ソフィア市中心部に用事で出かけたら思いがけず夕立!! ザザーっと降る雨を避けて「セントラル・ハリ」の建物の中に。2階でジュースを飲みながら一休み・・・ するとワタシの様に雨を避けて駆け込んできた人たちで混んできました。たちまちフードコートのテーブル席はいーっぱい!! ワタシのところも相席になりました。すると、会話が始まりました・・・
ワタシののテーブルに来た人たちは何とリビア人!! この「ハリ」の建物のまん前に「ジャーミヤ」(モスク)があるので、もともとこの辺はアラブ世界出身の人々がよく来るのですが、やはり・・・
「あなた、ドコに住んでるの?」と聞かれたので、
「リューリンよ。」・・・ 相手が男性だったので大まかに・・・ すると、
「あー、リューリンね。今いーっぱい友達が住んでるよ。7丁目のスーパー「カウフランド」のそばに集会所があるしねー。」 ええっ!? そうなのっ?知らなかった・・・
すると彼は続けて、「そういえば、先日リューリン区役所バス停でアナタ、見たよ!」 何と・・・ ワタシは有名人?!(苦笑)
でも、言われてみると最近頭をスカーフで覆った女性+子供たちの一団が以前に比べてずいぶん増えたような・・・ ブルガリア全体にはトルコ人はたくさんいます。でも、自分はイスラム教徒であることを見た目にも分かるような形で歩いている女性はソフィア市内、特にリューリン地区では以前はマレでした。でも、ジャーミヤがこちらにもできたらそうなるかも。
ブルガリアの極右政党は基本的にトルコ系住民やイスラム教徒に対して攻撃的・・・ 去年、ソフィアの中心部、例のその「セントラル・ハリ」の目の前の「バーニャ・バシ・ジャーミヤ」で極右政党のひとつ「アタカ(=攻撃)」が騒ぎを起こし、「トルコ系住民は出て行け」運動を繰り広げました。ケガ人も出す始末。「こんなことをすると有名なアルカイーダとかがただじゃすまさないのでは?」とまわりをハラハラさせたものでしたが、そのせいもあって比較的おおらかな庶民の街リューリンに移り住んできているのかもしれません。
そして最近のニュースで話題なのが、ブルガリア、トラキア平原のパザルジックと言う町で、「ラディカルニ」(地元民の使った言葉ですよ。急進的な、とか原理主義的な、と言うニュアンスに聞こえましたが・・・)なイスラム教徒がいて、「ブルガリアの法律には従わない、コーランにしたがって生きるんだ!!と言っている」とブルガリア人が非難して、裁判沙汰になっている、と言うものです。理由はたいしたことはなく、「殴った、殴られた・・・ 目しか見えない黒い服を女性が着ている、あれじゃだけが誰だかわからない・・・」なんてことが本題だったみたいだけど・・・
確かにブルガリアの歴史上「ポマック」という人たち(人によっては差別用語だと言う意見もあるようですが・・・)がいて、ブルガリア人でオスマントルコの支配下でイスラム教徒になったと言う背景があったり、今年の夏、ブルガス空港でのテロ事件でイスラエル政府や、ブルガリアでニュースを聞いた人たちがこの事件をすぐにイスラム教徒の犯行とみなす声明を出したりしたことも影響しているのかな・・・
もともとブルガリアはアラブ世界(中東や北アフリカ)の国々とは近しい関係だったそうです。エジプトのムシャラフ前大統領とバイ’・トーショ(トドル・ジフコフ元国家元首)はお友達だったと言うし、リビアのカダフィ大佐もブルガリア人労働者をずーっと受け入れていました。トルコをはさんでブルガリアから見て「おとなりのおとなり」と言える国にはイラク、シリアなど今よくニュースで聞く内政ゴチャゴチャ系の国々・・・ 難民も流入してきてるのかなぁ
そんなある日、スーパー「カウフランド」の近くからラマダン明けのパーティーの明かりと歓声が!! ひっそりと、でも着実にアラブの人々はリューリンに根付いているようです。 さらにワタシみたいな東アジア系(中国人や韓国人)の人たちもソフィアには増えてるし・・・いずれにしても庶民の街でみんなが穏やかに暮らしていけるといいな。