CubとSRと

ただの日記

「脱ロバ宣言」(痛恨の後半)

2020年04月20日 | 心の持ち様
2010.08/03 (Tue)

 「竹島」から脱線しました。
 知識を広範に得れば、「能力の範囲」は格段に広がる。
 だから、ネットで情報を集めた者は、新聞、テレビ、だけの者より、よっぽど「能力」は、ある。

 ところが、意外に見落としていること。
 「能力の範囲」と書いているから、これまた、何となく「(平面的な)広がり」、と捉えてるんじゃないでしょうか。だから、知識を多く持っている、イコール、能力が高い、と何となく思っている。でも、これは、片手落ちです。

 先日の参院選。山梨選挙区。猛烈に追い上げたけど、ギリギリで敗れましたね。
 健闘した宮川陣営、ちょっと引っ掛かっていることがあるんだそうです。輿石候補に対するネガキャンが、票を減らしこそすれ、増やすことはなかったんじゃないか、という遠慮がちな敗因分析。
 直感的に、山梨県人は相手の足を引っ張ることを嫌う、と宮川陣営は捉えた。
 第一、輿石候補の悪口を言おうとしたら、まあ、突っ込みどころの宝庫、みたいな人です、輿石議員は。言わなくたってみんな知ってる。ネガキャン、やるまでもない。
 それを、わざわざ自費で大量コピーして、ポスティングしたり、一斉にFAXで送ったり、ということがあったんだそうです。
 先祖代々そこに住んでいる、という人が大半の土地で、ネガキャンチラシ見て、「よっしゃ!今回は輿石さんは、やめとこう」、という人は少ない。大方は「みんな知ってることをわざわざ。いやらしい」、と眉をひそめます。
 勿論、輿石候補側の工作、と考える向きもある。でも、宮川陣営を応援する勝手連の行き過ぎた行動がなかったとは言えない。

 「能力の範囲」というのは、「知識による広がり」だけではない。実は、それ以上に、「深み」、或いは「高さ」、も関わっている。「見識の高さ」、ですね。「教養」と言ってもいいかもしれません。
 知識も重要ではあるけれど、大事なのは、それを捉え解析する「教養の高さ」ではないでしょうか。教養のない(教養をつくってない)者が、いくら知識を掻き集めたって、十全には遣えない。

 じゃ、どうする。
 やっぱり、知識をとにかく「見詰め」、それを教養にまで「高める」しかない。
 「見詰めるのはできるけど、どうやって、教養にまで高める?」
 見詰めて、気付いたこと、思いついたことを書いてみる。二つ以上の知識のつながり方を説明してみる。
 初めは「ロバ」だけれど、繰り返していけば、集中力も高まる。書き続けていけば、持続力もつく。
 「教養」も僅かずつではあるけれど、身についていくでしょう。「教養」も能力、なんですから。修練によって「能くする力」になるはずです。

 ということは、「手も足も出ない」と言いながら、「ボンクラだから」と言いながら、でも、「失敗は当たり前のこと」で、とにかく諦めず書き続けていくしか、「横綱相撲」も「参院選」のことも、まとめられるわけはない、ということになりますか。
 
 やれやれ、随分と長い言い訳をしましたが、どうも失敗したようです。

 「脱ロバ宣言」、するしかないようですね。
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「脱ロバ宣言」

2020年04月20日 | 心の持ち様
2010.08/03 (Tue)

 「横綱相撲」について何とか考えをまとめたい、と、先日から足掻いているんですが、うまくいかない。
 先日から、今回の参院選のことをまとめてみたい、とも思っているんですが、これも、手も足も出ない。
 資料を集めたって駄目です。「考える」こちらの、頭の問題。ボンクラだから。

 「旅に出たってロバはロバ」でしたっけ?何の知識も教養もない者が、見聞を広めることを思いついて、旅に出たって、何か得る物があるか、というと、それ相応のものしか、手に入らない。
 たとえは悪いけれど、ローカルニュースなんかで幼稚園児が田植えをしたとか、潮干狩りに行ったとか、あれ、必ず、記者が幼稚園児に質問をする。
 「田植え、楽しかった?」「楽しかった」「どんなとこが楽しかった?」「・・・・。」
 きっとにこにこしているから、楽しくなかったはずはない。記者もわざわざひっくり返って泥だらけになってべそかいてる子供に聞こうとはしない。
 でも、答えられるわけないですよ。初体験のことだらけ、びっくりすることだらけ、楽しかったことだらけで。
 「楽しかったこと」だけをその中から選び出して、更にその中の一つだけ、答える、なんて、そりゃ、無茶振りというもんです。もっと具体的なこと聞けば答えられるかもしれないけど。

