CubとSRと

ただの日記

最初に言ったことと違う

2020年04月30日 | 重箱の隅
2011.09/06 (Tue)

 新内閣が発足しました。
 あれだけ必死になって総理の椅子にしがみついていた人が、あまりにもあっけなく椅子を明け渡したのが今でも不可解で、実は官邸のどこかに秘密の部屋でもつくって隠れて居るんじゃないか、と思ったりもします。
 実際は外堀を埋められて動くに動けなくなったんでしょうけど。

 まあ、最後の最後、代表戦当日の午前中に、いきなり朝鮮学校無償化の手続きについて、指示を出したりするような人物です。却って、それで本当に辞める気になったんだな、と思わされたくらいなんですが。

 で、新総理はと言うとまず、この朝鮮学校の件。
 「ここからは文科大臣の仕事だから、私(野田)は厳正な審査を期待したい」と。何?これ。誰かさんみたいに「注意深く見守りたい」と言っているのと変わらない。
 つまりはこれ、「私は期待するだけであって何もしない(できない)」と言ってるわけでしょう?じゃ、「賛成した」「私が指示した」と同じになりませんか?

 もうひとつ。靖国神社参拝の件。
 「これまでのことを考えて、閣僚共々公式参拝はしない」
 代表戦の前にA級戦犯など、存在しないと言い切ったのは、文言解釈の問題であって、総理、内閣となるとこれまでを踏襲する。じゃ、総理の、内閣の、指標はどこにあるのか。

 そして、己を喩えるに、泥鰌、とは何だろうか。
 一国の総理。個人ならともかく内閣という行政組織を新たに組み、それによって国政の舵取りをするのです。自らを泥鰌と称した途端、その内閣は「泥鰌内閣」と呼ばれることになる。
 我々国民は「どぜう内閣」の指示の下で、国を支えるのだ!国民の意気はいやがうえにも高くなる・・・・!!?

 さて、ここまで書いて読み直すと、ただの八つ当たりに見えます。
 それでも大袈裟ながらさほど間違ってはいないと思います。
 「北朝鮮の問題は、私(野田)は好転したと思える材料は見出せない。しかし、前総理は見出したとされたのだから手続き審査にかかれ、と言われた。前総理の仕事のうちなのだから、私がとやかく言うことではない。更に、実行動は文部科学省がするのだから、私は厳正な審査を『願う』だけだ」
 つまり、私はどうなろうと黙認する、と。

 「『A級戦犯は存在しない』。これは文言の解釈を言ったのであって、靖国神社へは、微妙な諸々の問題を考えて、総理、閣僚として参拝はしない」
 麻生前総理の「政治問題にしてはならないから」、というのとは違う。文言ではA級戦犯はないと捉えたが、総理大臣(私の考え)は別だと言っているに等しい。立場に重きを置く。正反対の考えと言っていい。

 「泥鰌という喩えは、とにかく不恰好でも自分にできることをこつこつとやっていく、という意味なのだから、『~内閣』と自称はしない。名前は後の人につけてもらえればいい」
 輿石議員の部屋で相田みつをの詩書を見た。これを遣えば氏も分かってくれるだろう。少なくとも悪い気はしないだろう。

 そして、そんな気はなかっただろうけれど、おまけもついた。
 都知事が「野田議員は自分の言葉を持っている」とほめてくれた。

 メディア各社でばらつきはあるものの、60%~70%強の支持率。ご祝儀相場と言う人もいるけれど、これは素直に採るべきでしょう。

 「期待するしかないだろう?」
 「(これまでの二政権が酷過ぎたんだ)これくらいあって、いい」
 そうだと思いますよ。他に選択肢が「全くない」わけですから。
 選択肢のない中で、「期待なんかしない」とやったって、何の意味もない。隣国が喜んで領土侵犯に拍車を掛けるだけです。
 ここは一番、大うそでも「期待してる!」と口を揃えて言うべきじゃないか、外に向けてだけ。そして、振り返ったら冷静以上の冷徹な目で、新内閣を見詰める。閣僚をして、「針の蓆内閣」と言わしめる。

 今回挙げた三つの件には、共通点があります。
 初めは「おっ!」と思わせる。つまり、人目を惹く。
 けれど、説明を聞くと、全く違う意図が見えて来る。
 「朝鮮学校の無償化を実行します」「靖国参拝はしません」「どじょう内閣なんて言ってほしくない」

