CubとSRと

ただの日記

数稽古の合理性

2020年04月10日 | 重箱の隅
2013.04/05 (Fri)

 「歩くことに神経を使う」割合が高い現実と、「数稽古」に何か係わりがあるんじゃないか。前回はそこでやめたんですが、これ、続きです。

 数稽古というのは言葉通り「数をこなす稽古」です。
 勿論「色んな技を合計した数」、ではなく、特定の技、一つだけを選んで多くの回数をこなす。
 とにかく「虚仮の一念」で、同じ技を連続して数百、数千回と繰り返す。
 当然、へとへとになります。

 木刀持って、その場での素振りを千回、二千回と続けてみる。慣れた人ならともかく、そうでない人には、一振り一振り集中して、色々なところ(問題点)に注意を向けながら振るというのは大変です。
 普通の木刀でも、これを気を付けてやると、数百回で体のどこかが痛くなり始める。
 それでも敢えて続けていると、その痛さ、苦痛を和らげる為に他のところにしわ寄せが行き、別の場所が痛くなってくる。
 そうなると加速度的に痛いところが増えて来て、終いにはどこが痛いのか分からないくらい、全身が痛くなってくる。
 以前に書いた、針治療をしてもらいに行ったら全身に針を打たれ、どこが痛いか聞かれても「みんな痛い!」と言うしかなかったという、笑い話みたいな状況になる。

 「だから数稽古は百害あって一利なし、だ」

 そこまでは言わずとも、決まり切った動作を、自らにノルマを課して繰り返す、などというのは、苦痛の大きさの割に大した効果は期待できない、と断言する武術家もあります。
 ただ、工夫することを楽しみながら、ということなら、それも意味はある、と付言されますが。

 でも、こんな例もあります。
 岩手県に「諸賞流和術(しょしょうりゅうやわら)」、というのがあるんですが、ここでは「和術(やはら)」と言いながら、当て身の技が必要不可欠となっており、昇級審査の時には同じ技を数千回、実際に当てさせるのだそうです。
 勿論、防具をつけて、ですよ。

 十センチだか、二十センチだかの「え~っ!?」と思うような分厚い胴と、キャッチャーマスクみたいなのをつけた受け手に、取手が肘打ち、蹴り、面打ち(目潰し)を行う。
 それでも、時には受ける方に当て身が透ってしまい、吐いたりすることもあるそうですから、相当なものでしょう?
  でも、吐く方も大変だけど、薄い皮手袋のようなものをするだけで数千回もの当て身を入れる方だって、肘や足は生身ですからね。
 思いっきり叩き込むわけだからこちらの方が実はダメージ大きいんじゃないでしょうか。

 でも、決められた回数、やらねばならない。
 それで、ここ、なんですが。
 これまた辛い話で、 
 「数稽古の後は風呂に入るな」
 、と。

 何故かと言うと「技まで流れてしまうから」。
 感覚的な表現ながら、これは見事な口訣(くけつ)です。

 数稽古で、確かに手応えを掴んだ無駄のない身体の遣い方と、研ぎ澄まされた神経(感覚)。
 それを、風呂に入って乱暴に弛緩させたら、折角の感覚が、ただの「達成感」「充足感」といった記憶になるだけではないか。また身体の方も、風呂に入ることで半ば強制的に身体の痛みを全身に「平等に」引き受けさせることになる。それでは「身体の痛み」がヒントとなって残された、折角身に付きかけた無駄のない捌きが、消えてしまうのではないか。

 勿論、全くの「元の木阿弥になる」、なんてことはないんでしょうけどね。
 でも、数稽古の後、昂揚した気分のまま、身体を拭くだけで寝る。

 普通なら気分が高揚していたら眠れないでしょう?
 身体が徹底的に痛めつけられているからこそ、そんな気分でいても寝られる。
 そうやって、達成感と充足感と身体の痛みを抱えて寝るか。
 それとも風呂に入ってゆったりした、身も心も解れた状態で寝るか。

