9月30日(土)
9月も今日で終わり。今年も残すところあと三ヶ月。
11時前まで「Mステーション」を見ていた。新しい学校のリーダーズが出るというので,数週間ぶりのテレビ鑑賞。
振り返ってみれば、5月だったか偶然「first take」に出ているのをネットで見てから、リーダーズ沼にはまってしまったことが、今年は自身の一番の話題かもしれない。
何しろ学校では地道にコツコツと取り組むことや一所懸命になって何かに取り組むこと、全力で(死力を尽くして)取り組むこと等がカッコ悪いという風潮がある。「負けると分かってる戦を始めるなんて日本は馬鹿だ」「特攻隊は犬死」「戦争になったら逃げます」・・・
いつからそうなったかというと間違いなく戦後、それも60年安保闘争辺りから始まって70年闘争の挫折以降はそれが完全に学校(教育)現場の主流となった。
70年安保闘争の頃には学生のみならず教師も戦後生まれになり始め、虚無主義に走る。高石ともやの「受験生ブルース」が60年代の象徴、「主婦のブルース」が70年代の象徴と言っても良いかもしれない。
初めは「他人を騙してでもとにかく勝ち抜くんだ」と悪ぶって見せる或いは自虐、自嘲的だった日本人(若者)は、70年代には革命闘争の挫折感から「勝ち抜いて何になる、リーダーになることに何の意味がある」と白けたことを言い始める。大人は大人ですっかり無気力になる。
「人生は悩みよ楽しくはないの 恋なんかしない間にフケちゃった これが人生というものかしら 思い通りにはいかないものね」
敗戦直後の団塊の世代が70年安保闘争の中心だが、それを指導したのは敗戦国日本の「新しい教育」を受けた60年闘争時の若者。まずは敗戦国日本の国家体制を完全破壊しなければならない、と考える。
手っ取り早くやるなら「革命」。時間をかけてやるなら「日本は、まだ子供だ」と決めつけたアメリカ式「民主主義」。
どちらにしてもまずは「国家体制の完全破壊」を目指すことに変わりはない。
しかし、自嘲するのも自虐的な発言をするのも、それは日本人がすっかり変わったということではない。日本人の心の底流には間違いなく「地道にコツコツと取り組むこと」や「一所懸命になって何かに取り組むこと」を良しとする気持ちが眠っている。
しかしその気持ちを表面に出すと、「右翼」「国粋主義者」と罵倒されるならまだしも、「揶揄われ」るのではないかという不安があった。
罵倒されるなら口喧嘩もできるが、揶揄される分には正面切って喧嘩もできない。相手は斜めからちょっかいを出してきているわけだから。「何、ムキになってんだ、冗談だよ冗談」で胡麻化されてしまうから。
ところがそういった罵倒も冗談も通じない連中が現れた。「一所懸命」「全力」を何のためらいもなく肯定する連中。「一所懸命」「全力」で変なことをやり抜く奴ら。
それが「新しい学校のリーダーズ」だ。
あれ?虫歯のことを書くつもりだったんだけど。
何書いてんだろう。
続きはまた明日。