2010.04/18 (Sun)
続きです)
私の父の「騎兵になる筈が、装甲車の運転と重機関銃」の話は、息子の私が「変だ」と言っているだけで、父は「そんなもんだ」と思っていたようです。まあ、戦争ですからね、色々事情もありましょう。
司馬遼太郎の方は、本人が「何か、変だ」と思っていたらしい。
「日本の戦車は素晴らしい」のだそうです。
最新技術の集成されたもの、当時のハイテク兵器だったのです。ただ、でも、何か変だ。
日本の戦車はディーゼルエンジンを採用している。戦車の下部は余り丈夫ではないので地雷で、などの話がありますが、何より弱いのは排気口のある後部らしく、そこを攻撃されると、ガソリンエンジンはすぐ火を噴いたのだとか。引火、爆発となる。
ディーゼルエンジンなら、そうはならない。だから採用した。
素晴らしい!
けど、始動性は良くない。温度が低いと、ガソリンエンジンと比べたら、話にならないくらい当時のは劣悪で、まず、始動しない。
つまり、「寒冷地のディーゼルエンジン」は、ありえないのだそうです。
ハイテク戦車は、シベリアでは、ソ連の鉄の箱みたいな戦車の敵ではなかった。
普通、戦車の正面の装甲板は、厚さ数センチの鋼板で、砲弾もそこに当たった場合は弾かれてしまう。
日本が誇る戦車の前部装甲板も、厚さ数センチ。ただ、鋼板ではなく、ただの鉄板だった。意味がない。
頑丈な戦車は視界が利かない。特に側面は何も見えないし、弱い。だから側面から攻撃されると悲惨なことになる。
ここを砲弾が直撃すると、戦車内部に貫通する。勢いの半減した砲弾は、戦車内部を気が狂ったようにはじけ回る。
対戦車砲にやられた戦車の内部ほど悲惨なものはないという。中に数名の乗員がいたはずだが、一人も居なくなっている。人の痕跡、がないのだそうだ。一発の砲弾が、内部で跳弾となり、乗員に襲いかかるのだ。
真っ赤に染まった車内、床にできた血の海。そこかしこに飛び散り、こびりついた肉片。人の形はどこにもない。
なのに、日本の戦車は、側面から砲弾を撃ち込まれても、人の形は残り、時には生還する場合もあったという。砲弾が言葉通り「貫通」して、戦車の反対側に突き抜けてしまうらしい。何という「戦車」だ。
そういう戦いを見て、「棺桶」と呼ばれる戦車に乗って、また、部下、一般人を見捨てていく上官を見て、「この戦さは、何かおかしい」と思い始めたと言う。
大阪外語大蒙古語学科を出た三木青年は、「史記」を書いた司馬遷に、「遼(はるか)に及ばぬ日本の男子(太郎)」、という意味から、司馬遼太郎と名告って、小説を書く。「日本は、どこから、道を間違えたのか」、と。
そして、日清戦争の時は、洋々たる希望を胸に生きていたけれど、日露戦争の辺りから、怪しくなったのではないか、と思い始める。
軍神と讃えられた乃木将軍に、凡庸の将という評価を定着させたのは司馬遼太郎の力、と言っても良いかもしれない。
かれは、いつも、人間の目より高いところから、人を見る。数十メートル高いところから、人の展開する歴史を見る。
「我が国のかたち」ではなく、「この国のかたち」を見る。
「この国のかたち」として、日本の過去、現在、未来を、そして、人間の関わり合いを掴もうとする。
「岡目八目」、だ。確かに見える。だが、切実さは、ない。離れている分、体温の温もりが伝わらず、分かりにくい。
「悲惨な戦争」を見て、感情的に反戦主義者になった風ではない。
けれど、日本から一歩離れて(少しの高みから)見ることが、歴史を掴むことを可能にはしたものの、「さて、それでは、これからどうする」といった「熱情」は、生まれるべくもない。
「この国」という言い方は、そういうことなのだ。冷静に、客観的に見ている雰囲気がある。
「自国に対して劣等感を抱いてきた」、或いは「他国に対して申しわけないことを先祖がやって来た」、という意識を抱いてきた者は、無意識のうちに自国を客観視することをよしとする。「思い遣っている」わけだ。
ただし、深層の話だ。当人は気がついてない。
今、急激に「この国」、という評論家的姿勢の人が増えている。
幾多の売国法案に危機を感じるのは、底流に「この国」と見る人の増大があるからだ。
続きです)
私の父の「騎兵になる筈が、装甲車の運転と重機関銃」の話は、息子の私が「変だ」と言っているだけで、父は「そんなもんだ」と思っていたようです。まあ、戦争ですからね、色々事情もありましょう。
司馬遼太郎の方は、本人が「何か、変だ」と思っていたらしい。
「日本の戦車は素晴らしい」のだそうです。
最新技術の集成されたもの、当時のハイテク兵器だったのです。ただ、でも、何か変だ。
日本の戦車はディーゼルエンジンを採用している。戦車の下部は余り丈夫ではないので地雷で、などの話がありますが、何より弱いのは排気口のある後部らしく、そこを攻撃されると、ガソリンエンジンはすぐ火を噴いたのだとか。引火、爆発となる。
ディーゼルエンジンなら、そうはならない。だから採用した。
素晴らしい!
