「日本人が知ってはならない歴史 戦後編」(若狭和朋著 朱鳥社)
を読んでいます。
診療所の待合室での時間潰しにと持って行ったこの本。何とも失礼なことをした、と今は思います。
診療所の待合室での時間潰しにと持って行ったこの本。何とも失礼なことをした、と今は思います。
老眼が進んで本を読むのが億劫になって、買ったまま積ん読状態にしていた本です。
が、「殉国七士の墓」に関しての章に目を通し、不覚にも涙が出そうになりました。
東条英機を始めとするA級戦犯の処刑前後、昭和天皇の採られた行動について、書かれてありました。
この中にある東条英機の遺言を読むと、行間から彼が決して戦争を望んでいたのではない、彼は却って何とかして戦争を避けようとしていた、などの気持が伝わってきます。
「A級戦犯が合祀されることになったから、私は靖国へ行くのをやめたのだ」と昭和天皇が仰ったというメモが見つかり、「先帝陛下は彼らを嫌っておられた、だから、靖国神社へ行かれなくなったのだ」というような捉え方の記事が新聞に載ったのは、つい最近のことです。
そのメモが公になった時はショックでした。昭和天皇がこんなことを仰ったのは事実らしい。ということは、陛下は彼らを許しておられなかったのか。
これまでA級戦犯とされた人々のことを、事実無根の罪、と頭では納得していました。
が、恥ずかしいことに、このような新聞記事を見るとそのメモがあるという事実から、やっぱり学校で教えられたことが元にあって、「陛下は彼らを嫌われていた」、という意見の方が頭の中を席捲してしまうのです。
この本で、東条英機という人物の心根、陛下の後に採られた行動を知り、先のメモが真実の物ならば、その解釈は180度変ってしまう、と気付いた時、自分の浅はかさを痛感しました。
「人は自分の能力の範囲内でしか、物事を把握できない」と言います。
一国の総理大臣であった人物の心は勿論、先帝陛下の心(大御心)を、現在の大して努力もしないで生きている自分の心のレベルで判断してしまった。
この恥ずかしさ。申しわけなさと有難さがないまぜになって、涙が出てきたように思いますが、、、。
この中にある東条英機の遺言を読むと、行間から彼が決して戦争を望んでいたのではない、彼は却って何とかして戦争を避けようとしていた、などの気持が伝わってきます。
「A級戦犯が合祀されることになったから、私は靖国へ行くのをやめたのだ」と昭和天皇が仰ったというメモが見つかり、「先帝陛下は彼らを嫌っておられた、だから、靖国神社へ行かれなくなったのだ」というような捉え方の記事が新聞に載ったのは、つい最近のことです。
そのメモが公になった時はショックでした。昭和天皇がこんなことを仰ったのは事実らしい。ということは、陛下は彼らを許しておられなかったのか。
これまでA級戦犯とされた人々のことを、事実無根の罪、と頭では納得していました。
が、恥ずかしいことに、このような新聞記事を見るとそのメモがあるという事実から、やっぱり学校で教えられたことが元にあって、「陛下は彼らを嫌われていた」、という意見の方が頭の中を席捲してしまうのです。
この本で、東条英機という人物の心根、陛下の後に採られた行動を知り、先のメモが真実の物ならば、その解釈は180度変ってしまう、と気付いた時、自分の浅はかさを痛感しました。
「人は自分の能力の範囲内でしか、物事を把握できない」と言います。
一国の総理大臣であった人物の心は勿論、先帝陛下の心(大御心)を、現在の大して努力もしないで生きている自分の心のレベルで判断してしまった。
この恥ずかしさ。申しわけなさと有難さがないまぜになって、涙が出てきたように思いますが、、、。
2010.01/06 (Wed)
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このメモに関して、後に合祀されることになった七人の中にキリスト教の信者がいた、ということについても考えるべきでは、という意見もあります。
国のために命を投げ出した国民を祀るのは当然ながら、祀られる当人はキリスト教徒。神道を否定する立場です。靖國神社に祀られることを望むのか?