 耳当たりの良い言葉を並べる者は信用できないぞ。
 ありましたよね、「巧言令色少なし仁」って。ちょっと違うか。
 「駅前留学はNOVA。駅前演説は野田」の方が、核心を衝いているでしょうか。これ、単なる駄洒落と採らない方がいいんじゃないかと思います。
 代表選で「支持率が低いだろうから、解散はしません」と言って一年生議員の気持ちを掴むようなことをする人物ですよ。
 結束を訴えて、小沢氏をして「なかなか良い(閣僚)人選」と言わせる。
 けど、未経験の若い議員をいきなり大臣にしたり、いまだに「行政刷新とはひたすら削ること」としか把握できない人物を再登用する。
 総理が高邁な理想を持っていても、これでは動けないでしょう。また、総理が高邁な理想を持っていたら、前に挙げた三つの件の言動はあり得ない。そこに「正心誠意」は、ない。あるのは、だましだまし力を揃えるという性質の悪い「経営」感覚でしょうか。

 25年間、休まず続けて来たという駅前演説で、彼は一体、何を培って来たのでしょうか。故小渕総理と比較され始めましたが、全く違う、ということだけ書いて、今回は終わります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感動の正体

2020年04月30日 | 心の持ち様
2011.08/20 (Sat)

 バイクに乗ってて、向こうからやって来る同じくツーリング中らしいバイクからピースサインが来ると「うれしくなる」「眠気が吹っ飛ぶ」「力が湧いて来る」。
 これ、大袈裟じゃないんですよ。正真正銘、ホントの話。
 何故かと言えば、これは「感動した」、からなんです。感動したから「うれしくなり」「眠気が吹っ飛び」「力が湧く」。

 「感動」というのは、文字通り「感情」が「動く」ことでしょう?「感情」は「動く」ことで、人間の実際の行動(力)のもと、となる。

 「『感情が動く』『感動する』には、豊かな感受性が必要なのであ~る。」
 なんて思ってました。裏返せば豊かな感受性がない人間は感動しない、ということですよね?じゃ、「豊かな感受性」は、元々人間に備わっているのか、それとも、どこかで学ぶものなのか。どちらだと思います?

 厳密にいえば、生まれた瞬間に「驚き」、そして、「不快」の感情を持ちます。
 大雑把に言えば、生まれついての感情は、この「不快」だけです。この「不快」を取り除く努力をすることで「快」を「学ぶ」。
 それから「四情(喜怒哀楽)」が分化していくのは御存知の通りです。
 ということは、感情は自然発生のように見えるけれども「(人間)社会」のなかでつくられていくものである、ということができるでしょう。
 「豊かな感受性」も、また同じように、社会の中でつくられ、育てられていくものだと言える。

 私は、「感動」というものを、本当は知らなかったのかもしれない、と思うことがあります。(私個人のことです)
 それなりの準備をして、全力を挙げて取り組んで、相手が反応してくれる。そういう経験をして来なかったのではないか。
 
 確かに準備をしないで、けれどもその時だけは全力で取り組んで、結果が出る。そういうこともある。この時の感情も「感動」ではあるでしょうけど、あまり深いものではない。底が浅い、と言ってもいいかもしれません。これが、その人の一生を左右する、といった類のものになることは滅多にないからです。

 「何事にも興味を持ち、一生懸命に取り組む。そうすれば豊かな一生を送ることができる。」それはそうです。けど、それは無理です。
 「好きなことを一所懸命に取り組む(全力で取り組む)」ことならできますが「何でも全力」、では焦点が定まらないでしょう?焦点が定まらなければ全力は発揮できません。
 それに「全力」「一所懸命」というのは、集中力の別名みたいなもの。本気になればなるほど集中力は高まり、それを中心にして全体のレベルが上がる。
 「何事にも同等に一所懸命取り組む」、なんてのは「何事にも一所懸命には取り組まない」のと、相似象です。

 深みにはまりそうなので、私が感動した、と思っていることを。
 27歳の時に剣術を習いたいと思うようになりました。
 しかし、何のつてもないので、その流儀の師範家(宗家)の住所を調べ、手紙を書きました。
 了承されるまで、何度でも手紙を書くつもりで一通目を投函。いつ返事が来るかと心待ちの毎日が始まり、十日が過ぎました。
 予定通り、次の行動に移る。二通目の手紙です。でも、予定通りとは言え、一通目で返事が来なかった、というのは些か以上の落胆です。
 禅宗の修行僧が、ここと思った寺に行き、弟子入りを乞う。一週間ほどは断られ続け、毎日野宿をしながら頼み込む、とか、芸人の弟子入りに一ヶ月、二ヶ月と通いつめる、と聞いたことから比べれば、話にならないようなことです。

