CubとSRと

ただの日記

こんな日記を書いていた

2023年10月29日 | 心の持ち様
簡単なことなんだけど
             
 天皇陛下の靖國神社参拝・・・ではなく、靖國神社行幸。
 (陛下の「参拝」されるのは、皇室の祖先神である天照皇大神を祀る伊勢の神宮をはじめとするいくつかの神宮だけです。あとは「行幸」か「御親拝」。)

 細かいことのようにいう人もあるだろうけど、「参拝はした。神道の礼式ではなくても真心は同じ」、と神前で一礼しただけの小泉総理の在り様。紋付き袴で行っても、ポケットマネーで賽銭を投げ入れ、一礼してきただけですよ?英霊達はどう感じただろう。
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 小池百合子氏が官公庁の省資源(冷房費の節約)のために、ドン小西氏に知恵を借りて「クールビズ」、というちょっと気の利いた名前の運動を提案した。
 それまでの「省エネルック」という野暮ったい名前のあまり効果の上がらない格好から何とか抜け出さなければ、ということだったんだけれど、結局、具体的には
 「ネクタイを一本取ってしまえば、~」
 みたいになってしまったのは、御存じの通りです。ただただだらしない服装になった。
 それが皮肉(?)なことに、民主党政権になって一気に国会内で流行した。
 だから、民主党政権が一番、貢献をしたと言えるかもしれません。
 一見クールビズとは関係がないような「神は細部に宿る」。民主党政権下のクールビズの大流行は、これの見事な実例なんじゃないか。
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 本来の意味は「クール(涼しい)」、と、そこから派生したであろう語義の「涼しそうな、涼やかな(汗ひとつかかず、平然として)」の、二つの意味を重ねて、まあ、日本風に言えば、「朝飯前」とか「片手間」とか「お茶の子さいさい」みたいに、さらっと軽く、「ビジネス」をこなしてしまう。
 カッコ良く、スマートに仕事をやろうじゃないかということで、つくられた言葉だと思います。
 そして目的は「省エネ」。
 夏場はそうだけど、冬場は?
 「カッコ良く、スマートに」、ということで基本的には、「冬だってクールビズ!」でないとおかしい。
 「冬は暖房費節約のためにいっぱい着込んで、でも、カッコよく」、とはいかんでしょう。
 まあ、最近は「ウォームビズ」なんて言葉が使われることもあるけど。
 でも「暖かくて、もふもふしてて、それでいてスマートでカッコいい」ビジネススタイル、なんて聞いた事がない。
 だから、「クールビズ」って、当然「あいつ、カッコいいね、クールだ」という意味ではなく、「クール=涼しい」だけで、「カッコいい」は、なくなっていると見るべきでしょう。
 それで、最近は「クールビズ=ノーネクタイ」となってしまったのでしょう。
 実践する者の認識の甘さではないかと思います。上っ面だけ「お達しがあった」から、「右へ倣え」でやっている。
 「お上のなさることに間違いはございますまいから」を冷徹に、ではなく、ただただ諦めの目で見ているだけで、考えることはない。
 
 ついでながら、その「お上(政府)」も、推進する立場ながら、よくは分かっておらず、
 「ネクタイしないでいいんだよ。これで肩凝りが減るし、涼しいし、万々歳だよなぁ。オレ暑がりだからネクタイ、やだったんだ。何か嫁さんに首根っこ、押さえられているみたいでさぁ」
 ナンテことを閣僚が言っているかどうかは知りません。
 「認識の甘いのは、これを始めた前政権与党の自民党の説明が、十分でなかったからであーる!」
 、ということで、やっぱりこれも「ジミンガー」になるんでしょうか。
 「厳しく追求自民の失敗。笑って見過ごせ民主の無策」
 、なんてテレビ局や新聞社の壁に張ってあるかどうか、も、当然知りません。
 いずれにせよ、自民党政権下、小池百合子女史が牽引役となって始められたクールビズだけは、現政権与党も全く同じで、行っています。

