外宮(げくう)は15,16の両日、内宮(ないくう)は16,17の両日だそうです。
昔々、内宮での祭祀が行われている時に参拝したことがあります。
午後10時頃だったか、真っ暗な参道を進む祭主の隊列が松明の火に浮かび上がる。
その姿を表そうとしても本当に「厳か」という言葉しか浮かばない。
以前に書いた日記です。↓
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ともかく、まずは日本の祭祀と言えば、農業に係わるものが一番大事。
春分の日や秋分の日は、一年の農業の始めと終わりに、先祖祀りをすることで豊作を願い、豊作を祝う、ということから来ています。
春秋の「彼岸」というと、仏教からのようですが、以前にも書いたように、「彼岸」というのは、実は「日願」のことで、昼夜の時間が半ばする春分の「日」に豊作の「願」をする。同じく秋分の「日」に感謝の祀り、というより、お「祝」いをする。
仏教よりも、農事ということで、これやっぱり神様に、ということから行われ続けてきた、と考える方が自然でしょう。
元旦の祀りとして、宮中で天皇によって行われる四方拝は、何でも北斗七星の星の形に云々、というのがあるんだそうですが、本来は文字通り、四方を拝することで八百万の神達に
「今年もよろしくお願いします。皇祖神の勅命のままに、日本が弥栄に栄えますように」
と、宣(の)るものだった。
何で、正月一日か、というと、旧暦ではその日から昼が長くなるから。
つまり、それが一年の始まりなのだ、と。
筋通ってるし、分かりやすいですよね、これ。
今の暦はキリスト教暦なものだから、日本とはずれてしまって、その辺が何だかピンと来ません。
で、神嘗祭と言えば、伊勢神宮のそれを思い出すのだけれど、それぞれの神社でそれぞれにあっても、別におかしいことはない。
考えてみれば古くからの神社で、神嘗祭をやらない方が少数派なんじゃないでしょうか。
これまた何度も書いてきたことですが、何で「神嘗祭(かんなめさい)」というか。
それは「神」様が「新穀(収穫物)」を「嘗(な)める」、つまり、召し上がる祀りだから。
収穫の奉告と感謝をする祭りなので、神嘗祭と言います。
字面だけ見て、
「ああ、神社に収穫物を奉献するんだな」
と見るのが一般ですよね。
しかしこれ、気をつけて欲しいところです。
日本の祭祀は世界中にある感謝祭とはよほど様子が違っている。
どこが、そして何が違うか分かりました?
「収穫の奉告と感謝」、と書いているでしょう?
「感謝」だけの祭りなら、世界中どこでもあるけれど、「奉告」するってことになると、意外とやらないんです。
大体「感謝祭」というのは、そこらのスーパーだってやってることで、それは「お客様に感謝します!」だから、安売りしたり増量したりすればそれでよし。
けれども、神嘗祭に限らず、「祭祀」というのは感謝の態度を表せば良いだろう、新穀を奉献すれば良いだろう、ではない。
「言わなくたって分かってるじゃないか」、ではなくて、口に出して言ってこそ、「奉告」してこそ、「奉献」の意味があるんです。
ちゃんと「奉告」という名前の「口上」を述べて、然る後に、或いは同時に「奉献」する。
未分化の状態で「感謝」、とやっているのとは違って厳格な形式があるわけです。
①祝詞を奏上して、②新穀等を奉献する。これが決まりです。これが祀りです。
まあ、そんなに大袈裟なことではない。
身近な例で言えば、食事の際、箸を手に持ち、目の前の御馳走を見て、何から食べようかな、と品定めしながら「いっただっきまぁ~~す」と言ったと同時に料理に箸を伸ばす。こりゃあいかん。
手を拍(う)つか合わせるかして、「いただきます」と言い、それからおもむろに箸を取る。こっちには間違いなく感謝の念があるでしょう。
「あ~っ!そうか。あのことか!」
と言われる方があればうれしいのですが。
実はこれ、「祭政一致」の原基形態です。
まず「奉告」し、それから「執り行う」。
祭祀(奉告)の後、政事(執行)に移る。
この「まず奉告」してから、「そのままに実行する」という形が成立したのが、神武創業の時、ということになります。
大陸から律令制を採り入れ、神祇官と太政官を置き、神祇官を、比較すれば低位に置いたのですが、それでも必ず「奉告」という祭祀を先に行い、その後、政事。太政官は奉告されたことを実行する者という形が厳格に守られました。
その在り方が神嘗祭にも端的に表されていると言えるでしょう。