 「田んぼの中が気もちよかった」「足が気持ちよかった」「ぬるぬるしてた」・・・・。
 記者の期待していた答えになってますかねえ。
ばかり それでも、日々、急激に成長している幼稚園児は、赤ん坊ほどではないにせよ、毎日、見る物、触れる物の全てが、新鮮な驚きばかりばかりです。見聞は急激に拡大している。対して、我々大人はどうか、というと、・・・・・ですね。

 「見聞を広めるために旅に出る」、に戻ると、旅番組にも色々あるのが思い出されます。高級なところでは・・・・そうですね、「名曲探偵アマデウス」。謎解きの旅です。「美の巨人」は、芸術の旅。
 では、ロバに近い旅は?各局でやってます。美味しい物と、温泉と、良い宿を求めて。
 今日は脱線ではありませんよ、ここまで。
 「見聞を広めよう」と一念発起したくらいでは、この程度、ロバから抜け出せない。「旅に出たって~」は「己の能力の範囲内でしか、理解できない」の実例です。

 この「能力」という言葉は、「理解力」、と無意識の内に置き換えて読んでしまいますが、これまた、何度か書いているように「能力」は「能くする力」であって、「習うことで芽生え、練ることで向上する」ものです。 
 だから、何かの拍子で、でも好き嫌い、意識の有るなしに関わらず習えば、必ず芽生える。
 芽生えたら、回数を重ねるうちに必ず向上していく。勿論、意識的に、或いは更に進んで意図的に重ねれば向上の仕方は、また、大きく違ってきます。

 知識を得る。
 これまで、全く聞いたことのない話だ。いや、話自体は知っていたけれど、学校で習ったのとは随分違う。
 「朝鮮併合って、朝鮮を植民地にすること、ではなかったのか」
 「南京大虐殺なんてなかった?30万人も殺した、と習ったのに?」等々。

 これが重なっていけば「嘘を教えられていた。日本は悪くない」になるのはすぐ、です。その視点で、全てを見直してみる。全く違った歴史と国際関係が見えてくる。
 これだって、「能力の範囲内でしか理解できない」、の証明です。
 知らない者に、いきなり、「日本は悪くないんだ」と言ったって、言えば言うほど熱弁を振るえば振るうほど相手は後退りします。彼(相手)の能力の範囲が狭いからです。

 韓国人に「竹島は日本の領土なんだよ」と、いくら冷静に、順序立てて話しても、絶対に納得しないのは、彼等がひねくれているから?
 いえいえ、それ以前のことです。習ってないから。知らないんだから。竹島は有史以来、韓国領土、と教え込まれて来ているから。
 「日本は韓国に対して良いこともした(本当は良いことがほとんどなんだけど)」なんて、考える能力の「素」が存在しないのだから。
 そこにいくら事実を並べ立てたって、幼稚園児の毎日と同じですから。

 「竹島は日本の領土」、は、彼等の頭の中には、小説(つくり話)の結末にしか、映らない筈です。

( 続く)
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井上ひさしの「お言葉」

2020年04月20日 | 心の持ち様
2010.07/31 (Sat)

 亡くなった井上ひさしさんは、かつて、「政治とは、端的に言えば、『国民から集めた税金や国有財産をどう使うか』ということだ」と言っていた。政治についての古今東西の名言を万巻積み上げたところで、この一行にはかなうまい、と歯切れがいい。
 ことほどさように、予算は政治そのものだ。裏を返せば、政権にとっては大仕事である。(以下略)
         朝日新聞「天声人語」(7月29日付)

 やっぱりね、と思う。

 井上ひさしと言えば、以前に、コメントに書かせてもらったこともあるのだけれど、左翼も左翼、筋金入りで、困ったことに(?)私は、その井上ひさしの脚本になる、人形劇「ひょっこりひょうたん島」を、毎日楽しみにしていた。小学校の頃で、全くの成長期なわけだから、随分長い間続いていたように記憶しているが、実際は3年から5年くらいのものだろう。
 その間に「教育」されたわけだ、気付かず、社会主義思想を。
 ただ、、いつも、面白いと思いながらも、何だか妙に引っ掛かっていたこともある。憎めないけど、イヤラシイのだ、登場人物の性格が。

