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「いねむり先生」とたばこ(完)

2025年02月15日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「いねむり先生」とたばこのつづき(その6/完)です。

409ページ
おずおずと一人の男が顔の汗を拭いながらあられた。その顔を見た瞬間、ボクは手にしていた煙草を落とした。
疲れ果てたように首に滴る汗を指で拭いながら、男はボクに、まだメンバーが揃わないのか。あ、何かを飲むか、と訊いた。男は新米の給仕なのか、どこか怯えているような物の言い方だった。しかし、それ以外の顔は、目もら鼻も、唇も----、すべてが先生と瓜ふたつだった。
男がテーブルの上で煙りを上げている。僕の煙草を指さした。ボクはあわてて煙草を拾おうとしたが、指先が震えて上手くつかめなかった。ようやくつかんで灰皿に入れた。

※「いねむり先生」の抜書きは以上です。iPhone15の音声入力を初めて使いましたが、iPhone7の音声入力に比べ、「えっ?こんなに長く入力できるようになったの!」と驚きました。
いねむり先生は、映像化と漫画化もされているんですね。知りませんでした。
もう一冊読み終えた本があるので、近々、音声入力でささっと抜書きをしてみようと思います。



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「いねむり先生」とたばこ(その5)

2025年02月14日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「いねむり先生」とたばこのつづき(その5)です。

289ページ
※たばこの記述ではないですが、伊集院さんがIさんから小説を書くように勧められ、それに答えているシーンです。

「そうだね。切なすぎるよね。人は誰でも皆少し狂ってはいるらしいんだけど、そういうこととは違う話だものね。ああいうものをコツコツと積み上げていく作業は大変だろうね。ボクには想像もつかないけど----。サブロー君も少し書いているんでしょう」
「僕はやめました。今(色川武大さん著)の小説を読んで、あらためてよくわかりました。才能がまるっきりありません」
「才能なんて必要なのかな」
Iさんは言って首をかしげた。
「一番大事なところじゃないんですかね」
「そうかな----。僕はそうは思わないな。必要なのは、腕力やクソ力じゃないのかな」

320ページ
外に出ると、若衆が車のボンネットに凭れかかって、煙草を吸っていた。
ボクの顔を見ると若衆は、連れ方は、と訊いた。まだ飲んでるよ。嫌な野郎だな、ボクが言うと若衆はニヤリと笑った。

361ページ
宿の裏手は山麓になっていて雑木林が三方を囲んでいた。
放し飼い鶏が数羽、餌をついばんで動き回っている。左手に古い農家の造り家と新しい家が並んでいた。その奥にちいさな鳥居が見えた。
先生はそこに立っていた。
もう出かけるつもりだろうか、コートを着ていた。先生の吸う煙草の煙が林の奥のほうに流れていた。(その6につづく)



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「いねむり先生」とたばこ(その4)

2025年02月13日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「いねむり先生」とたばこのつづき(その4)です。

264ページ
運転手はまたスピードを上げた。
ボクは運転手のほうに身を乗り出して、煙草の自販機があったら、停車するように告げた。
環状八号線沿いの自販機の前でタクシーは停車した。車を降りて、運転手に1000円札の両替を頼んだ。硬貨を受け取りながら運転手に、ゆっくり走るように念をした。 
ボクは自販機で煙草を買うと、そこに立って煙草を一本吸った。
見上げると秋の月が皓々とかがやいていた。

268ページ
丸眼鏡は丁寧に頭を下げた。
玄関口でボクは丸眼鏡に、先刻、煙草を買った折、すぐ先にまだ店を開けていた果物屋で包んでもらった果物を差し出した。

284ページ
先刻のダフ屋が鞄を膝の上に置いて何やらメモを見ながら煙草をくゆらせてていた。
もう仕事仕舞いなのだろう。
男の吐き出した煙が綺麗なリングとなって流れた。(その5につづく)



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「いねむり先生」とたばこ(その3)

2025年02月12日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「いねむり先生」とたばこのつづき(その3)です。

173ページ
時間を見ると、まだ十五分も休んでいなかった。カーテンの隙間から差し込む陽射しが強い。
寝所の方を見ると、山のように盛り上がった蒲団から、こっちにむけて靴下を履いたままの足の裏が赤ん坊のそれのように覗いていた。
煙草に火を点けた。
煙が白い糸のように、ゆっくりと部屋の中を流れていった。

