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ジョナサン、ありがとう!〈英訳妻〉

2016年04月30日 | ここで一服・水元正介
▼先日、港の見える丘公園から山下公園、氷川丸船内の見学を済ませ、横浜市日本大通りを歩いていると、たばこの吸える場所が少なく、ドトールのに入ってコーヒーを飲みながら、一服しようと思ったのですが、残念ながら「全席禁煙」でした。

The other day I walked along Yokohama's Nihon Odori Avenue after visiting Yamashita Park and the inside of the Hikawa Maru from Minato-no-Mieru-Oka Park.
There were few places where I could smoke, so I decided to go into Doutor's for a cup of coffee and a smoke, but unfortunately, "no smoking" was allowed in the entire area.
▼そこでもう少し歩き、禁煙コーナーが見つからなかっら、JR関内駅高架下の喫煙所まで我慢するつもりでした。歩を進めていると、ファミレスのジョナサン入口に、スタンド灰皿が置いてありやっと一服できました。

So I walked a little further, planning to hold off until the smoking area under the elevated JR Kannai Station if I could not find a non-smoking area.
As I was walking, I found an ashtray at the entrance of the Jonathan family restaurant, and finally had a smoke.



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抜き書き帳『正岡子規』(その6)

2016年04月30日 | O60→70(オーバー70歳)
【152~153ページ】
杏はからびて賤しく李(すもも)は水多くしてあさはかなり。いちごは西洋いちごを善しとす。--------枇杷はうまけれど種子大きく肉少なきこそ飽かぬ心地はすれ。--------桑の実はなべての人に知られねども果物の中(うち) これを外(ほか) にして甘き者は無し。----夏橙(なつだいだい) 、ザボンの類い俗を離れて涼し。--------梨は涼しくいさぎよし。--------林檎は北海の産を最上とす。--------桃には種類多し。善きもあり悪しきもあり。--------マクワウリ西瓜ひなびたれど誠あり。捨て難し。--------葡萄は甘からず渋からず人に媚びずさりとて世に背かず君子の風あり。--------栗は賤し。--------柿は野気多く冷ややかなる腸を持ちながら味はいと濃し。多情の人世を厭(いと)いて野に隠れながらなお物に触れて熱血を迸(ほとば)らすにもたとえんか。--------柚子は気高けれど食うべからず。柘榴無花果のわれから裂けたるは喰い劣りぞする。蜜柑は浮気にして誰にも好かれ俗世の儀式などにも用いらるるやや厭うべし。われこの夏頃よりわけて果物を貪り物書かかんとすれば必ずこれを食う。書きさして倦(う)めばまたこれを食う。食えばすなわち心すずしく気勇む。気勇めばすなわち想湧きて筆飛ぶ。われ力を果物に借ること多し。

[ken] ここまでは「「松蘿玉液 抄」(明治29年4月~12月)」からの抜き書きになりますが、果物好きの正岡子規さん渾身の論評ですね。病床にあって、毎日いただく果物は生きる糧であったでしょう。その中で私は、甘い果物の筆頭に「桑の実」をおき、「栗は賤し」とする感覚に同意することはできませんでしたが、「蜜柑は浮気」者であるとする捉え方はとっても面白く思いました。また、みかんについては、この4月からスタートしたNHK朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」でも、肺結核で他界した父親がみかんを食べるときに、両手でもみほぐしてから食べるシーンがありました。「こうすると美味しくなるような気がするんです」の言葉どおり、私もみかんを食べるときは常々そのようにしています。(つづく)
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二つのインディアンについて〈英訳付〉

2016年04月29日 | たばこの気持ち
▼先日、ふと二つの「インディアン嘘つかない」について考えてみました。一つは、バイクのインディアン、先週の「何でも鑑定団」に登場し、だいぶ前に200万円で購入したのに、350万円の鑑定結果でした。

The other day, I suddenly thought about two "Indians don't lie".

One is an Indian on a motorcycle.
Appeared in last week's "anything appraisal group", and although I bought it for 2 million yen a long time ago, the appraisal result was 3.5 million yen.
▼もう一つは、僕が時々吸っている「アメリカン・スピリット」です。自然素材、無農薬、無香料は相変わらず美味しかったです。

The other is the "American Spirit" that I smoke from time to time.
Natural materials, pesticide-free, and fragrance-free cigarettes were as delicious as ever.




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アッという間の週末です!

2016年04月29日 | O60→70(オーバー70歳)
▼4月25日、月曜日の朝はとても仕事に行きたくありませんでした。
▼でも、行ってみたら自分の居場所はしっかりとありましたし、やるべきことも盛りだくさんでした。
▼あれこれ気にすることなく、明るく笑って過ごそうと改めて思いました。
▼今の与えられた期間と条件、環境の中で日々をおろそかにしてはいけませんね。
▼どうせやるなら元気良く!
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抜き書き帳『正岡子規』(その5)

2016年04月29日 | O60→70(オーバー70歳)
【129ページ】「松蘿玉液」(明治29年4月~12月)
俳句の趣味はその簡単なる処に在り。簡単を捨てて複雑につけよという者はついにその簡単の意味を解せざるの言のみ。落語家曰く大は小を兼ねるといえども杓子は耳掻(みみかき)の代わりをなさずと。

【131ページ】
◯ベースボール に至りてはこれを行う者極めて少なくこれを知る人の区域も甚だ狭かりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マッチ)ありしより以来ベースボールという語は端なく世人の耳に入りたり。

【143ページ】
東京へ来て十年絶えてそれとおぼしき声を聞かず、根岸に移りても聞かんとの念少なかりしためなお時鳥を知らず。一昨年の頃ややそれかとばかり聞き初めたり。おぼつかなければ
・それでなくてもそれにして置け時鳥
など口ずさみて自ら笑いしが今年はいかにしたりけん春の暮より夏へかけてしきりに鳴き立てたり。

[ken]129ページの「簡単」は奥が深いですし、複雑をもって良しとする風潮(「大は小をかねる」論)に対して「杓子は耳掻きの代わりになならない」と言い捨てているのが、とても気分爽快でした。131ページのベースボールについては、上野公園奥で「正岡子規記念球場」を初めて見たときの疑問が解けました。正岡子規さんは、日本に野球が入ってきたの頃の熱心な選手だったそうです。1889(明治22)年に吐血してやめるまで野球を続け、ポジションは捕手でした。143ページの時鳥については私のも確信なく、野鳥の見分けと聴き分け、花や魚の名前などを含め今後の課題だと思っています。
* 時鳥は全長は28cmほど、ヒヨドリより少し大きくハトよりも小さいそうです。自分では子育てをしなくて、ウグイス等に托卵する習性を持っています。ウグイスは体長がオス16 cm、メス14 cm、わかりやすくいえばスズメとほぼ同じで、卵の大きさが時鳥とにているため、托卵の対象なされているとのことです。(つづく)
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新ジャガイモの煮っころがし、完了!

2016年04月28日 | O60→70(オーバー70歳)
▼先日、近くのスーパーに新ジャガイモが並んでいました。
▼これ、煮っころがしにしたら旨そうだなぁ~っと思い、一袋買って、皮はそのまま水洗いし、大きめのものは分割、小さなものはそのままに、少なめの油で焦げ目をつけてから、煮っころがしにしました。
▼期待を裏切らぬ旨さでした。ビールにバッチリ合いましたよ。
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抜き書き帳『正岡子規』(その4)〈英訳付〉

2016年04月28日 | 気ままな横浜ライフ
【115ページ】「煩悶」(明治35年頃)
アッ苦しいナ、痛いナ、アーアー人を馬鹿にしているじゃないか、馬鹿、畜生、アッ痛、アッ痛、痛イ痛イ、寝返りしても痛いどころか、じっとしていても痛いぞ。
アーアーいやになってしまう。もうだめかな。もういかんぞ。ほんとうに人を馬鹿にしとる。いやになっちまうな。いやになりんすた。いやだいやだも----だっていやがらア。衣、骭(かん、すねの骨)にーーー至りーーーか、天下の英雄は眼中に在りーーーか。

【126~127ページ】
◯利口なようで愚 なのは伊藤候なり。--------。近くは滄浪閣に詩人を招き候自ら階を下って迎うるなどその雅量といい謙徳といいさすがはこの人なりこころにくくものせられたりと見るその時衆客に示されたる候の詩は体を失しかつ威張りに威張りたるごとく感じられる。候にしても威張る意ありて作られしならばなかなかめでたけれども恐らくは候は謙遜の意にて作りたるなるべきか。候の律詩に精しからぬためかく聞ゆるならんか。これ利口なようで愚かな処なり。詩に精しからざると知らば利口な人は詩を作らざるべし。----候の側に侍(はべ)る詩家は詩人として立派なる技量を有すれども候を諌むるの胆力無くついに候をして思わぬ恥を掻かしむにいたる。由来候の幕下には才子多くして侃々諤々(かんかんがぐがく、思ったままを言い議論すること)の士無し。これ一大欠点なり。

[ken] 115ページの痛みに関する記述については、私も昨年の胆のう炎で痛みを体験したので、正岡子規さんほどではないにしろ、少なからず共感させられました。自分でも未経験な痛みが続くと、それは、それはとても不安になります。手術前の一時退院をしていたとき、痛み止めをもらっていたのですが、あまりの痛さに半ば悲鳴をあげながらタクシーで病院へ向かい、痛みも治まって担当医から原因と今後の対処をお聴きし、やっと安心できたことがありました。また、「天下の英雄は眼中に在り」は、126~127ページで「愚か者」として取り上げている、まさに伊藤博文候の「某楼に飲す」という題の漢詩であることがとても面白かったです。当時から詩吟の教科書に載り、盛んに吟じられていたようですね。苦し紛れの呻き、痛みをはぐらかそうとするのに、下手とか上手とかに構ってはいられないわけで、覚えた漢詩を吟じるように暗唱したのでしょう。(つづく)

Page 115] "Agony" (circa 1902)
Ah, it hurts, it hurts, it hurts, it hurts, it hurts, it hurts, it hurts, it hurts not only when I turn over, it hurts even when I stay still.
It hurts not only when I turn over, but even when I stay still. I can't take it anymore. I can't go on. I'm really making a fool of myself. I'm sick of it. I'm sick of it. No, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no, no. I'm not going to be able to do anything about it. 

