CubとSRと

ただの日記

ゴロゴロ ①

2023年10月01日 | 日々の暮らし
 9月21日(木)

 昨夕(20日)。どうしたことか午後7時には横になった。
 疲れていたわけではない。ただ無性に眠かった。

 随分寝た、と思って時計を見ると9時だった。「夜遅くに雨」という予報だったので窓を開けて寝るわけにもいかず、蒸し暑い中で寝ていたからか。
 夢を見ていた。内容は覚えてない。

 それから一時間近く起きていたが、このままでいるとまた徹夜をしかねない。
 10時過ぎ、改めて寝る。
 またもや十分に寝たような感触で目を覚ましたら、今度は12時。
 このまま起きていようかとも思ったが、いくら何でも「睡眠時間4時間」、はないだろう、と再び改めて寝る。

 3時過ぎ、目が覚める。勢いでもう少し眠れるかとも思ったが、そこまでしても、あと一時間少々眠ることができればよい方。
 それならば、と起きることにした。

 結局7時間は寝ていたことになる計算だが、「疲れが取れた」というより、「蒸し暑さの中では却って疲れる」ということが分かったのは意外だった。
 元々痛めている筋が何カ所か痛みを訴える。腰・股関節・脚の筋等々。
 これらは寝ているよりストレッチをした方が良いようだ。

 そう思いながらストレッチを始める。
 不意にくしゃみが出る。瞬間、身体に力を入れる。
 腰痛が酷かった数年前は、この不意のくしゃみが恐怖だった。
 一瞬だけ、とにかく全身に力を入れるから、腰に強めの痛みが走る。「あっ、しまった!」と思いながら、同時に数秒間息を止め、腰に力を入れて耐えるしかない。

 それが今年は、全くといって良いほど心配する必要がなくなった。
 振り返ってみると、あの数年間は今からは信じられないほど身体が固くなっていたんだ、と思う。

 
 (続く)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認識の形成

2023年10月01日 | 心の持ち様
 「技術力はすごい。けど・・・・。」


 私が中学校2年生の時、朝礼で校長先生がYS-11の話をされました。
 戦後、国産初となったこの飛行機は小さくて、当時はジェットエンジンが普通になり始めた中、ちょっと時代遅れのプロペラ機でした。
 でも、ゼロ戦や飛燕、隼、雷電などという名機を作り出してきた日本が、敗戦後初めて、それも旅客機を作ったわけですから、随分な話題になったものです。 
 その第一号機ができた時、設計時の計算上での重量と、実際の機体の重量の誤差が数グラムもなかった。普通なら数キロは当たり前、数十キロも違ったりするんだそうです。
 「日本の技術力というのはこんなにすごいんです」と校長先生。聞いていた私も「すごいなあ」と感心。
 ところが続けてこう言われたのです。
 「技術力は、すごい。でも、外国に比べるとあまり発明はない。アイデア、発想する力は一番になることがない」
 中学二年生の心の中はジェットコースター状態。
 「技術力がすごいんだからいいじゃないか、みんなも努力して、、、」みたいな言葉が遠くで聞こえていたような記憶はありますが、もう駄目です。
 「そうか、やっぱり、日本人ってモノマネしかできないのか。発明は外国人に勝てないのか」
 
 多感な時代、こういった話を聞くのと、二十歳を過ぎてこういう話を聞くのとでは心に響く、影響する度合いが全く違います。
 「教育の力ってのはえらいもんだ」、と、今でも時折思い出します。
 こういった話で感じたものが、薄紙のように積み重なり、人は大人になっていきます。大人になった時には、薄紙はほんのわずかな接着力で張り付いているのに、枚数の多さから分厚い板のようになり、刃物だってはね返してしまう。
 
 そして私は学生運動にシンパシーを感じるようになっていきました。
 「現状を打破しなければいけないんだ。このままの日本では、猿まねだけの三流国だ、と言われ続けてしまう」
 
 学生の思う革命の目的は「このままの日本ではいけない」、「日本を洗濯致し」ではなく、「日本の劇的な質的向上の実現」でした。意識してなかったかもしれないけど、間違いなく、熱烈な愛国運動だったというわけです。マルクスやレーニンの思想は、その手段でしかなかったのです。

 でも、本当の敵は「体制」じゃなかった。「技術はすばらしい。けど、、、」という考え方、常に初めは認めたように言っておいて、結局は全体で言えば全然駄目、という行き止まりの考え方が本当の敵だったのです。                       


                        2009.12/26 (Sat)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「技術力は、すごい。でも、外国に比べるとあまり発明はない。~」
 
 今、考えてみると、あれ?何かおかしい。
 「外国」、ってどこです?日本以外はみな外国ですよね?
 「外国」を先進国に限ったとしても、数十か国あります。その数十か国と日本一国の発明の総数を比べること自体おかしい。逆に割合で眺めたら・・・、日本一国で相当な数の発明をしている訳でしょう?その方が驚異的なんじゃないですか?
 それにこの頃は一般的な考えになってきたと思うけど、「発明」とは「特殊な、或いは新しい発想」から生まれる物だけでなく、「今ある物を研ぎ究めて(=研究)行った先」に在る物も含まれると考えられるようになってきた。
 そして社会が高度に発展すれば、後者の方が主流となるのではないでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする