CubとSRと

ただの日記

昼、偶然このニュースが目についたんですが。

2020年04月12日 | 重箱の隅
2013.04/27 (Sat)

 見ると、配信は記事を見つける数分前だったし、テレビや新聞でもそれらしい報道には全く気が付きませんでした。だからきっとこれが初めてなんだと思うんですけどね。私が知らなかっただけですか?

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 尖閣に中国軍機が40機超飛来 「前代未聞の威嚇」 空自パイロットの疲弊狙う
                       2013.4.27 12:07

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の日本領海に中国の海洋監視船「海監」8隻が侵入した23日、中国軍の戦闘機など軍用機が40機以上、尖閣周辺に飛来していたことが分かった。複数の政府高官が26日、明らかにした。軍用機は戦闘機が大半で、新型のSu27とSu30を投入。航空自衛隊の戦闘機パイロットの疲弊を狙って絶え間なく押し寄せた。政府高官は「前代未聞の威嚇だ」と指摘している。

 政府は、中国軍機の威嚇飛行について、海監の領海侵入と連動していたと分析している。海上保安庁の警備態勢や海上自衛隊の護衛艦、P3C哨戒機の配置を軍用機が上空から情報収集し、海監に伝える狙いもあったとみられる。

         (略)

 領海侵入を始めた頃、戦闘機など軍用機も尖閣周辺に飛来し始めた。入れ代わり立ち代わり尖閣周辺上空に接近し、その都度、航空自衛隊那覇基地のF15戦闘機などが緊急発進(スクランブル)で対処。飛来してきた中国軍機は延べ40機以上に上った。

 新型の戦闘機を投入してきたのも特徴。これまで尖閣周辺での威嚇飛行はJ10が大半だったが、今回はSu27とSu30を多数投入してきた。3機種とも各国の主流である「第4世代戦闘機」だが、Su27とSu30は戦闘能力などでJ10を大きく上回る。

 空自のF15、F2の4世代機は計約300機なのに対し、中国軍は560機以上を保有。別の高官は「今回のような威嚇飛行が続けば、空自側が対処しきれなくなる恐れもある」との懸念を示した。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 海監8隻、ということ自体、大変なことです。
 あの時、間違いなく水島氏らの乗った船は拿捕される寸前だった。
 海保の巡視艇が割って入らなければ、拿捕されていたでしょう。

 その際、巡視艇は、「領海外に逃げるように」、と指示するのが精一杯だったし、水島氏らの漁船もそれに従うしか危機を脱する術はなかった。
 獲物を逃がしてしまった海監は、
 「領海から日本右翼の乗った船を駆逐した」
 と連絡を取り、それは尖閣諸島を自国の領地と宣伝する貴重な題材となった。 
 「台湾は日本の生命線!」ブログでは、あの国の学者でさえ
 「これは釣魚島での攻守逆転の里程標となる。しかし今回の挙は日本政府により、日本国民の前で“中国の日本領土への侵略”とのレッテルを貼られてしまった」
 と語っている、とあり、ブログの主催者である永山氏は
 「何も政府がレッテルを張ろうと張るまいと、中国が侵略国であるとの印象は、これでしっかりと国民の脳裏に刻まれたはずだ。」
 とも書かれている。
 
 けれど、当然のことながら、これらのことはマスメディアが採り上げる際は御存知のようなことばかりになる。

 曰く「靖國神社の集団参拝が影響している」
 曰く「副総理が行ったのは間違いだ」
 それらに対する抗議として、海監船を八隻も出したのだ、と。
 また、
 「どんな脅しにも屈しない」
 という総理の言葉を、ここだけ捉えて、韓国が日本に言った、
 「代償を支払わねばならない」
 、との脅迫めいた内容の文言は一切伝えず、
 「ああいった言葉は使うべきではない」
 と外交のセオリーも知らない愚か者のように言う。


 ん?もしかして・・・。
 これ、レーダー照射事件と同じ手を使って、の日本政府の反撃か?
 「ここまで、されていたんですよ。しかし、ちゃんと確認を取ってからでなければ。間違っていた、では済みません。国際間の信用問題ですから」
 とか何とか・・・・。

 そうだとすれば、これまでの外交交渉の延長線上にあるやり方ではありますね。
 詰将棋みたいに、大胆で、尚且つ細心にやっている、とも見える。


 う~~ん。どっちかな?
 明日の新聞見れば、分かるかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国柄って何だ?

