スコピエを出発する朝、市内のとあるスーパーでブルガリアのものとは味が違うものを探してみました・・・
マケドニアのワイン、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナ製のポテチ、そしてツナやオリーブの入ったマヨネーズ、あ、これネスレの製品だ!! ネスレってこんなものまでつくってたの?
無事マケドニア国境を越えてキュステンディルに入ってまずした事・・・ソフィアから出かける時に着ていたジャケット、マフラーを再装着!! 標高の差でしょうか、5~6度は気温が違うかも。それでもその日はブルガリア国内もずいぶんと寒さが緩んでジャンキの花がほころび始めていました。
たくさん写真を(動画も)撮ったので是非ブルガリア人の友人たちにも見せて感想を聞いてみたい!! で、いつものペルニックの友人たちに!!
ひげおじさんバリュはいくらか「マケドニアはブルガリア」論者。最初の反応はとても冷ややか・・・ 「ヘッ、物好きだね~!! 同じ国なのにわざわざ・・・」
「あっちの道、穴がなかったよ」というと、
「まさか!! 道に穴なんてどこにでもあるだろう!!」
「とりあえず、私が通ったところにはなかったよ。少なくともソフィアからギュエシェヴォまでの穴の数とギュエシェヴォからスコピエまでの道の穴の数は段違いだったし・・・ 街並みも、ほら、こんな感じ!!」
とデジカメの写真を見せると、おじさんは私の手からカメラを取り上げ、自分で画像を送り、見入ってしまいました。その後はシ~~ン・・・
「そういえば、向こうは旧ユーゴだけに車も"ユーゴ"がいっぱい走ってたヨ」と言うと、工学部系のロザンおじさんは、「あー、そうだね。ユーゴもいい車だよね」と食いついてきました。
「あっ、エミリア!!」と、そこでヒゲおじさんが声を上げます。「このエミリアってゴショの親戚なんだよね!!」 そういえばそうなんです。そのとき思い出した!! ゴショ、ウチの元大家、彼こそが「マケドニアはブルガリア」論者の先鋒なのです。恐らく彼の影響で私も「マケドニアってブルガリアより低いレベル?」くらいのイメージを持ってしまっていたのでした。そんな彼の親戚からマケドニア人と結婚する人が出てきたらゴショは何と言うでしょう? そのときその場にはいなかったのですが・・・
皆と話した後、ソフィアにいつもの国際道路を通って帰ってきました。その日はペルニック県内のドラギチェヴォからソフィアの環状道までの何キロにもわたって下り線が大渋滞!! 理由は道の穴の修繕工事。特にソフィアとペルニックの境のブラダヤと、ソフィア市内のクニャジェヴォのところで大きく道の表面を切ってはがしてアスファルトで埋めるので・・・ パトカーも何台も出て交通整理をしていましたが、もう渋滞が環状道までつながって、イラつくドライバーのクラクションの嵐!! またこの環状道、特にソフィアの裏側、ノヴィ・イスカル地区はすさまじい穴!! この時期ソフィアのニュースのトップは道の穴埋め工事。特に今年は大雪だったので凍結防止の塩まき+除雪でアスファルトがやられたという話です。(日本でも北海道ではそういう穴ができるそうですが、程度の問題が・・・)
こういう国にいると、「穴のない道」を想像しにくくなるかも。私の中でも「夜に知らない道は通らないようにしよう。おぼえていないところに穴があってハマるとホイールがやられる!!」と用心深くならざるを得ない・・・でも、ブルガリアではそれは常識なのです。せめて一国の首都ソフィアの周りだけでもこういう「ボロ」は出さないでおいてほしい・・・(というか、ソフィア「だけ」が極端にひどいのかも・・・)
ちなみに運転が下手で、(ゴショやバリュから、「穴めがけて走ってるのか?と言われるほど・・・だって車って目がいったほうに走っていくジャン・・・) 毎冬タイヤやホイールを穴にやられ、何十レバも費やしてきた私。ブルガリアの道について語ると恨みタラタラですが、この冬は26レバで済みました。ずいぶん私もブルガリアの穴に慣れたのネー!!(笑)
それからもひとつマケドニアの話・・・ ローランドとクラウディアのとこに古い雑誌があったんです。ちょっと前のマケドニア航空の機内誌。ぱらぱらとめくっていると・・・
どこにあるのかな? スコピエの日本庭園・・・ そしてこの日本人女性は今もスコピエにいるのかしら??
