先日、塩野七生さんの『イタリアからの手紙』(1972年発行)を面白く読みました。(最近、私は塩野七生さん中毒かもしれません)
今回は、『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫、平成20年4月1日発行)で印象深かった記述について、ページ順にいくつか抜き書きしましたので、それを投稿させていただきます。(◎印は私のコメントです)
◎ まずはカエサルの言葉です。常に戒めとして心がけておくべき考え方だと思います。私は加齢とともに、自分の無知を自覚する毎日ですが、そうしないと本性としての「強情」や「わがまま」が出てきますね。
【76ページ】
ユリウス・カエサルの言葉「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」という一句を、人間性の真実を突いてこれにまさる言辞なし、言って自作の中で紹介したのは、マキアヴェッリでした。
◎ 人類史上、パンデミックへの最初の対応(防疫システム)をしたのが、フィレンツェとヴェネツィアであったと書かれています。
【100ページ】
----疫病は、人口が集中する大都市ほど被害が大きくなる。当時のイタリアで最も人口が多かったのは、ローマでもなくナポリでもなく、フィレンツェとヴェネツィアでした。ヴェネツィア共和国では、ペストの伝染経路が東方からであるとわかった段階で、波う打ちぎわでの防疫システムを確立します。----検疫も、複式簿記や外交官の常駐制度と同様に、ヴェネツィア共和国からはじまったということですね。
◎ 二大政党制というのは、そもそも特殊な条件でしか成立しないことが記述されており、日本の政治をみるときの参考になります。
【105ページ】
政治の安定は、反対派を吸収することで国内統一を期す古代ローマやルネサンス時代のヴェネツィア方式か、二派に分かれて争った結果、勝った側が敗者を排除して国内を統一するという古代アテネやフィレンツェ方式かのいずれかしかありません。2大政党が選挙の結果入れ代わる方式は、20世紀に入ってから達成されたもので、しかも現代でもなお、数ヵ国でしか機能していない。
◎ なぜ、ダビンチのモナリザがフランスにたどり着いたのか、それが分かりました。
【141ページ】
----レオナルドは遺言で、これまではどこにでも持ち歩いていた「モナリザ」を、(フランスの)王に遺贈するのです。わずか(フランスに住んで逝去するまでの)3年間にすぎないのに、おかげで「モナリザ」はフランスに残り、今ではルーブルの至宝になっている。
◎ 現実直視の重要性について、きちんと述べられています。
【181ページ】
1千年以上もの長きわたって指導理念でありつづけたキリスト教によっても人間性は改善されなかったのだから、不変であるのが人間性と考えるべきである、ゆえに改善の道も、人間のあるべき姿ではなく、現にあるべき姿を直視しかところに切り開かれてこそ効果も期待できる、と。
◎ ルネサンスの動機は「見たい知りたい分かりたい」という探究心であった、という塩野七生さんの確信が語られています。
【192ページ】
----何度でもくり返しますが、あくなき探究心こそが、ルネサンス精神の根源です。これが花開いた分野は、芸術や学問にかぎらない。政治でも経済でも、そして海運の世界でも、まったく同じであったのです。
◎ 次の記述は、小林秀雄さんが『本居宣長』で「人は文である」と同様、文章には人柄に出るということかな、と私は受け止めました。
【240ページ】
表現とは、自己満足ではない。他者に伝えたいという強烈な想いが内包されているからこそ、力強い作品に結晶できるのです。レオナルド・ダ・ビンチの書き遺した文章に至っては、その多くが、キミという呼びかけを使って書かれている。
◎ 本書の最後に、三浦雅士さんとの対談が掲載されています。その中で、石原慎太郎さんの言葉が面白かったです。
【354〜335ページ】
[三浦雅士]----塩野七生にとって小林秀雄の存在はたいへん大きかったのではないかということです。----「歴史について」のなかの「歴史は神話である」という有名な一行です。----塩野さんは、それを言い換えて、大胆にも「歴史は娯楽だ」と書いている。『ローマ人の歴史』では、変な言い方かもしれませんが、要所要所で塩野さんは明らかに小林秀雄のお世話になっている。
[塩野七生]どうかしら。----のちに石原慎太郎さんと会った時に彼がこう言ったんです。「小林秀雄から聞かれたんだ。あの塩野七生というのは本物かね、と」。「それで石原さん。本物かねって、クエスチョンマークだったんですか」と聞くと、例によって、「おまえ、何でそんなに不安なんだよ。クエスチョンマークだって、ありがたいと思え。ダメだって言ったんじゃないんだぜ」と叱られて、終わりだったですけどね。