「素晴らしい蓮華経と一体です。私は蓮華経に抱かれている」
 、ってのは、お経が私を抱くのか?
 「そんなバカな!」、ですよね。そうじゃなくて 
 「蓮華経の教えに抱かれている」、ってことですよね。

 「じゃあ、蓮華経を読んで、せめて一通り、理解だけでもしてるのか?」
 、って話です。

 お題目唱えたら、精神を集中させ、確固たる信念を持つことができる。
 でも、蓮華経の教えが分かるということじゃない。
 「資本論」という題名を百万遍唱えたら、精神を集中させ、確固たる信念を持つことができる(かもしれない)。
 でも、マルクス思想が分かるわけじゃない。

 「読書百遍、意、自ずから通ず」、なんてのは「読書」だからであって、「唱題目」では「意」は通じない。
 心を強く持つための修練にはなっても、その物事を理解することに直接つながるわけではない。ただ、集中力つける(心を強く持つ)段階で、その気になれば他人の言うことを聞く力はつく。これが一番大事なことかもしれません。

 「お題目」唱えるのと、「念仏」は些か違います。
 「念仏」は、文字通り「念仏」。
 とは言え、文字通りも、「仏号を唱えるだけ」「心に強く念ずる」「ひたすら呪文の如くに『なんまいだ~』と唱える」等、色々です。

 共通するのは「仏の姿を描き易い」ということ。物事って、はっきりしてると取り組みやすいでしょう?
 「南無妙法蓮華経」は難しいですよ、お経の本を心に描く、って難しいでしょう。だから、逆に「お題目」は、気合を込めて唱えるという手を使う。掛け声に近くなる。
 昔は私の田舎でも、真冬の寒い時に「寒行」といって、団扇太鼓をドンツクドンドンと調子よく叩きながら「なんみょーほーれんげーきょー」と強く唱えながら町を行進する一団がありました。地元の日蓮宗の信徒でした。水行も同じ調子でやってましたね。
 「な~むあ~みだ~ぶ」と唱えながら延々と大数珠をみんなで繰るのとは、出来上がる意志の強さが違うでしょうね。

 「お題目」を唱える。「念仏」を続ける。「真言」を唱えながら行動する。
 みんな「修行」ではあるけれど、当然のこと、蓮華経や阿弥陀経や仏典に書かれていることを読まなければ、経典は理解できない。
 それでも、そこでできた意志で、法話を聞き(=経典の講義を受ける)少しずつものが見え始める。

 神社に参ったってそうですよ。パワースポット巡り、じゃなくって、何かを感じて、或いはその神社の由緒に感じるところがあってお参りしてみた。
 その「心」を、神様が「見てござる」と、自身が思う。
 「何事のおはしますかは知ら」ないけれど、何とも「忝(かたじけな)い」と感じて涙がこぼれた。何故なんだろう、一体、あの時、オレは何に感じて涙が出たのだろう、と折々に思い出してみる。で、古事記読んだり、祝詞を読んだりしてみる。そうすることで色々なことが見え始める。
 そんな自身の心境を見詰めようともせず、ひたすら現世の御利益を、とオーバースローで賽銭投げて、参拝者の後頭部にぶつけてどうすんだ、と。


 ところで。
 私のように思いついたままを書き散らかして何もしないでいる者と、「行者」と言われるような人は、全く違います。死ぬ気でやっておられますからね、そういう人は。

 何が恐ろしいと言って、死ぬ気でやっているのに、側から見ると全く自然で、そんな気配を微塵も見せず当たり前のように色々なことに淡々と取り組んでおられることほど恐ろしいものはない。
            (以下略)

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  前回、
 「それ相応の心積もりをして参拝することで、これまで持ったことのない新しい『感じ』を持ち、その『感じ』で周囲全てのものを見るようになる」
 、と書きました。
 けど、人間ってのはやっぱり「生(なま)もの」です。片岡鶴太郎が言ったように「ほっときゃ腐るのよ!」
 腐らないまでも、劣化、或いは退化します。鈍磨、と言ってもいい。
 肉体だけではなく、精神も同じく、です。却って、見える肉体より見えない精神(心)の方が劣化は早い。

 だから一回参拝したからと言って、そこで得た新しい「感じ」がいつまでも新鮮な驚きを与えてくれる、なんてことはない、と考えるのが普通でしょう。
 それで、「木を見て森を見ず」、ではなく「木を見て森を忘れず」ということで、常に新しく得た「感じ」を忘れぬよう、これからは意識的に、その「目」で物事を見ようとする。そうしなけりゃ、鈍磨し、なおざりになってしまって、いずれは腐ったり、風化したりする。

 盛んに信仰される神社の分社や遙拝所が全国に無数にあるのは、そのためです。そうそうは本の社に参拝できないから、分社を勧請したり、信仰する社の方に向く「遙拝所」を設ける。そこで、度々参拝時の気持ちを新たにする。
 ここに挙げた三年ほど前の日記は、十年ほど前に流行った、「覚醒した!」という言葉に関わったものです。
 「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」「南無観世音菩薩」「南無妙法蓮華経」とは違って見えますが、心持ちは同じでしょう。
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心積もりとご利益

2020年04月03日 | 日々の暮らし
2017.04/18 (Tue)

 禊の真意はどこにあるのか、ということで、少し寄り道をしました。
 自身の強い意志を以てしても耐え難い苦痛を受け入れ、徹底的に穢れを祓う。そうすることによって飛躍的な向上を実現する。現実の人間が、神に一歩近づくかもしれない。

 戻ります。
 兎は、兎ではなく、兎に仮託された何か、だと考える。
 八岐大蛇が「背中に松や柏を生い茂らせ、八つの丘、八つの谷に伸びるほどの巨大な大蛇」と書かれているからといって、「一年に一度、老夫婦(あしなづちと、てなづち)の八人の娘を一人ずつ喰らいに来る時、背中の松や柏はどうなるんだ?」などとは、誰も言いません。
 「動くたびに背中の松や柏がぶつかるだろうから、髪の毛なんかと違って大蛇もうっとうしくてしょうがないだろうな」
 そんなの抱腹絶倒のコメディーです。
 でも、文章を読む、或いは語るのを聞くと、そんな抱腹絶倒のコメディーの筈が、何とも壮大な「巨大な龍のような大蛇が地響きを立てて迫ってくる」大迫力の場面として想像されるばかりです。

 隠岐、いやもっと向こうの韓半島までも治めていた神が、「もっと有力な神がやってくる」と知って首実検をするために準備万端整えて、今や遅しと待っていた。そこに果たして有力な神々がやってきた。
 しかし、筋は通っているけれど、傲慢で思い遣りに欠け、とてもじゃないけど我が地に座してもらうべき神には見えなかった。当然、この地の姫神と結んで繁栄の基を拓く神ではない。
 ところが一人遅れてやってきた大国主は、間違いなくこの地の者と仲良くやっていけそうだ。
 それに、多くの物(担いでいる袋の大きさ)を持っている。(袋の中身は新しい技術や知識だと思われます)
 
 「これは信用のできる神」と判断し、八上比売に「警戒の要なし」と連絡する。八上比売は、この地そのものと言っていいんじゃないでしょうか。
 白兎は、海の向こうから追われるようにしてやって来て、この地に住み着いた難民、いや、意識としては漂着した結果、覚悟を決めて、この地を終の住処としてこの地の先住の人々と共に守り抜こうとした渡来民族なのかもしれません。そうではなくて、もしかしたら長きにわたって支配していた大陸や半島から引き揚げてきた、原日本人である引き揚げ者、かも。
 だから海を眼前にする丘に棲んで、見張りのプレーリードッグのように、背伸びをしていつも海の向こうを見張っていた、と考えたらおさまりやすい。

 白兎神社に参拝して、帰ろうと真正面に海を見ながら急な階段を降りる時、ここが何となく海の向こうを見張る、見張り台のような気がしてきました。そうでないと「白兎神社って、何のご利益があるんだろう」、となってしまいます。
 
 「大国主に助けられたから、『助けられるのが上手になる』のが、ご利益」
 、なんて変ですよね。それなら「白兎を助けた大国主」をこそ祀るべきでしょう。
 やはりこれは、預言をしたことから「先を見通す目を持つ神」だから、
 「謙虚に、真剣に他者のためを思う」、「『先見の明』が備わりますように」
 、となるんじゃないでしょうか。

 ご利益というのは、「ギブ、アンド、テイク」ではないし、「国益」のような、腹黒さ・狡猾・奸智・姦計等が大きく絡む、不安定な損得を指すものでもない。
 「敬し、願い、努めることで、少しでも実現した願い」のことだ、となりそうです。
 「祓、禊の先にあるもの」と考えれば。
 「自らの意志で苦難に飛び込み、飛躍的な向上を」と考えれば。


