CubとSRと

ただの日記

「この国」と「我が国」その2

2020年04月07日 | 心の持ち様
2010.04/18 (Sun)

 続きです)
 私の父の「騎兵になる筈が、装甲車の運転と重機関銃」の話は、息子の私が「変だ」と言っているだけで、父は「そんなもんだ」と思っていたようです。まあ、戦争ですからね、色々事情もありましょう。
 司馬遼太郎の方は、本人が「何か、変だ」と思っていたらしい。

 「日本の戦車は素晴らしい」のだそうです。
 最新技術の集成されたもの、当時のハイテク兵器だったのです。ただ、でも、何か変だ。
 日本の戦車はディーゼルエンジンを採用している。戦車の下部は余り丈夫ではないので地雷で、などの話がありますが、何より弱いのは排気口のある後部らしく、そこを攻撃されると、ガソリンエンジンはすぐ火を噴いたのだとか。引火、爆発となる。
 ディーゼルエンジンなら、そうはならない。だから採用した。
 素晴らしい!
 けど、始動性は良くない。温度が低いと、ガソリンエンジンと比べたら、話にならないくらい当時のは劣悪で、まず、始動しない。
 つまり、「寒冷地のディーゼルエンジン」は、ありえないのだそうです。
 ハイテク戦車は、シベリアでは、ソ連の鉄の箱みたいな戦車の敵ではなかった。

 普通、戦車の正面の装甲板は、厚さ数センチの鋼板で、砲弾もそこに当たった場合は弾かれてしまう。
 日本が誇る戦車の前部装甲板も、厚さ数センチ。ただ、鋼板ではなく、ただの鉄板だった。意味がない。

 頑丈な戦車は視界が利かない。特に側面は何も見えないし、弱い。だから側面から攻撃されると悲惨なことになる。
 ここを砲弾が直撃すると、戦車内部に貫通する。勢いの半減した砲弾は、戦車内部を気が狂ったようにはじけ回る。

 対戦車砲にやられた戦車の内部ほど悲惨なものはないという。中に数名の乗員がいたはずだが、一人も居なくなっている。人の痕跡、がないのだそうだ。一発の砲弾が、内部で跳弾となり、乗員に襲いかかるのだ。
 真っ赤に染まった車内、床にできた血の海。そこかしこに飛び散り、こびりついた肉片。人の形はどこにもない。

 なのに、日本の戦車は、側面から砲弾を撃ち込まれても、人の形は残り、時には生還する場合もあったという。砲弾が言葉通り「貫通」して、戦車の反対側に突き抜けてしまうらしい。何という「戦車」だ。

 そういう戦いを見て、「棺桶」と呼ばれる戦車に乗って、また、部下、一般人を見捨てていく上官を見て、「この戦さは、何かおかしい」と思い始めたと言う。
 大阪外語大蒙古語学科を出た三木青年は、「史記」を書いた司馬遷に、「遼(はるか)に及ばぬ日本の男子(太郎)」、という意味から、司馬遼太郎と名告って、小説を書く。「日本は、どこから、道を間違えたのか」、と。

 そして、日清戦争の時は、洋々たる希望を胸に生きていたけれど、日露戦争の辺りから、怪しくなったのではないか、と思い始める。
 軍神と讃えられた乃木将軍に、凡庸の将という評価を定着させたのは司馬遼太郎の力、と言っても良いかもしれない。

 かれは、いつも、人間の目より高いところから、人を見る。数十メートル高いところから、人の展開する歴史を見る。
 「我が国のかたち」ではなく、「この国のかたち」を見る。
 「この国のかたち」として、日本の過去、現在、未来を、そして、人間の関わり合いを掴もうとする。
 「岡目八目」、だ。確かに見える。だが、切実さは、ない。離れている分、体温の温もりが伝わらず、分かりにくい。
 「悲惨な戦争」を見て、感情的に反戦主義者になった風ではない。

 けれど、日本から一歩離れて(少しの高みから)見ることが、歴史を掴むことを可能にはしたものの、「さて、それでは、これからどうする」といった「熱情」は、生まれるべくもない。
 
 「この国」という言い方は、そういうことなのだ。冷静に、客観的に見ている雰囲気がある。
 「自国に対して劣等感を抱いてきた」、或いは「他国に対して申しわけないことを先祖がやって来た」、という意識を抱いてきた者は、無意識のうちに自国を客観視することをよしとする。「思い遣っている」わけだ。

 ただし、深層の話だ。当人は気がついてない。
 今、急激に「この国」、という評論家的姿勢の人が増えている。

 幾多の売国法案に危機を感じるのは、底流に「この国」と見る人の増大があるからだ。

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「この国」と「我が国」その1

2020年04月07日 | 心の持ち様
2010.04/18 (Sun)

