モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

森のあんず満開記念とっておき穴場紹介(妻女山里山通信)

2010-04-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 最初は、上平展望台の上にあるあんずの古木。下側の道路から撮る人がほとんどですが、一本上の道からの撮影がお勧めです。枝振りが大きく見え、背景に有明山と白馬岳が入ります。やや黄ばんで見えるこのあんずの色が、私の記憶の中にある森のあんずの色です。古木は、民家の庭先や畑の隅など村内にたくさんあります。こまめに歩いて探すのがいいでしょう。

 次は、曹洞宗禅透院の裏山から。背景に鏡台山へと続く大峯山。俯瞰で見るあんずの里はまさに桃(杏)源郷。大峯山の裾に広がるあんず畑が一望できます。薬師山を挟んで、その南にある大城山興正寺の山門の「子持龍」は天才・立川和四郎富昌の作。嘉永二年(1849)、薬医門形式の山門を建てるにあたり、村では当時名声を誇っていた諏訪出身の立川流内匠二代和四郎富昌に白羽の矢を建てました。

 和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。

 和四郎富昌の作品は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。善光寺の幻の五重塔建立の根拠となった千曲市岡地天満宮惣金の厨子は富棟の作ですが、その前の唐獅子は富昌の作です。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。(出典:『岡地探訪乙路の県天満大自在天神とその周辺』岡地天満宮刊)

 上平展望台の上の道を登って墓地の手前の畑道を左へ下りると信濃三十三番札所第六番「洗渕山観龍寺」の下に出ます。この裏手の坂上田村麿が東征の際の草創で、かの川中島合戦の時にも山陰にあったため兵火を逃れたという古刹です。大峯山へは、この裏手の夕日山から登ります。まもなく境内の桜が咲くでしょう。

 観龍寺から表通り(あんずの里ハイキングコース)へ出て少し下って最初の小路を左に入ると、すぐにあんずの木に囲まれた「白塚古墳」があります。ここは民家の敷地内にある古墳です。おばあさんが「うちの庭だから入っていいよ。中も見ていって」と言ってくれたので、遠慮無く見学、撮影させていただきました。古墳時代後期の横穴式古墳です。見事な庭園越しに満開のあんず畑が見えました。この上にある大欅の稲荷からここまでいくつかの古墳があったと言われており、墳丘らしきものも見られます。

 最後は、林道芝平樽滝線の途中から見えるあんずの里のバーズアイビュー。ピンク色に霞む森集落が眼下に一望できます。中央奥には森将軍塚古墳。かなたに北アルプスの白馬三山。右に目をやれば戸隠連峰と高妻山(戸隠富士)が望めます。その大きなカットとパノラマ写真は、MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)4月9日のフォトルポの3ページ目をご覧下さい。杏の古木や花のアップのカットもご覧戴けます。この週末は、最高の見頃となるでしょう。
 あんずの里の開花情報は『あんずの里2010情報サイト』で。散策のお供に「あんずの里マップ」を。観光案内所やお店などでもらえます。

 あんずの里探訪のお帰りには、すぐ近くですから妻女山と斎場山にもお立ち寄り下さい。桜が咲き始めました。
★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。あんずの写真も[樹木]にたくさんあります。
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