188ページ
そこまで話して先生は我に返ったような目をして、
「ごめん、変なことを言い出して----」
そうして、アチッ、と声を上げた。
指にはさんでいた煙草の火が指先まで燃えてきていた。放り捨てた煙草が夏草の中で煙を立てた。

198ページ
※たばこの話ではないですが、感銘を受けた「いねむり先生」の言葉です。

「サブロー君、人は病気や事故で亡くなるんじゃないそうです。人は寿命でなくなるそうです」

206ページ
蒲団に入ったが、とても眠れそうになかった。
庭に面した木戸を開けた。
夜風が勢いよく入ってきた。
濡縁に腰を下ろし、煙草を点けた。
マッチが湿って火が点かなかった。
煙草をくわえたままぼんやりしていた。(その4につづく)



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「いねむり先生」とたばこ(その2)

2025年02月11日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「いねむり先生」とたばこのつづき(その2)です。

23ページ
Kさんはまた呆れたような顔で先生を見た。先生は先生で少し怒ったような顔をしていた。
ニ人の様子がおかしいので、僕はトイレに立った。なるほど、ひどいトイレである。
少し時間を置こうトイレの脇の電柱の下で煙草に火をつけた。

29ページ
四谷の地下にあるバーの階段を降りていくと、Kさんはカウンターの隅で一人で飲んでいた。
客はKさんだけで、店の女は奥のテーブルで煙草を吸っていた。

36ページ
「ああ暇だわ。宵の口から一組じゃね。こんな時にぶらっと先生でも来てくれないかしらね」
「この一週間は締め切りがあるって言ってたから、ぶらりはないね」
「そうか、先生は仕事してんのか」
女はカウンターを出て、奥のソファーに腰を下ろして、煙草を吸い始めた。(その3につづく)



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「いねむり先生」とたばこ(その1)

2025年02月10日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
伊集院静著「いねむり先生」(2011年4月10日第1冊発行、株式会社集英社発行、定価1600円)を読みました。
本書の中からたばこに関する記述を抜き書きしてみました。私が何年も続けているライフワークです。
本書のページ数を記し、たばこのシーンを拾っていきたいと思います。

その前に、巻頭の4行をご紹介させていただきます

その人が
眠っているところを見かけたら
どうか やさしくして欲しい
その人は ボクの大切な先生だから

6ページ
Kさんは笑ってタバコに火を点けた。
煙が窓の月に重なるように流れていた。

18ページ
先生が立ち止まった。じっと相手の男を見ている。男がくぐもった声で何事かを言った。先生がKさんに先に行くようにうながした。Kさんはうなずいてボクを手招きし、小声で、様子を見てくれ、と言った。ボクはニ人の数メートル先で立ち止まり、煙草を出してくわえた(つづく)



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マイルドセブン、11pm、セブンイレブン〈英訳付〉

2024年10月05日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
9月4日、田町のアパホテルで読んだ読売新聞の編集手帳に、セブンイレブン買収の話と、たばこのマイルドセブンに関する次のような記事がありました
あまりにも面白いので、以下、引用させていただきます。
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2024年9月4日 読売新聞「編集手帳」
いまほどたばこの害が叫ばれていなかった昭和時代、文化人の愛煙家は少なくなかった。吉行淳之介さんがさる舞台俳優のエピソードを随筆に書き溜めている◆マイルドセブンとという往時を代表するたばこの銘柄が主役となる。俳優はそれを買うのに、店のおばあさんに「11PM(イレブンピーエム)ください」と言ってしまった。テレビの深夜番組と間違えたのだ。すると、おばあさんは「はいはい、セブンイレブンね」◆不思議な展開はこれで終わらない。おばあさんの手からマイルドセブンが出てきたという(『やややのはなし』文春文庫)◆いま残っているのはコンビニの名前のみである。♪ セブンイレブン いい気分⋯というCMが耳になじみ、海外から入った流通スタイルを新しく感じたものである。その企業がカナダの流通大手から買収の提案を受け、是非を検討中だという。きめ細かな品ですっかり日本化し、災害時には地域と協力する仕組みも作られている。昭和からの長い付き合いを思いつつ、外資に買われることに抵抗を覚える向きは多いのではないか◆「セブンイレブンください」ー-結末はいかに。