 先日、西村真悟氏のブログに、「この国」と「我が国」という文が載っていました。
 遅ればせながら、今から思ったことを書いてみようと思います。

 私の父は、「敗戦、引き揚げ」と知らされた時、「何故?」と思ったそうです。連戦連勝で、負けたことがなかったから、敗戦の実感なんてなかったのでしょう。
 普通に、それも戦争の末期、敗戦の数年前の召集です。
 「騎兵」、ということでした。私の田舎では、騎兵などになる者は、まず、ないものだから、随分、珍しがられたようです。

 何でも、騎兵になる者は、手足の比較的長い、均整のとれた、というか、見映えの良い者が選ばれるのだそうで、確かに身長は160少々ながら、手足が長く、頭が小さい。(Sサイズの帽子でも大きく見える)。
 ついでながら、母も150足らずの身長ながら手足が長かった。
 で、何故、私がそれを受け継がなかったのか、理解に苦しむ。やっぱり、橋の下で泣いていたのを拾われて来たせいかもしれない。
 とは言え、私の年代の多くは、申し合わせたように、「橋の下で泣いていたのを拾われた」という過去を持っているらしいから、単に「私の不幸」なのかもしれない。

 さて、父は、馬に乗れたわけではありません。上記のようなことで、「騎兵」として入隊しただけで、乗馬訓練は入隊後、です。
 ここからが、変、です。
 
 入隊したら、馬はほとんどいなかった。戦争末期、だからでしょうか、馬も不足していたらしい。それで、馬の代わりに、装甲車に乗った。同じ「乗り物」です。
 でも、何か変、です。

 装甲車に重機関銃を積んで、時にはそれを車から降ろし、三つに分けて運び、戦場でまた組み上げて使う。何しろ、重機関銃、です。威力は相当なものだけれど、名前の通り、重い。しっかりした銃座はあるけれど、反動が強烈なもので、連射すると明後日の方を撃ってしまう。
 で、「ダダダダダダ・・・・・・」と撃つのではなく、「ダダダッ・・・ダダダッ」と、三発ずつ撃つのだそうです。

 三つに分けて運ぶのは良いけれど、銃身を運ぶ番が当たった時は大変で、駆け足で行かねばならぬのに、重くて重くてどうしても遅れてしまう。
 銃座を持った二人が、「おい!T!早く来い!」と言うがどうにもならない。
 勿論、自分が銃座の時は、銃身の当番の者に同じ事を言うわけですが、軍隊です、同じ階級の者で、とはいきません。大概、新兵は、上級か古参兵と一緒です。初めは銃身の「当番」、というより「係」みたいだったようです。

 戦地だから、歩哨に立つこともあります。
 朝露が降りている草原を、うら若い娘が二、三人連れ立って、水を汲みに宿営地のそばを通る事もある。
 上半身裸で、普段は腰に大きな布を巻いただけの格好だが、朝露で、その布が濡れてしまうのを嫌って、大きく捲(まく)り上げ、腰で括り、下着などは当然着けてないから、前の方は丸出しで歩いている。
 それで、歩哨に立っている自分と目が合う。
 さすがにうら若い乙女、女同士では何とも思ってなくとも、目の前にいるのは男、それも外国人。大変びっくりして恥ずかしさの余り、えらい勢いで括っていたのを解き、前を隠して慌てて走って逃げる。
 
 ところが、びっくりするのはこっちも同じで、父に言わせると
 「何しろ顔がこわい」。
 元々、人食い族だったからか、口が大きくて、妙に赤いのだそうで、びっくりした時の顔は、食われるかと思ったくらいだった、と言ってました。
 人種差別の初め、なんて、案外どこでも、この程度のことだったのかもしれません。日本人なんか、そう思ったことを恥じ、理性で、「同じ人間ではないか」と反省し、改めようとするけれど、世界の大半の「先進国」の人々は、理性で、「反省し、改める」のでなく、理性で、思ったことを理屈付け、正当化しようとする。
 
 まあ、とにかく、こんな話しか聞いたことがありません。切迫感も危機意識も、まるで感じられません。だから、私は戦争の悲惨さを聞かされず、わからぬまま、大きくなりました。
 勿論、古参兵の新兵いじめ、とか、引き上げの際、意地の悪い、人気のなかった上官は、船底から甲板に出てくることは一度もなかった、などは聞きました。(胴上げのふりをして、海に放り込まれるからです)

 しかし、軍隊でもらった、しっかりとした装丁のアルバム帳や、中に貼ってある写真を見たりすると、本当に交戦したことがあったんだろうか、と思ってしまいます。
 頭にターバンを巻いた象使いが数名、象を座らせて、横に立っている写真。何ともまじめな、でも得意そうな顔です。
 かと思えば、頭にスカーフをかぶり、首に巻いたイスラム教徒らしい、幼稚園から小学校高学年くらいの女の子数名の記念写真。
 「日本は負けた」と言われても、狐につままれたようだった、というのは何となく分かります。

 そんな話に比べたら、司馬遼太郎の方は本格的です。彼は最初から「戦車兵」です。騎兵のはずが、気がついたら手綱でなく、ハンドルを握っていたのとは、わけが違う。


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