CubとSRと

ただの日記

これは良い情報

2020年04月05日 | 日々の暮らし
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和二年(2020)4月3日(金曜日)弐
          通巻6432号 
(読者の声2)私の友人から、耳よりの情報を得ましたので、ご参考までにご紹介致します。拡散をお願い致します。
      (略)

(引用始め)「元海自幕僚だった友人から武漢療養所に派遣された医師から受信した、との私の友人からのコロナ・ウィルスに関する貴重な情報です。

【コロナ・ウイルス対策】
 皆が知るべき内容ですので多くの方への拡散をお願い致します。以下、心病院の看護婦さん&武漢研究所に派遣されたクァク?グヨンの米国友人医師の伝言文の転送です。彼は無限肺炎ウイルスの研究を行っています。

【コロナ・ウイルスと風邪の簡単な見分け方と防止策】を教えて貰いました。
 「風邪を引いたときは鼻水と痰があり、コロナ・ウイルス肺炎は鼻水のない乾いた咳をします。これは新しいタイプのコロナ・ウイルス肺炎の症状で、これが最も簡単な識別方法です 」
 このような医療知識ついて事前に知れば、予防に役立ちます。
 今回の武漢ウイルスは耐熱性がなく、56〜57度の温度で死にます。そのためお湯をたくさん飲む、お湯を飲ませれば予防できます。
 「陽射しの下に行ってください 」
 「冷たい水、特に氷水を飲まないでください」
 「お湯を飲むことはすべてのウイルスに効果的です」
ぜひ覚えておいてください

【コロナ・ウイルスに対する医師の助言】
 大きさが非常に大きく、(セルの直径は約400-500nm)、すべての一般マスク(N95の機能だけでなく)もこれをフィルタリングすることができます。
 しかし、感染した人があなたの前でくしゃみをすれば3メートル離れても届きますので気をつけてください
 ウイルスが、金属の表面に付いた場合は12時間以上生存します。 金属に触れた場合は石鹸で手を洗ってください。
 ウイルスは服で6〜12時間活性化状態を維持することができます。 洗濯洗剤はウイルスを殺します。 毎日洗う必要のない冬服の場合、太陽の下に置いてウイルスを殺すことができます。

【コロナ・ウイルスによる肺炎の症状】
 のどを先に感染させ、のどで3〜4日間持続されるので、乾燥した "いがらっぽい"感じ を持つようになります。臭覚、味覚が無くなることがあります。
 その後、ウイルスがコエクに混合され、気管支に流れて肺に入って肺炎を起こします、この過程は5〜6日が所要されます。
 肺炎で高熱と呼吸困難が発生します。 呼吸は正常な種類と異なり、おぼれたように息苦しくなります。このような症状なら、すぐに医師の診察を受けてください。

【予防について】
 感染される最も一般的な原因は公的に物を触ることなので、防ぐためには手をよく洗わなければなりません。ウイルスは5〜10分間で伝染します。人は5〜10分間で、いろんなことをします (目をこすったり、意図しなくても鼻などをさわります)。
 手をよく洗うことのほかにも 《Betadine Sore Throat Gargle》でうがいを数回すれば、咽にいる間にウイルスを除去したり、最小化することができます 。
 お湯を飲むこともオススメです」(引用止め)。
    (北村維康)


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本当は「昭和節(しょうわせつ)」と言いたい。

2020年04月05日 | 重箱の隅
2017.04/29 (Sat)

 今日は「昭和の日」についてです。

 本来、「文化の日」は「明治節」と呼ばれていたように、今日だって「昭和の日」ではなく、「昭和節」というべき日です。
 「節」というのは「節句」という言葉から分かるように、「節目」ということで、これは「記念日」、「お祝いの日」と捉えます。

 「祭日」は「お祭り」の日。
 本来は「~祭の日」、と言う。
 「元旦祭」、「春季皇霊祭」、「秋季皇霊祭」、(「神嘗祭」)、「新嘗祭」
 宮中で祭祀があるので、「祭」とついているから、「祭日」。
 それと違って、記念日は「祭日」ではないのだから、「祝日」ということにしよう。

 ということで、「建国記念の日」は「紀元節」と言いました。
 「建国した日」自体は分からないのですから、一番似つかわしい日を算出して2月11日とした。
 天皇陛下の誕生日も「お祝い」したい。「お祝い」。「祝」日ということになるから、それも「天の下の長」だから「天長」の祝日、「天長節」としよう。
 