2020年04月12日 | 心の持ち様
2013.04/26 (Fri)

 もうすぐ還暦を迎えようとするこの歳になるまで、「国柄」、なんて考えたこともなかった。
 けど、こうやって日記を書いているうちに、能く目にする言葉、「国柄」というのが、何だか妙に気になりはじめた。
 「国柄」っていうのは、自由主義とか社会主義とかいう、「組織、体制」などのことではないらしい。

 「人柄」という言葉があって、「国柄」という言葉がある。
 「あれ?姉ちゃん!何、柄にもなくめかし込んで。あ~っ、デートぉ?」
 「うるさいわね!ぶつわよ」
 なんて、昔の娯楽小説なんかにありそうだけれど、これも同じ「柄」。
 「柄にもない」「柄でもない」、というのは、その人の日常からは考えられない行動のことだろうから、「柄」というのは「普段の様子」ということだろう。
 で、「人柄」というと、「その人の普段」、つまり、その人の「性格・特徴・性質」辺りを指す言葉らしいと分かる。
 「柄が大きい」、は「大きな身体をしている」、「柄が悪い」、は「性格・性質が悪い」ということになる。

 となると「国柄」ってのはどう捉えたら良いのか。
 国の大きさ?国の性格?国の性質?
 そうそう、「お国柄」という言葉がありました。
 ということは性格・性質というより、「特徴」と言うべきですね。
 その国の特徴。それが「国柄」。

 昔聞いた話なんですが、何でもイギリスでは国王の戴冠式の時、新国王が王冠を戴いて玉座に座ると、そこに鎧兜に身を固めた白馬の騎士が入場してくるんだそうです。そしてそこで、馬に跨ったまま剣を抜き、大音声で、列席者に告げる。
 「国王の即位に異を唱える者は、この場で、私と戦え!必ずや打ち果すであろう!」
 ってね。
 勿論、これは戴冠式の、「式次第」の一演目(?)なわけです。だから当然、剣を抜いて掛かっていく者などはいません。
 けれど、今でも(ホントか?)そういう決まりになっているのだ、とか。
 何となく分かりますね、「国柄」が。
 正当な手続きを踏んで国王になっているのだけれど、最終的に正義を貫くためには力づく(抑え付ける)も辞さないぞ、と。
 それがイギリスの「お国柄」。

 日本の国柄、「日本の特徴的な性質」って、何でしょうか。
 それは言うまでもないことだけれど、さてどれだけの人が答えられるでしょうか。興味ありますね。
 日本だけ、他の国とは全く違うんですよ、「国柄」が。今上陛下は英国留学の時のことを参考になさっておられるのでしょうけど、先帝陛下を初めとして、以前の天皇は全て、「国民と向き合う」ことをされなかった。

 他国は為政者・国王は常に国民と向かい合うもので、それどころか、その多くは対立するものでした。清教徒革命や名誉革命はその線上の出来事です。
 だから、道理を立てて、支配をする。道理が立っているからこそ国民は服するもの、だった。
 それでも時には「力づく」を必要とされることがあったため、「武力」があって当たり前だった。また、武力がなければ却って国民は安心できなかった。
 それ(武力)は国民を力で捻じ伏せるもの、ではあるけれど、国難に際しては国民の楯となるものでもあったからです。

 ところが日本は違う。島国の故に外敵の心配はなかった。だから武力は基本的に必要がない。(9条教信者は鎌倉時代、元が攻めてきたことを知らないのかな?一度あることは二度あるかも、なのに)
 また、圧政をするために必要だから、という事もなかった。

 日本は肇国の大業を成した神武天皇以来、為政者である天皇は国民と向き合うのではなく、常に国民に背を向け、(と言うより国民の先頭に立って)祭祀だけを行われてきた。祭祀を受けて、為政者が政事を執り行った。

 「国民と共にある」という表現は、「一緒になって輪をつくって」というようなものではないのです。
 「天皇を先頭に、一団となって未来を切り拓く集団」。

 それが「日本」という国の、「国柄」だ、と言えるでしょう。


 ないでしょう?こんな国。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「感謝したらダメ」、らしい

2020年04月12日 | 心の持ち様
2013.04/23 (Tue)

  「靖国問題―なぜ火種をまくのか」

 近隣諸国との関係改善が必要なときに、安倍政権はいったい何をしているのか。

 麻生副総理・財務相ら3閣僚が、春季例大祭に合わせて靖国神社を参拝した。安倍首相は参拝を控えたが、神前に捧げる供え物「真榊(まさかき)」を奉納した。
 これに反発して、韓国は今週末に予定していた尹炳世(ユンビョンセ)外相の訪日を取りやめた。中国外務省も日本に「厳正な申し立て」をしたと発表した。
 菅官房長官は会見で「影響を外交に及ぼすべきではない」と語った。だが、靖国参拝は歴史認識に関わる問題であり、両国の反発は当然、予想されたはずである。

 日本外交にとって、いま最も優先すべき課題のひとつは、核・ミサイル問題で挑発を強める北朝鮮に日中韓が結束して当たることだろう。韓国外相の来日もその調整の一環だった。
 たしかに、日本と中韓両国とは尖閣や竹島問題をめぐって緊張が続いている。中国の監視船が尖閣周辺の日本領海を侵犯するなどの行為に対して、抗議するのは当然だ。

 同時に、首相自身が「大局的な観点から関係を進める」と語ったように、粘り強く関係修復をはかる。そうした微妙な時期である。
 それを、靖国問題でことを荒立てるのでは、方向が逆ではないか。
 これによって関係改善が遠のくようなことになれば、国益を損なうだけだ。

 首相はもともと靖国参拝が持論だ。だが、第1次安倍内閣のときは参拝を見送り、悪化していた両国との関係を打開した経緯がある。
 今回、首相は閣僚の参拝について「自由意思に基づいて行うことだ」と、それぞれの判断に任せたという。自身が参拝しなければ乗り切れると思っていたとすれば、甘すぎると言わざるを得ない。

 首相は再登板後も、歴史問題をあまり前面に出さず、経済再生を優先してきた。
 しかし、このところ気になる言動が目立ち始めている。
 2月の国会答弁では「(前回の)首相在任中に靖国参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と語った。
 きのうの国会では、過去の植民地支配と侵略へのおわびと反省を表明した村山談話について「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べた。
 高い支持率で、緊張感が薄れているのではないか。閣僚の言動も含め、自制を求めたい。

2013年 4月 23 日(火)付  朝日新聞社説

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 読んでいるうちに腹が立ってきた。
 何で腹が立ったんだろうと考えた。
 ・・・・なんてことを書くと、
 「そんなもの、普段のお前の書いてること見りゃ、朝日新聞読んで腹立てるのは端から分かってることだろ。なら初めから読まなきゃいいじゃないか」
 、と冷やかされるだろうことは、百も承知ですよ。
 
 でも、敢えて読んだし、考えようとした。
 以前に「青眼 白眼」と題して、時の総理大臣のことを「目の穢れだと思うなら、嫌なものは見なきゃいい」、みたいな書き方、したんですが、文章は見た瞬間に「あっ!目の穢れ!」なんて決めつけは、良くありません。
 逆に、どこがどう気に食わなかったのか、それは何故なのか等、きちんと見る方が大事なんじゃないでしょうか。
 何と言っても、「社会の木鐸」、なわけですからね。ここから、「在るべき(理想の)社会の形」を読み取ろうとするのは人間として当然のこと。

 というわけで、腹を立てた理由を考えた。
 考え方は例によってただ一つ。
 一点を見詰めて、そこに見えた理屈で以て、全体を見ようという「物を知らないただのおっさん」流。しょうがないでしょう、借りてきた武器じゃ思う通りには戦えない。
 
 ということで、長い世間話でしたがこの社説のことを一つ。
 いきなり「安倍政権はいったい何をしているのか」、という叱言で始まります。
 「いったい何をしているのか」。
 その中身は?
 ・3閣僚が春季大例祭に参拝した。
 ・安倍首相は真榊を奉納した。
 ・閣僚の参拝は自由意思とした。

 それから?
 他には何も書いてない。ということは、政権としては
 「閣僚は参拝すべきではない」
 「首相は真榊を奉納すべきではない」
 「閣僚の参拝は禁止すべきだ」
 ・・・・という事ですよね?
 何ででしょう?

