10月10日(火)
三日振りになるのか、早朝散歩。随分久し振りな気がする。
その割に身体に不具合はなく、普通に歩き、普通に帰った。
「三日で不具合発生、なんて骨董品並みか」と思い返したりもするが、「三日で不具合」とまでは行かずとも、何かしら違和感があるのが当たり前の年齢になってきたんだ。用心は折節毎に改めよ。
昨年、内視鏡検査の際に一晩病院に車を置かせてもらった(麻酔が残っているので運転はできないため)。
今年もお願いできないか、と聞いたら今年はできないと言われる。
「しょうがない、タクシーで行くしかないか」と思っていたのだが、近くの駐車場に停めて翌日取りに行けばいいじゃないか。
駅の駐車場なら少し離れているけれど間違いはない。
で、費用はどのくらい掛かるんだろうと思って、見に行くことにした。
車なら1000~1500円。バイクなら500円。
カブで行く?それともコペン?
昨年は検査後の夕食は準備するのが面倒だろうと思って弁当を買って帰ったんだった。豪華そうな割に安くて「えらい良心的な」と感心して二種類買って帰ったんだけど、開けてびっくり。
御飯が毛足の短い絨毯も斯くやと思うくらいにうっすらと敷き詰められているだけで(あれはきっとおにぎり一個分くらいのご飯しかなかった)、二つ全部食べても全く食った気がしなかった。イオン、畏るべし!
そういうことはないように、今回は弁当屋でちゃんとしたのを買おう。コペンと関係ない話だけど。
で、検査の翌日に車を取りに行き、その足で米や麦を買おう。
酒も買いたいところだが、ポリープを切除することになれば一週間は酒は禁止ということだから、これは辛抱。そうだ、去年もこの一週間が長かったんだ。
・・・6時20分に書き始めて、今9時45分。
たったこれだけを書くために3時間、は酷い。上げ底弁当にも圧勝する。
ネットのニュースを見ていたから。
正直、いつものことながら95%は時間の無駄遣いだったと思う。
それでもやめられないのは残りの5%に「何かがある」かもしれないから。
新聞なんかは「3割の事実」がある、みたいに言われて、対するネットニュースは桁違いの、「玉石混交どころか石ばかり」なんて言われてきた。
しかし、マスメディアにははっきりとした「見識」がある。大新聞社になればなるほど「確固とした見識」を持っている。これは決してほめているのではない。
「事実を伝える」のが新聞等のマスメディアの仕事なのに、「見識」という眼鏡を通して事実を眺め、受け取る側に「分かり易く整理して『説く』」のが仕事、と思っている。これが現実の報道になっている。
「分かり易く整理して『説く』」ことのどこが悪いのか。実際学校教育では先生が生徒児童に「分かり易く整理して『説く』」ことに腐心しているではないか。
でも、マスメディアは社会の木鐸たらんと努力はしても先生(先導者)ではない、ましてや煽動者であってはならない。「見識」のつもりの「思い込み」は何よりも危険だ。
はっきりとしたその社特有の「見識」、悪く言えば「思い込み」による「決め付け」がある分、そしてそれが「大」新聞社であればあるほど「高い見識を持っている」と自他ともに認めるから、「事実」の報道は不鮮明になっていく。
「玉」のある可能性は却ってネットニュースの方にあるかも・・・。
なんてことを書いていると、また遅くなる。
早く風呂に入って、明日の下準備の一番目、下剤を飲んで寝なきゃ。