
私は最近(2001年)の狂牛病騒動を見ながら、人が口にするものに対する感覚について考えてみた。まず、狂牛病の歴史について、Massie Ikedaこと池田正行(いけだまさゆき)さんが作成した「狂牛病に関する簡単な年表」にもとづき、正しい認識をしておきたい。
約200年前 :スクレイピー(狂牛病に似た脳の病気)の発見
1920 :クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)の発見
1970年代 :英国で牛の餌に羊の内臓、骨を使い始めた
1980年初め : 海綿状脳症の原因がプリオンではないかと提唱された
1986 :BSE(狂牛病=牛海綿状脳症)の初めての報告
1988.7 : 牛の内臓を牛の飼料にすることを禁止
1989.11 : 特定の牛の内臓を人間の食物の材料に使うことを禁止
1990 :英国政府はBSEの人への感染の可能性を真っ向から否定
1994 :BSEの発生数が月2000頭、それ以後減少
1996.3 :英国政府はBSEが人間にうつる可能性をはじめて認めた
この時のnvCJD患者数は10人
1997.9 :nvCJDはBSEが人間に感染した結果と判明
1998.9 :nvCJDの患者数が27人となった
2000.10 :BSEスキャンダルの最終報告書がまとまった
2000.11 :vCJDによる死亡者数77人にのぼる
2001.8 :vCJDによる死亡者数99人にのぼる

今日(2001年9月19日)の朝日新聞によれば、狂牛病に感染した疑いのある牛が千葉県内で見つかった問題で、厚生労働省は生後30か月を超す全頭(約100万頭)を対象に、EU並みの検査を実施することになったそうである(従来は、月齢24か月以上の神経症状がある牛だけを帯広畜産大学で検査していた)。
1頭あたりの検査には、キット代約2000~3000円、総額で約30億円かかり、「早急に検査体制をとらないと、消費者の理解は得られないと判断した」と厚生労働省幹部が述べている。検査については、食肉処理場に隣接する全国117か所で行えるようにするそうだが、当然の話である。今まで、手を抜きすぎていたのだろうし、今回もまた公表が遅れ、しかも政府として誤った報道をしたことは、まったく「懲りない面々」なのだ。

私は、高校生時代に約40頭の牛を肥育していた家で暮らしていた。家畜商から4頭の子牛を預かり、朝晩にエサを与えるアルバイトもしたことがある。牛肉は、ほとんど口にしたことがなく、年に何回か鳥肉や豚肉にありつければ幸せな気分だった。
日常的な動物性タンパク質と言えば、魚や魚の練り物(さつま揚げ、魚肉ソーセージ)が主な食材だった。48歳の今でも、牛肉はあまり美味しいと思えない。たばことの関わりは、小規模の葉たばこ農家でもあったので、現金収入を得るための大切な作物であった。自分でたばこを吸い始めたのは19歳からであり、これは一生辞めるつもりはない。もちろん、風邪をひいたりすれば、吸ってもうまくないから一時的に吸わないことがある。
思い返せば、私にとって「牛」も「たばこ」も生活の糧だったのであり、生産者とか耕作者側の人間として育ったのである。

というわけで、表題の「牛」と「たばこ」はどちらが危険なのかについて、私はそのような設問事態が無意味だと思うけれど、「目に見えない恐怖」や「牛が育つ現場を抜きにした食べ物としての牛肉」の方が、かなり気味が悪いと思うのだ。(2001/09/19)