(pages 126-127)
It is Ito-soro who seems to be clever but is stupid. --------. The poet was invited to Cangnanggak and was welcomed downstairs himself. If the poem had been composed with the intention of being dignified, it would have been quite beautiful, but perhaps the poem was composed with the intention of being humble. Is it because he is not as proficient in ritsu poetry as he should be? This may seem clever, but it is foolish. If you know that you are not good at poetry, a clever person should not make poetry. The poets who are at the side of the "Duke of Cologne" have fine skills as poets, but they lack the courage to admonish the "Duke of Cologne," and finally they bring him unexpected shame. There were many talented men and women under the shogunate, but no one who was willing to debate and argue. This is a major fault.

[Ken] Regarding the description of pain on page 115, I experienced pain due to gall bladder inflammation last year, so I could relate to it, though not as much as Mr. Shiki Masaoka. When the pain that I have not experienced continues, it is, it is very unsettling. When I was temporarily discharged from the hospital before my surgery, I was given painkillers, but the pain was so bad that I took a cab to the hospital halfway screaming. I also found it very interesting that the poem "The Hero of the World is in Your Eyes" was a Chinese poem titled "Drinking in a Certain Building" by Ito Hirobumi-doro, who is featured as a "fool" on pages 126-127. It seems to have been included in shigin textbooks and actively recited since that time. It is likely that they recited the Chinese poems they had memorized as if they were reciting a poem. (continued)



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一万円札とアリンコ!

2016年04月28日 | O60→70(オーバー70歳)
▶︎一昨日、慶応大学の旧図書館前で、新入生とおぼしき数人の男女が、10000円札を手に手に、福澤諭吉像をバックに「まじ、ヤバイ、やばい!」と口にしながら、スマホで写真を撮り合っていました。
▶︎昨今の、というよりは慶応大学の学生さんたちは、万札をスッと出せるのですね。恥ずかしながら、その日、私の財布には福澤諭吉さんはおらず、樋口一葉さん止まりでした。
▶︎そこで、昨日、屋外テーブルにやってきたアリさんと一緒にお弁当をたべてから、用意してきた万札を手に、昨日の学生さんたちを真似、自撮りしてみました。
▶︎ちなみに、アリさんはミニトマトにへばりつき、続いて足を踏ん張り、和風ドレッシングに頭を突っ込むような姿勢で、美味しそうに召し上がっていました。
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抜き書き帳『正岡子規』(その3)

2016年04月27日 | O60→70(オーバー70歳)
【112ページ】
--------、余は台所のような処を通り抜けて裏まで出てみると、一間半ばかりの苗代茱萸(ぐみ)が累々としてなっておった。これをくれるかといえば、いくらでも取れという。--------。余はハンケチの中から茱萸を出しながらポツリポツリと食うている。見下ろせば千仭(せんじん)の絶壁鳥の音も聞こえず、足下に連なる山また山南濃州に向かって走る、とてもいいそうなこの壮快な景色の中を、馬一匹ヒョクリヒョクリと歩んでいる、余は馬上にあって口を紫にしているなどは、実に愉快でたまらなかった。茱萸はとうとう尽きてしまった。ハンケチは真っ赤に染んでいる、もう鳥井峠の頂上は遠くはないようであった。

[ken] 今の日本でグミと言えば「お菓子」の商品名です。ゼリー状の「プニュッ!」とした食感で、味は本来のグミというよりもフルーツ全般、何でもあといったところでしょうか。私の感覚でいえば「グミは緑色から完全に赤くならないうちは、とても渋くて食べられない。真っ赤に熟して、まさに枝から落ちるぐらいがちょうど食べごろ」なので、正岡子規さんが食べた茱萸(グミ)はちょうど食べ頃だったのですね。そういえば、私が子どもだった頃、自分のおやつは自分で調達することが当たり前でした。甘柿、熟し柿、木イチゴ、クルミ、アケビ、山ブドウ、生梅、プラム、ユスラ梅、さらには畑の未熟なサツマイモまで、いろいろと思い出しました。(つづく)
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夜泣きする科学的な理由!

2016年04月27日 | O60→70(オーバー70歳)
▼子どもが夜泣きするのは、胎内にいた時に母の負担を和らげるために、胎児が夜中に活動していたからだそうです。
▼その10ヶ月余りの習慣が、赤ちゃんになってからもしばらく続く(昼間によく眠り夜活動的になる)から、夜に目覚めて親を困らせるという理屈ですね。(3月25日放送のNHKスペシャル「ママたちが非常事態!?~最新科
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