日常会話の約70%はクラ~い話題の(?)ブルガリア人。「年金が少なすぎて電気代が払えない」「サセディ(隣人=基本的にはアパートの同じ入り口の住人)が意地悪い、マナーがなってない」などなど・・・ どーにもこーにもネガティブなほうに行ってしまいます。日本だといつもこういう話題を話しているとまわりが「ひく」と思うのですが、ブルガリアだとほとんどの人がこうなのでひきようがありません。でもいつもあわせていると疲れてしまいます・・・
よくこういう話の後に「ジヴォト エ テシュク」、直訳すると「人生(生活)は重い」ということを言います。特に大戦後、共産体制、そしてその崩壊などを目撃してきた70代以降の世代がこう言います。確かに「重そう」です。苦労が多いせいか、日本の70代の人と比べるとしわが深く年寄りに見えます。
そして、よく玄関や電柱などに貼ってある「ネクロロック」。亡くなった人を偲ぶもので、その後何日、または何年経っていると書かれています。そして「あなたがいなくなって寂しい」などの言葉も添えられています。そしてこの紙には享年何歳、とも書かれているのですが、40~50代くらいも多い!60歳にもならずにこんなに亡くなってるなんて・・・ ブルガリアはヨーグルトの国なので「長寿国」と思われがちですが、若い人の死亡率も高い!約3年前、ペルニックに引っ越した日、大家のゴショが来る前に(彼は2時間遅刻してきた!!)入り口を開けてくれた親切な隣人ソフィーさんは40代でしたが、久々に以前住んでいたアパートの前を通ると・・・ 彼女はネクロロックになってました・・・ え~っ!? ショック!! ガンだったそうで発見後10日で亡くなったそうです。こういう病気が多いのも一因かもしれません。特に薬代が先進国並みに高いので少ない年金で生活している年金生活者にはキビシイはずです。
今でも思い出すのが、やはり同じブロック(建物)の住人だったバーバ・レフカ。90代のおばあちゃんで、いつも隣の入り口のところにイスを出して座っていました。よく挨拶して話もしていたある日、とても困ったような表情をしてウチに来ました。
「調子が悪い。娘に電話したいんだけど耳が遠くてできんのじゃよ。代わりにこの番号に電話かけてくれんかの?」
電話してあげると苦痛に満ちた、でもちょっとホッとした顔をして3階の自分の部屋に自分の足で階段を昇って帰っていきました。それが昼ごろ。でもその日の夕方、ウチの前に霊柩車が!! 「誰が?? バーバ・レフカはさっき話したから違うだろう・・・」 業者のおじさんはぺらんぺらんのベニアのような素材でできた棺おけを片手でホイとブホッド(入り口)の脇に立て掛けて昇っていきました。その日のうちにネクロロックが近所中に貼られ・・・ えっ?ウソ?バーバ・レフカだったの? 次の日にはもうお葬式が・・・ (亡くなってからホントに24時間経ってたか?) 90年の激動に満ちた20~21世紀を生きてきたやさしいバーバ・レフカの最期はあっという間でした。同居している孫(といっても二人の10代の娘の母ですが。)は、「仕方ないわよ。90歳なんだから・・・」と結構アッケラカン。確かに40~50代で亡くなる人の多さを考えると90歳は大往生と言えるかも。昔のほうがこの国は穏やかだったからか、80~90代で元気な人も多くいます。
あ~、書いてる本人もなんだか気分が重くなってきてしまいました。ホントに人生は重い!!