2017.06/02 (Fri)
この獲得目標三五キロメートルの燃費には重大な意味があった。軽自動車の燃費がハイブリッドカーに負けていたからだ。五人乗りハイブリッドカーの二代目トヨタ・プリウスは二〇〇三年の時点で燃費三五・五キロメートルを達成していた。
このプリウスのエンジン排気量は一五〇〇ccで、軽自動車の六六〇ccの二倍以上ある。それなのに四人乗りの軽く小さな軽自動車より、登録車のプリウスのほうが燃費がいいのは、なぜだという疑問が世間に浮上してくる。
しかもハイブリッドカーの市場競争が激化した結果として、二〇一六年三月現在では一六〇万円台のハイブリッドカーが売られている。
つまりハイブリッドカーは軽自動車よりも燃費がよく、その価格は軽自動車の価格帯にせまりつつあった。軽自動車はハイブリッドカーに追い込まれているようにみえた。
しかし冷静に考えれば、登録車のハイブリッドカーはエンジン排気量やボディーサイズを自由に決められ、そのうえ電気モーターやバッテリー、発電機にも規制がないから、軽自動車より燃費が良くなるのは必然的なところがある。
たとえばエンジンの排気量を、電気モーター、発電機、バッテリーとの最高効率のバランスをとって自由に設定できる。あるいはボディーのサイズを自由に設定して空気抵抗を軽減したボディーデザインにすることも可能だ。
しかし軽自動車は法律で細かく規定されているスモールカーだから、エンジン排気量の上限は六六〇ccで、ボディーのサイズも規定より大きくすることはできない。しかもエンジンパワーだけで駆動されていて、電気モーターのたすけをかりていない。
ようするに技術開発の自由度が圧倒的にちいさいので、ハイブリッドカーのように短期間の開発で燃費を向上させることが困難であった。
そのような技術的な次元のちがいを理解する人たちは、軽自動車の燃費が負けていることを疑問に思わないが、それは少数派にすぎない。技術的な次元がちがうということを理解しない多数派は、現実の燃費数字で単純な比較をするから、そうは思わない。
「軽自動車を生産販売する自動車メーカーとその技術者が燃費向上の努力をおこたっている」
と思うかもしれない。
サボっていると言われても、軽自動車メーカーもその技術者も面と向かっての反論はむずかしい。
この多数派を納得させるためには、現実に軽自動車の燃費を向上させるほかに方法がないのである。
~(ダイハツコペン開発物語 中部勉)~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「多数派を納得させるためには、現実に軽自動車の燃費を向上させるほかに方法がないのである。」
↓
「次元がちがうということを理解しない多数派は、現実の(燃費)数字で単純な比較をする。」
いろんなことを考えます。
この場合は多数派も少数派もダイハツの顧客、ダイハツのクルマの購買層なわけですが、つい、国政、とか一般社会でのそれを重ねてみてしまいます。別にいいですよね、本ってのは読者が何を読み取るか、ですから。
多数派が主導権を握るのが民主主義だから、主導権を握ろうと思えば人々を納得させて多数派を形成しなくちゃならない。
(勿論「民主主義」だから、少数派にも主張する権利は同等にある。)
ところがこの多数派という奴、「多数派」になった時点で主導権を握ったわけだ。そうなると難しいことを考えたり言ったりしなくても、代表となった者(リーダー、頭、議員など)の大奮闘で「思い」が実現するわけだから、すぐ何でも代表に丸投げしてしまうようになる。
そして思う。「オレは神。代表(公僕)は、下僕」
全く勉強をしなくなる。そして言う。
「分かるように説明してみろ。聞いてやるから」
ダイハツ(に限らないけど)多数派の購買層も言う。「オレが買うんだ。欲しいと思うようなクルマをつくってみろ。買ってやるから」
「何で、ハイブリッドカーに燃費で負けてんだ?軽なのに?値段だってあんまし変わらないじゃないか。こんなんだったら、軽、やめてハイブリッドカーにするぞ!」
「多数派が主導権を」、と書いたけど車の場合購買者=多数派ということになります。
だから、みんなが言う。
「分かるように説明してみろ。聞いてやるから」
でも、実際は「聞いてやる」という態度だから、なかなか理解しない(理解できない)。
それを納得させるには「軽の方が、やっぱり燃費がいい」という数字の提示による「論より証拠」。
代表が狡猾な人物だったら、詐欺的言辞を弄して人心を操り、多数派を形成して会社より私利私欲、の実現に走る。
熱誠の人ならば、「オレは神」と踏ん反り返っている多数派を、「そうではない。クルマとは~」と正論を吐くから、多数派の
「お前は何様だ。俺はお客様=神だぞ!」
の一言で、瞬く間に代表の座から引き摺り下ろされる。
政治の場合はもっと悲惨です。代表の必死の説得よりも、「俺はお客様=神」の側に立っているふりをしてリーダーを引き摺り下ろそうと画策する「反対勢力」という連中がいつもいる。酷いときになるとリーダー周辺にいる反対勢力が「後ろから鉄砲を撃ってくる」こともある。
以上は指導者(リーダー)の苦悩について思ったことです。
この獲得目標三五キロメートルの燃費には重大な意味があった。軽自動車の燃費がハイブリッドカーに負けていたからだ。五人乗りハイブリッドカーの二代目トヨタ・プリウスは二〇〇三年の時点で燃費三五・五キロメートルを達成していた。
このプリウスのエンジン排気量は一五〇〇ccで、軽自動車の六六〇ccの二倍以上ある。それなのに四人乗りの軽く小さな軽自動車より、登録車のプリウスのほうが燃費がいいのは、なぜだという疑問が世間に浮上してくる。
しかもハイブリッドカーの市場競争が激化した結果として、二〇一六年三月現在では一六〇万円台のハイブリッドカーが売られている。
つまりハイブリッドカーは軽自動車よりも燃費がよく、その価格は軽自動車の価格帯にせまりつつあった。軽自動車はハイブリッドカーに追い込まれているようにみえた。
しかし冷静に考えれば、登録車のハイブリッドカーはエンジン排気量やボディーサイズを自由に決められ、そのうえ電気モーターやバッテリー、発電機にも規制がないから、軽自動車より燃費が良くなるのは必然的なところがある。
たとえばエンジンの排気量を、電気モーター、発電機、バッテリーとの最高効率のバランスをとって自由に設定できる。あるいはボディーのサイズを自由に設定して空気抵抗を軽減したボディーデザインにすることも可能だ。
しかし軽自動車は法律で細かく規定されているスモールカーだから、エンジン排気量の上限は六六〇ccで、ボディーのサイズも規定より大きくすることはできない。しかもエンジンパワーだけで駆動されていて、電気モーターのたすけをかりていない。
ようするに技術開発の自由度が圧倒的にちいさいので、ハイブリッドカーのように短期間の開発で燃費を向上させることが困難であった。
そのような技術的な次元のちがいを理解する人たちは、軽自動車の燃費が負けていることを疑問に思わないが、それは少数派にすぎない。技術的な次元がちがうということを理解しない多数派は、現実の燃費数字で単純な比較をするから、そうは思わない。
「軽自動車を生産販売する自動車メーカーとその技術者が燃費向上の努力をおこたっている」
と思うかもしれない。
サボっていると言われても、軽自動車メーカーもその技術者も面と向かっての反論はむずかしい。
この多数派を納得させるためには、現実に軽自動車の燃費を向上させるほかに方法がないのである。
~(ダイハツコペン開発物語 中部勉)~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「多数派を納得させるためには、現実に軽自動車の燃費を向上させるほかに方法がないのである。」
↓
「次元がちがうということを理解しない多数派は、現実の(燃費)数字で単純な比較をする。」
いろんなことを考えます。
この場合は多数派も少数派もダイハツの顧客、ダイハツのクルマの購買層なわけですが、つい、国政、とか一般社会でのそれを重ねてみてしまいます。別にいいですよね、本ってのは読者が何を読み取るか、ですから。
多数派が主導権を握るのが民主主義だから、主導権を握ろうと思えば人々を納得させて多数派を形成しなくちゃならない。
(勿論「民主主義」だから、少数派にも主張する権利は同等にある。)
ところがこの多数派という奴、「多数派」になった時点で主導権を握ったわけだ。そうなると難しいことを考えたり言ったりしなくても、代表となった者(リーダー、頭、議員など)の大奮闘で「思い」が実現するわけだから、すぐ何でも代表に丸投げしてしまうようになる。
そして思う。「オレは神。代表(公僕)は、下僕」
全く勉強をしなくなる。そして言う。
「分かるように説明してみろ。聞いてやるから」
ダイハツ(に限らないけど)多数派の購買層も言う。「オレが買うんだ。欲しいと思うようなクルマをつくってみろ。買ってやるから」
「何で、ハイブリッドカーに燃費で負けてんだ?軽なのに?値段だってあんまし変わらないじゃないか。こんなんだったら、軽、やめてハイブリッドカーにするぞ!」
「多数派が主導権を」、と書いたけど車の場合購買者=多数派ということになります。
だから、みんなが言う。
「分かるように説明してみろ。聞いてやるから」
でも、実際は「聞いてやる」という態度だから、なかなか理解しない(理解できない)。
それを納得させるには「軽の方が、やっぱり燃費がいい」という数字の提示による「論より証拠」。
代表が狡猾な人物だったら、詐欺的言辞を弄して人心を操り、多数派を形成して会社より私利私欲、の実現に走る。
熱誠の人ならば、「オレは神」と踏ん反り返っている多数派を、「そうではない。クルマとは~」と正論を吐くから、多数派の
「お前は何様だ。俺はお客様=神だぞ!」
の一言で、瞬く間に代表の座から引き摺り下ろされる。
政治の場合はもっと悲惨です。代表の必死の説得よりも、「俺はお客様=神」の側に立っているふりをしてリーダーを引き摺り下ろそうと画策する「反対勢力」という連中がいつもいる。酷いときになるとリーダー周辺にいる反対勢力が「後ろから鉄砲を撃ってくる」こともある。
以上は指導者(リーダー)の苦悩について思ったことです。