 現代医学の視点からすれば、そんなの言うまでもないことでしょう。後者が良いに決まっている。
 でも、この数稽古の目指すところは「身捌きに慣れる(馴染む)こと」、だけではない。
 同時に、その身捌きを有事の際に用いるのに耐えられる精神力をつくることにもある、いや、こちらが主となる目的でしょう。

 いざという時に冷静に技が使えるとは限らない。それよりも、いざという時に冷静になれなくても、技はちゃんと使えるようにしなければならない。
 最低ラインは
 「無我夢中で技を使ったが、我に返った時には敵が倒れていた」
 という辺りです。
 
 最低ラインはともかく、数稽古は身心を共に追い込むことで、(特に精神の)急激な量質転化を実現させる。
 だから、終了時の夜(睡眠中も含めて)は、実はまだ稽古が続いているという、実に貴重な一晩なんだと考えたら・・・・・・?
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歩くことに神経を使う割合

2020年04月10日 | 日々の暮らし
2013.04/04 (Thu)

 田舎に戻って来て、食っちゃ寝、の生活が始まって既に五年間。
 食事の用意や洗濯、たまぁ~に掃除や庭の草刈りくらいで、まともに身体を動かすことがありません。

 それでも単車に乗っている時は二百キロ前後の車体を、それなりに力を使って動かしていたからでしょうか、それなりだったんだけど、一昨年の秋から車が中心となったため、全くと言って良いほど身体を使わなくなり、ブクブク太ってしまいました。

 というわけで、一念発起!
 先日から早朝ウォーキングを始めました。

 やってみて驚いた。
 木刀を振り回しているだけ、だった時はそんなに感じなかったのに、歩いてみると明らかに下半身が細くなっているのが分かる。
 実感できるんです。筋力の衰えと正比例するように下半身が細くなっているのが。ついでながら、胴は全く細くなっていないんですよ。

 昔は尻の周りが一メートルある、って洋服屋さんに言われたんですけどね。
 昨年、十数年ぶりにシャツをつくってもらったら、胸囲より尻の周りの方が細い、って。
 「あんまりいないんですよ」、と言われたけれども、だからカッコいい!というわけではありません、念のため。

 大体がカッコ良けりゃ既成のシャツでカッコいいんです。
 腕が短くて撫で肩で、そのくせ肩幅は広めで胴が太くて鳩胸で、となると既成のシャツではもう知らん人が見たら噴き出すしかないんです。体つきにメリハリがないんですね。ドラム缶型というか・・・・。

 あれ?えらく脱線しました。

 足をはじめとする下半身が細くなった、と感じたのは関節が弱くなり、バネが聞かなくなったと感じたことと共に、です。
 直接振動が体に伝わるような感じがする。これまで、筋肉のおかげで「サスペンションが利いてる」、みたいな気がしてたんですが、今はそうではない。

 そのせいで「歩くことに神経を使う」割合が多くなり、周辺の様子を観察することが疎かになる。

 ?歩くことに神経を使う割合?何だ、それ?
 何か引っ掛かってるぞ??

 「運動不足を解消する」ために歩き始めたのであって、「衰えた脚力を復旧させる」ために歩き始めたわけではない。
 ところが現実は「運動不足を解消する」ために、まず脚力の衰えからの復旧をさせなければならず、それをすると、きっと運動不足解消にもなっている。
 何だ?これは。

 運動不足解消は戦略。歩くのは戦術。では脚力の復旧は、何だ?
 これ、具体的な「戦法」、とでも言ってしまえば、おさまりは良いのだろうけれど、それじゃ、何も先が見えない。
 「ああ、そう。それで?」と言われたら終わりだ。役立たずだ、バカの考えだ。

 しかし、ここに何かありそうな気がする。

 「歩くことに神経を使う」
 これは「数稽古」と、関わりがあるのかもしれない。


 そうして、ほぼ一ヶ月が経った。
 何となく見えてきたことがある。
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そうだよね~。