 電話をかけようという気は、初めからありませんでした。口ごもってしまってうまく言えないだろうから、ということもありましたが、何より、いきなり電話では失礼が過ぎるだろうと思ったからでした。こちらの勝手で時間を取ってしまうことになるからです。
 二週間を過ぎた頃、いや、三週間くらい経っていたでしょうか。手紙が届きました。分厚い封書で、差出人を見ずとも師範からの返事だと直感出来ました。鳥肌が立ちました。頭をひねって遣い慣れない敬語を遣って失礼がないように、と何度も書き直し、やっと出した手紙の返事です。うれしい。これ、感動の入り口だったのだろうと思います。
 そして、27にもなって、初めて、一人自分の考えだけの長距離の旅行。
 全ては最初の「剣術を習いたい」から始まったことです。

 師範は、中学生から始めた者、十人に一人が残ってくれたら(稽古を続けたら)それで(伝承できるから)良い、と言われました。私は27。既に対象外。
 しかし、その「対象外」に、仕事の休みに会ってやろう、話を聞いてやろうとされた。
 更には、本来、県外の者には決して教えないのを、この師範が四百年の禁を破り、来る者は拒まず、とされた。徒労に終わる可能性が限りなく高いのに。

 本当にこんな「計算をしない人」がいるんだ。
 今までに経験したことのない感じでした。
 対象外で、来る者は拒まずの中で、観光土産にしかできないかもしれない自分が、「これは絶対に退けないぞ」と思った瞬間でした。

 それなりにでも、真剣に考え、準備をし、事にあたる。
 その反応(応対)で感情が動く。
 それが生き方の指標となり、力となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れそうなので(市民運動)

2020年04月30日 | 重箱の隅
2011.08/11 (Thu)

 8月6日、8月9日
 気迫の伝わって来ない演説。
 けれど、やっぱり、もう多くの国民は上っ面に騙されようとしています。
 既に彼は、原発のことなんか本気で考えてはいない。言いっ放しで逃げようとしている。
 というわけで、私の復習の意味から、4月に書いた日記の一部をコピーしてみました。
   「市民運動」(前)4月7日の日記

*************

 渡部昇一氏の「天も怒った史上最低の宰相」、というものすごい題名の文中の一言に引っ掛かった。
 と言って内容ではありません。最初の方の、以下の一文に目を奪われたのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「~ところが菅さんら『市民運動家』が、これまでに主張してきた『市民』なるものは、無責任極まりないものでした。『市民のために命をかける』覚悟もなく、ただ何となく『市民』という言葉を使っている。~」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 例によって、恥ずかしながら私はこんなことも、まともに見て来ていなかった。
 ちょっと考えたら分かりそうなものなのに。

 産業革命以降、街に住んで工場勤めをしている人(労働者、プロレタリアート)を「市民」というようになったと思うけれど、それはただ、「街に住む労働者」であって、彼らは何も「~運動」という方向性を持っていたわけではない。
 彼らはただ、そこで職にありつき、生活をしているだけだ。

 それが「市民運動」ということになると、これはもう明らかに、この市民(街に居住する労働者)の力を以って(資本主義体制を打ち倒し)「市民の暮らしやすい社会」をつくる、という方向性を持っている。
 資本主義を打倒すれば、使用人たる労働者の職が失われるという矛盾を抱えて、の運動です。その先には、共倒れの破滅が待っています。

 ということは、「市民運動」→資本主義体制の打破=社会主義社会の建設、か。市民運動家はその指導者、というわけだ。
 何のことはない。「一銭の資本も持たず、社会体制のトップになろう。そのためには、社会の仕組みを変えればよい」
 そう考え、行動する者がプロ市民(運動家)、ということになる。
 ・・・・・・ん?