 それによってどんな「悪」影響が出たか、なんですが、
 ・韓国外相の訪日が中止された。
 ・チャイナ外務省が「厳正な申し立て」をしてきた。
 ・・・・以上です。・・・ん???

 「両国の反発を招いた」。
 反発を招いちゃいけない理由は?
 「北朝鮮に日中韓が結束して当た」らなくちゃいけないのに、「ことを荒立てるのでは、方向が逆ではないか。」
 つまり、北朝鮮の問題があるのに、団結しなきゃならないのに、何で靖國神社に参るんだ、と。
 おかしいでしょう?北朝鮮問題って、日本が何かしましたか?嚇されているのは日本でしょう?

 さすがに参拝の件一つで、全てが変わる、といったような言い方は無理があると思ったのか、それとも印象操作にはしったのか、ここから先は安倍総理の姿勢批判に矛先が向かう。

 でも「自身が参拝しなければ乗り切れると思っていたとすれば、甘すぎると言わざるを得ない」という説得力のない展開の末に、「このところ気になる言動が目立ち始めている」として「高い支持率で、緊張感が薄れているのではないか。閣僚の言動も含め、自制を求めたい」と結んでいる。
 大新聞に申し訳ないが噴飯ものの社説だ。
 「自身が参拝しなければ乗り切れると思っ」て、「閣僚の参拝は自由意思」だなどとするような浅墓な総理と、この三か月余りの政権運営をしてきた総理とが同じ総理に見えるのだろうか?その見方の方が甘過ぎるのではないか?
 
 これで、「閣僚を抑え付ける気はない」、という事を、また、真榊を奉納することで「退く気はない」という姿勢であることを、明らかにした、ととれないのだろうか。
 チャイナの申し立てに、即刻、訪支を取りやめた、ということで、あちらは完全に切り返されたことになるのだが。

 「このところ気になる言動が目立ち始めている」というのも、2月の答弁と昨日の村山談話についての二回だけだ。強いて挙げれば昨日の答弁だけで「このところ気になる言動が目立ち始めている」と断じている。

 結論は「支持率が高いからって浮かれてんじゃないよ。もっと緊張しろよ。閣僚ともどもちょっとは慎め、ということだよ」みたいなところだろう。
 批判はあるけど意見はない。何よりも「日本の良識」「社会の木鐸たらん」という気概がない。
 チョウニチ新聞だ、などと陰口叩かれ続けていることを恥ずかしくは思わないのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話はそれからだ

2020年04月12日 | 心の持ち様
2013.04/22 (Mon)

 「給料は上がりましたか」と問われれば、「先ずはオマエの給料を言え、話はそれからだ」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 テレビ局の人間に「あなたの給料は上がりましたか」と問われたら、逆質問してみる。「あなたは上がりましたか?」って。
 まず、「はい!上がりましたよ」、なんて言う記者はいない。上がってても「上がった」なんて言わない。
 マスメディアはこの時点で既に嘘をついている。

 「儲かりまっか」「ぼちぼちでんなぁ」の方がよっぽど正直でよろしい。
 そうやって、一度嘘をつけば、二度目、三度目のウソをつくことになる。
 そうやって街頭インタビューが「つくられる」。
 出発点からして嘘なんだから、番組は「ウソの真髄」「偽りの精華」にならない方がおかしい。
 「テレビ局が上がってないのに、我々の給料が上がるわけないじゃないですか!」
 
 以下、転載です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~        

 <アベノミクスが大きく取り上げられています。政府は、景気回復を最優先事項として取り組んでいるようです。安倍首相は、新しい雇用を生み出し、円も動き、株も上がったと、党首討論でも訴えていました。>
 <さて皆さん、景気回復を実感していますか?>
 <皆さんの給料は上がりましたか?>

 さてさて、これがマスコミの手口である。
 既に、この手口に見事に引っ掛かっている人が、かなりの数いるようである。冷静さを欠いているというか、社会経験が無いというか。情けないというか、何と言うか。
            (略)

 今、この状況で「給料は上がりましたか?」と聞かれれば、まともな社会人なら「上がるわけがないだろう!」と、その非常識な質問者に怒りを感じるはずである。
 政権が変わって、即時に会社の給料が上がるということは、もはや自由な経済活動も存在せず、社会全体が特定の政治家、官僚、組織などに完全に支配され独裁状態にあるということだ。
 国民を生かすも殺すも、政府の思うがままの社会になっている、ということだ。

            (略)

 社会全体に金を回すこと。中小零細まで含めた企業全部に、景気回復を実感させること。それなくして、個々の給料など上がるはずがない。
 経営者が個人として、景気回復を感じ始めても、なお慎重な判断に向かう人は多いはずだ。長く不景気を体験していると、あらゆることに慎重になる。
 その殻を破って、「大丈夫だ、給料を上げてもいける」と判断させるためには、一体どれだけの準備と、どれだけの期間が必要か。

            (略)
 まじめな政治をまじめに続けていけば、必ず景気は回復する。個人の給料も上がるだろう。しかし、それは三ヶ月や半年という期間で為せるはずがない。
 最低でも一年、やはり三年を目途に考えるのが、当たり前の話である。
                     
            (略)
 他人の財布を云々することは、最も下劣な行為の一つである。まして、給料など「個人情報」の最たるものではないか。
 これを公然と問い質し、しかも、その回答を全国的に流すとは、トンデモナイ「個人情報保護法違反」である。
 本人が同意したか否かは問題ではない。個人情報の重要性を国民に知らしめ、その保護を訴えるべき立場にあるマスコミが、これを率先して破らんとしていることが問題なのだ。
 「給料は上がりましたか」と問われれば、「先ずはオマエの給料を言え、話はそれからだ」と切り返すべきであろう。


     「マスコミの手口を学べ」
        
               ~夕刻の備忘録より~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連想力≠考え方

2020年04月12日 | 心の持ち様
2013.04/19 (Fri)

 「筋肉より思想がムキムキな男」。男性ラッパーPSY(サイ)の韓国語の大ヒット曲「江南(カンナム)スタイル」の一節である。いささかとっぴな連想ではあるが、日本維新の会共同代表の石原慎太郎氏を思い起こす
▼日本国憲法を否定し、廃棄せよ。日本は強力な軍事国家になるべし。核武装の議論も選択肢だ――。こわもてな主張がムキムキな感じを人に与える。暴走老人とは自称どころか、自他ともに許すところだ
▼きのう、2カ月ぶりに国会の論戦に登場した。安倍首相との党首討論である。遠慮会釈のないもの言いは相変わらず。憲法を論じ矛先を公明党に向けた。首相にあえて忠告するとしていわく「公明党は必ずあなた方の足手まといになりますな」
▼場内から「無礼だろ」とヤジが飛んでも、「本当のことを言ってんだ」と譲らない。傲岸不遜(ごうがんふそん)を基調としつつ、なんとはなしの愛嬌(あいきょう)も漂わせるのが石原スタイルなのだろう。標的にされた公明党の山口那津男代表が、苦笑いしていた
▼落語家の故立川談志と交友が深かった。一昨年12月のお別れの会で弔辞を捧げた。最後にひと言、「あばよ」。そして調子を変えて、「さよなら、談志師匠」。弟子の立川談四楼さんが「シビれた」と書いている(『談志が死んだ』)
▼自民党の高村正彦副総裁は「私は石原さんを政治家とは思っていない」と語っている。政治家なら、あんな乱暴な憲法論は言わない、彼は芸術家なのだ、という趣旨だろう。なるほどと納得するが、困ったことでもある。

 2013年 4月18日 朝刊
                      
        「天声人語」 より

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 きっと学生の頃、だったと思う。講義のどこかで聞いたのだろう。
 頭が悪いから、肝腎のことは聞かず(聞けず?)、居眠りの間に耳に届いた僅かなことだけが、数十年経った今でも何かの拍子に出てくることがある。

 そんな中の一つが本居宣長のことだ。
 先生の仰ったことは、「本居宣長は別段優秀な人ではない」、という事だった。
 「取り立てて独創的な説を唱えたというわけではないし、塙保己一(はなわほきいち)のような大変な仕事を成し遂げたわけでもないんです」
 確かにそう聞いた。
 で、それに続けて「ただ・・」、と。

 「ただ、凡庸な説でも、独創的な説でも、普通は一つ上げるものです。多くて二つか三つ挙げればいい方なんだけれど、宣長は『こうも考えられるけど、こんな風にも考えられる』、と短時間にいくつもの説を挙げてみせる。みんな凡庸な説だけれど、他に誰もそんなことをした者は居なかった」

 それのどこがすごいんだろう。
 でも、国学と言えば「本居宣長」という言葉が出てくる。
 その理由は
 「独創的な説を立てた」わけでもなければ、
 「大仕事をした」わけでもないらしいから、この二つではない。だろう。
 では、「凡庸な説をいくつも挙げた」ことなんだろうか。
 どうもそれ以外に答えが見つからない。
 で、ずっと後になって何となく分かったような気がし始めた。
 やはり答えは、「凡庸な説をいくつも挙げた」ところにある。

 「そんなもの、凡庸なら役に立たないだろう?」
 ですよね。
 実際、役には立たない。
 どころか宣長の説は間違っていることが結構あるらしい。
 で、また、元に戻るんだけれど、それでも、
 「国学と言えば本居宣長。不滅の巨人」
 であることに変わりはない。

 見落としていたことがあった。
 それは「凡庸な説」という言葉の、「凡庸」に隠れてしまう、「説」という言葉だ。
 「説」というのは「こんな風に『考えられる』」、つまり、「考え方」ということだ。
 「考え方」ってのは一人の人間ごとにつくり上げられているものなんだから、それが幾通りにもできる、という事は何人分もの頭脳があるのと同じ。そうやって挙げられた凡庸な説をきっかけに新しい、独創的な説が生まれてくる。

 凡庸であろうがなんであろうが、いくつもの考え方でそれなりの意見を挙げることができる人ってそうそうはいないだろう。
 そう考えたら、宣長自身は大したことはできていなくとも、彼のおかげで国学は大発展をしたと言えるわけだから、やっぱり宣長は「国学の巨人」、なわけだ。


 何でこんなことを長々と書いているか?
 勿論、「天声人語」があまりにも面白いからだ。天声人語子の文章があまりにも素晴らしいからだ。
 彼の文には「説」がない。「説く」べき「考え」がない。
 あるのは「連想力」と「思い込み」による「決めつけ」だ。

 江南スタイルから石原氏の強固な思想を連想し、「否定し、廃棄せよ」「強力な軍事国家になるべし。核武装の議論も選択肢」と続けて「あれ?おかしいな」とならない。否定したら終わりだろう。廃棄と同義ではないのか。軍事国家になるのなら、核武装は議論の余地なし。なんで「選択肢」があるのか。

 「無礼だろ」という野次の方が無礼なことには一言も言及しないのも面白い。「足を引っ張る(足手まといになる)というのは、それだけの力、影響力を持っているという事を認めるが故の一言だが、「無礼だろ」には考えの違いがあるのに影響力はない、と見切っている態度が透けて見える。
 山口代表の苦笑いには石原代表の、公明党をそれなりに意識していることへの安堵感があったのではないのか。
 だから、石原氏の物言いには愛嬌があるのだ。

 そして、最後の高村副総裁の言の見事なくらいの牽強付会ぶり。

 「芸術家なのだ~なるほどと納得するが、困ったことでもある。」
 芸術家だと納得するけれど、あんな乱暴な憲法論を政治家としてやってもらったら困ったことだ。
 困るも困らないも、「決めつける」のは一体誰の「権利」だと思っているんだろう。まさか朝日新聞じゃないだろう。

 言うまでもなく、これは国民の権利。百歩譲って国会の権利。
 連想ゲームで考えを説いたつもりになっているマスメディアのきめつけることではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする