2010.09/04 (Sat)
「稚気愛すべし」と題して書き散らしていくうちに、収拾がつかなくなりました。
日本は「稚気を愛する文化」を持っており、例えばお洒落(美的センス)にもそれがあらわれているし、歌などにはわざわざ「時代」をつけるために旅行をした振りをする人までいた、など思いつくままに書いて見たんですが。
やっぱりこうやって書いてみるもんです。書いてどなたからかのコメントでヒントが、となることもあり、残念ながらコメントがなくっても書いたことで見過ごしていたことが見えてくることもあり、で考えは少しずつ深まるんですね、この歳になっても。もう大概、石頭になって居るんですが、まだ変化するらしい。
「万物は流転する。」私の頭もその一つ。
前回は「お洒落は、やせ我慢」、というのが日本の考え方で、それが「粋」とも重なる、みたいなことを思ったのですが、おかげで数ヶ月前からきっかけをさがしていたことを書けそうな気がしてきました。
「お洒落 パート2」、です。
本当なら「稚気愛すべし パート2」とすべきなんですが、三題噺みたいに稚気→やせ我慢→お洒落となった行き掛かり上、もう「稚気」には戻れない(何ともえらそうなことを言っております)。原点が曖昧なんです。戻ろうと思ったってそんな曖昧な一年も前の霧の彼方、幻影みたいな原点に帰ろうったって戻る場所が分からないのに。途中で迷子になってしまう(居直ってます)。
今の場所をしっかり見詰めて、足元から明らかにしていくしかないでしょう。救助隊は来ないんだから。あれだけ「あなた方に言われたくない」って言い続けたんだから、今更「円卓会議を」なんて「どの面さげて言ってんだ」ってなもんです。
三年先、なんてとぼけたこと言わないで何が何でも十年先のことまで明らかにし、せめて大きな志を持って大きな絵を描かなけりゃ。
できるできない、じゃないですよ。このままでは国が潰れる・・・・ん?
代表選の話じゃなかったですね。
いい加減な思い付き日記の展開と民主党の輝ける政権交代後の一年間を、同じレベルの展開と思い込んじゃいけません。
まあ、良しとして下さい。おかげで大きな絵を描いて見せてくれた麻生元首相の話に入ることができる。
ニュースなどで編集されていない麻生元首相の演説を聞いたことのある人なら、また読んだことのある人なら分かっていただけるでしょうが、麻生元首相の演説を聞くと元気が出てきます。
これは民主党の一般の議員は言うまでもなく、現総理も前の鳩総理もできないことです。
一所懸命、拳を揮って演説をする現総理。聴衆の中に大宇宙を見出したのか、焦点をはるか彼方に向けて平行目線(茫然自失目線と名付けました)を貫いてきたH総理。いずれも心が感じらず、ただ実利を求める説明会のような気がするのですが、麻生元首相は違う。
話が面白い。時に口が滑って、という失敗もある。けど、何より大きな絵を描いて見せること、そこへの道程を常に平易に話してくれる、ということが前の二人とは全く違う。
「一に雇用、二に雇用、三に雇用」って繰り返されて、「成程!」と思いますか?納得できますか?アナウンサーだってもっと気の利いたこと言いますよ。
一体、この大きな違いはどこから来るのか。
そう考えたらどうも、これまた、日常のちょっとしたことから来ているんじゃないかと思い付いたんです。
国会の本会議で、袖に大きなタグをつけたままの新しいスーツで答弁をしていたk総理は言うまでもないのですが、H前総理にしたってあの誂えたというシャツの悪趣味なこと、この世の物ではない。褒める人のセンスは醗酵状態でしょう。センスが原形をとどめてない。
「稚気愛すべし」と題して書き散らしていくうちに、収拾がつかなくなりました。
日本は「稚気を愛する文化」を持っており、例えばお洒落(美的センス)にもそれがあらわれているし、歌などにはわざわざ「時代」をつけるために旅行をした振りをする人までいた、など思いつくままに書いて見たんですが。