 さて、前政権与党の総裁小泉首相のクレリックシャツももうひとつではありましたが、現与党の三代の首相。やっぱりこれも、何だかなぁ、です。
 そして、こういうことは、案外根が深い。
 「認識が甘い」のではなく、「認識能力が低い」のではないかと思って、過去を振り返ってみました。
 「たかがクールビズ、されどクールビズ」、です。
 瑣末なことでも、一つ一つをきちんと見て、正心で以って取り組むと、そこには必ずその人の人格が表れる。
 当然です。「そのことなりに、その人が全力で取り組む」のですから。本気にならざるを得ない。
 我々は「それ」から、彼の人格を読み取ろうとすれば良い。専門的な難しいことを政治家以上に分かろうとするより、政治家自身がどれだけ本気なのか、その一挙手一投足を同じ正心で以って見ればいい。
 全力で総理で「あろう」とした三人の民主党議員。その在職期間中に服装が変わるのは当然でしょう。また、変わらなければおかしい。
 総理という役職を懸命に演じることによって本物の総理になる。
 初代総理は、普段着がぶっ飛んでいました。
 それ以上言うべき言葉が見つかりません。そして、少なくとも総理を演じようという、「一途さ」は、なかった。
 あれば、いつまでも繰り返し流される鳩の物まねや、みょうちきりんなポーズを取っていたファッションショーなどへの参加はあり得なかった。
 二代目は、初め、服装をバカにしていた。
 高級な外国製のスーツの袖口の大きなタグをつけたまま国会に登場した時には、我が目を疑ったものだけれど、あれなら、ベントの仕付け糸だってそのままだったんじゃないでしょうか。
 それではイカンな、と気付いたのか、スタイリストに意見を聞き、急激に様子が変わっていきました。けれども、それは彼の人間性そのものとも言える、その場しのぎ、小手先細工だけのものでした。
 根底は変わらない。相変わらず、服装をバカにしている。
 いや、服装そのものより、「それを生業とする人」を、と言うべきかもしれません。いやいや、服飾に限らない。彼は、全ての職業をバカにしている。職を尊ぶ、とか、職によって人が育つことなど、見ようともしない。
 だからこそ、結果が出なければ、少しも努力を認めず誰でも叱り飛ばし、そのくせ、自己弁護は大得意。
 悪口大会になってしまいました。
 気を取り直して。
 現総理は一番まともです。ぶっ飛んでもいないしこつこつやろうという姿勢もある。ただ、周りを軽視もしないけど、考えてもいない。
 ところが、気にはしている。だから、ネクタイをしなかったか、と思えばその日のうちにまた、してみたりする。南洲翁とは全く違います。
 南洲翁は多額の俸給を、藩主、藩名を汚さぬために遣い、明治政府からの俸給は逆に「国民の血税であるから」、と自らのことには一切使わなかった。
 自分がどう言われようと「人をして言うに任せよ」という姿勢を貫いた。
 現総理は、周囲の評判を気にする。
 「奇兵隊内閣」「最小不幸社会」には呆れたけれど、ご機嫌取りの、自らを泥鰌に喩える演説や、上っ面だけの「正心誠意」もまた、結局上滑りするだけだった。
 一人、かりゆしを着ていたH前総理。
 デザイン性の高いシャツを着て、ノーネクタイだったのが妙にだらしなく見えたK総理。
 人目を気にして、無難を選ぶ現総理。
 自身のために、ではなく、見た人が涼しく感じることが、クールビズ。
 そう思って相手のことを思い遣る。
2012年5月26日の日記より

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 「一事が万事」。一挙手一投足にその人の本心が現れる。神は細部に宿る。
 「国会審議拒否はしない。ちゃんと出席する!」と高らかに宣言した翌日、開会の同時刻に結党集会を開いて、欠席・・・・。



コメント
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