On September 4th, I read the Yomiuri Shimbun editorial notebook at the APA Hotel in Tamachi, and there was an article about the acquisition of 7-Eleven and the cigarette brand Mild Seven, which I will quote below.
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Yomiuri Shimbun "Editorial Notebook" September 4th, 2024

In the Showa era, when the harm of tobacco was not as widely hailed as it is now, there were many cultural figures who were smokers. Junnosuke Yoshiyuki has written an essay about an episode of a certain stage actor. The main character is a cigarette brand that represents the past, Mild Seven. When the actor buys it, he says to the old lady at the store, "I'd like some 11PM (Eleven PM) please." He mistook it for a late-night TV program. The old lady then says, "Yes, yes, Seven-Eleven." The strange developments don't end there. A Mild Seven came out of the old lady's hand (Yayaya no Hanashi, Bungeishunju Bunko). All that remains now is the name of the convenience store. ♪ Seven-Eleven, feel good... is a familiar commercial, and this distribution style introduced from overseas feels new. The company has received an acquisition proposal from a major Canadian distributor, and is currently considering whether to accept it. The company has become completely Japanese, with its meticulous products, and has also created a system to cooperate with local communities in times of disaster. While remembering the long relationship that has existed since the Showa era, many people are likely to feel resistance to being bought by a foreign company. "Give me a Seven-Eleven" - what will the outcome be?
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抜き書き帳『樋口一葉』(その5)〈英訳付〉

2024年09月15日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
《ゆく雲》明治28年5月

【167ページ】
----、まま子たる身のおぬいがこの瀬に立ちて泣くは道理なり、もの言えば睨まれ、笑えば怒られ、気を効かせれば小ざかしいと云い、ひかえ目にあれば鈍な子と叱られる、二葉の新芽に雪霜のふりかかりて、これでも延びるかと押さえるような仕方に、堪えて真直ぐに延びたつ事人間わざには叶うまじ、泣いて泣いて泣き尽くして、訴えたいにも父の心は鉄(かね)のように冷えて、----。

《 わかれ道》 明治29年1月

【169ページ】
----、山椒は小粒で珍重されると高い事をいうに、この野郎めと背を酷く打たれて、ありがとうございますと済まして行く顔つき背(せい)さえあれば人串談(じょうだん)とて免(ゆる)すまじけれど、一寸法師の生意気と爪はじきして好い嬲り(なぶり)ものに烟草休みの話しの種なりき。

[Ken] 「ゆく雲」の167ページは、実母の死後に後妻が継母として家に入り、継母に子どもができればなおさら、継子の扱いは本書にあるような雰囲気があったのでしょう。懐かしのテレビドラマでも、しばしば見たような既視感があります。それにしても、文章がうまいと感心させられます。「泣いて泣いて泣き尽くして」というのは、演歌でも流用された歌詞みたいですね。
「わかれ道」169ページの「烟草休み」は、今でいう「休憩時間」のことですが、たしかに私が子どもだった頃、農作業や山仕事の合間に大人たちがそう言って、「しんせい」や「いこい」などで一服休憩していた景色を思い出しました。(つづく)

"Passing Clouds" May 1895

[Page 167]
----, It is only natural that Onui, a child of a mother, should stand on this rapids and cry. If she speaks she is glared at, if she laughs she is scolded, if she is considerate she is called cunning, if she is reserved she is scolded for being a slow child, snow and frost fall on the new two-leaf buds, and they are held down as if to see if they will still grow, but the fact that they can endure this and grow straight is something that no human can achieve, she cried and cried and cried until she was exhausted, and even if she wanted to complain, her father's heart was as cold as iron,----

《Walking Road》 January 1896

[Page 169]
----, Japanese pepper is small and highly valued, so if he had been hit so hard on the back that he said thank you and walked away, I would not have been able to avoid human humiliation, but Issun-boshi's cheekiness and his fingernails were a topic of conversation during smoke breaks.