 今、あれは一体何だったのだろう、と思ってみると、どうも、井上ひさしの目に映る「人物」というのは、みんなイヤラシイのではないか、と気がついた。

 早い話、井上ひさしって人は、相当な人間不信を抱いて生きて来たのではないか。そのもとは、井上ひさしが、とても「良い子」であったからではないか、と想像している。世間を信じるように育てられたか、全く逆か、それは分からない。けど、物心がついてからは、裏切られ続けたのだろうな、と思う。
 だから、何でも笑いにする。それしか心を平常に保つ方法が、ない。

 「素直な子はひねくれた大人になり、ひねくれた子供は気のいい大人になる」「子供の頃は、やんちゃなくらいの方がいい」「やんちゃしてきた奴の方が魅力がある」。
 世間はそう言う。

 けれど「良い子」だった一人として言いたい。
 冗談じゃない。良い子は努力しているのだ、辛抱して我儘を言わぬよう、自分を抑えつけて来たのだ。褒められたいから、頑張って良い子になろうと努力してきたのだ。なのに、それが当たり前、持って生まれた性質、みたいに言われ、「良い子だから」とからかわれ、「良い子はマネしちゃいけません」、とギャグにされる。
 二つの価値観の間を右往左往して、でも、親の言う事を聞かなきゃ、と頑張っている。それが、最後の最後になって親から「良い子だから」と、努力の部分を看過されて、遂に足元が崩れる。

 「もうこうなったら信じられるものは自分だけだ。親でさえ自分の本心を分かってくれてなかった。世の中なんて、『分かってくれてる』、なんて、信じないぞ。
 けれど、「車は急に止まれない。」「良い子は急に変われない。」何しろ努力の結晶なのだ、良い子というのは。
 それで、今度は、自分の「努力を認めてくれる」ところに奔る。マージャン、パチンコ、果てはカルト宗教だ。オウム真理教に東大生等の優秀と言われる学生が多かったのは、偶然ではない。

 また、やってしまいました。

 1970年代初め、三嶋由紀夫の割腹自殺に衝撃を受け、一水会を結成した鈴木邦男氏が、左翼文化人を相手に、徹底的に電話突撃をやって連戦連勝、左翼文化人が次は自分のところかも、と戦戦恐恐となっていた頃、ただ一人、逆に井上ひさしにはやり込められて負けてしまった、といいます。それも、全く論争にならないんだそうです。
 夫婦揃って、とんでもない論客で、
「ああ、そう。右翼。そりゃ大変ですねえ。ご苦労様。ところで、皇室を大事に、と言われるんなら、天皇の名前を全部言えるんでしょう?僕は左翼だけど、あ、わかってるか、僕は言えるよ。言って見ましょうか?」と神武天皇から途切れることなく、すらすらと昭和天皇まで言ってしまう。その間鈴木氏は、黙って聞いているしかない。(自分はちょっと怪しいんだもの)。

 これ、剣道で言えば、「後の先」というやつで、先に相手に切り出させておいて、乗っかって、攻撃をする。相当な実力差、か、そうでなければ、論戦に慣れている者でないとできない。
 
 とんでもない喩えに聞こえたでしょうが、これが、論客、というものでしょう。
 だから、この中に(短い言葉の中に)彼の理念が凝縮されている。
 そう捉えて間違いない。
 論客でない者は、よく喋るわりに中身がなくって、尚且つ言いたいことがつかめない。話が下手なんです。民主党には掃いて捨てるほどいる。
 あ?人のこと言う前に自分がそうでした。
 (いやいや、私は論客じゃない。ただのお喋りですから。)

 さて、やっと最初に戻ります。
 「政治とは国民から集めた税金(や国有財産)をどう使うか、ということ」

 「端的に言えば」、と、予防線が張ってあるものの、この一文の見事さに現在の大多数の国民が頷いたが故に、民主党を選び、今回の選挙でも、民主党が「最大得票」を果たした。
 メディアも、何かと言えば「金、金」と繰り返す。この朝日新聞も同じです。

 つまり、「ほとんど」「みんな」が、今の日本、左翼思想が基盤になっていて、テレビの街頭インタビューに答える日本人らしからぬ面相、風体の日本の若者は言うまでもなく、「覚醒した」と言っている人も、その多くは、実は左翼思想の持ち主ではないか、と思うのです。

 日本人になる努力をしてこそ、日本人。そして、その努力を続けてこそ、日本人と言える。
 けれど、敗戦前と全く違う教育を受けているのに、だから、日本人になる努力をしていないのに、日本に生まれたのだから、そのまま、日本人なんだと思っている。

 「政治とは、国民から集めた税金をどう使うかということ」
 この井上ひさしの一言、何が変だ、と思います?