2020年04月10日 | 心の持ち様
メルマガ「週刊正論」      令和2年4月10日号

 【日本の底力を見せましょう】

 「今は国家の危機。国家の危機にこれほど一国のリーダーの決断を貶す国はない」−月刊「正論」でお馴染みの織田邦男元空将が10日の自身のフェイスブックに書き込んだ一文です。織田氏は「正論」5月号の大特集「武漢ウイルスに打ち克つ」で、「危機管理の成功は日本の抑止力上げる」と題して、危機管理の在り方についての論文を書いています。一部を紹介します。

 「危機管理には指導者のリーダーシップと共に国民のフォロアーシップが求められる。危機管理は政府だけでやるものではない。国民一人一人の理解と協力がなければ危機管理は成功しない。危機管理にはリーダーとフォロアーが一体となった『ワンチーム』が求められるのだ」

 「今はリーダーの決断を批判する時ではない。危機管理の最中における非難や批判は有害無益であり、結果的に自分達の首を絞めるだけである。国民には、リーダーの決断に対し、積極的、自主的に協力するフォロアーシップが求められる。リーダーの評価は事後、選挙で行えばいい。これが民主主義国家の危機管理である」

 10日付日本経済新聞にサッカー元日本代表の三浦知良さんが「日本の力を見せるとき」との題で、「すべての行動が制限されるわけでない緊急事態宣言は『緩い』という声がある。でもあれは、日本人の力を信じているからだと僕は信じたい。きつく強制しなくても、一人ひとりがモラルで動いてくれると信頼されたのだと受け止めたい」とのコラムを書いています。

 ジャーナリストの櫻井よしこさんも月刊「正論」5月号で、「ウイルスに打ち克つには、何よりも政府と国民が力を合わせることが大事だ。力を合わせてウイルスに打ち克つ。その分岐点に私たちはいる。もう少しの辛抱だと、互いに言い合い、静かに楽しみながら時を過ごす知恵を養いたい」と強調しています。

 東日本大震災後、被災地の楽天イーグルスの選手会長としてチームを引っ張った嶋基宏さんはスピーチで「野球の底力」、「東北の底力」を訴えました。

 いま私たちは日本の底力を見せましょう。

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へぇ~~~!?

2020年04月10日 | 重箱の隅
2013.04/03 (Wed)

 この理屈が能く分からない。
 やっぱり日本が悪いのだろうか・・・・???
 だけど、どこをどうすれば日本が悪いとなるのだろう。

 ・・・・・・・分からん。
 二日遅れの、出来の悪いエイプリルフールみたいだ。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 日中貿易額が減少した…「日本は責任を取れ」=中国商務部
               
 2013年4月3日(水)8時34分配信 サーチナ

 中国の陳健商務部副部長は2日、
 「2012年度において、わが国とロシア、北朝鮮、韓国、モンゴルなどとの貿易額はいずれも増加したが、日本との貿易額だけは減少した。日本は両国の貿易が損なわれたことに責任を負うべきだ」
 と述べた。中国国際放送局が報じた。

 陳副部長は、中国・北東アジア博覧会での記者会見で、「中国は中日間の経済関係と貿易の発展・維持を図ってきた。
 しかし、12年下半期、日本政府が『釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)の国有化』を実施した。
 わが国の領土主権侵害が政府と国民の強い不満と断固たる反対を招き、中日間の経済関係と貿易を損なった。
 これに対して日本はすべての責任を負わなければならない」と主張した。

                      (編集担当:村山健二)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「・・・・分からん」、なんて書きましたが、勿論冗談ですよ。
 理解に苦しんでるだけですよ。
 ・・・・・あ、それを「分からん」と言うんですよね。失敬。

 でも、民間の土地だったのを国が買い取ったからって、そんなにとやかく言う事じゃないんですよね~。
 そりゃあ自分とこは全部国有地かもしれませんけどね、それだって考えて見りゃ妙な話じゃないですか。
 共産党は、国民から国土を買い取ったんですか?
 そんなことしてないでしょう?そんな金持ってなかったんですもんね。

 言ってみれば、一方的に、勝手に「国有地だからな!」って宣言しただけでしょう?
 で、尖閣諸島に関して、
 「昔々、ここを『尖閣』と名付けたのは我らが先祖。だからここは我々の土地」
 、なんて訳の分からんこと言って、それで
 「我が国民が強い不満と反対の気持ちを持ったから貿易額が減った」
 だから
 「日本は全ての責任を負わなければならない」
 って。
 ジャイアンだってもっと気の利いたこと言うだろうに。

 ・・・いや、ジャイアンの方が根っ子は気がいいだけ、マシ、かな。
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オレは違うよ。一緒にするな!・・・?

2020年04月10日 | 心の持ち様
2012.06/20 (Wed)

 「夕刻の備忘録」からです。
 今回は『「マスコミ全否定」から始めよう!』と題するエントリー。

 例によって一部転載します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 歴代首相より大きな仕事…英誌、野田首相を絶賛
【ロンドン=林路郎】

 15日発行の英誌エコノミストは野田首相に関する記事を掲載し、消費税率の引き上げを柱とする税と社会保障の一体改革が前進しつつある現状を「過去数代の自民党出身の首相の業績を足し合わせたよりも大きな仕事を成し遂げようとしている」と高く評価した。
 記事は、ここ数年の首相が「かつての指導層にあった政治家の子孫ばかりが首相になることが多かった中で野田氏は予期せずその地位についた」と紹介。高齢化と経済縮小に苦しむ日本の再建が自分の仕事だと首相は自覚していると指摘した。
 消費税率の引き上げ法案が成立した後に首相が解散総選挙に打って出れば野田氏率いる民主党は敗北が濃厚だが、「氏はそんなことはどうでも良いと腹をくくっているから力を発揮できる」とその覚悟を称賛した。
               (2012年6月16日12時20分 読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120616-OYT1T00333.htm

 「ほとんどの人は良い人だが、一部におかしな人が居るだけだ。」
 これは日本人にしか通用しない前提である。まさにこの逆を、繰り返し繰り返し見せ付けられているではないか。上記した記事のどの部分に真実があるのか。全てが嘘、デタラメで尽くされている。ここまで酷い記事は、そうそうあるものではない。どの一行も、どの一文字も嘘である。 (夕刻の備忘録)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一旦置きましょう。
 「ほとんどの人は良い人だが、一部におかしな人が居るだけだ。」
 そうだろう?その通りなんじゃないか?現実、そうだもの。そう思うでしょう?普通。
 けど備忘録氏は「全てのマスコミの記事は政治的プロパガンダ(意図的宣伝行為)だ」と言う。

 確かに一握りの考え方の違う記者が自身の考えを記事に反映させたら・・・。
 その新聞は場所によって論調が異なり、読者が疑念を持つようになる。
 番組のディレクターがニュース原稿に突然、自身の考えを入れたら・・・。
 テレビのニュースショーは抗議の電話が殺到する。

 結果、読者は「知りたいのは事実だ。お前の考えじゃない」、と言っているということになる。それ故、新聞は論説以外は事実「だけ」を伝えるように努力する。考え方は社説だけに絞ろうとする。テレビは映像を用いて、事実、ノンフィクションであることを強調する。
 だから、読者・視聴者は安心して受け入れる。いや、「事実を認めた」気になっている。でも、よく考えてみると変ですよね。

 備忘録氏の実例として挙げられた記事には、確かに事実が書かれている。
 でも、「但し」書きの必要なことが書かれていない。
+++++++++++++++++++++++++++
 ・過去数代の自民党出身の首相の業績を足し合わせたよりも大きな仕事を成し遂げようとしている
 ・ここ数年の首相(は、)かつての指導層にあった政治家の子孫ばかりが首相になることが多かった。
+++++++++++++++++++++++++++
 「消費税に関しては」、過去数代、準備にかかるので精一杯で、お膳立てをしたところまでが自民党でした。そこに、現総理は「マニフェストに挙げてなかった」ことを、自民党の代わりにやろうとしている。
 「いいとこ取り、約束破りだけれど」という但し書きを付けたら、印象は反転する。
 ここ数年、かつての指導層にあった政治家の子孫ばかりが首相になっていた。その通り。みんな自民党だ。けど、現政権与党の初代首相は民主党を作り、二代目は市民運動家上がりだ。何も野田首相が初めての自民党以外、というわけではない。
 都合の良い事実だけを並べることで、記者の考えをあたかも真理のごとく伝えようとするのがほとんどの新聞だ。撮った映像を都合の良い場面だけつなげて、モンタージュ効果を発揮させるテレビだって同じだ。 

 流し読みすれば、「自民党の首相は酷かった」。「二世三世の議員ばかりがが首相になっていた」、と、取ってしまいます。
 けど、そうですか?但し書きを挿れて文を作り直したら?

 現政権の初代総理が外交問題・安全保障問題をぶち壊し、二代目が未曾有の大災害に更に輪をかけてもっと酷くしてしまったことを、この文章から思い出す人が果たしてどれだけいるでしょう。
 そして現総理は「マニフェストに挙げてないことは、しちゃあいけないんです!」と言っていた。
 今、その「いけないこと」に、「命を懸けて取り組んでいる。」
 
 さて、備忘録氏の本題です。これが一番大事なところです。
 備忘録氏はここまで私の書いてきた感想を「そこまで日本人はバカではないぞ!」
 と否定します。
 そして、「しかし~」と続けます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて問題は、この記事にではない、我々の方にある。
 出典不明のままこの記事を読んで、納得する日本人はおそらく一人も居ないだろう。野田側近を自称する議員ですら失笑するに違いない。「過分な評価を頂き、より精進していきたい」程度のコメントは出すだろうが、とても真顔で言える話ではない。
 しかしである。これが英国の「エコノミスト」の記事であると聞かされるや否や、その評価は一変する。「0%」だったこの記事の支持者が、「10%」あるいはそれ以上に跳ね上がるのである。いや実際には、もっともっと数値はあがるかもしれない。

 また、「自分自身としては納得しないが、イギリスではこのように捉えられているのだろう」とか、「日本の評価とは別に海外では評価されているのか」とか、空前のデタラメ記事にも、日本側からの「有難い支持」が湧き上がってくるのである。

 どれだけ「自分の頭で考える人」が少ないか、という話である。こうした記事に引っ掛かる人が、一割程度だとしても、これは九割の人がまともに考えている証拠にはならないのである。何故なら、こうした一割の人を生み出す素地を、残りの人達が作り上げているからである。
              (略)
 こうした確信犯的デタラメ記事を書いた「エコノミスト」も重罪なら、これを一切の批判も無しに、そのまま紹介する読売も重罪である。

 もっとも恐ろしい洗脳は、カルトの内部にあるものではない。こうした日常的な記事の中にこそ、最悪の洗脳工作が隠されている。
           (以下略)
 
  http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-763.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「日本人はそんなにバカではない!」
 けれど、「外国で言っている」と言われたら、途端に謙虚になる。
 謙虚と言わず「卑屈」になる。或いは手放しで喜ぶ。

 「だから島国根性は~」と、メディアは自国民を散々に弄って来ました。
 備忘録氏はそれを「島国根性を取り違えるな!」と主張して来た。
 でも、氏はここで、「但し」と付け加える。

 「一割の騙される人を支えているのは、残りの九割の日本人なんだ」、と。
 分る頭があるくせに、直接火の粉を浴びなければ、必死になろうとしない。
 「オレは大丈夫だよ。騙されたりなんかしない」
 という甘さがある限り、残りの九割が交代で、「騙される一割」となる。
 そして、日本人は騙され続ける。

 「オレも危ない。明日はわが身だ。」
 そう思って、情報に対する。新聞なら、決して流し読みをしない。
 麻生前総理のように見出しだけ見る。そうすれば罠にはまらない。
 でなければ、二度読みをする。「?」というところが見える。
 テレビなら、聞き流さない。必ず、表情を見る。
 見下しているか、訴えかけているか、表情と目の色で分る。

 直感に頼るか、冷静に分析能力を鍛えるか。
 本気にならなければ、「オレは大丈夫だよ。騙されたりなんかしない」と言った瞬間から、「騙される一割」への道が口を開ける・・・・・・。

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