【変見自在】あの国の形
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高山正之
アステカの最後の王モクテスマは「怒った民の投石を頭に受け、翌日亡くなった」とその場にいたスペイン人が証言し、歴史にもそう記録されてきた。
ところがつい最近、イチジクの樹皮に書かれた古文書が見つかって「スペイン人が刀で王を滅多切りにした」ことが分かった。
歴史はきちんと検証しないと好きなように弄(いじ)られるといういい見本だ。話は変わる。関東大震災のときに「朝鮮人数千人が虐殺された」と新聞や学者が大合唱を始めた。あのとき、震災で多くの犠牲者が出ている中で「武装した朝鮮人が略奪に走っているという流言蜚語」(吉野作造)が飛んだ。
当時、東京界隈には1万人弱の朝鮮人がいたそのうち保護されたり放火現行犯などで捕まったりしたのが6800人。で、虐殺されたのは「震災犠牲者の総数10万5000人の数%」つまり5000人という。それだけで帳尻が合わない。実にいい加減だ。彼らが無辜かどうかもはっきりしない。吉野自身「彼らは飢えていて心ならずも民家に行き食物を奪って多少は暴行もした」と認めている。数を頼んで押し入って家人に乱暴もして「心ならずも」は笑える。
内務省の出した数字では自警団などの制圧で出た死者は432人だ。だいたい納得できる数字だ。因みに「無辜かどうか」どころかもっと深刻な「計画された暴動」説もあった。背景にはその4年前の三・一事件がある
李氏朝鮮時代の身分制度は日帝統治で廃され、小作人の常人も貴族の両班もみな平等になった。下は喜んでも上の両班はただの人にされ、それが不満で三・一に決起した。結果、357人の死者が出てかえって怨みがまっていたのは事実で、日本への報復を考えたとしてもおかしくはなかった。
ただ、それはここでは措く。「無辜かどうか」について米国の中学校教材にもなったヨーコ・カワシマ・ワトキンズの『竹林はるか遠く』がヒントを出している。終戦時、羅南から日本に引き揚げる少女ヨーコが主人公で、米軍の空襲もあれば、日本人に襲いかかる朝鮮人集団も描かれる。
彼らは金目のモノを奪い、女は犯し、男は殺した。ヨーコもあわやのところで爆弾が炸裂して九死に一生を得る。昨日までも日鮮一体が一体何だったのか。考えさせられる情景が続く。引き揚げ船の入る博多港に二日市保養所がある。満洲や半島で犯され、妊娠した女性がここで麻酔なしの堕胎手術を受けていた。
上坪隆『水子の譜(うた)』はそこで語られた残酷な記録を伝えている。
昭和21年のある短い時期に入所した女性47人からの聞き取り調査で、不法妊娠の相手については「朝鮮人に犯された」のが28人、ソ連人が8人、支那人6人、米国人3人、朝鮮人のひどさは群を抜いていた。
新井白石も朝鮮通信使を通して彼らの性癖を記録している。彼らは宿の什器から布団に至るまで何でも盗んでいったと。
関東大震災の折に彼らが略奪行為に走ったとしてもごく自然に見える。
一方の日本人が地震や津波、大火に遭遇した折の振る舞いについての第三者証言も結構ある。エドワード・モースは横浜の大火で、笑いながら再建に取り掛かる市民の姿を目撃している。
東日本大震災ではきちんと並んで救援物資を受け取る姿に韓国を含め外電は等しく驚嘆していた。よその国では天変地異があれば略奪に走る。
救援物資が届けば奪い合うのが形だ。
しかしそんな日本人が関東大震災の時だけ別人格になって血に飢え、片っ端から虐殺したなどあり得る話だろうか。虐殺を唱える前にまず検証しろ。モクテスマの悲劇を無駄にしてはならない。
松本市 久保田 康文氏
『週刊新潮』令和5年10月19日号より採録
わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6654号
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2023(令和5年)年 10月14日(土)より