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今年もお弁当ごちそうさま〈英訳付〉

2025年01月15日 | 三田だより
今年初めてのお弁当と、昨日の愛妻弁当です
週に3回、今年もランチはお弁当です

This is my first bento of the year and my wife's bento for yesterday. I eat bento three times a week this year.



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文銭堂の福柿〈英訳付〉

2025年01月10日 | 三田だより
本日、私たちは三田吟詠会の初吟会を開催しました
私は、三田文銭堂の和菓子(福柿)を差し入れし、みんなで美味しくいただきました

見た目の芸術的な装いに加え、本物の干し柿と勘違いしそうな素晴らしい食感で、さすがに老舗の味でした

商品説明書には、次のとおり記載されており、たくさんの学びがありました

Today, we held the Hatsugin-kai of the Mita Ginyu-kai.

I brought in some Japanese sweets Fuku-gaki) from Sanda Bunsendo, and everyone enjoyed them.

In addition to their artistic appearance, they had a wonderful texture that could be mistaken for a real dried persimmon, and they were indeed the taste of a long-established shop, I learned a lot.

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Fukugaki “persimmons” originated in Japan and have traveled to China and Europe, where they are popular as Japan's representative “fruit”. 

Dried persimmons, which absorb the sun's rays and become sweet, have been especially prized since ancient times, and are an indispensable part of the Airai decoration of good luck charms and Kagamimochi decorations. It is said that even in China, the “persimmon frost” on the surface of dried persimmons was prized as a substitute for sugar.

Bunseindo's “Fuki-gaki” is made with the highest quality bean-paste persimmon, and is said to have been used as a tea ceremony confection by the tea ceremony master, Rikyu Seni, to make the appearance of a "dried persimmon.

Okashi Tsukasa

Bunpendo Main Office


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LINEグループ通話で新年のご挨拶〈英訳付〉

2025年01月04日 | 三田だより
OB会で、初めてLINEグループ通話を6人でやってみました
新年の顔合わせですが、スマホの画面に6人が並び映り、約20分ほど会話もスムーズに進みました
今年は、LINEグループ通話を積極的に活用していければいいな、と思いました

At the alumni reunion, we tried a LINE group call with six people for the first time.

It was a New Year's meeting, but the six of us appeared on the smartphone screen and the conversation went smoothly for about 20 minutes.

I hope to be able to make active use of LINE group calls this year.




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日本のガウディ作の構築物〈英訳付〉

2024年12月31日 | 三田だより
ついに、待ちに待った三田聖坂の日本のガウディ作、そんな建築物が完成に近づいています

来春には、その全貌が立ち現れることでしょう
高層階部分が冬空に屹立し、異様な物珍しい構築物として、私たちの目の前に姿を現そうとしています

Finally, the long-awaited Japanese Gaudi work on Mita Hijirizaka, such a building is nearing completion.
Next spring, it will be fully revealed.
The high-rise portion of the building will soar into the winter sky and appear before our eyes as a bizarre and unusual structure.



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LINEのグループビデオ通話の試行〈英訳付〉

2024年12月27日 | 三田だより
先日、 OB会三役でLINEのグループビデオ通話を試してみました
6人がスマホの画面に並び、なるほどこうなるのか!と確認できました
本番は、年賀状代わりに行う年明けの新年挨拶です
徐々に、グループビデオ通話に慣れ、必要に応じた全国展開・活用を検討していきたいと考えています

The other day, the three members of the alumni association tried out a group video call on LINE.

All six of us lined up on the smartphone screen, and I was able to confirm that this is how it works!

The actual event was a New Year's greeting in place of New Year's cards.

We hope to gradually get used to group video calls and consider expanding and utilizing them nationwide as necessary.



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遠き昭和のような忘年会〈英訳付〉

2024年12月15日 | 三田だより
昭和時代のような忘年会かな!いと
楽し!



It must be a Showa era year-end party! So fun!



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詩吟教室の詠い納め、なにわやのたい焼き〈英訳付〉

2024年12月14日 | 三田だより
昨日、私は OB会のお手伝いをして、ランチは愛妻弁当を食べました

午後4時からは、詩吟教室の詠い納め忘年会を兼ね、一通りお稽古をしてから、ちょい飲みしました

生徒さんから、麻布なにわやさんのたい焼きの差し入れがありました
私はワンカップ大関(180ml)を飲み干し、ほろ酔い気分で帰宅しました

12月19日までに、あと3回、忘年会があります
なんとかなるでしょう。昨日、年金も支給されたしね

Yesterday, I helped out at the alumni association and had lunch made by my wife.

From 4pm, we had a year-end party for the last recitation of poetry at the Shigin class, and after a few practice sessions, we went for a few drinks.

A student brought us some Taiyaki from Azabu Naniwaya.

I drank a One Cup Ozeki (180ml) and went home feeling tipsy.

There are three more year-end parties until December 19th.

I'm sure I'll be able to manage it. I got my pension yesterday.



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お酒とたばこと仕事とお金(好楽師匠の「芝浜」)

2024年12月04日 | 三田だより

47回せんばい寄席レポート(5-5


トリの落語は、笑点メンバーの三遊亭好楽さんが、ご当地ネタの古典「芝浜」を軽妙に演じました。好楽師匠は、20年ぶりに登壇した「せんばい寄席」で、ここは田町だから芝浜(現在の本芝公園あたり)に近いから、と演目を選んだような気がします。また、魚屋の仕入れに向かい河岸に着いたけれど、カミさんが時を間違えてしまい、河岸が開くまで時間つぶしのために、「芝浜」で「たばこでも吸ってるか。潮の風っていうのはいいもんだなぁ」と、たばこを一服することになりました。

そしたら、波打ち際に財布のような物が目に入り、手に取ってみるとヌルヌルした財布の中に42両が入っていたのですね。「そうか、42両を拾うきっかけになったのは、たばこだったのか!」と、愛煙家の私はとても嬉しくなったと同時に、今まで知らなかった自分の不勉強を恥ずかしくなりました。

 

そもそも、私は立川談志師匠の「芝浜」を途中からテレビで視聴したことがあります。他の噺家さんの「芝浜」も断片的に聴いたことはありますが、出だしから落ちの「また夢になるといけねえ」まで聴いたのは初めてです。

拾った財布を家に持ち帰り、これからしばらくは「なんで魚屋になんかなっちまったんだろう」と嫌な仕事をしなくてもお金に困ることがなく、お酒もたっぷり飲めるぞ」と喜び、お金をカミさんに預け、燗冷ましのお酒を用意させたらふく飲んで寝入ります。

「どうしよう?このままだとお金を全部使ってしまうし、急に派手な暮らしになったら疑いの目で見られ、あげくの果てに拾った財布のことが露見し、お縄になってしまうかも知れない」と、お金を持って大家さんに相談します。大家さんは1年間お金を預かることにして、「夢を見ていたことにしちゃいなさい」と知恵を授けます。

次の日の朝、目が覚めた旦那を起こし「早く河岸へ行っておくれ」とせきたてますが、旦那は拾った財布のことを持ち出しますが、「貧乏すると変な夢を見るもんですね。そんなの夢ですよ。お金がないのに、昨日もあんなに飲んじゃって、夜逃げでもしましょうか。とにかく働いておくれよ」と懇願するのです。

 

「俺、酒を辞める。ハナッから飲まなきゃいい。一生懸命働くからな」と心を入れ替え、3年経った大みそかの夜、「借金取りは来ないのか、こんな大みそかがあるんだな。畳も代えて、いい香りだ。まさに畳は新しいのがいいし、持つべきものはいい古女房だ。おい、羊羹を厚く切ってお茶でも飲むかい」と旦那さんが言いました。(懸命な働きによって、奉公人を雇い魚屋のお店を出すまでになりました)

「お前さん、ご機嫌だから私の話を聞いて。話をお終いまで聞いておくれ。あとはぶっても殴ってもいい、お前さんこれに見覚えがあるでしょう」と、あのとき芝浜で拾った財布を差し出します。そして、お酒を勧めるのですが盃を口まで持っていき、いざ飲もうとするのですが、「いや、辞めておく。また夢になるといけねえ」で終わります。

 

ここで終われば、お酒のイメージが悪いままになってしまいます。

「芝浜」の初期設定は「働かないでお酒を飲む」ですね。そこから「お酒を飲まないで家業の魚屋に専念する」設定に急展開していきます。当時も今も「働いてお酒を飲む」「年金の範囲でお酒をたしなむ」人たちが大半です。拾ったお金(働かずに人をだましたり、奪い取る)は、あぶく銭であり、使い方よっては足がつき、置引き犯人としてお縄(逮捕)になるのは現代と同様です。「芝浜」の描く人情噺が今に伝わる名作であるのは、お金・働くこと・酒やたばこの嗜好品・持続可能性といった観点が、緩みなく私たちの心に響くからなのでしょう。というわけで、お酒は悪者じゃなくて、世間様はそれを知っていながら、「芝浜」に心打たれるのですね。