 「資本(財力、能力)を持たず、現体制を攻撃して、人の歓心を買い、社会体制のトップになる・・・・?」
 ありゃりゃ。今、「椅子にかじりついて」いる人、プロ市民だったな。

 これです。
 「何故『市民運動』と言うんだろう」
 「何故『市民運動家』と言うんだろう」
 「何故『プロ市民(運動家)』と言うんだろう」

 こんな単純な疑問さえ、持たなかった。
 「市民とは何か」
 これをまともに考えたことがなかった。何となく使っていた。
 何となく「市民は市民、だろう?」って。

 だから、渡部昇一氏が
 「市民運動家の言う市民というものは、無責任極まりないものだった」
 と書かれた文を見て、
 「えっ?どういうこと?」
 としか思わなかったし、続けて
 「市民のために命をかけるという覚悟もなく、ただ何となく市民という言葉を使っている」
 と畳み込まれても、よく分からない。

 けれど、何だか心の中で、「あっ」と思ったことは確かです。

*************
 「市民のために命をかける覚悟」という場合の「市民」とは、「市」、即ち「都市国家(ポリス)」の住人を言っているのです。
 つまり、「市民のために命をかける覚悟」というのは、「国民のために命をかける覚悟」という意味だったのです。
 **********:

 わざと「国民」とは呼ばずに「市民」と呼んで来た。
 「主役」ととれば、ポリスの住人。自ら武器を持って戦う。戦われたら、功は手柄を立てた者にいくから、市民運動家の立場も目的も横取りされてしまう。(都市国家には市民はいたけど、「市民運動家」などという鵺のような者はいなかった。)

 反対に「労働者、プロレタリアート」ととれば、戦うことはないけれど、市民運動家が「善導」しようとしたら、「同じ人間だ!バカにするな」と騒ぎ出す。(この場合の「善導」は、結果として市民運動家がトップに立つことを目的としています。「善導」という言葉でそれを隠蔽しているわけです。だから、これも言い換えれば「陰謀」、ですね。)

 ポリスの市民は自立しており、言うことを聞かない。近代の市民は人権に目覚め、言うことを聞かない。(目覚めさせたのは市民運動家です)
 だから、これまで「市民」の意味を曖昧なままで、やって来た。
 つまり、基本、根底の部分に真実を隠す体質が「プロ市民」にはある、ということです。
 些か煽情的な表現をすれば、陰謀を旨とする体質を元々、持っている。

   「市民運動」(後)4月8日の日記

**********************


 羽鳥キャスターの上司だった人が、総理についているんだそうですが、こんなことを言ってました。
 「総理は延命のための政策を、と思われているが、そんなことはない。あれは政策のための延命なんです」

 「はあ?じゃ、これまでの一年間、何してたの?」
 です。
 こんな言葉だって
 「へえ~。そうなのか。菅総理ってなかなか頑張ってるじゃないか」
 なんて、本気で摂る人が大勢いるのが日本の現状です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二祖断臂(にそだんぴ)後

2020年04月29日 | 心の持ち様
2011.08/26 (Fri)

 やって来た慧可のただならぬ雰囲気を察した達磨大師は、いつもの通り、弟子入りを願う慧可に対し、初めて質問をします。禅でよく行われる「公案」というものです。口頭試問、ですね。

 「では、お前に聞こう」
 初めて、それもいきなり公案を出された。入門試験と言ってもよいでしょう。
 慧可は必死だったでしょう。この問いに首尾よく応えることができたら、弟子入りが適う!(かもしれない)
 
 大師が重ねて言葉を発します。
 「(お前の)それは何だ」
 大師の目は慧可の左腕を見ているようです。
 ならば、「左腕です」と応えれば良いようなものですが、そんな公案の応えはあるまい。言った途端、「帰れ!」と怒鳴りつけられるかもしれない。

 答えに詰まった慧可は懐の短刀を取り出し、直ちにその左腕を切り落としてしまいます。
 そして、右手でその腕を取り、大師に示して
 「これはこれ、です」
 と応じる。

 結果、慧可は弟子入りを許され、後、全てを伝えられて印可を受け、二祖となるのですが、四肢を失ってしまった大師といい、左腕を切断してまで弟子になろうとした慧可といい、何んともはや、です。
 大師は一体何を思って「それは何だ」と聞いたのでしょうか。
 本当に左腕を指したのか。それとも懐に何かを忍ばせているから、単純に聞いたのか。何かを忍ばせてまでこうやって弟子入りを望む「覚悟のほど」を知りたかったのか。

 慧可は何も応えられなかった。 しかし、この時、命は捨てる覚悟だった。
 それを思えば、腕の一本など、惜しくはない。
 「それは何だ」と問われた時、「これはこれ」としか言えなかったのだから、こうするしかなかった。

 大師も別に「腕を切り落とせ」と言いたかったわけではないでしょう。
 けれど、咄嗟に腕を切り落とした慧可の必死の気持ちは、そして「覚悟」は、公案に真正面から応えようと、言葉ではなく実行動に出たことで大師にははっきりと伝わった。