けど、始動性は良くない。温度が低いと、ガソリンエンジンと比べたら、話にならないくらい当時のは劣悪で、まず、始動しない。
つまり、「寒冷地のディーゼルエンジン」は、ありえないのだそうです。
ハイテク戦車は、シベリアでは、ソ連の鉄の箱みたいな戦車の敵ではなかった。
普通、戦車の正面の装甲板は、厚さ数センチの鋼板で、砲弾もそこに当たった場合は弾かれてしまう。
日本が誇る戦車の前部装甲板も、厚さ数センチ。ただ、鋼板ではなく、ただの鉄板だった。意味がない。
頑丈な戦車は視界が利かない。特に側面は何も見えないし、弱い。だから側面から攻撃されると悲惨なことになる。
ここを砲弾が直撃すると、戦車内部に貫通する。勢いの半減した砲弾は、戦車内部を気が狂ったようにはじけ回る。
対戦車砲にやられた戦車の内部ほど悲惨なものはないという。中に数名の乗員がいたはずだが、一人も居なくなっている。人の痕跡、がないのだそうだ。一発の砲弾が、内部で跳弾となり、乗員に襲いかかるのだ。
真っ赤に染まった車内、床にできた血の海。そこかしこに飛び散り、こびりついた肉片。人の形はどこにもない。
なのに、日本の戦車は、側面から砲弾を撃ち込まれても、人の形は残り、時には生還する場合もあったという。砲弾が言葉通り「貫通」して、戦車の反対側に突き抜けてしまうらしい。何という「戦車」だ。
そういう戦いを見て、「棺桶」と呼ばれる戦車に乗って、また、部下、一般人を見捨てていく上官を見て、「この戦さは、何かおかしい」と思い始めたと言う。
大阪外語大蒙古語学科を出た三木青年は、「史記」を書いた司馬遷に、「遼(はるか)に及ばぬ日本の男子(太郎)」、という意味から、司馬遼太郎と名告って、小説を書く。「日本は、どこから、道を間違えたのか」、と。
そして、日清戦争の時は、洋々たる希望を胸に生きていたけれど、日露戦争の辺りから、怪しくなったのではないか、と思い始める。
軍神と讃えられた乃木将軍に、凡庸の将という評価を定着させたのは司馬遼太郎の力、と言っても良いかもしれない。
かれは、いつも、人間の目より高いところから、人を見る。数十メートル高いところから、人の展開する歴史を見る。
「我が国のかたち」ではなく、「この国のかたち」を見る。
「この国のかたち」として、日本の過去、現在、未来を、そして、人間の関わり合いを掴もうとする。
「岡目八目」、だ。確かに見える。だが、切実さは、ない。離れている分、体温の温もりが伝わらず、分かりにくい。
「悲惨な戦争」を見て、感情的に反戦主義者になった風ではない。
けれど、日本から一歩離れて(少しの高みから)見ることが、歴史を掴むことを可能にはしたものの、「さて、それでは、これからどうする」といった「熱情」は、生まれるべくもない。
「この国」という言い方は、そういうことなのだ。冷静に、客観的に見ている雰囲気がある。
「自国に対して劣等感を抱いてきた」、或いは「他国に対して申しわけないことを先祖がやって来た」、という意識を抱いてきた者は、無意識のうちに自国を客観視することをよしとする。「思い遣っている」わけだ。
ただし、深層の話だ。当人は気がついてない。
今、急激に「この国」、という評論家的姿勢の人が増えている。
幾多の売国法案に危機を感じるのは、底流に「この国」と見る人の増大があるからだ。