2010.08/03 (Tue)
「竹島」から脱線しました。
知識を広範に得れば、「能力の範囲」は格段に広がる。
だから、ネットで情報を集めた者は、新聞、テレビ、だけの者より、よっぽど「能力」は、ある。
ところが、意外に見落としていること。
「能力の範囲」と書いているから、これまた、何となく「(平面的な)広がり」、と捉えてるんじゃないでしょうか。だから、知識を多く持っている、イコール、能力が高い、と何となく思っている。でも、これは、片手落ちです。
先日の参院選。山梨選挙区。猛烈に追い上げたけど、ギリギリで敗れましたね。
健闘した宮川陣営、ちょっと引っ掛かっていることがあるんだそうです。輿石候補に対するネガキャンが、票を減らしこそすれ、増やすことはなかったんじゃないか、という遠慮がちな敗因分析。
直感的に、山梨県人は相手の足を引っ張ることを嫌う、と宮川陣営は捉えた。
第一、輿石候補の悪口を言おうとしたら、まあ、突っ込みどころの宝庫、みたいな人です、輿石議員は。言わなくたってみんな知ってる。ネガキャン、やるまでもない。
それを、わざわざ自費で大量コピーして、ポスティングしたり、一斉にFAXで送ったり、ということがあったんだそうです。
先祖代々そこに住んでいる、という人が大半の土地で、ネガキャンチラシ見て、「よっしゃ!今回は輿石さんは、やめとこう」、という人は少ない。大方は「みんな知ってることをわざわざ。いやらしい」、と眉をひそめます。
勿論、輿石候補側の工作、と考える向きもある。でも、宮川陣営を応援する勝手連の行き過ぎた行動がなかったとは言えない。
「能力の範囲」というのは、「知識による広がり」だけではない。実は、それ以上に、「深み」、或いは「高さ」、も関わっている。「見識の高さ」、ですね。「教養」と言ってもいいかもしれません。
知識も重要ではあるけれど、大事なのは、それを捉え解析する「教養の高さ」ではないでしょうか。教養のない(教養をつくってない)者が、いくら知識を掻き集めたって、十全には遣えない。
じゃ、どうする。
やっぱり、知識をとにかく「見詰め」、それを教養にまで「高める」しかない。
「見詰めるのはできるけど、どうやって、教養にまで高める?」
見詰めて、気付いたこと、思いついたことを書いてみる。二つ以上の知識のつながり方を説明してみる。
初めは「ロバ」だけれど、繰り返していけば、集中力も高まる。書き続けていけば、持続力もつく。
「教養」も僅かずつではあるけれど、身についていくでしょう。「教養」も能力、なんですから。修練によって「能くする力」になるはずです。
ということは、「手も足も出ない」と言いながら、「ボンクラだから」と言いながら、でも、「失敗は当たり前のこと」で、とにかく諦めず書き続けていくしか、「横綱相撲」も「参院選」のことも、まとめられるわけはない、ということになりますか。
やれやれ、随分と長い言い訳をしましたが、どうも失敗したようです。
「脱ロバ宣言」、するしかないようですね。
「竹島」から脱線しました。
知識を広範に得れば、「能力の範囲」は格段に広がる。
だから、ネットで情報を集めた者は、新聞、テレビ、だけの者より、よっぽど「能力」は、ある。
ところが、意外に見落としていること。
「能力の範囲」と書いているから、これまた、何となく「(平面的な)広がり」、と捉えてるんじゃないでしょうか。だから、知識を多く持っている、イコール、能力が高い、と何となく思っている。でも、これは、片手落ちです。
先日の参院選。山梨選挙区。猛烈に追い上げたけど、ギリギリで敗れましたね。
健闘した宮川陣営、ちょっと引っ掛かっていることがあるんだそうです。輿石候補に対するネガキャンが、票を減らしこそすれ、増やすことはなかったんじゃないか、という遠慮がちな敗因分析。
直感的に、山梨県人は相手の足を引っ張ることを嫌う、と宮川陣営は捉えた。
第一、輿石候補の悪口を言おうとしたら、まあ、突っ込みどころの宝庫、みたいな人です、輿石議員は。言わなくたってみんな知ってる。ネガキャン、やるまでもない。
それを、わざわざ自費で大量コピーして、ポスティングしたり、一斉にFAXで送ったり、ということがあったんだそうです。
先祖代々そこに住んでいる、という人が大半の土地で、ネガキャンチラシ見て、「よっしゃ!今回は輿石さんは、やめとこう」、という人は少ない。大方は「みんな知ってることをわざわざ。いやらしい」、と眉をひそめます。
勿論、輿石候補側の工作、と考える向きもある。でも、宮川陣営を応援する勝手連の行き過ぎた行動がなかったとは言えない。
「能力の範囲」というのは、「知識による広がり」だけではない。実は、それ以上に、「深み」、或いは「高さ」、も関わっている。「見識の高さ」、ですね。「教養」と言ってもいいかもしれません。
知識も重要ではあるけれど、大事なのは、それを捉え解析する「教養の高さ」ではないでしょうか。教養のない(教養をつくってない)者が、いくら知識を掻き集めたって、十全には遣えない。
じゃ、どうする。
やっぱり、知識をとにかく「見詰め」、それを教養にまで「高める」しかない。
「見詰めるのはできるけど、どうやって、教養にまで高める?」
見詰めて、気付いたこと、思いついたことを書いてみる。二つ以上の知識のつながり方を説明してみる。
初めは「ロバ」だけれど、繰り返していけば、集中力も高まる。書き続けていけば、持続力もつく。
「教養」も僅かずつではあるけれど、身についていくでしょう。「教養」も能力、なんですから。修練によって「能くする力」になるはずです。
ということは、「手も足も出ない」と言いながら、「ボンクラだから」と言いながら、でも、「失敗は当たり前のこと」で、とにかく諦めず書き続けていくしか、「横綱相撲」も「参院選」のことも、まとめられるわけはない、ということになりますか。
やれやれ、随分と長い言い訳をしましたが、どうも失敗したようです。
「脱ロバ宣言」、するしかないようですね。