2010.07/06 (Tue)
初めて「TVタックル」をみた時は、衝撃を受けました。これまで見たことのある討論番組とは全く違っていた。
それまでの討論番組はちっとも面白くなかった。
何しろ、これまでの討論番組は、出てくる人の服装が酷い。「汚い」か、「野暮」か、のどちらかでした。
「討論に服装なんか関係ない!?」
いえいえ、大事なことですよ。人は見た目が大事です。いくら高価なスーツだって、袖に、大きなタグをつけたままじゃ笑われるだけです。ネクタイをしないけど、アスコットスカーフはしています、くらいでなきゃ、テレビに出るべきじゃない。
初めて「TVタックル」をみた時は、衝撃を受けました。これまで見たことのある討論番組とは全く違っていた。
それまでの討論番組はちっとも面白くなかった。
何しろ、これまでの討論番組は、出てくる人の服装が酷い。「汚い」か、「野暮」か、のどちらかでした。
「討論に服装なんか関係ない!?」
いえいえ、大事なことですよ。人は見た目が大事です。いくら高価なスーツだって、袖に、大きなタグをつけたままじゃ笑われるだけです。ネクタイをしないけど、アスコットスカーフはしています、くらいでなきゃ、テレビに出るべきじゃない。
「朝まで生テレビ!」ってのが、70年代安保からべ平連等で、毎週のように大激論を戦わしていた、というのは知っていたものの、討論にならない自己主張の繰り返しで、大概、嫌気が差していたんです。
テレビは、やっぱり現実であって現実でない、「魔法の箱」の一面を持っています。
その魔法の箱に、現実と同じ、汚いか、野暮な格好をしたのが出てきて、毎度、性懲りもなく(人の話を聞かず)延々と自己主張を繰り返す。
聞き終わると、反論という事になるのですが、その反論、相手の話を聞き終わってから、論理の破綻を、となると、時間がかかるし、間が空いてしまうから、と、(反論ではなく)人の話を聞かず、自分の言いたいことを口にするばかり。
ソクラテスの「無知の知」なんて、あの場では、誰も思いもしない。
結局、毎回、自己主張大会が「朝まで」続くわけです。
でも、「日本はこのままで良いのか」という気持ちは強かった、と言えますか。普通なら、誰も見なくなるような番組なんだけれど、変に人気がありました。
何故、人気があったのか。
間で誰かが、掟破りの割り込みをして、討論の場が「荒れる」からなんです。勿論、ただの野次馬根性じゃない。
論の展開が視聴者からしてみると、面白くない、勢いがない、何を言っているのか分からない、と感じられた時、出演者の誰かが割り込んで、議論を盛んにしたり、視聴者の苛立ちを代弁してくれたりする。その時、感情移入が為されるからです。
「そうだ!よく言った。その通り!」「よっしゃ!もっと攻撃しろ。泣かしてしまえ!」
殴り合いもあったかもしれません。怒鳴り合いはしょっちゅうだったみたいです。(何時何分頃、大島監督が怒り出す、と台本にあった、というのは都市伝説でしょうが。)
それが段々下火になってきたのは、冷戦の終結以降でしょうか。世界規模の論点だったのが、局地的になり、その分、規模も小さくなってきた。面白がって見る番組ではないし。
「TVタックル」は、関口宏とビートたけしの、司会二人で始まったんじゃないでしょうか。何だか、毎回、番組終了時に、ビートたけしが不機嫌そうな顔をしていたことを覚えています。
大体一時間の中で、話題は一つか二つ。司会は言葉を投げ掛けるだけで、進行役が別の場所に居る。新しい手法でした。これなら自由に話し合える。
何より、司会進行役を司会と進行に分けたことで、司会者は活発な討論の場をつくることだけに、力を注げば良くなった。その話題に詳しくなくとも、いや、そうでない方が、場を盛り上げるのに良い。
司会者は、発言の場、発言者を茶化し、笑いを取り、緊張感を和らげ、「そんなにカリカリしない方が、いい話し合いができる」、と発言者にも視聴者にも思わせた。
こうなると、関口宏は旧来の司会進行から抜けてないわけだから、ブレーキになってしまう。早々にビートたけし一人になったのは、その故だろう、と勝手に思っています。
野暮な出演者が長時間、時には激しい怒鳴り合いも交えながら、でも、野暮なままでやっていた、「朝まで生テレビ」。それ以前の退屈なだけのNHKの討論番組。
それが「TVタックル」で、ネタ振りをして、それぞれが短時間に言いたいことを言う。面白くなかったら、割り込みができるよう、司会者が誰かに即興で質問をする。そこで発言者が反論し、他の参加者が発言する。
番組の終わりで、一応、終結、まとめをする。けど、当たり障りのないまとめをしたって、まとまらない。
活発な話し合いを、番組の中心においてあるから、本来、話のまとめようがない。
で、連歌のように、終わったような、終わってないような、ちょっと気の利いた科白を持って来る。
司会のビートたけしは、基本的にそれを仕事として、盛り上げる仕事はアシスタントに。(昔は壇ふみ、今は阿川佐和子)
大竹まことが素人代表、三宅久之が頑固爺代表。
あとのゲストと並べてみると、ちゃんと各層から出演していることが分かります。
だから、専門家、或いはその方面の関係者が集まってやる討論番組とは違って、話のレベルが高過ぎてついて行けない、ということにはならない。
つまり、TVタックルってのは討論番組、というよりも、「男の井戸端会議」「参加型床屋政談」、というべきでしょうか。
ということは、あれは、娯楽番組なんですね。
討論番組を娯楽番組にしてしまった!
(「そこまで言って委員会」は、その長所を取り込み、より高いレベルにしています。話のレベルも娯楽性も。)
娯楽番組、ということを忘れず、でも、本気で見る。
日本人の意識って、やっぱり、相当にレベル、高いです。
テレビは、やっぱり現実であって現実でない、「魔法の箱」の一面を持っています。
その魔法の箱に、現実と同じ、汚いか、野暮な格好をしたのが出てきて、毎度、性懲りもなく(人の話を聞かず)延々と自己主張を繰り返す。
聞き終わると、反論という事になるのですが、その反論、相手の話を聞き終わってから、論理の破綻を、となると、時間がかかるし、間が空いてしまうから、と、(反論ではなく)人の話を聞かず、自分の言いたいことを口にするばかり。
ソクラテスの「無知の知」なんて、あの場では、誰も思いもしない。
結局、毎回、自己主張大会が「朝まで」続くわけです。
でも、「日本はこのままで良いのか」という気持ちは強かった、と言えますか。普通なら、誰も見なくなるような番組なんだけれど、変に人気がありました。
何故、人気があったのか。
間で誰かが、掟破りの割り込みをして、討論の場が「荒れる」からなんです。勿論、ただの野次馬根性じゃない。
論の展開が視聴者からしてみると、面白くない、勢いがない、何を言っているのか分からない、と感じられた時、出演者の誰かが割り込んで、議論を盛んにしたり、視聴者の苛立ちを代弁してくれたりする。その時、感情移入が為されるからです。
「そうだ!よく言った。その通り!」「よっしゃ!もっと攻撃しろ。泣かしてしまえ!」
殴り合いもあったかもしれません。怒鳴り合いはしょっちゅうだったみたいです。(何時何分頃、大島監督が怒り出す、と台本にあった、というのは都市伝説でしょうが。)
それが段々下火になってきたのは、冷戦の終結以降でしょうか。世界規模の論点だったのが、局地的になり、その分、規模も小さくなってきた。面白がって見る番組ではないし。
「TVタックル」は、関口宏とビートたけしの、司会二人で始まったんじゃないでしょうか。何だか、毎回、番組終了時に、ビートたけしが不機嫌そうな顔をしていたことを覚えています。
大体一時間の中で、話題は一つか二つ。司会は言葉を投げ掛けるだけで、進行役が別の場所に居る。新しい手法でした。これなら自由に話し合える。
何より、司会進行役を司会と進行に分けたことで、司会者は活発な討論の場をつくることだけに、力を注げば良くなった。その話題に詳しくなくとも、いや、そうでない方が、場を盛り上げるのに良い。
司会者は、発言の場、発言者を茶化し、笑いを取り、緊張感を和らげ、「そんなにカリカリしない方が、いい話し合いができる」、と発言者にも視聴者にも思わせた。
こうなると、関口宏は旧来の司会進行から抜けてないわけだから、ブレーキになってしまう。早々にビートたけし一人になったのは、その故だろう、と勝手に思っています。
野暮な出演者が長時間、時には激しい怒鳴り合いも交えながら、でも、野暮なままでやっていた、「朝まで生テレビ」。それ以前の退屈なだけのNHKの討論番組。
それが「TVタックル」で、ネタ振りをして、それぞれが短時間に言いたいことを言う。面白くなかったら、割り込みができるよう、司会者が誰かに即興で質問をする。そこで発言者が反論し、他の参加者が発言する。
番組の終わりで、一応、終結、まとめをする。けど、当たり障りのないまとめをしたって、まとまらない。
活発な話し合いを、番組の中心においてあるから、本来、話のまとめようがない。
で、連歌のように、終わったような、終わってないような、ちょっと気の利いた科白を持って来る。
司会のビートたけしは、基本的にそれを仕事として、盛り上げる仕事はアシスタントに。(昔は壇ふみ、今は阿川佐和子)
大竹まことが素人代表、三宅久之が頑固爺代表。
あとのゲストと並べてみると、ちゃんと各層から出演していることが分かります。
だから、専門家、或いはその方面の関係者が集まってやる討論番組とは違って、話のレベルが高過ぎてついて行けない、ということにはならない。
つまり、TVタックルってのは討論番組、というよりも、「男の井戸端会議」「参加型床屋政談」、というべきでしょうか。
ということは、あれは、娯楽番組なんですね。
討論番組を娯楽番組にしてしまった!
(「そこまで言って委員会」は、その長所を取り込み、より高いレベルにしています。話のレベルも娯楽性も。)
娯楽番組、ということを忘れず、でも、本気で見る。
日本人の意識って、やっぱり、相当にレベル、高いです。