地位が上の者が下の者に命ずる。上意下達がスムーズに行われてこそ社会は治まるもの。だから、社会に於ける権力構造というのはピラミッド型であるのが普通です。
しかし、既述のように、日本の場合は違っていた。
この「奉告」、そして「執り行う」という形は、日本の歴史を読み解く鍵になると思います。
春分の日や秋分の日は、一年の農業の始めと終わりに、先祖祀りをすることで豊作を願い、豊作を祝う、ということから来ています。
春秋の「彼岸」というと、仏教からのようですが、以前にも書いたように、「彼岸」というのは、実は「日願」のことで、昼夜の時間が半ばする春分の「日」に豊作の「願」をする。同じく秋分の「日」に感謝の祀り、というより、お「祝」いをする。
仏教よりも、農事ということで、これやっぱり神様に、ということから行われ続けてきた、と考える方が自然でしょう。
元旦の祀りとして、宮中で天皇によって行われる四方拝は、何でも北斗七星の星の形に云々、というのがあるんだそうですが、本来は文字通り、四方を拝することで八百万の神達に
「今年もよろしくお願いします。皇祖神の勅命のままに、日本が弥栄に栄えますように」
と、宣(の)るものだった。
何で、正月一日か、というと、旧暦ではその日から昼が長くなるから。
つまり、それが一年の始まりなのだ、と。
筋通ってるし、分かりやすいですよね、これ。
今の暦はキリスト教暦なものだから、日本とはずれてしまって、その辺が何だかピンと来ません。
で、神嘗祭と言えば、伊勢神宮のそれを思い出すのだけれど、それぞれの神社でそれぞれにあっても、別におかしいことはない。
考えてみれば古くからの神社で、神嘗祭をやらない方が少数派なんじゃないでしょうか。
これまた何度も書いてきたことですが、何で「神嘗祭(かんなめさい)」というか。
それは「神」様が「新穀(収穫物)」を「嘗(な)める」、つまり、召し上がる祀りだから。
収穫の奉告と感謝をする祭りなので、神嘗祭と言います。
字面だけ見て、
「ああ、神社に収穫物を奉献するんだな」
と見るのが一般ですよね。
しかしこれ、気をつけて欲しいところです。
日本の祭祀は世界中にある感謝祭とはよほど様子が違っている。
どこが、そして何が違うか分かりました?
「収穫の奉告と感謝」、と書いているでしょう?
「感謝」だけの祭りなら、世界中どこでもあるけれど、「奉告」するってことになると、意外とやらないんです。
大体「感謝祭」というのは、そこらのスーパーだってやってることで、それは「お客様に感謝します!」だから、安売りしたり増量したりすればそれでよし。
けれども、神嘗祭に限らず、「祭祀」というのは感謝の態度を表せば良いだろう、新穀を奉献すれば良いだろう、ではない。
「言わなくたって分かってるじゃないか」、ではなくて、口に出して言ってこそ、「奉告」してこそ、「奉献」の意味があるんです。
ちゃんと「奉告」という名前の「口上」を述べて、然る後に、或いは同時に「奉献」する。
未分化の状態で「感謝」、とやっているのとは違って厳格な形式があるわけです。
①祝詞を奏上して、②新穀等を奉献する。これが決まりです。これが祀りです。
まあ、そんなに大袈裟なことではない。
身近な例で言えば、食事の際、箸を手に持ち、目の前の御馳走を見て、何から食べようかな、と品定めしながら「いっただっきまぁ~~す」と言ったと同時に料理に箸を伸ばす。こりゃあいかん。
手を拍(う)つか合わせるかして、「いただきます」と言い、それからおもむろに箸を取る。こっちには間違いなく感謝の念があるでしょう。
「あ~っ!そうか。あのことか!」
と言われる方があればうれしいのですが。
実はこれ、「祭政一致」の原基形態です。
まず「奉告」し、それから「執り行う」。
祭祀(奉告)の後、政事(執行)に移る。
この「まず奉告」してから、「そのままに実行する」という形が成立したのが、神武創業の時、ということになります。
大陸から律令制を採り入れ、神祇官と太政官を置き、神祇官を、比較すれば低位に置いたのですが、それでも必ず「奉告」という祭祀を先に行い、その後、政事。太政官は奉告されたことを実行する者という形が厳格に守られました。
その在り方が神嘗祭にも端的に表されていると言えるでしょう。
地位が上の者が下の者に命ずる。上意下達がスムーズに行われてこそ社会は治まるもの。だから、社会に於ける権力構造というのはピラミッド型であるのが普通です。
しかし、既述のように、日本の場合は違っていた。
この「奉告」、そして「執り行う」という形は、日本の歴史を読み解く鍵になると思います。
2012.11/18 (Sun)