Today, we held the Hatsugin-kai of the Mita Ginyu-kai.
I brought in some Japanese sweets Fuku-gaki) from Sanda Bunsendo, and everyone enjoyed them.
In addition to their artistic appearance, they had a wonderful texture that could be mistaken for a real dried persimmon, and they were indeed the taste of a long-established shop, I learned a lot.
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Fukugaki “persimmons” originated in Japan and have traveled to China and Europe, where they are popular as Japan's representative “fruit”.
Dried persimmons, which absorb the sun's rays and become sweet, have been especially prized since ancient times, and are an indispensable part of the Airai decoration of good luck charms and Kagamimochi decorations. It is said that even in China, the “persimmon frost” on the surface of dried persimmons was prized as a substitute for sugar.
Bunseindo's “Fuki-gaki” is made with the highest quality bean-paste persimmon, and is said to have been used as a tea ceremony confection by the tea ceremony master, Rikyu Seni, to make the appearance of a "dried persimmon.
Okashi Tsukasa
Bunpendo Main Office
第47回せんばい寄席レポート(5-5)
トリの落語は、笑点メンバーの三遊亭好楽さんが、ご当地ネタの古典「芝浜」を軽妙に演じました。好楽師匠は、20年ぶりに登壇した「せんばい寄席」で、ここは田町だから芝浜(現在の本芝公園あたり)に近いから、と演目を選んだような気がします。また、魚屋の仕入れに向かい河岸に着いたけれど、カミさんが時を間違えてしまい、河岸が開くまで時間つぶしのために、「芝浜」で「たばこでも吸ってるか。潮の風っていうのはいいもんだなぁ」と、たばこを一服することになりました。
そしたら、波打ち際に財布のような物が目に入り、手に取ってみるとヌルヌルした財布の中に42両が入っていたのですね。「そうか、42両を拾うきっかけになったのは、たばこだったのか!」と、愛煙家の私はとても嬉しくなったと同時に、今まで知らなかった自分の不勉強を恥ずかしくなりました。
そもそも、私は立川談志師匠の「芝浜」を途中からテレビで視聴したことがあります。他の噺家さんの「芝浜」も断片的に聴いたことはありますが、出だしから落ちの「また夢になるといけねえ」まで聴いたのは初めてです。
拾った財布を家に持ち帰り、これからしばらくは「なんで魚屋になんかなっちまったんだろう」と嫌な仕事をしなくてもお金に困ることがなく、お酒もたっぷり飲めるぞ」と喜び、お金をカミさんに預け、燗冷ましのお酒を用意させたらふく飲んで寝入ります。
「どうしよう?このままだとお金を全部使ってしまうし、急に派手な暮らしになったら疑いの目で見られ、あげくの果てに拾った財布のことが露見し、お縄になってしまうかも知れない」と、お金を持って大家さんに相談します。大家さんは1年間お金を預かることにして、「夢を見ていたことにしちゃいなさい」と知恵を授けます。
次の日の朝、目が覚めた旦那を起こし「早く河岸へ行っておくれ」とせきたてますが、旦那は拾った財布のことを持ち出しますが、「貧乏すると変な夢を見るもんですね。そんなの夢ですよ。お金がないのに、昨日もあんなに飲んじゃって、夜逃げでもしましょうか。とにかく働いておくれよ」と懇願するのです。
「俺、酒を辞める。ハナッから飲まなきゃいい。一生懸命働くからな」と心を入れ替え、3年経った大みそかの夜、「借金取りは来ないのか、こんな大みそかがあるんだな。畳も代えて、いい香りだ。まさに畳は新しいのがいいし、持つべきものはいい古女房だ。おい、羊羹を厚く切ってお茶でも飲むかい」と旦那さんが言いました。(懸命な働きによって、奉公人を雇い魚屋のお店を出すまでになりました)
「お前さん、ご機嫌だから私の話を聞いて。話をお終いまで聞いておくれ。あとはぶっても殴ってもいい、お前さんこれに見覚えがあるでしょう」と、あのとき芝浜で拾った財布を差し出します。そして、お酒を勧めるのですが盃を口まで持っていき、いざ飲もうとするのですが、「いや、辞めておく。また夢になるといけねえ」で終わります。
ここで終われば、お酒のイメージが悪いままになってしまいます。
「芝浜」の初期設定は「働かないでお酒を飲む」ですね。そこから「お酒を飲まないで家業の魚屋に専念する」設定に急展開していきます。当時も今も「働いてお酒を飲む」「年金の範囲でお酒をたしなむ」人たちが大半です。拾ったお金(働かずに人をだましたり、奪い取る)は、あぶく銭であり、使い方よっては足がつき、置引き犯人としてお縄(逮捕)になるのは現代と同様です。「芝浜」の描く人情噺が今に伝わる名作であるのは、お金・働くこと・酒やたばこの嗜好品・持続可能性といった観点が、緩みなく私たちの心に響くからなのでしょう。というわけで、お酒は悪者じゃなくて、世間様はそれを知っていながら、「芝浜」に心打たれるのですね。
なお、立川志らく師匠にとって、芝浜は「談志師匠の得意ネタを演ることは弟子として大きな挑戦。あと、大半が夫婦の会話で成立する噺なので、アドリブも含め自由がきくんです。その時の感情を全部入れられるかわりに、体調が悪かったり、自分の精神状態がおかしかったらボロボロになってしまう、ごまかしようがない話」と語っていました。というわけで、志らく師匠の「芝浜」もいつか聴いてみたいと思いました。
午後8時45分に終演となり、来場した人たちは満足げな表情で会場を後にしました。年に一度のせんばい寄席は、地域や全専売会館テナントの皆様に愛され、今後とも地域貢献として続くことを願いますとともに、企画開催された団体様、スタッフの皆様に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。