 その明治天皇が崩御された。
 以降は「天長節」は大正「天皇の御誕生日」ということになる。
 でも、あの偉大な明治天皇のお誕生日を祝うことは続けられないか。
 ということで、「明治天皇のお誕生日」である11月3日は、「明治節」という祝日になった。

 それが敗戦。
 占領統治をしていたGHQは、これまでの祝祭日(祝日と祭日)は全て廃止するよう命令、11月3日は「日本国憲法発布の日」として、「明治節」を消し去ろうとした。

 でも、明治天皇の御誕生日を何とかしてお祝いしたい。
 「そうだ!明治天皇が日本の近代化に舵を切られたからこそ、今の日本があるのだ。近代文化国家日本は明治天皇によって拓かれたのだ。だから『文化の日』にしよう!それがいい!!」

 というわけで、「文化の日」。
 勿論、そんなことを言ったら、「GHQにご注進!」というような連中はそこら中にいるわけだから、表向きは
 「戦後の近代国家を作る『日本国憲法』が発布された、『文化国家になる記念すべき日』だから、『文化の日』としよう」
 ということに。苦心惨憺、です。

 「またまた~。大げさな。話、盛ってない??」、なんて思う人があったら、言いたい。
 「紀元節はどうなりました?建国記念日、じゃなくて『建国記念の日』、として祝日になるまでに、どれだけ年月がかかりました?」って。

 何とか「みどりの日」として、成立し、やっとのことで「昭和の日」となりました。
 
 本当は「建国記念の日」ではなく、「紀元節」と言いたい。
 本当は「勤労感謝の日」ではなく「新嘗祭」と言いたい。
 同じく、「昭和の日」ではなく、勿論「みどりの日」でもなく、本当は「昭和節」と言いたい。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以下は二年前の日記の部分転載です。
  ↓
 「みどりの日」は緊急措置として、そんな命名をしたんでしたね、「昭和の日」では反対されるから。
 勿論、民主、社民、共産の各党が反対するからでした。
 これ、気をつけなきゃならないのは、それらの党が反対できるのは、それらの党を支持する国民が相当数いるから、ということです。「同じ日本人」っていう括り方は安易過ぎる。

 じゃあ、天皇の諡号(しごう・おくりな)を出さなければ良いんだな?と言うことで、もっと「軽く」、「みどりの日」として、とにもかくにも昭和天皇の誕生日を祝日として残した。そこにはきっと水面下での相当な政治活動があったんでしょう。

 「『昭和の日』が嫌なら『みどりの日』はどうだぃ?ゴールデンウィーク、一日減るとさびしいぜ~?どうするぅ~?」なんてことを言って、搦め手から行ったんでしょうね、自民党のことだから。

 そして遂に四月二十九日は「昭和の日」となった。


 先人は、大変な苦労をして、一旦は消された「紀元節」を名前を変えてでも、とにかく復活させた。
 「昭和の日」だって同じです。本当なら平日になるわけです。それをとにかく休日として置き、遂に「昭和の日」に、した。

 だから「みどりの日」はお役御免、です。
 でも、昭和天皇が国の復興のために、と積極的に植樹祭に行幸されたという事実は、我々はそれこそ1000年だって覚えておかなければ、と思うようになりました。
 「昭和天皇の御遺徳を思う日が二日もある」
 今はそんな風に思っています。

 「11月3日は明治節」なのに。
 憲法発布の日を被せ、だから「文化の日」だと。
 5月3日は東京裁判開廷の日だから。
 憲法施行の日を被せ、「憲法記念日」だと。

 「新嘗祭」を「勤労感謝の日」としたことも併せ、旧に復することも思い続けるべきでしょう。

    (転載了)


 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 今日は午後から一時、短時間ながら雷を伴う雨、または雹が降るという予報を聞いて、国旗を掲げ、心配しながらもコーヒーを飲みに出掛けました。

 昼過ぎて、帰ってくる途中で、急に空模様が怪しくなる。
 見る見るうちに黒い雲が空を蔽っていく。
 これはいかん、と大急ぎで国旗を家に入れ、十分もしないうちに雨が降り出しました。

 さて、5月3日は揚げないけど、4日はどうしようかな。
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③ 「感じ」が「考え」にとって代わられている

2020年04月05日 | 心の持ち様
2017.05/10 (Wed)

 さて、では本当に、天皇陛下は「器官」乃至は「機関」なのか。
 現実の現代社会ではそう解釈されてもしょうがないでしょう。

 「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」
 とあります。
 「象徴という立場であり、日本国民がそれを決めているのだ」となっています。これこそ不敬な条文です。
 「国民の総意が天皇の地位を認める(総意に基く)」ということは、「国民の支持」どころか「国民の指示(指図)」といっているのと同じでしょう?