 「まつりごと」の一語が完璧に抜け落ちているから、変、なんです。「神意(又は国民の理想実現)」について全く触れてない。

 「現実と理想、のうち、今は現実だけを言っているのだから、そんな、鬼の首、獲ったみたいに。理想は言わずもがな、だから書いてないんだろう?そんな簡単にレッテル貼っていいのか?」

 いいと思いますよ。人間不信の人が、「神意」、なんて。
 考える、と思う方がナンセンス。


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7月28日のこと「ブルーリボンの本意」

2020年04月20日 | 重箱の隅
2010.07/30 (Fri)

 元工作員は帰国しました。あれから何日経ったでしょう。
 当然のことながら、今日は新聞のどこにも、あの名前は出ていません。

 テレビでも出てくるのは、今日は、辻元清美女史のことばかり。
 メディアも、この「怪しい関西弁」議員の方が面白いんでしょうか。なにしろ、彼女、やることの筋が読めませんからね。
 「権力の味を知ったから」「小選挙区の事情だ」「民主党にいきなりは入れないだろう」「無所属で仕事はできない」とか、コメンテーターもバラバラです。わけがわからん。

 「訳がわからん」、で、きむひょん姫は霧の彼方、です。辻元女史は目くらましの立て役者?それが、手土産その1になる?そんなバカなこと、私は思いませんよ。
 実際、辻元女史、そんなことを手土産に民主党入り、なんて、金輪際思ってないでしょう。言いそうです。
 「わたし、もっと値打ち、あるで!バカにせんとってよ!」

 値打ちがあるかどうかは知りません。ピースボートで名を売って、「総理総理総理総理!」の下品な連呼で名を売って、「疑惑の総合商社」発言で名を売って、「こりゃ、何を言い出すか分からんぞ」と注目されて。揚げ句の果てに「疑惑の総合商社」氏と一緒に仕事をしている。

 最近過激な発言で注目されたのは、「この、愚か者めが!」「ルーピー!」の丸川議員が記憶に新しいのですが、とてもとても。丸川議員じゃ太刀打ち出来ません。丸川議員は品格を捨て去ることなどできないでしょう。
 ピースボートで結局自衛隊に助けを求めたり、友人だから、と気軽にオモチャの宣伝をしたり、なんてことは丸川議員にはできない。
(してほしくもないけど)

 どんな神経をしているんだろう。そして、社民党に見込まれて行動した筈が、筋を通した社民党を裏切って飛び出す。
 離党届を受けるんですか?みずほさん。立ち直ってほしいから、と批判し、聞いて貰えないから、と離党した与謝野氏を、自民党は除名にしたのですよ。
 連立を抜けると言った時、辻元氏は離党すべきだった。それが何で今更?これこそ、除名処分が当たり前じゃないですか? 
 あ、こんなことでも脱線してしまいます。私も品がない。

 今日はブルーリボンのことです。
 拉致被害者の家族会が二十数年かけて、ずっと活動をし続けて来た。
 警察は地道に捜査活動を続けていて、でも、拉致、それも国家が関わっている、と考えられる拉致、となると、普通に警察が地道に活動しているだけではどうにもならない。
 御存知の通り、国家全体で警察がまとまっているのでなく、地方のことは、それぞれの地方で、と、自治体ごとの組織になっている。都警、道警、府警に県警、それぞれの本部に、中央から本部長が来るけれど、実際にその命を受けて、活動するのは地元の警察です。警察は、基本、その都道府県で勤務し、退職する。捜査は横つながりでやるにしても、単位は各自治体。
 つまり、拉致、それも国際問題としてのそれは、各自治体の警察が勝手にどうにかできるものじゃない。

 だから、家族会の苦しみは大変なものだった。五年、十年、だって大変だけれど、三十年です。やっと国が動き出してくれた、と思ったら、口だけだった。何度もそれが繰り返された。一言で言えば、自民党政府のあまりの弱腰だった。
 けれど、野党はと言えば、「そんなこと(拉致)、あるわけがない!」と言い切った党首も居た位で、頼りになる党など一つもない。せめて、家族会だけは、と活動するしかなかったんです。
 そんな中で、心の証しとして家族会が提唱したのが「ブルーリボン」、だった。「ブルーリボン」ですよ。「ブルーリボンバッジ」ではありませんよ。