 是々非々論を振りかざすのも、他者の間違いを糾弾するのも、「自らの意志で苦難に飛び込」み、痛みに耐える(苦心する)ことをしなければ、結局はどこかの党のようにブーメランになって返ってくるばかりで、「ご利益」は夢のまた夢。
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ご利益・・・・。

2020年04月03日 | 重箱の隅
2017.04/17 (Mon)

 《御師の話は布教のための方便であって、私欲から話を作り出す、というわけではない。初めに少々の誤解が生じたとしても、まずは「聞いてみよう」「見てみよう」という気持ちを起こさせることが何よりも大事、と御師は考えた。》
 前回、こんな風なことを書きました。

 「方便」で以て興味を持ってもらう。その時、参拝のための大まかな知識も伝える。
 そのあたりから参拝者に、段々に「考え方」の基になる「感じ」(これまでになかった新しい「感じ」)が生れ、その「感じ」のせいで、参拝者自身を取り巻く環境が、これまでとは違った、とても新鮮なものに見え始める。

 由緒のある神社に参拝し(参拝時にその由緒を改めて思い出し)、感動する。
 予備知識なしに、いきなり、団体旅行の旗を持ったガイドさんに
 「え~、この神社は何とかかんとか~」
 とやられて、
 「へえ~、そりゃ何とも有難い神様なんだな。拝まなけりゃ」
 では、あまりに性急過ぎて感動する間がない。感動はおろか、有難みも半減するでしょう?
 やはりここはそれなりの事前学習、或る程度の予備知識と、「参拝するんだから」というそれなりの思い入れがあってこそ、感動するものなんじゃないでしょうか。奇岩景勝の地で感動するのとはわけが違います。

 感動する。崇敬の念が高まる。その感動で、今後の全てを見、感じ、行動するようになる。すると生活が変わる。生活が変わると未来も変わる。
 神社参拝は、そういった、参拝してみて「有難いな」「忝い」等の敬虔な気持ちになることを教えてくれます。

 そう考えると、まずは意識(興味)を持つ。それから大まかなことを知る。参拝までに諸々の現実的な用意(時間、資金)をする。
 用意をしているうちに「心構え(心積もり)」ができる。そして何日もかけて実行(参拝)する。
 こんな風にそれなりの準備をして参拝しようとするから、極端な話、「忝い」と感じよう、という態勢(心積もり)もできようというものです。
 やっぱりこれは「あやかりたい」、じゃないでしょうか。暇を持て余していて、「退屈しのぎに神社でも行ってみるか」ではこうはならない。
 事前学習→実行動→目的達成。

 方便を以てきっかけを作るのは御師の仕事だけれど、そこからは間違いなく当人の心がけ次第。謙虚に、真剣に取り組んでこそ「あやかる」ことができる。間違いなく新しい「感じ」を実体験し、新しい考え方で日々を過ごすようになる。

 さて、やっと白兎神社のことです。
 ワニをだまして笑っていた白兎は嫌な奴です。それが皮を剥がれて、しくしく泣いていた。
 そうなると我々は可哀そうだと思います。まず、「卑劣なことをしたんだ。いい気味だ」、とは思わない。
 でも、先に通った八十神はとんでもないことを教える。「潮水で体を洗え」、と。
 さすがに末弟の大国主に荷物を全部持たせるだけのことはある。
 そこで大国主が治療法を教えてやって兎は喜んで・・・、というのだけれど、この先にまだ話があるでしょう?

 傷が治った!「お礼に・・・」と白兎は「八上比売と結婚するのは貴方です」と預言を伝える。
 突然、立派な神様に変身してしまうわけです。助けてやったはずの大国主が逆に礼を言って立ち去ることになる。
 何じゃ、これは。そんな立派な神様が、何でワニをだまして「皮を剥かれて赤裸」、なんてことになってたんだ???

 白兎は、実はこの地の産土神で、尊い神様になる筈の大国主を待っていた。そして、敢えて弱々しい姿を見せて大国主の本性を見極めようとしていたと考えることもできます。
 でも、隠岐に棲んでいた白兎が因幡の地の産土神?それで預言を?

