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ただの日記

「四魂」 「参拝」

2023年10月05日 | 心の持ち様
 「和魂(にぎみたま) 荒魂(あらみたま) 幸魂(さきみたま) 奇魂(くしみたま)」

 伊勢神宮のこと 荒祭宮(あらまつりのみや)

 「荒祭宮(あらまつりのみや)」についての豆知識です。
 この荒祭宮は正殿と同じ、場合によっては御正殿以上に重要とされる宮です。祀られているのは天照大神の「荒魂(あらみたま)」です。
 「荒祭宮(あらまつりのみや)」は名前の通り「荒々しい神威の発動」を祀る宮です。
 御正殿の御魂は平時、平常の「穏やかな神威の発動」で、あまりにも穏やかなので、それを神威が発動されているとは気がつかない。この御魂を「和魂(にぎみたま)」と言います。
 ただ、「穏やかなので気がつかない」けれども、さすがにこの番組ではビートたけし、「圧倒されて、願い事なんかできなかった」と言ってました。
 それが、「和魂」の発動です。
 穏やか、平穏なんだけど、何とも言いようのない張りつめた感じ。
 「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
と詠まれたのは西行法師でしたか?
 「何故なのか理由は分からないのだけれど何とも説明のしようのないありがたさに、涙がこぼれてしまう」
というのは、穢(けが)れを祓って無私無欲で参った者には当然の神威の感応なのでしょう。

 元に戻って。「荒々しい神威の発動」というのは、たとえば「強風、大雨、かみなり、地震」等、ひどければ、一からげに自然災害といわれるものです。
 ほどほどならば、豊作をもたらしてくれますが、神威の発動には人間の考える「ほどほど」という良し悪しの物差しがあてはまりません。
 この「荒祭宮」は、他国と戦争をはじめる時に宮中の賢所と同時刻に宣戦布告の上奏をしなければならない宮なのだそうです。

 「和魂(にぎみたま)」「荒魂(あらみたま)」「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」、いずれも天照大神の御魂です。
 我々がそれぞれの発動されたものをそれぞれに拝するのは、天照大神の4面を拝する、というより、我々の心と身体の穢れを祓って我々の、その時の思いを、そのままに見ていただく、真心(赤心)で正対する、ということです。
 時には荒祭宮だけ参拝したって、良いということですね。 

            2010.01/03 (Sun) 


 「初詣」

 初詣、というのは、テレビのニュースで必ずやるように、すっかり年初めの一大イベントになってしまいました。神社だけでなくお寺にも初詣、として行く、というのを、テレビで知った時は不思議な気がしたけれど、考えてみれば、私も行ってたんでした。
 それにしても、何でこんなに多くの人が行かれるんでしょうか。それも三が日に集中して。

 バレンタインデーは、チョコレート会社の陰謀、冬至の恵方巻き(太巻きのすし)の丸かじりは寿司屋の陰謀。初詣は鉄道会社の陰謀なんだそうですね。(正月休みで通勤客が乗らないと、電車は大赤字になってしまう)
 でも、だからと言って、今でもチョコレートだけかというと、そんなことはありません。いつの間にか恵方巻きは全国に知られるようになり、首都圏だけだった初詣の混雑は、地方でも当たり前になりました。

 地方は、鉄道会社は関係ないのに何故なのか。
 それは、これまでに書いてきたことが大いに関係しています。
 
 もともと、参拝は、自分の赤心を神前に詣でて明かすのが目的です。そして、そういうことに悪いことなんてあるわけがない。つまり「善は急げ」です。取るものもとりあえず、誠心(赤心)を誰よりも早く神前で明かしたい。
 この気持は、神道の心である「清、明、正、直」のほとんどにあてはまるものです。
 新しい年を迎え、一瞬でも早く誠心で生きることを誓いたい。初詣が全国的な風潮になったのは、とうぜんといえば当然の理由があったわけです。

 さて、ということは、誠心(赤心)を明かしに行くのなら、早いに越したことはないけれど、遅くなったからといって誠心がない、ということじゃない。
要は、きちんとした作法どおりに、無私無欲になって神前に詣で、頭を下げるということです。
 間違っても、通勤ラッシュのような人混みの中、もみくちゃになりながら、オーバースローで賽銭を投げ私利私欲の固まりになって、山のようなお願いをしちゃいけません。自分ひとり、参拝の仕方が間違ってるんじゃない、そこにいるみんなが間違っているんだから、下手すると強欲の渦に呑み込まれて、「何しに行ったかわからない」、てなことになりますよ。
 

               2010.01/03 (Sun)
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