2013.06/03 (Mon)
確か36歳だったんじゃないか。
剣術を習い始めて十年経ったか経たないかの頃だ。
下北半島から「東北太平洋岸南下ツーリング」の三日目くらいだったろう。
盛岡の橋市道場という道場へ、諸賞流の稽古を見せてもらいに寄った。
これまでにも何度か日記に書いた、その破壊力が半端でない強烈な当て身技を持っている、というあの流儀だ。
源頼朝の前で技を披露したところ、鎧の胴に入れた肘打ちのせいで、見た目には何ともなかったものの、内側に打撃が透り、内側の鉄片が突き破られていた、という。
狐伝流から観世流と名前を換えて残されていたこの流儀は、その技前の見事さを「居並ぶ諸将が賞讃」したため、改めて「諸賞流」と称することになったのだそうだ。
空手の肘打ちの破壊力は、テレビなどでも見る機会があるし、その強烈さは何となく分かる。瓦を何枚も重ねたのを肘の一撃で打ち割ってしまうのを見れば、子供だってその破壊力に目を瞠る。
けれど、日本の古流武術で、そこまでの当て身をする流儀なんて聞いたことがない。
「日本では、当て身は飽く迄も敵の動きを止めるためのものであって、一撃必殺の突きや蹴りなどは必要ないと思っていたからだろう」
だから、そんな風に当て推量をしていた。
実際、古流武術の型を見ると、ほぼ例外なく短刀を帯に挟んで行うものであり、当て身、投げ、絞め、極めなどの術を施した後、必ず留めの一撃を行うようになっている。そしてその多くは短刀(脇差か鎧通しを擬しているのだろう)で行う。
文字通り、「止めを刺す」わけだ。
その合理性を、頭では分かるものの、何だか武術の持つ「圧倒的な破壊力」、みたいなものが見られないというのは、妙に物足りないというか、線が細いような気がして仕方がなかった。
あの八極拳のように、敵がどんな変則的な攻撃をして来たって
「そんなもの、ガンとやれば終わりだ」
というような豪快さや、形意拳の郭雲深のように
「半歩崩拳普く天下を打つ(はんぽぽんけんあまねくてんかをうつ)」
と称された無敵の様、みたいなのが日本武術にはないのか。
いや、日本にだって、あることはある。
有名な話だが、示現流の東郷重位(とうごうしげたか)が、欅の碁盤に切り付けた刀は、真ん中あたりから碁盤を切り抜け、畳を切り通した切っ先は根太の半分近くまで切込んでいた、という。
しかしこれは「この覚悟でやれ。地獄の底まで切り抜くのが当流の『意地』だ」、と我が子と弟子に教えるためだった。
「破壊力をつけよ」、ではなく、流儀の本意、覚悟・境地の工夫を求めたものだった。
駒川改心流の黒田鉄山師範は、一抱えもある柿の大木を抜き打ちに切断した人の話をどこかで書かれていたが、「腕が上がったらそんなことは簡単にできるようになる」、というような書き振りで、もうこうなると破壊力云々のレベルではない。
剣術ならば、こういった話はいくらでもあるようだが、書いて来たように柔術となると、当て身を多用する流派で、破壊力に定評があって・・・なんてのは聞いたことがない。
でも、この諸賞流は破壊力で知られている。一体どんなのだろう。
その日が稽古日だという事をツーリングに出る前に確かめて置いて、当日、電話を掛けた。
見学したい旨、伝えると、「見に来ても良い」、と言われる。
・・・・・・ということで、続きます。
確か36歳だったんじゃないか。
剣術を習い始めて十年経ったか経たないかの頃だ。
下北半島から「東北太平洋岸南下ツーリング」の三日目くらいだったろう。
盛岡の橋市道場という道場へ、諸賞流の稽古を見せてもらいに寄った。
これまでにも何度か日記に書いた、その破壊力が半端でない強烈な当て身技を持っている、というあの流儀だ。
源頼朝の前で技を披露したところ、鎧の胴に入れた肘打ちのせいで、見た目には何ともなかったものの、内側に打撃が透り、内側の鉄片が突き破られていた、という。
狐伝流から観世流と名前を換えて残されていたこの流儀は、その技前の見事さを「居並ぶ諸将が賞讃」したため、改めて「諸賞流」と称することになったのだそうだ。
空手の肘打ちの破壊力は、テレビなどでも見る機会があるし、その強烈さは何となく分かる。瓦を何枚も重ねたのを肘の一撃で打ち割ってしまうのを見れば、子供だってその破壊力に目を瞠る。
けれど、日本の古流武術で、そこまでの当て身をする流儀なんて聞いたことがない。
「日本では、当て身は飽く迄も敵の動きを止めるためのものであって、一撃必殺の突きや蹴りなどは必要ないと思っていたからだろう」
だから、そんな風に当て推量をしていた。
実際、古流武術の型を見ると、ほぼ例外なく短刀を帯に挟んで行うものであり、当て身、投げ、絞め、極めなどの術を施した後、必ず留めの一撃を行うようになっている。そしてその多くは短刀(脇差か鎧通しを擬しているのだろう)で行う。
文字通り、「止めを刺す」わけだ。
その合理性を、頭では分かるものの、何だか武術の持つ「圧倒的な破壊力」、みたいなものが見られないというのは、妙に物足りないというか、線が細いような気がして仕方がなかった。
あの八極拳のように、敵がどんな変則的な攻撃をして来たって
「そんなもの、ガンとやれば終わりだ」
というような豪快さや、形意拳の郭雲深のように
「半歩崩拳普く天下を打つ(はんぽぽんけんあまねくてんかをうつ)」
と称された無敵の様、みたいなのが日本武術にはないのか。
いや、日本にだって、あることはある。
有名な話だが、示現流の東郷重位(とうごうしげたか)が、欅の碁盤に切り付けた刀は、真ん中あたりから碁盤を切り抜け、畳を切り通した切っ先は根太の半分近くまで切込んでいた、という。
しかしこれは「この覚悟でやれ。地獄の底まで切り抜くのが当流の『意地』だ」、と我が子と弟子に教えるためだった。
「破壊力をつけよ」、ではなく、流儀の本意、覚悟・境地の工夫を求めたものだった。
駒川改心流の黒田鉄山師範は、一抱えもある柿の大木を抜き打ちに切断した人の話をどこかで書かれていたが、「腕が上がったらそんなことは簡単にできるようになる」、というような書き振りで、もうこうなると破壊力云々のレベルではない。
剣術ならば、こういった話はいくらでもあるようだが、書いて来たように柔術となると、当て身を多用する流派で、破壊力に定評があって・・・なんてのは聞いたことがない。
でも、この諸賞流は破壊力で知られている。一体どんなのだろう。
その日が稽古日だという事をツーリングに出る前に確かめて置いて、当日、電話を掛けた。
見学したい旨、伝えると、「見に来ても良い」、と言われる。
・・・・・・ということで、続きます。