マケドニア・レポート3部作、超興味深いです!!!EU加盟国ではないというだけで私も甘く見てました…。マケドニアのイメージが一転しました。ユーゴ車も超カワイイです♪
食はどうだったんでしょう??私の中ではブルは世界一美味しいとランク付けしてしまったんですが…写真のモノ達はいかがでしたか??
うう~ん、やっぱ中欧諸国は直接行かなきゃ分からないですね。「中欧諸国~現実を知る旅」計画してみたいです(笑)
マケドニアに関し、あなたの感じたこと:食事のあじ、気候の差、などについて聞きたいです。
道路に関しては、ユーゴ時代に整備された幹線道路は、ブルの造った道路と全く違う、立派なものでした。道路を造るときに、ドイツ人なら、結構何層にもわたって基盤となる部分に、砂利層、小石の層、などを積み重ね、更に最上層部のアスファルトも、十数センチもの厚さにする。欧州は、雪解け水が、割れ目にしみこんで、再結氷した部分が膨張して、大きな割れ目になる。冬に何度も雪が降るし、凍結も繰り返される欧州では、日本に比べても、何倍も道路を念入りに造らないといけないのです。日本の場合は、用地買収費が膨大で、舗装そのものは「薄皮まんじゅう」と呼ばれるほど、薄いアスファルトでも大丈夫な土地が多い。
ロシア、ベラルーシ、ブルガリアなど、旧ソ連圏では、アスファルトの厚さが、日本以下の「薄皮まんじゅう」らしい。だから毎年春になると補修せねばならないけど、予算不足で、同じような薄皮補修だから、いつまで経っても、薄皮、穴ぼこを繰り返す。
旧ユーゴは、どうも設計思想がドイツ的だったようです。ヤハリ、オーストリーの影響が強いのでしょう。
食物の味に関しても、社会主義時代のセルビアは、ブルと全く異なる味の感覚を感じたし、マケドニアもまた、ブルとは、大きく違うレストランの味付けが多かったです。大量製造されるお菓子も、かなり違うのでは?
そういえば、社会主義時代のマケドニアのビールは、ブルよりずっとましで、それなりに飲めるビールでした。
なお、マケドニアの生活水準がブルよりよく見えるのは、70年代初期から、外国への出稼ぎでお金儲けすることが、ユーゴでは認められていたからです。外国に出た家族からの送金で、国内では良い暮らしができたし、社会主義時代にも、ユーゴではコーヒー豆も、バナナも、普通に買える経済だったけど、ブルはもっと貧しく悲惨でした。だから、マケから親戚がブルに訪ねてくると、皆恥ずかしい思いをしたのです。
マケの悪口を言っていたおじさんが、映像を見て黙ってしまったのは、宣伝でダメな国と思っていたマケドニアが、ブルより豊からしいと知って愕然としたのでしょうが、かなり多くのブル人が、実はマケの方が豊かだと、社会主義時代に思い知らされていました。だから逆に、恨めしい気持ちにもなったようです。今ブルはEU加盟国なので、EUへ自由に行きたいマケ人がブル国籍を取得する、という動きすら稀にはあるほどです。
aikoさん、こんにちは。
中東欧、確かに奥が深いですよ。旧ユーゴ圏もマケドニアとクロアチアやスロベニアではまた違った顔を見せるでしょうし・・・ こちらにいるうちに是非行ってみたいところがいっぱいです!!
みかんさん、おひさしぶりです。
道の穴だけでなく、お店で売られているものや人々のメンタリティー、生活習慣など、ブルガリアに慣れてしまっちゃってるものっていっぱいありますよね、ここに住んでいると・・・
室長様、こんにちは。こちらでまとめてお返事しますね。
あまりにも滞在が短かったのでしっかりと比較することはできないのですが・・・ マヨネーズの味がブルガリアのものと違っていたのが印象的でした。ビラやカウフランド、プラスなどドイツやオーストリア系のスーパーがたくさんあるブルガリアでもマヨネーズの味は??なのに、マケドニアのスーパーで売っていたマヨネーズは日本人の慣れ親しんだ味に近かったような・・・ あ、でもマケドニアで見た同じマヨネーズが最近オープンしたカルフールには売ってました・・・ それからマケドニアに入ってからしばらくブルガリアのKHナンバーが駐車されているのをよく見ました。