 「だから占領下で主権のない状態でのみ存在した、『日本国憲法』という名の占領国統治法なんだから、昭和27年の独立によって無効になったんだ。大日本帝国憲法には、ちゃんと書いてある」と現憲法無効論を唱える人は居ます。確かに筋の通った考え方です。
 けど、それが欧米式民主主義の中では、民主主義だから多数の意見を採るが故に、「そんなこと知らない」という国民が大多数の中では、いくら言ったって通らない。

 百歩譲って、大日本帝国憲法ならどうでしょうか。確かに、こちらは「国民の支持、指図」は関係ない。けれど、こう書いてある。
 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。 
 国民の支持、或いは指示について書かれてはいないけれど、帝国憲法の「神聖にして侵すべからず」という文章は、一体誰が定めたのでしょう。天皇自ら?
 「欽定憲法なんだから、天皇自らが定めた」ということになりますが、やはり、自分のことを自分で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書いたにしても、設定は、「憲法によって天皇の地位が定められている」ということになります。

 つまり帝国憲法でも、いや、帝国憲法でこそ、天皇の地位は「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざるものと「規定」されています。
 国、国体を「仕組み」として捉えたら、唯物思想からであろうと皇国美化視からであろうと、こんな風に「規定」されざるを得ない。

 そうではなくって「国体の本義」は?と、つまり、「仕組み」でなく、目的は?と捉えたら命の流れが見えて来ます。血の通ったものになる。
 そして、「国体の本義」なら、早くから明らかにされている。あの天壌無窮の神勅に書かれている。
 「この日本の国は、天照大神の子孫である天皇が治める国」の一言です。
 「天皇が治める国」。それだけ、です。

 この一言が何故「国体の本義」を明らかにしていると言えるのか。それはそこに続く言葉で具体的に説明されています。
 「天皇が(民草と共に)栄えよ、天壌((と同じく)に窮まることが無いように(栄えよ)。」
 天皇も赤子である国民も共に、ということです。

 こう見て来ると「天皇制」という言葉は、「国体」に「天皇」という存在を「配置する(制度化する)」国家体制を意味する言葉になります。
 それは「天皇器官説」、或いは「天皇機関説」そのものです。

 「皇統の護持を。皇室の弥栄を」という人々が、そのために「天皇制云々」と口にすること。妙に違和感があるわけです。
 まあ、単純に「天皇制」という言葉は、歴史を「階級闘争史」として見る戦前の共産党が造った言葉ですから、違和感があるのは当然のこと、と言われたらそれまでなんですが。


 補記

 「天壌無窮の神勅」

 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の國は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。