 前に書いたように、ここで「ほら!辻褄が合わないことばかりじゃないか」と言ってしまえばそれまでです。
 反対に、このまま全てを受け入れようとすると話が無茶苦茶になり、ファンタジー、想像世界(仮想世界)さえ成立しない、ただの夢物語になってしまう。それではここから何も読み取れない。
 「古事記(神話)は事実ではなく、真実が書かれているんです」というあの言葉を思い出す必要があります。

 脱線するように見えますが、一つ。
 「祓(はらえ)」の徹したものに「禊(みそぎ)」があります。「みそぎ」は「身削ぎ」だとも言われます。文字通り、身体を削るようにして穢れを祓うわけです。普通は海に浸かって、海水で行います。冷たい潮水で強く体をこする。
 確か九州の宗像大社では、今でも下帯も取って頭の先まで全身、海に浸かり、禊をするんじゃなかったでしょうか。
 通常でも大変な作法ですが、罪を犯した時の禊はもっと強烈です。今の政治家などが不始末の責任を取って役職を辞任することなどを「禊」と称していますが、本来はここから来たものです。スサノヲの命が高天原で乱暴狼藉を働いて天照大神が岩戸に隠れたという事件(?)。事後処理として、スサノヲの命は高天原から追放されるのですが、その際、禊として、手足の爪全てを剥がされたと言われています。白兎が皮を剥がれた話は、これと重なって見えます。
 禊の結果、スサノヲの命は出雲に降りて八岐大蛇を退治し、地上を治める神となり、白兎は大国主に出雲を治める指針を提示する。それぞれ、禊の後に神格が飛躍的に向上している、ということもできます。
 意識的に行う「何か」をきっかけに、物事が激変する。←「古事記(神話)は事実ではなく、真実が書かれている」


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題名はいずれ(前回の続き)

2020年04月03日 | 重箱の隅
2017.04/15 (Sat)

 「大国(主)」神は音読みにすると「ダイコク」だから、インドからの渡来神である「大黒天」と重ねられて、小学校唱歌(?)がつくられた。
 勿論、両神は全く関係のない神様で、たまたま音読みにしたら同じ、というだけ。「大国主神」は「オオクニヌシの神」と読むのが当たり前で、本来「ダイコクシュシン」なんて、読まない。
 だのに、何でこんな無理矢理な読み方をしたのか。おかしいですよね。唱歌を作詞した人が物知らず?そんな筈はない。
 これはやはり、陰謀・・・、いやいや、出雲大社信仰を広めようとした出雲の御師(おし、おんし)が、方便として、能く知られている大黒天と重ねていったんでしょうね。
 大黒様は米俵の上に座った、大きな頭巾をかぶったにこやかな顔で知られているけど、「大国主神」ってその姿を想像することはないでしょう?何しろ別名が「葦原之色許男(あしはらのしこお)」なんて名前です。男前で異常なくらい女にモテる。勿論、それは大国主の責任じゃありませんよ。整形とか何とか、したわけじゃない。でも、それらから想像する姿だったらちょっと、信仰の対象、とするには・・・。
 まあ、こんなにモテるんです。
 「人と人をつなぐ中心にいたわけだから、それ以外のことだって国の真ん中にいてみんなつなぐ、ということも言えるだろう。そうだ!大国主神は縁を結ぶ神様、ということで全国に広めようじゃないか!」
 出雲の御師はこう考えて
 「出雲は縁結びの神様。あらゆる縁を結ぶ立派な神様です」
 「神無月は神様が居なくなるんじゃなくて留守にする、ということですよ。縁結びの相談のために出雲にいらっしゃるんですよ」
 「だから出雲だけは神在月です」
 なんて色んな布教の理由を考えた。
 「この『神在(じんざい)』が出雲訛りでは『ずんざい』だから、その時に神様に供する餅を『ぜんざい』と言うんです」というのは、最近(十年足らず)のことで、現代の御師みたいな・・・・。

 あ、想像してるだけですからね。証拠はない。けど、女の人にとにかくモテる。スサノヲ神の娘を初めとして、一杯お嫁さんがいる。そこから始まって「大国主」という名前と関連付けたら、縁結び、というキーワードが出てくるのは自然の成り行きだろう、ということです。

 また脱線しそうですから、本線に戻りますが。
 とにかく、こういうことを
 「そんないい加減な詐欺みたいなことをするのが御師か!」
 と怒ったり、逆に
 「だから神道は奥が深いんだ。清濁併せ呑むんだ」
 、と、考えもしないで受け入れたりするから、何が何だか分からなくなる。

 日本は原理主義の国じゃないし、排外主義の国でもない。近所の大陸みたいな混沌とした国でもない。
 そういったやり方では、とてもじゃないけど国が続かないから、とにかく、まずは謙虚に、真剣に受け入れようとするのが日本の国柄です。
 その故に、却って取捨選択の一段上をいく、「独自の解釈をして改変し、用いる」、言ってみれば「窯変」が通常の形。だから「曜変」なんてことも起きたりする。

 また変な方向へ行きそうですが。
 でも「ご利益」というのも、そういうわけで日本独自の「考え方」なんじゃないかと思いますよ。
 「何にも効き目なかったじゃないか!賽銭返せ!」
 、なんて無粋なことは言わない。
 ご利益があったら喜ぶけど、なかったとしても
 「願掛けしたのに。何よ!もう拝んでなんかやらないんだから!」
 なんて恨み言は言わない。

 「この神社は、~に関して、絶大なご利益があります」なんてことをよく聞きます。
 「天神様は学問の神様だから、学業成就にご利益が~~。」
 菅原道真は確かに大学者だったけれど、同時に立派な教師であった、というわけではない。大学者だったけれど、それで思うが儘の人生を切り拓いた、というわけでもない。それどころか、その学識の深さが疎んぜられて左遷され、失意のうちに死んだ悲劇の学者です。
 それだけじゃない。没後宮中に様々の災厄が起こり、「これは道真が起こしたに違いない。怨霊となって祟っているのだ。きっとそうだ、そうに違いない。絶対そうだ!何とかご機嫌を取らねば!」、ということで「天神」として祀られたんでしょう?学識は却って徒になった、としか言えないんじゃないでしょうか。
 その「祟り神」に学業成就、どころかそれ以前の「受験、上手くいきますように」、って・・・・。それ、変じゃない?自分が菅原道真だったらどう思うだろう?

 「わしゃ、なまじ学問ができたせいで疎まれ、左遷されて口惜しい思いをしたけど、願掛けに来たお前たちの願いは叶えてやろう」。・・・・そんな風に思いますかね・・・・?私の心が狭いだけ、かな???

 大国主神もそうです。大国主命は天から降りてきた神ではない。海を渡ってやってきた八十神(たくさんの神)の一人、それも末弟です。だから大きな袋を担いでいる。好きで担いでるんじゃなくて、他の神々の荷物を全部持たされているわけで、これ、今ならいじめということになるでしょう。
 海を渡ってやってきたんだから、本来は日本の神様ではないのかもしれません。勿論、原日本人が大陸を起源とするという説(現半島国などが存在しない、はるか昔の話ですけど)と関わります。
 そんな古い古い神様が出雲に在って、日本国中の神々と縁を結び、神様連合を作って「大国主(リーダーですね、つまり)」、として日本を治めていた。それが故の「縁結び」、でしょう。

 けど、「葦原之色許男」です。特に女の人にモテる。そうなると、人はどうしても「縁結び」というのは「結婚」のこと、と限定して見てしまう。
 「男女の仲、だけではありませんよ。仕事の付き合い、親子兄弟の仲、友人や長幼の間。全ての縁を結んでくださる神様ですよ」

 やっぱり、御師の仕事、と考えるのが妥当でしょう。
 「女性にモテる」、から拡大解釈して、「全ての縁を結ぶ」、までに話を広げ、布教活動をする。対して信者はご利益があれば喜ぶけど、なくても文句を言わない。これらから「ご利益」の本体は、「(神様のなされたことに)あやかりたい」、という一言でしかないのではないか、と思います。
 何だか「御師」、って嘘つきか詐欺師、霊感商法の関係者、みたいに見えますが、決してそうではありません。
 御師の話は布教のための方便であって、私欲から話を作り出す、ということはないからです。初めに少々の誤解はあっても、まずは「聞いてみよう」「見てみよう」という気持ちを起こさせることが何よりも大事、と考えたからです。


  今日もこの辺で。


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題名はいずれ。

2020年04月03日 | 重箱の隅
2017.04/12 (Wed)

 三月末、数日間、田舎に帰っていた。
 白兎神社に参拝しようと思い、鳥取海岸経由でこちらに戻って来た。
 海に面して東西に道路が走り、道路に面して神社がある。神社のすぐそばに、道の駅が作られている。
 道の駅から十数歩で、白兎神社の鳥居をくぐる。

 大国主神が旅をしてきたところ、ワニに皮を剥かれて泣いているウサギが居たので手当の方法を教えてやった、という神話が有名だが、その白兎を祀る神社だ。
 あの神話、妙なところというか、何とも謎の多い話だ。
 まあ、神話というのは細かいことを言い出せばきりがないほどおかしな話が多いんだけども。