やっぱりこうやって書いてみるもんです。書いてどなたからかのコメントでヒントが、となることもあり、残念ながらコメントがなくっても書いたことで見過ごしていたことが見えてくることもあり、で考えは少しずつ深まるんですね、この歳になっても。もう大概、石頭になって居るんですが、まだ変化するらしい。
「万物は流転する。」私の頭もその一つ。
前回は「お洒落は、やせ我慢」、というのが日本の考え方で、それが「粋」とも重なる、みたいなことを思ったのですが、おかげで数ヶ月前からきっかけをさがしていたことを書けそうな気がしてきました。
「お洒落 パート2」、です。
本当なら「稚気愛すべし パート2」とすべきなんですが、三題噺みたいに稚気→やせ我慢→お洒落となった行き掛かり上、もう「稚気」には戻れない(何ともえらそうなことを言っております)。原点が曖昧なんです。戻ろうと思ったってそんな曖昧な一年も前の霧の彼方、幻影みたいな原点に帰ろうったって戻る場所が分からないのに。途中で迷子になってしまう(居直ってます)。
今の場所をしっかり見詰めて、足元から明らかにしていくしかないでしょう。救助隊は来ないんだから。あれだけ「あなた方に言われたくない」って言い続けたんだから、今更「円卓会議を」なんて「どの面さげて言ってんだ」ってなもんです。
三年先、なんてとぼけたこと言わないで何が何でも十年先のことまで明らかにし、せめて大きな志を持って大きな絵を描かなけりゃ。
できるできない、じゃないですよ。このままでは国が潰れる・・・・ん?
代表選の話じゃなかったですね。
いい加減な思い付き日記の展開と民主党の輝ける政権交代後の一年間を、同じレベルの展開と思い込んじゃいけません。
まあ、良しとして下さい。おかげで大きな絵を描いて見せてくれた麻生元首相の話に入ることができる。
ニュースなどで編集されていない麻生元首相の演説を聞いたことのある人なら、また読んだことのある人なら分かっていただけるでしょうが、麻生元首相の演説を聞くと元気が出てきます。
これは民主党の一般の議員は言うまでもなく、現総理も前の鳩総理もできないことです。
一所懸命、拳を揮って演説をする現総理。聴衆の中に大宇宙を見出したのか、焦点をはるか彼方に向けて平行目線(茫然自失目線と名付けました)を貫いてきたH総理。いずれも心が感じらず、ただ実利を求める説明会のような気がするのですが、麻生元首相は違う。
話が面白い。時に口が滑って、という失敗もある。けど、何より大きな絵を描いて見せること、そこへの道程を常に平易に話してくれる、ということが前の二人とは全く違う。
「一に雇用、二に雇用、三に雇用」って繰り返されて、「成程!」と思いますか?納得できますか?アナウンサーだってもっと気の利いたこと言いますよ。
一体、この大きな違いはどこから来るのか。
そう考えたらどうも、これまた、日常のちょっとしたことから来ているんじゃないかと思い付いたんです。
国会の本会議で、袖に大きなタグをつけたままの新しいスーツで答弁をしていたk総理は言うまでもないのですが、H前総理にしたってあの誂えたというシャツの悪趣味なこと、この世の物ではない。褒める人のセンスは醗酵状態でしょう。センスが原形をとどめてない。
麻生元首相は大変お洒落です。ただこのお洒落、日本の「粋」とはちょっと違っているようで、どちらかと言えば白洲次郎、ですか(吉田茂の側近だったから、習ったのかもしれません)。
「稚気」の大人版である「やせ我慢」からの「粋」と違って、こだわらない(拘泥しない)或いはこだわりを決して外に見せないという「粋」が麻生前総理にはある。「それもやせ我慢じゃないか」と言われたらそれまでですが、稚気からのやせ我慢は「目立つこと」、「派手なこと」もOKです。
けれど麻生太郎、白洲次郎のそれは、「目立たぬこと」「地味であること」を本分とする。
また、それって衆人の中では却って目立つんですよね。「渋い」というやつです。ちょいワル(もう古いですね)みたいな、軽薄なものではない。
ボウ・ブランメルという人は19世紀社交界では知らぬ人がないほどの洒落者だったそうですが、彼は他の人と同じく毎日きちんとタイを結んで人前に出る。
当時のタイというのは、上等の麻のスカーフみたいなものだったようです。
現在のアスコット・スカーフより厚手だったと思われますが、ふわりとした物だったみたいです。
そのタイが実に美しく、しかもさり気なく結ばれている。
みんなそれを真似ようとするのだが、誰も彼ほど自然に結ぶことができない。
ボウ・ブランメル(洒落者ブランメル)。彼のタイは結び目にきれいな陰影があり、他の部分に目障りな皺が一つもない。
どうしてもその理由を知りたいと思った人が聞いたそうです。
「貴方は何故そんなにきれいにタイを結べるのですか。そのための召使いを抱えておいでなのか。」
するとブランメル、事も無げに、
「いや、うまく結べなければ結び直すだけですよ」
彼は毎回、出かける前にタイを数十本用意し、結んでは解き、を繰り返していたのです。糊付けしてあるため一度結べば皺になります。だから毎日数十本以上用意がしてあったそうです。
結んでは解きを繰り返し、皺の入ったタイの山を築く頃、やっとボウ・ブランメルの首には美しく結ばれたタイが・・・・・というわけです。
「稚気」の大人版である「やせ我慢」からの「粋」と違って、こだわらない(拘泥しない)或いはこだわりを決して外に見せないという「粋」が麻生前総理にはある。「それもやせ我慢じゃないか」と言われたらそれまでですが、稚気からのやせ我慢は「目立つこと」、「派手なこと」もOKです。
けれど麻生太郎、白洲次郎のそれは、「目立たぬこと」「地味であること」を本分とする。
また、それって衆人の中では却って目立つんですよね。「渋い」というやつです。ちょいワル(もう古いですね)みたいな、軽薄なものではない。
ボウ・ブランメルという人は19世紀社交界では知らぬ人がないほどの洒落者だったそうですが、彼は他の人と同じく毎日きちんとタイを結んで人前に出る。
当時のタイというのは、上等の麻のスカーフみたいなものだったようです。
現在のアスコット・スカーフより厚手だったと思われますが、ふわりとした物だったみたいです。
そのタイが実に美しく、しかもさり気なく結ばれている。
みんなそれを真似ようとするのだが、誰も彼ほど自然に結ぶことができない。
ボウ・ブランメル(洒落者ブランメル)。彼のタイは結び目にきれいな陰影があり、他の部分に目障りな皺が一つもない。
どうしてもその理由を知りたいと思った人が聞いたそうです。
「貴方は何故そんなにきれいにタイを結べるのですか。そのための召使いを抱えておいでなのか。」
するとブランメル、事も無げに、
「いや、うまく結べなければ結び直すだけですよ」
彼は毎回、出かける前にタイを数十本用意し、結んでは解き、を繰り返していたのです。糊付けしてあるため一度結べば皺になります。だから毎日数十本以上用意がしてあったそうです。
結んでは解きを繰り返し、皺の入ったタイの山を築く頃、やっとボウ・ブランメルの首には美しく結ばれたタイが・・・・・というわけです。
また、或る時とても質の良い生地でつくられた上着を着て出て来た。
さすが洒落者ブランメル。良い物を着ているとみんな感心したのだが、どうしたことか翌日も翌々日も同じ物を着て来る。
気に入っているのは分かるが三日も四日も同じものとは、らしくもないと、からかった者がいた。
「良いものだとは思うが、それしか持ってないのかね?」
するとまたもや事も無げに、
「いや、服というものは週に一度しか着られぬものだからね。」
彼のワードローブには、同じ仕立ての同じ物が七着入っていたということです。
こんなことから、彼はダンディーの元祖と言われています。
地味で変わり映えがしなくて旧態依然としていて、でも何か違う。光るものがある。構えたところを全く見せず、でも寸分の隙もない着こなしをしている。これも又「粋」です。「やせ我慢」をちっとも表面に出さない。
日々努力。日々研鑽。「稚気」とは違うでしょう?
この地味な「日々の努力を重ねつつ、それを決して表に出さない」けれど国の将来をしっかり見据えている。こういう姿勢が服装にも出て来る。
麻生太郎という人は、もしかしたら国会議員の中でガーターベルトを常用するただ一人の人かもしれません。
わざわざイギリスの以前からの店に注文して取り寄せている、と聞きました。デパートにも置いてないみたいです。ダンディーな人は必ず遣うガーターベルト。
? 靴下止めですよ勿論。ガーターベルトですから。
さすが洒落者ブランメル。良い物を着ているとみんな感心したのだが、どうしたことか翌日も翌々日も同じ物を着て来る。
気に入っているのは分かるが三日も四日も同じものとは、らしくもないと、からかった者がいた。
「良いものだとは思うが、それしか持ってないのかね?」
するとまたもや事も無げに、
「いや、服というものは週に一度しか着られぬものだからね。」
彼のワードローブには、同じ仕立ての同じ物が七着入っていたということです。
こんなことから、彼はダンディーの元祖と言われています。
地味で変わり映えがしなくて旧態依然としていて、でも何か違う。光るものがある。構えたところを全く見せず、でも寸分の隙もない着こなしをしている。これも又「粋」です。「やせ我慢」をちっとも表面に出さない。
日々努力。日々研鑽。「稚気」とは違うでしょう?
この地味な「日々の努力を重ねつつ、それを決して表に出さない」けれど国の将来をしっかり見据えている。こういう姿勢が服装にも出て来る。
麻生太郎という人は、もしかしたら国会議員の中でガーターベルトを常用するただ一人の人かもしれません。
わざわざイギリスの以前からの店に注文して取り寄せている、と聞きました。デパートにも置いてないみたいです。ダンディーな人は必ず遣うガーターベルト。
? 靴下止めですよ勿論。ガーターベルトですから。
ただし女性が腰にするのと違って、膝の下、ふくらはぎのところにするんです。
用途は女性の場合と一緒で靴下がずり落ちるのを防ぐためです。いくら高価な靴をピカピカに磨きあげて履いていても、足首の近辺に靴下の皺があれば「粋」ではない。でも靴下はずり落ちて来るもの。だからハイソックスを穿くかガーターベルトを遣う。
これ、昔は「粋」以前の「身だしなみ(身の嗜み)」でしかなかったんですけど。
「一部の隙もない」ところに何かを加えて、初めて「粋」。
分かりやすいところで言えばネクタイのディンプルです。
無造作に締めたらできるのがディンプル、みたいに見えるのですが無造作に締めたらできないのがディンプルなんです。
「クールビズ」でノーネクタイ、なんて発想からは
「『粋』なんか実用に関係ない、合理性に欠ける」となるでしょうから、そういう人は聞く耳を持たないだろうけど。
まあピンクのシャツにノーネクタイ、仕上げに白いソックスなんて公安委員長もいますからねえ。
「日々の努力を重ねつつ~」は、無理だろうなあ。
用途は女性の場合と一緒で靴下がずり落ちるのを防ぐためです。いくら高価な靴をピカピカに磨きあげて履いていても、足首の近辺に靴下の皺があれば「粋」ではない。でも靴下はずり落ちて来るもの。だからハイソックスを穿くかガーターベルトを遣う。
これ、昔は「粋」以前の「身だしなみ(身の嗜み)」でしかなかったんですけど。
「一部の隙もない」ところに何かを加えて、初めて「粋」。
分かりやすいところで言えばネクタイのディンプルです。
無造作に締めたらできるのがディンプル、みたいに見えるのですが無造作に締めたらできないのがディンプルなんです。
「クールビズ」でノーネクタイ、なんて発想からは
「『粋』なんか実用に関係ない、合理性に欠ける」となるでしょうから、そういう人は聞く耳を持たないだろうけど。
まあピンクのシャツにノーネクタイ、仕上げに白いソックスなんて公安委員長もいますからねえ。
「日々の努力を重ねつつ~」は、無理だろうなあ。