   ~違和感のある言葉②「天皇制」  (2012年3月5日の日記より)~

 ~~~~~~~~~~~~~

 仕組みとして「考え」れば、位置関係にばかり目が行きますが、國體、その目的を「感じ」ようとすれば、位置関係を考えるために明文化されたものより、これまでの日本の在り方をそれこそ崇敬の念で以て見るしかないでしょう。「感じ」るためには、「高い精神性を持とう」、「高上を求めよう」とする姿勢が必要です。

 その時頼れるものはと言えば、明治天皇が天皇自身を位置づけられた大日本帝国憲法ではありません。
 ましてや国民の総意と称される(実は占領統治法であるところの)日本国憲法ではありません。
 国民より、天皇より、上の存在と言えば、それは(現実の存在云々ではなく)神様しかないわけで、既にその神様から「日本は皇国である」とその本質(國體)が明かされているのです。

 ということは、あとはそれを「感じ」るよう努めるだけです。
 「言挙げせぬ国」ということは、そういうことなんじゃないでしょうか。


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② 「天皇器官」説

2020年04月05日 | 心の持ち様
2017.05/09 (Tue)

 昔、美濃部達吉博士(昔の都知事、美濃部亮吉の父)の「天皇機関説」というのがありました。
 「畏れ多くも天皇陛下を『機関』、とは何事だ!物みたいに。不敬ではないか!」ということで、博士は尋問を受けたのだそうですが、
 「私の論文のどこに陛下を愚弄するようなことが書いてあるというのか!」
 と、博士は一歩も退かずやり合ったのだそうです。
 主義の違いはともかく、学者たるもの、学説を主張するに命を懸ける事は誉められこそすれ貶されることではない。言を左右にして絶対に謝ろうとしないどこかの政治家に比べたら、数等良い。

 それはともかくとして。
 天皇陛下を、学説としてそうであっても、現実に「機関」と表現するのは、相当な覚悟の上だったのでしょう。

 「天皇機関説」。
 国家という大きな仕組みは、有機的な生命体と言っても良いもので、その複雑な構造体には、頭脳(中枢)や心臓となって国を動かす(国政)存在が必要不可欠であり、我が国では天皇がその必要不可欠な存在であって、何事に於いても天皇の聖断を仰がなければならない。正に天皇という存在は国を成り立たせる最重要な「機関(仕組み)」なのである。
 大まかに言えばこんなところでしょうか。

 「我が国にとって何より大切な仕組み(機関)」と唱える美濃部達吉博士に対し、「天皇陛下を物と同じような見方をしている」と怒ったのが、軍部と野党の立場。唯物思想と皇国美化視の対決です。
 しかし、根本的に価値観が違うのだから、双方共に天皇陛下を尊崇してはいても、平行線です。
 軍、野党は陛下を神聖視(確かに、帝国憲法には『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』とありますが)しているのに対し、美濃部博士は「国体」の最重要な存在であると、存在意義の面から尊崇していた。
 尊崇はしていても、一方は「神として」、であり、一方は唯物思想で、しかし国家を定義する「法」に於いて、特別な存在、としていた。
 だから、軍、野党から見れば不敬にしか見えないし、美濃部博士からすれば、「頭脳のような存在」ということのどこが不敬なんだ!ということになる。

 自信を持って反駁する博士に対し、遂に罪を問うことはできませんでした。
 「どうも不敬ということではなさそうだな」となった、と見ます。

 ところで、この「天皇機関説」の「機関」というのは、意訳なんだそうです。
 本当は「機関」でなく「器官」。
 だから、「天皇機関説」でなくって、本来なら「天皇器官説」です。
 こう書いたらどんな感じになりますか?
 「天皇機関説ならまだしも、天皇器官説とは何だ!不敬だ!」となりませんか。
 美濃部博士も「器官説」という、臓器を思わせる(臓器ですけど)生々しい表現でなく、その存在の意義ということで敢えて「機関」としたのでしょう。

 でも、これ、よくよく見ると「機関(仕組み)」という命のないものに対して、「器官」は血の通った最重要な存在という感じは強くなります。
 美濃部博士でさえ「器官」と訳するのをためらって「機関」とした。
 しかし、そのために却って血の通わない冷たい仕組みとしか捉えられなくなった。(勿論、「天皇器官説」とやったら、全く問答無用、だったでしょう)

 唯物思想と天皇陛下、さらには皇室、は相容れないもの、と結論付けるのは簡単なことです。けれど、それでは「ああそうですか」、で終わりです。
 繰り返しますが、美濃部博士が「器官」とせず、「機関」としたこと、また自分は陛下に不敬の気持ちなど、毛頭ないと主張したことから、陛下を尊崇する気持ちはあったと思います。
 ここを見なければ唯物思想を持つ日本人は、日本人ではない、と切り捨てられるばかりになる。

 さて、では本当に、天皇陛下は「器官」乃至は「機関」なのか。

~違和感のある言葉②「天皇制」  (2012年3月5日の日記より)~

 注)「皇国美化史観」、と書かず、敢えて「皇国美化視」と書いたのは、「流れ」として捉える「史観」という姿勢が感じられないからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 唯物思想主義者である美濃部博士に、天皇・皇室に対する尊崇の念が本当にあったのか、ということは、ここでは探索のしようがありません。
 息子である美濃部亮吉東京都知事は共産主義者だったということですが、まさか「共産主義は家伝だ」ということはないでしょうし。

 ただ、近代唯物論者は「言霊」とか「戀闕(恋闕・れんけつ)」、「至誠」等の「心の働き(意志を貴ぶ)」を見ないで、「仕組み(構造)」を重視するがゆえに「~制」という言葉にはあまり拒否感を示さない。それどころか、そう言い換えることを良しとする風まであります。
 「君主制」に対する「天皇制」などはまさにそうです。
 そうなれば「心の働き」などは倣おうとしない息子は、共産主義思想の持ち主に、なんてことは当然の成り行きなのかもしれません。
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