なお、立川志らく師匠にとって、芝浜は「談志師匠の得意ネタを演ることは弟子として大きな挑戦。あと、大半が夫婦の会話で成立する噺なので、アドリブも含め自由がきくんです。その時の感情を全部入れられるかわりに、体調が悪かったり、自分の精神状態がおかしかったらボロボロになってしまう、ごまかしようがない話」と語っていました。というわけで、志らく師匠の「芝浜」もいつか聴いてみたいと思いました。

 

午後845分に終演となり、来場した人たちは満足げな表情で会場を後にしました。年に一度のせんばい寄席は、地域や全専売会館テナントの皆様に愛され、今後とも地域貢献として続くことを願いますとともに、企画開催された団体様、スタッフの皆様に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。



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ウクレレ漫談のぴろきさん〈英訳付〉

2024年12月03日 | 三田だより
第47回せんばい寄席レポート(5-4)は、「中入り」後の「明るく元気にいきましょう」のフレーズでお馴染みのぴろきさんのウクレレ漫談でした。

ぴろきさんは「国民年金は65歳から受給し、何年で元が取れますか?」という問いを発し、「10年です。何がなんでも10年は生きてください。万一のことがあったら引き返してください」と明るく言いました。「皆さんの中には、すでに元を取っていらっしゃる方も多いでしょう」と、黙って会場を見回す表情がとても可笑しかったですね。

また、お金と身体の深い関係については、「頭金」「口座」「耳をそろえて返す」「胸算用」「腹黒い」「首が回らない」「足代」などの言葉を次々と連発され、なるほどと納得させられました。それほど、私たちにとって、お金は大切で身近なものなのですね。

47th Senbai Yose Report (5-4)

After the intermission, Piroki, who is well known for his phrase "Let's be cheerful and live well," performed a ukulele stand-up comedy.

Piroki asked, "If you start receiving the national pension at age 65, how many years will it take to get your money's worth?" and cheerfully replied, "10 years. Live for 10 years no matter what. If something happens, turn back." He looked around the audience in silence and said, "I'm sure many of you have already gotten your money's worth," which was very funny.

He also talked about the deep relationship between money and the body, and I was convinced by his repeated use of words such as "down payment," "account," "paying back with all your heart," "counting in your heart," "sly," "unable to keep up," and "foot fee." That's how important and familiar money is to us.



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第47回せんばい寄席レポート(5-3)〈英訳付〉

2024年12月02日 | 三田だより
第47回せんばい寄席レポート(5-3)は、中入り前の一席です。
三遊亭好志朗さんは、寄席でたびたび演じられる落語「権助魚」を話しました。
これは私も三度ほど聴いた落語なので、二つ目さんの演目としては定番なのでしょう。
大店(おおだな)の旦那の浮気相手を調査するため、丁稚の権助に追跡を命じた女将さんと店主(旦那)の駆け引きや、そこで右往左往する権助の間抜けさが会場の笑いを誘いました。
店主が魚釣りをしていた証拠に、魚屋で魚を買って女将に届けることになった権助がニシン、シシャモのメザシ、頭から足がはえているタコ、あげくの果てにかまぼこまで持参したから、女将にあっさりとばれてしまう、という落ちでした。
好志朗さんは、マクラで42歳を過ぎて入門した苦労を面白おかしく話されました。転職が普通のことになってきた現代においても、落語家への転身は異例ですが、今後の精進を期待するところです。

47th Senbai Yose Report (5-3)

The first piece before the intermission was the rakugo "Gonsuke Fish" performed by Sanyutei Koshiro. I have heard this rakugo three times, so it must be a standard for futatsume performers. The negotiations between the proprietress of a large store, who orders her apprentice Gonsuke to track down her husband's affair partner, and the proprietress (her husband), and Gonsuke's foolishness as he runs around in confusion, drew laughter from the audience.
Gonsuke was to buy fish from a fish shop and deliver it to the proprietress as proof that the proprietress had been fishing, but he brought herring, a smelt fish skewer, an octopus with legs growing out of its head, and even kamaboko fish cakes, which easily exposed the proprietress.
In the opening, Koshiro humorously talked about the difficulties he faced when he started training after turning 42. Even in today's world where changing jobs has become commonplace, it is still unusual for someone to become a rakugo performer, but we look forward to his continued hard work.



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