 地村さんや、蓮池さん夫妻が帰国した頃から、国民みんなの協力を、とお金ではなく心の証しを示そう、費用のほとんどかからないリボンの切れ端を服につけることで、「思いを共有しよう」、という動きが広がりました。
 そして、家族会はあえて「協力する」という気持ちがほしい、金銭面の援助は遠慮する、という立場を貫こうとしました。
 ところが、何かしたい、という国民は増えていきます。当然です、日本人ですから。
 そして、昨年でしたか、「ブルーリボンバッジ」がつくられました。家族会がつくったのではありません。家族会はタッチしていないそうです。
 バッジの収益金は、家族会をはじめとする拉致事件(等)解決のために活動している団体に寄付する、ということなので、善意の行動に口出しするのは、と黙認されている、と聞きました。
 けれど、それはそれ、色々な協力の形があっていいと思います。家族会のみなさんの気持ちを踏みにじることにならなければ。
 
 気になるのは二点です。「つまらないこと」と思われるかもしれませんが、これこそが肝腎なことなのではないか。
 一点目。
 公の席、テレビ等の取材時にバッジを付けていたのに、終わったら、すぐ外す議員が居る、ということ。自民党員にもあるようだけれど、民主党員に顕著であること。
 「心の証し」だと思うんです。姿勢を「アピール」するためではない。「心の証し」は常日頃、です。「アピール」は「パフォーマンス」です。
 ブルーリボンは、「アピール」、ではなく、「明かす」のではなかったんでしょうか。
 二点目。
 バッジを横向けに、旗がなびくように付けている議員がいる。「いいじゃん、付けてれば」
 これ、金がかからないように、とただのリボンをつけた。横向きにつけたら、丸まってしまう。だから、縦につけた。
 バッジになっても「心の証し」だから、縦に付ける。気持ちを慮ったら、そうするものじゃないか。ここでも何だかただの「アピール」を感じてしまう。

 こまかいことですよね。でも、思い出してください。
 「ま、いいか、これくらい」、で、色々なことがどれだけいい加減になってきたか。
 心のない状態で、マネだけ、パフォーマンスだけ、を繰り返していくとどうなるか。
 「何かおかしい。でも、何がおかしいのか、分からない。ま、いいか。」
 「ま、いいか」、で、心がなくなっていく、形骸化していくのを、放って置く。
 そうすると、バッジは流行の物となり、消えて行きます。

 おかしいでしょう?失踪人名簿と、失踪人の写真を、見せることを拒むほど、時間がなかったんですか?
 韓国に頭を下げて、韓国人115名の死者の遺族の気持ちを後回しにして来て貰ったんなら、あと一日でも、いや、数時間でも、滞在を延ばして、写真を見せる時間は、本当につくれなかったんですか?
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彼も彼だが、我も我。

2020年04月20日 | 心の持ち様
2010.07/27 (Tue)

 「僕はね、可能ならば見せてあげたかったですよ。彼女、一生外国へ出られないかもしれないでしょ。」
 中井拉致問題担当相兼国家公安委員長の言です。

 「何が問題なんですか?」と記者に問い返す様子はあまり感じの良いものではなかったけれど、「(ヘリでの移動は)観光目的もあったのではないか」との問いに答えたこの言葉には、「あまりにも気の毒ではないか」との気持ちが見える。
 こんな風に言われると、何となくそんな風に言うこちらが、ひどい人間のような気がしてくる。
 なのに、何だか釈然としない。何故だろう。
 誤魔化されてますよね、確実に。これ、詐欺商法にはまった瞬間と同じです。

 「可能ならば見せてあげたい」
 もう見せた後で、こう言っています。
 「あまりに気の毒だから何かしてあげたい、というのは当たり前の感情だろう。何故なら、彼女はもう外国へは行けないだろうから。(一人の人間が自由に生きられないのだぞ!)」言外にそう言っています。
 「もう一生、どこへも行けないで朽ち果てるかもしれない。それではあまりに可哀想だ。せめて日本に来た時、ほんの少しだけでも、空中散歩を楽しませてあげようと思うのが、そんなに悪いことか?」