 本質を無視、乃至は軽視して理屈をこねくり回し始めたら、どうにもならない。「木を見て森を見ず」、だ。「例外」とか「特殊な例」の袋小路にハマって二進も三進もいかなくなる。
 以前に竹田恒泰先生が「神話というのは『事実』ではなく『真実』を書いてあるんです」と言われていたのを聞いて、なるほど上手い説明だな、と感心したことがある。
 何しろ、神話というものは文字のない昔のことを「口伝え」できていたものだから、伝承違い、記憶違いということが起こらない方がおかしい。口伝どころか、筆写したって誤写、誤字、脱字は当たり前に起こるのだ。
 神話はそんな「口承」を、或る時点で文字化したものだから、個々に見ていけば辻褄の合わない伝承がどうしてもできてしまう。
 それを、そこばかりを論(あげつら)って
 「だから神話『でしか』、ない。本当にあったことではない」
 と全否定してしまえば、歴史なんか、もっと言えば、先人の作ってきた考え方、文化など全ての物事は全く信用のできない物になってしまう。つじつまの合わない部分に留意しつつ、全体(本質も)を把握しようと見詰めてこそ、前進できるというものだ。

 いきなり、話が逸れてしまった。
 隠岐にいた兎が、海を渡ろうと思い、
 「仲間の数を数えてやるから、並んでごらん」
 と、ワニをだまして並ばせ、その上を跳ねて陸地に着く、寸前に辛抱できず、
 「こっちに来たかっただけだよ。馬鹿な奴らだ」
 と、笑いながら言ってしまった。
 怒ったワニは寄ってたかって兎の皮を剝がしてしまった。
 面倒なことをしたもんです。いっそみんなで噛みついてずたずたに・・・、というのが普通なんじゃないでしょうかね。何で、生かして返したんでしょうね。分からん。ちっともワニらしくない。ナンセンスだ。
 ・・・、と、まあ、「本質を無視、乃至は軽視して理屈をこねくり回し始めたら、どうにもならない」実例です。
 「数を数える」とか「(殺すのではなく)皮を剥がす」ということに、本当に伝えたかった「何か」があるのではないか、と考える方が意味がありそうなんですが。

 ところで、あの「ワニ」。あれは「鰐」ではなく「鮫」のことだ、というのは能く知られています。日本には鰐は、いませんから。
 でも「鰐」という字はある。それも「魚偏」ですからね。水中にいて泳ぎ回るんだから、魚じゃなくても魚、とみなされていた「ワニ」。揚子江(長江)にもワニがいるんじゃなかったですか?だから「鮫」とは違う生き物で、「鰐」という字が作られたのかも。
 こうなると白兎の皮を剝いだのは爬虫類のワニの方かも、となってきますが、いくらなんでも日本海にそんなに「ワニ」が棲んでいたとは思えないでしょう。
 やっぱり、「鮫」ですかね。

 島根、鳥取では昔から鮫のことを「わに」と言っていました。
 実際に「ワニ漁」があって、「ワニ漁師」もいた。昔、NHKのドキュメンタリー番組で、近くの漁港の漁師がこれをやっているのが放送され、びっくりしたことを覚えています。
 人力では無理なので、ウィンチで巻き上げるんですが、船に引き揚げられてからでも暴れまわります。下手に近づくと腕でも足でも食いちぎられてしまう。それで、呼吸ができなくなってちょっとおとなしくなったところで、金槌で頭部を何度もぶん殴る。大声で「成仏してください!」と言いながら。でも、本当にこうでも言わなけりゃ祟られるんじゃないか、と思うくらいの暴れようで、漁師も、鮫も気の毒なくらいの疲れようでした。(「気の毒な」、と思いながら、私はこの肉を湯引きして酢味噌で食べるのが好きで・・・・。)
 このワニのひれを切り取って「フカヒレ」として売る。身は解体して魚と同じく、売る。新鮮なうちは淡白な味の刺身になるけれど、鮮度が落ちるにつれてアンモニア臭がひどくなってくる。それでも腐っているわけではない。
 それで、中国山地の最奥部、広島との県境を越えて、山間部の方でも、生のままで食べられる。

 ・・・・脱線ばかりなので、今日はこの辺で。

 (いずれは「ご利益」という題名で括ろうと思ってるんですが。)
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