 「二祖断臂」の逸話は、「覚悟」「初誓願」「初発心」の重要なことを説いていると思われます。
 世間では、何かにつけ、「能力」とか「才能」「天分」「天才」などという言葉が使われます。しかし、それらが生まれついてのものならば、駄目なものはいくら努力したって駄目、となってしまう。それらが生来のものならば、努力の意味なんてなくなってしまう。逆に「努力をしなくたってできるものはできる」ならば、人間なんてやってられませんよ。

 特にスポーツや学問に関しては、才能、天分というものがある、と言われることが多いのですが、本当は、何事につけてもまず、必要とされるのが、この「覚悟」「初誓願」です。そして、この慧可の示した覚悟を以ってすれば至れぬものはない、のかもしれません。

 勿論、我々は慧可の真似をして左肘を切り絶やす必要はありません。
 しかし、その志を尊んで、物事にあたる際、常に謙虚且つ真剣であるべきとは思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二祖断臂(にそだんぴ) 前

2020年04月29日 | 心の持ち様
2011.08/26 (Fri)

 達磨大師は禅宗の開祖とされます。その弟子となったのが慧可(えか)という名の僧。二代目を継いだので二祖と称されます。
 この僧についての詳しいことを、実は知りません。なのに書いてみようとしています。「道理」で考えたら、という推察です。

 達磨大師の「面壁九年」は実際のことなのかどうか分からない、と前回書きました。九年もやってないかもしれないし、逆に一生涯続けたのかもしれない。(おそらく、こちらが正解でしょう)
 けれど、とにかく懸命に取り組むのだ、というのが「面壁九年」の教えではなかろうかといったようなことを書きました。

 「悟り」というのは、「分かった(悟った)」だけでは大して意味がない。「身心共に」実践できてこそ意味がある。「考えを改め、行動を改める」、は悟った段階。
 「考えが改まり」「行動が改まっ」て初めて、全てに、応対が変わってくる。

 単純に習い事で言うと、「仕種、形を覚えてしまう」のを「悟り」として、それを今度は完全に身につけてしまい、咄嗟にその仕種、形が出るようになるのを、「更参三十年」と言ったらよいでしょうか。
 例えて言えば、空手の技を覚える。覚えた技を何万回となく繰り返し練習して身につける。必要な時に反射的に出せるようになる。

 「悟り」は技を覚えた段階でしかないと言えるでしょう。だから、それから三十年も繰り返し練習して、やっと名人となり、達人となる。
 空手の場合の「技」を、「禅」「哲学」の場合は、頭を使う「考え方」として良いのではないでしょうか。
 「考え方を覚える(分かる)」のが「悟り」。それを三十年もかけて修練する。
 そうやって「覚えた考え方」を我がものにする。
 あれこれと浅く広くやっていたら、「考え方」も覚えられないし、当然それら全てを我がものにするのは至難の業。だから、「坐禅」という特殊な修練法を採用する。
 達磨大師はそういう修行法をインドから中国に伝え、自らも実践し続けた。
 結果、或る時、遂にその考え方を身につけ、その考え方で、全てに対応できるようになった。
 他の修行僧は経品(きょうぼん)を読んだり、意味を考えたり、という猛勉強をしたのでしょうが、達磨は「結局のところ、書きとめられた方便品(ほうべんぼん)を読んで研究しても、釈尊の境地を知らねば、真意は掴めないのではないか」と考え、この坐禅という修行法を中心に置いた、と思われます。

 さて、長い前置きでしたが、とにかく大悟した、とされる達磨大師に弟子入りしたい、という人は多かったと言われます。しかし、その修行法は「坐禅」という、「ひたすら座る」やり方。
 それで本当に大悟なんて、あるのだろうか。そんな不安もあります。けれど、大師の称号を持つ達磨の評判はとても高い。
 大師は「自身、まだ修行中の身であるから」、と一向に弟子を取ろうとしません。悉く断ってしまいます。

 慧可も、その断られた者の一人です。当然何度も何度も弟子入りを乞うのですが、全く相手にされない。それでも慧可は頼みに行く。そして断られる。また頼みに行く。断られる。

 遂に慧可は決心をします。
 「今度行って、断られたら、もう仏道修行はできないもの、と覚悟しよう。」
 懐中に短刀を忍ばせ、最後の弟子入りのお願いに達磨の前に出る。
 断られたらその短刀で、自らの命を断つ覚悟だったと言われています。
 
 そうやって、大師の前に出た。


        (いきなり、続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする