CubとSRと

ただの日記

10年前に思ったことが現実に

2023年10月27日 | 心の持ち様
 標題の通り、これは十年前の日記です。 

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  2013.11/24 (Sun)

 今日は「野分(のわき)祭」だそうです。

 私は高校二年生だった。
 石造りの底冷えのする校舎で、確か二時間目の授業が始まるのを待っていた。
 チャイムが鳴って、いつもと違い少し遅れて担任の国語の先生が、入って来るなり何とも言えない茫洋とした物言いで「三島由紀夫が腹を切ったみたいだ」、と独り言のように言った。
 「心、ここにあらず」といった形容のままの風だった。
 何のことかさっぱり分からなかった。

 三島由紀夫の名前は知っていた。
 本を読むのは好きだったけれど、当時、若くして大家と呼ばれていた三島由紀夫が、「徴兵逃れをした」、とか「美輪明宏(当時の丸山明宏)と妖しい関係だった」、とか「ゲイだ」、とかいった話を聞いたり、ボディービルで造り上げた裸の写真を撮ったり、そのくせ自衛隊に体験入隊したり、東大に乗り込んで全共闘と論争をしたり、楯の会をつくったり、等を知っていただけで、「どうも好かん。ポーズだけの退廃的な作家じゃないのか」、くらいにしか思ってなかった。
 それが腹を切る?先生、何言ってんだ???
 夜、家でニュースを見てもまだぴんと来なかった。

 翌朝、図書館で新聞を見て驚いた。
 見覚えのある長い顎の首が廊下に「置いて」ある。
 腹を切った後、一緒に駐屯地に行った森田必勝(まさかつ)氏によって介錯をされ、森田氏もまた古賀氏に首を刎ねてもらった。

 その二人の首が廊下に「置いて」ある。それが新聞の一面に大きく載っている。
 おそらく人間の生首が新聞の一面に載ったのは、後にも先にもこれだけではないか。
 一社だけだった。他の新聞はそこを切り取って、載せてなかった。
 毎日新聞だとばかり思っていたが、どうもアサヒだけが載せていたらしい。

 いずれにしても大きなショックを受けた。
 何が何だかさっぱり分からない。こんなことが現実にあるのだろうか。つい先日まで「人類の進歩と調和」との謳い文句の下、大阪で万博があったばかりではないか。

 あれから43年。明日は「憂国忌」、だ。
 三島由紀夫の憂国の思いを、明日、マスメディアはどのように報道するのだろうか。

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   「あれから40年」
                     (2010年11月26日の日記) 

 抜粋です。
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 三島は「楯の会」の中に「憲法研究会」をつくり、改正草案に「日本国民は祖国防衛の崇高な権利を有する」と書いた。
 同時に「国民は徴兵を課されない」と書いた。
 国防は名誉ある権利だ。義務にしたら名誉が汚れる、と思ったのだ。

 (愛国心という言葉は)「どことなく押し付けがましい」。(国の一員であるのに)「国というものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくてきらいである」という。「国境を以って閉ざされた愛」だ。
 「(愛国心は)官製の嫌なことば。日本は『大和心』で十分」(とも言う。)


 「三島に負け続ける我々ー自決から40年「右傾化の中身(を)問う」                                                                                  鈴木邦男
   (朝日新聞  平成22年11月26日付け)より

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 いつもながら、知らないことだらけです。
 祖国防衛の「義務」、ではなく
「崇高な権利」、を持つのだ、と。
 だから徴兵ではなく「志願」、となる。

 「愛国心」は官製語。なぜ「大和心」でないのか。
 なぜ、わざわざ対象に置いて「この国」、として愛するのだ。
 「我が国」ではないか。

 あの時(頃)も、そうでした。
 専門家、学者連の大方がこんな批判をした。
 「所詮、文学者の御遊びだ。」
 「国防とは、そんな簡単なものではない。」
 「国民を守る自衛隊が、銃口を国民に向けてはならない。」
 「文学に行き詰った結果だ。」
 三島由紀夫の思いは伝わっているのでしょうか。

 鈴木邦男氏は学生時代、「民族派全学連」を形成した「日学同(森田必勝氏が所属)」と「全国学協」の中で全国学協のリーダーとなり、全共闘などと武力対立。
 一時、新聞記者となるが三島の死により政治活動を始め、自衛隊の腐敗を糾弾しようと駐屯地に抗議に行き逮捕され、退社。
 進学塾講師をしながら、右翼団体「一水会」をつくった人です。
 (「そこまで言って委員会」に時たま出て、袋叩きにあっている人です。)