[Ken] Page 167 of "The Clouds Going" is about a mother who becomes a stepmother after the death of her biological mother, and if the stepmother has children, the way the stepchildren are treated would have been similar to the atmosphere in this book. I have a sense of déjà vu, as I have often seen this in nostalgic TV dramas. 
Even so, I am impressed by how well written the writing is. "Naite naite naite nakitsukashite" seems to have been a lyric that was also used in enka.
On page 169 of "Wakaremichi," the phrase "tobaco-yasumi" (a break for smoking tobacco) refers to what we now call "rest time," but it certainly reminded me of the scenes from when I was a child when adults would call it "shinsei" or "ikoi" and take a break from farm work or mountain work. (To be continued)


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チェーンスモーカー五味太郎〈英訳付〉

2024年05月14日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
絵本作家の五味太郎さん、NHKの再放送をみました
チェーンスモーカーでもある五味太郎さんは、細巻きのシガーたばこを口に加えて絵を描いていました
絵本の素晴らしさはもちろん、一つひとつの言葉に感銘を受けました


I saw a rebroadcast of picture book author Gomi Taro on NHK. Gomi Taro, who is also a chain smoker, was drawing with a thin cigar in his mouth. 
I was impressed not only by the beauty of the picture book, but also by every word.












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「徹子の部屋」の松平健さんと杉良太郎さん〈英訳付〉

2024年03月08日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
昨日のテレビ朝日「徹子の部屋」は、若き日の時代劇スターが登場しました。
私は、松平健さんと杉良太郎さんの「母から受けた愛情」に、久しぶりに泣いてしまいました。
松平健さんは、たばこを手に出演してしていました。

彼は7人兄弟の末っ子、17歳で俳優になりたくて家出します。その時、家族の大半から反対されるのですが、母だけが背中を押してくれ、東京の中心地と勘違いして、豊橋から東京駅を通り越し、上野駅に降り立ったのですね。

杉良太郎さんは家を出て上京し、カレー🍛屋さんで働き賄いのカレーを1日3食食べながら、俳優を目指します。
6畳一間を二つに区切った「すきま風」が入る貸し間に住み、その家賃は母からの仕送りでした。
それも、母が借金をして送金してくれていることを知っていました。
彼の母は、自分にばかりではなく、貧乏なのに人助けをしていました。彼は子どもながら「どうして?」と聞きました。
すると、彼の母は「徳を積めば、わが子のお前に必ず返ってくるから」と言ったそうです。

杉良太郎さんは、徹子さんの問い(そうなっていますか?)に対して、「そうなっています」と答えました。
私はアカペラで「すきま風」を歌いながら、64歳で末っ子の私と孫に想いを残し亡くなった私の母を脳裏に浮かべ、これが泣かずにいられましょうか?

Yesterday's TV Asahi's "Tetsuko's Room" featured young period drama stars.
I cried for the first time in a long time at the "love I received from my mother" by Ken Matsudaira and Ryotaro Sugi.
Ken Matsudaira, the youngest of seven brothers and sisters, ran away from home at the age of 17 to become an actor. At that time, most of his family members opposed him, but only his mother pushed him back, and he mistakenly thought he was in the center of Tokyo, so he left Toyohashi, passed Tokyo Station, and landed at Ueno Station.
Ryotaro Sugi left home and moved to Tokyo to work at a curry🍛 shop, eating three meals a day of bribed curry while trying to become an actor.
He lived in a rented room with a "sukimakaze" (a space with a draft in it) that was divided into two 6-tatami mat rooms, and his mother sent him money for the rent.
He knew that his mother had borrowed money to send him money.
His mother was not only helping him, but also helping others in spite of poverty. As a child, he asked, "Why?" He asked.
His mother replied, "Because if you accumulate virtues, they will definitely come back to you, my child."
Ryotaro Sugi answered Tetsuko's question (Is that true?) by saying, "Yes, it is. Ryotaro Sugi answered Tetsuko's question (Is it so?), "Yes, it is so.
As I sang "Sukimakaze" a cappella, I thought of my mother, who passed away at the age of 64, leaving her thoughts and feelings for me, her youngest child, and her grandchildren, and wondered how I could go on without crying.

Translated with DeepL.com (free version) 


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