 でも、おかしいですよ。韓国から見ても、日本の拉致被害者の家族から見ても。
 まず、元工作員は何のために来たのか。いや、何のために呼んだのか。
 拉致被害者に関する新たな情報があるから?違うでしょう。彼女はあれ以来、ずっと韓国にいる。
 では、再調査のため?それは何もしてない。では、何のため?言うまでもない。「拉致被害者の家族を勇気付けるため」ですよね。それしか考えられない。
 「信じて待っていて下さいね。必ず生きていますよ。」
 この一言は、とても貴重です。拉致被害者の家族にとって千金に価する一言です。

 では、彼女はそれを家族会に伝えることを希求して、日本政府に訴え続けてきたのか。そして、念願がやっとかなったのか。
 いや、「彼女が来たかった」から、来たのではない。来たかったとしても彼女の力では無理です。呼ばれたのです。今年初めには来る予定で、民主党政権が韓国政府と調整していたことは明らかになっています。
 一個人の別荘に宿泊し、そこに決められた数名の被害者家族を招く。ヘリでの空中散歩もセット。
 けれど、他の被害者の写真を見せて、確認をしたい、という「特定失踪者調査会」の荒木和博氏の行動は、阻まれた。

 呼んだのは民主党政権であり、目的は家族会の数名に「必ず生きてますよ」と励ましの声をかけることであり、ついでに観光もさせてやる事であり、でも、新たに、失踪者から拉致被害者への認定は許さず、再調査も事情聴取も全くしない。
 恩赦を受けた、とはいえ、115人の韓国人を殺害した犯人であり、それが故の「元死刑囚」であり、韓国の遺族に謝罪もしていない人物であり、本来は入国の許されない者、が、何故、「励ましの言葉を伝えるという目的のため」だけに、来られたのか。
 前鳩山政権が、韓国と交渉したからでしょう?

 「あのような、特殊な国の状態の中で、生まれ育ち、テロを行う、という工作員になったことは、あまりにも気の毒だ。」
 テレビでそんなこと言ってるコメンテーターもいました。
 冗談じゃない。じゃ、115人は犬死にだ、と?115人の幸せな生活は「気の毒な一人の工作員」の命よりも軽いのか?
 国家に在って、その国のために、命を捨てる。「工作員」というのは、便衣(私服)の軍人、兵士、ではないのですか?
 彼女は軍人、兵士として、所期目的を遂行し、逃げ切るところを運悪く捕まってしまった。
 任務を遂行したのだから、115人の命をうばったのは、多大なる戦果として、讃えられるべきこと、の筈です。
 そして、捕まったのなら、既に、その時点で死者です。生ける屍、です。自殺する可能性大。だから、猿ぐつわをかませて、舌を噛み切らせないようにしたのです。
 そういう人物を、「超法規的措置」として、日本に連れて来て、「必ず生きてますよ」と言わせる。それ以外は何もない。
 つまり、これは、民主党政権の人気浮揚政策以外の何ものでもない。

 さて、では、何故、私は初め、「こっちの方が酷い人間のような気がした」のか。
 これを書いているうちに気がつきました。
 質問が、「パフォーマンスではないか」、に終始していたことと、その際の裏付けが「あまりにも多額の資金が遣われたのではないか」「この金は国民の税金ではないか」ということでしかなかったからです。
 「我々の大事な税金を『こんなこと』のために無駄遣いしてよいのか」
という立脚点からの質問でしかなかったため、大臣から
 「何でもかんでも金、金、といやらしいこと、言うんじゃないよ」
と切り返され、足を払われたから、です。

 彼も彼だが、我も我、だった。
 「人気取りのためのパフォーマンス」を追及するのに、
 「お金がもったいないじゃないか」。
 これでは、同レベルです。
 本当は違いますよね?家族会だって、そこまでして会わせてくれ、と頼んだ筈はない。国に頼るしかないから、合わせているだけでしょう?
 追及する記者は、「115名もの民間人を死に至らしめた人物を入国させることについて、政府は道義的にどう捉えているのか」ということだけを、問うべきではなかったでしょうか。

 哨戒艦の件については、直接の関係もないのに「先頭に立って抗議する」と言った民主党政権です。直接関係のある人物は超法規的措置で受け入れる。どう考えても、筋が通りません。「先頭に立って」発言は、入国させるために、韓国にゴマを摺った?それは、軽重のバランスが無茶苦茶です。

 元工作員は帰国しました。我々は、これについて批判を展開すべきです。
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