CubとSRと

ただの日記

やせ我慢

2023年10月11日 | 心の持ち様
 「武士は食わねど、、、、。」
 
 (前回の日記の続き、これが最後です。)

 私は福澤諭吉を好きなわけではありません。嫌いとまでは言いませんが。どちらかといえば、、、、。
 ただ、尊敬している部分があるから書いたのです。
 
 「できなくて、気持は焦るけれども、それを表(面)には出さず、こつこつと正しいことを積み重ねていく」
 
 おそらくは彼が武術修業で得たであろう感覚が、実際の「行きかた(あえてこう書きます)」にそのまま出ている。
 「瘦せ我慢の説」で勝海舟や榎本武揚を批判している、「武士(士)の在り様とは」という観かたが、彼は少しも揺るがない。

 「江戸の城、街を戦禍から救ったのは立派だ。だが、貴方の幕臣としての在り様は何だ。刀も抜かず、戦いもせず、それでも武士か。武士とは主君のために命を捨てるもの(瘦せ我慢)、ではないのか。」
 「正義に付くのをいけないと言うんじゃない。しかし、貴方を信じて箱館(函館)で命を捨てた者に対して、新政府に出仕することを、貴方はどう言い訳するのだ。(なぜ瘦せ我慢をしないのか)」

 今、平静に考えると、この「瘦せ我慢」、言葉通りに、「堅苦しい」を通り越して意固地なくらいの融通の利かなさです。しかし、当時の社会を考えるとどうでしょう。
 我々日本人の心の拠りどころは当時、一体どこにあったのでしょうか。

 今の我々には、世界でもトップクラス(いや、トップかもしれない)の、多方面にわたる技術、そして高度の文化があります。何より、世界で最も古く、類例のない天皇陛下と皇室の存在。心身両面にわたって、これだけのものを持つ国民が我々です。

 対して、諭吉が「瘦せ我慢の説」を書いた頃の明治初期の日本は?
 幕末までは、少なくとも江戸の町民は、天皇陛下なんて知らない。
「天子さまって、どれくらい偉いんだい?」
「お稲荷さんの幟(のぼり)が一位って書いてあるだろう?」
「ああ、知ってるよ」
「その位は天子さまが下さるんだとよ」
「へえ~。じゃ、神様より偉いんだ」
「そうだよ。」
「じゃ、公方さまよりも偉いんだ」
「そうだよ」
 どこかで聞かれたことがあるでしょう、小噺みたいなこの説明。
 
 その上に西洋諸国は、技術だって、文化だって、見聞するありとあらゆるものが、当時の日本より、はるか高いところにあった。いくら手を伸ばしたって届かない。

 本当のことを言うと、少しでも教養のある人は、彼我の格差の尋常でないことを見せつけられ、絶望のどん底であえいでいた筈なんです。
 何一つ勝てるものがない。「これはどうだろうか」と持ち出してみても、西洋の文物の前では途端に色褪せ、みすぼらしく見えてくる。

 ここです。「福澤諭吉はえらい」と思うのは。
 彼は劣等感に苛まれるギリギリのところで踏みとどまって
「焦るけれども、表(面)には出さず、正しいこと(できること、しなければならないこと)をこつこつと積重ねて」いったのです。

 「力がないのだから、それは素直に認めよう。同時に努力を重ねよう。」
というのが正しい態度でしょうが、そんな余裕は普通、持てるはずはありません。
 でも、焦る気持を何食わぬ顔で隠し、今まで通りのことをする(瘦せ我慢)。これならできます、あれです、「武士は食わねど高楊枝」。

 諭吉はこれを押し通します。徹底して、自分は瘦せ我慢を通します。
 
 
 さて、今、我々はどうでしょう。
 さっき、「天皇陛下、皇室、高度な文化、高い技術がある」と書きました。でも、それは我々の一人ひとりが努力して手に入れたものではありません。我々の先祖、先達、先輩がつくり上げ、磨きあげ、伝え続けてこられたものです。
 
 今度は我々の番です。テレビ、新聞、雑誌は言うまでもないこと、ネットにだって振りまわされてはならない。状況は、幕末、維新の頃と本質的にはあまり変っていません。分かっているようで分からないことだらけ。調べれば調べるほど答えがぼやけていきます。

 あの頃は「和魂洋才」と唱えました(「せめて心は」です)。究極の「瘦せ我慢」です。
  

            2010.01/11 (Mon)
コメント
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