大きさを比べた物がないので、と言うのは言い訳で数合わせです。ミニと言う割に長さがあまり変わらないのは、実用品であるからで、ポットに入る葉の量が少ない。
ちまたでと言うか、雑誌の上ではフルサイズ一眼レフデジカメの話で盛り上がっていますが、何となく違うなと思うので、駄文を少し長めに書きます。
何処の雑誌だか忘れてしまいましたが、「一眼レフデジカメは中判カメラを超えたか?」こんなタイトルだったと思う。一生懸命と言うか真面目に画質を比べていた。また、他の雑誌だと思うが「フルサイズで一眼レフデジカメは、フィルムカメラを使っていた人達にとって特別な物」こんな内容が書いてあった。少し違うと感じる物がある。
始め、十万画素で始まったデジカメも、どんどん画素数が増えた。EOSキッスデジカメが手に入ったとき、カメラが戻ってきた(内容はまだまだだったが)気がした。その頃から、APS-C 専用のレンズが嫌いだった。選択肢を増やしたという気がしなかった。フルサイズで使えるレンズがあるのだから、フルサイズの撮像素子が欲しかった。紆余曲折を経て、5Dで初めて落ち着くことが出来た。最近というか、今年になってやっと、撮像素子の限界かなと言うところまでの写真も撮れるようになってきた。そこで、5Dマーク2の登場。とてもタイムリーだ、手を出さない訳がない。撮像素子の限界に近いと書いたが、レンズの限界に近い訳ではないのだ。おそらく、マーク2でも限界を超えることが出来ないのではないかと思う。そう言うレンズが手元にある。このレンズの限界まで使って撮影してみたいのだ。例えば、お気に入りのレンズに、ハッセルブラッドの C-100 がある。このレンズで言えば、6cm×6cm 以上のイメージサークルがあるのだから、6cm×6cm の撮像素子が欲しいのだ。細かな方は、マーク2で少し近づくだろう。だが大きな方は、可能性無限分の一になりそうだ。
その気配が雑誌の中の文章にあったのだ。「ライカ判フルサイズの撮像素子で、中判カメラフィルムも凌駕する可能性が見えてきた。」こんな主張が見て取れそうだ。見識の違いだろうか、どちらかが不見識なのだろうか?それは、僕には分からない。画素数の多さでなく、画素の受光量の多さ等を生かすために撮像素子を大きくするのも選択肢だ。始めの頃のデジカメ一眼レフカメラの主張だったはずだ。レンズの細かなところでの表現力の限界を見てみたいので、マーク2へは移行するつもりだが、現行5Dの作り出す絵が一つの限界ではないかと考えているのだ。これ以上画素を細かくして、デジタル処理で絵をごまかしていくような手法には賛成は出来ない。ソフト処理というのも一つの進化だとは思うが、万能ではないし、出来れば使わないですむ、または少しですむ方が良い。画素が細かくなければ、現行の技術力で4×5(インチ)の撮像素子作ることは出来ると思う。熱や精度等の別の問題も持ち上がってくるとは思うが。連写はしない、受光ののエネルギーを最大限使う?工夫はありそうだけど。
とにかくと言うか、最後は大判でやることをデジタルでやってみたい。とりとめのないことを長々書いて申し訳ない。
撮影情報:キャノン5Dに京セラコンタックス Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4:50mm固定 F11 ISO-200 1/6 補正+0.3(AV:絞り優先)三脚使用
←
ちまたでと言うか、雑誌の上ではフルサイズ一眼レフデジカメの話で盛り上がっていますが、何となく違うなと思うので、駄文を少し長めに書きます。
何処の雑誌だか忘れてしまいましたが、「一眼レフデジカメは中判カメラを超えたか?」こんなタイトルだったと思う。一生懸命と言うか真面目に画質を比べていた。また、他の雑誌だと思うが「フルサイズで一眼レフデジカメは、フィルムカメラを使っていた人達にとって特別な物」こんな内容が書いてあった。少し違うと感じる物がある。
始め、十万画素で始まったデジカメも、どんどん画素数が増えた。EOSキッスデジカメが手に入ったとき、カメラが戻ってきた(内容はまだまだだったが)気がした。その頃から、APS-C 専用のレンズが嫌いだった。選択肢を増やしたという気がしなかった。フルサイズで使えるレンズがあるのだから、フルサイズの撮像素子が欲しかった。紆余曲折を経て、5Dで初めて落ち着くことが出来た。最近というか、今年になってやっと、撮像素子の限界かなと言うところまでの写真も撮れるようになってきた。そこで、5Dマーク2の登場。とてもタイムリーだ、手を出さない訳がない。撮像素子の限界に近いと書いたが、レンズの限界に近い訳ではないのだ。おそらく、マーク2でも限界を超えることが出来ないのではないかと思う。そう言うレンズが手元にある。このレンズの限界まで使って撮影してみたいのだ。例えば、お気に入りのレンズに、ハッセルブラッドの C-100 がある。このレンズで言えば、6cm×6cm 以上のイメージサークルがあるのだから、6cm×6cm の撮像素子が欲しいのだ。細かな方は、マーク2で少し近づくだろう。だが大きな方は、可能性無限分の一になりそうだ。
その気配が雑誌の中の文章にあったのだ。「ライカ判フルサイズの撮像素子で、中判カメラフィルムも凌駕する可能性が見えてきた。」こんな主張が見て取れそうだ。見識の違いだろうか、どちらかが不見識なのだろうか?それは、僕には分からない。画素数の多さでなく、画素の受光量の多さ等を生かすために撮像素子を大きくするのも選択肢だ。始めの頃のデジカメ一眼レフカメラの主張だったはずだ。レンズの細かなところでの表現力の限界を見てみたいので、マーク2へは移行するつもりだが、現行5Dの作り出す絵が一つの限界ではないかと考えているのだ。これ以上画素を細かくして、デジタル処理で絵をごまかしていくような手法には賛成は出来ない。ソフト処理というのも一つの進化だとは思うが、万能ではないし、出来れば使わないですむ、または少しですむ方が良い。画素が細かくなければ、現行の技術力で4×5(インチ)の撮像素子作ることは出来ると思う。熱や精度等の別の問題も持ち上がってくるとは思うが。連写はしない、受光ののエネルギーを最大限使う?工夫はありそうだけど。
とにかくと言うか、最後は大判でやることをデジタルでやってみたい。とりとめのないことを長々書いて申し訳ない。
撮影情報:キャノン5Dに京セラコンタックス Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4:50mm固定 F11 ISO-200 1/6 補正+0.3(AV:絞り優先)三脚使用