 ただ、彼の言動を見て三島由紀夫の死、同志の森田必勝の死によって、どれだけ衝撃を受け、「自分は一体何をしているのだ」と思い悩んだことを無視して彼を「わけの分からないことを言う人」と簡単にレッテルを貼ることは早計、と思います。

 生長の家学生寮で寮長をしていた彼は、玉置和郎、村上正邦と、一脈通ずるものを持っているということと同時に、生長の家に近い平沼赳夫氏とも共通する考えを持っています。ここではそれはおく、としますが。

 押し付ける気は毛頭ありません。
 ここでは、「三島由紀夫を切り捨てるか、見直すか。どちらが『我が日本』にとって、良いのか」とだけ、言って置こうと思います。

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 明日、11月25日は三島氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹、自決した日です。

 今、特定秘密保護法案が成立しようとしています。
 「そんなに急ぐ必要がどこにある」という人がいます。マスメディアの流す情報を聞くと、そう思っている人が大半のようです。でも、そんなこと、「絶対に」あり得ない。
 「そんなに急ぐ必要がどこにある」、というのは「今のままで問題ない」と言うのと、等しいのですよ?
 テロリストや社会主義(?)国家に情報がそのまま流れると分かっていて、
 「情報を共有しよう」
 という能天気な国がどこにありますか?

 三島氏は、日本だけでそれが出来なければ、それはもはや誇りある独立国ではない、ましてや世界に冠たる日本文明の国ではない、と40年余り前に説かれたのです。

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 (この日記にいただいたコメントと私の思ったことも併せて転載します。)

 こんにちは
 三島由紀夫のことはほとんど知りませんでした。
 有名な檄文は読んだことはありますが、割腹自殺の後に生首が新聞の一面に載ったとは・・・・・。

 字図らにこだわったのは文字に言霊が宿るとする言霊信仰によるものかもしれません。
 (わたしも物語を書いていた頃はニュアンスを考えたものです)

 からっぽの無機質の狡猾な日本人では、したたかな中国に対抗するのは難しいかもしれません。
 狡猾さにおいては彼らのほうが上ではありませんか。

   Comment by: ××さん   | 2013- 11-25 | 


 高校二年生、ですからね。翌朝、学校の図書館で新聞を見てびっくりしました。一紙だけでした。
 刎ねられた首はまっすぐには置けない、上を向いた形になってしまう、という当たり前のことが、妙にリアルでした。時代劇の曝し首は、大きな串のようなものに突き立ててなければ、あんな風にまっすぐにはならない、だから、本当はあんな風じゃないんだ、と、全く違う事を思ったりもしました。それだけショックだったんでしょう、誤魔化していたんだと思います、恐怖心を。

 日本人はやっぱり蓬莱島の住民なんだと思いますよ。生活の(生き残ることの)苦しさ、という事の実感が、ないんです。
 「みんな周りは良い人ばかり、苦しんでいる者を放っては置けない」
 それが人の姿、人の本然だ、と生まれた時から教えられています。からっぽで無機質なんだと思います。だから、理性で動ける。
 ただ、蓬莱島の住人だから、狡猾さは教えられていなかったのが、敗戦から、の付け焼刃で「狡くなれ。騙されるな」、と。

 だから、仰る通り、狡猾で強かなシナには対抗なんてできません。
 我々ができることはこれまでも、これからも、ただ一つの手段だけです。
 それは「いつでも淡々として刺し違えることができる」、ということです。
 防空識別圏に無人機が入ったら撃墜する。それを「宣戦布告だ」として、ミサイルが撃ち込まれれば淡々として撃ち返す。先人はそれしかできなかった。
 でも、それだからこそ、シナは日本に一目置かざるを得なかった。そう思います。
 今の共産シナはその歴史を知りませんから、朝鮮に対するのと同じ、強圧と武力で日本を抑え込もうとしています。
 「軍事力さえあれば、日本を支配できる」と、本気で思っています。刺し違える覚悟がなければ、本当にやられます。

    Comment by: 三つ切り   | 2013- 11-25 |

 
コメント
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