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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

みすずかる信濃の国の鉄バクテリア(妻女山里山通信)

2010-04-19 | 歴史・地理・雑学
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 山中にある芦原の湿原を歩いていると、足元の水たまりに油膜のように光るものがありました。あっ、鉄バクテリアだ!と思わずつぶやいて撮影しました。知らないと誰かが石油を不法投棄したのかと思ってしまうかもしれません。油膜との違いは、棒で真ん中を割ってみて、そのままなら鉄バクテリア。戻ると油膜。石油ならば臭います。この鉄バクテリア、「みすずかる信濃の国」と深い関係があるのです。

 「みすずかる」は、信濃の枕詞ですが、すずとは葦や茅の根元に付着している褐鉄鉱のことです。みは接頭語で、御すず。すずは鈴であり、水中に含有される鉄分が沈澱し、鉄バクテリア(沼などに石油を流したように漂うもの、写真参照)が自己増殖して細胞分裂を行い、固い外殻を作ったもので、振るとカラカラ音がするものがあります。これを鳴石(なりいわ)、鈴石、壷石、高師小僧などといいます。

『古代の鉄と神々』真弓常忠著(学生社刊)では、その「みすずかる信濃」について言及しています。〔〕内は私の独り言です。
---『万葉集』には「みすずかる」の用例が二首ある。〔解釈は色々あるようですが、万葉集のことですから弓矢は男女の隠喩で、これは恋歌なのでしょうか。〕
「水薦刈 信濃の真弓 わが引かば 貴人(うまひと)さびて 否と言はむかも」九六
「水薦刈 信濃の真弓 引かずして 弦(を)はくる行事(わざ)を 知ると言はなくに」九七
 歌の解釈はともかく賀茂真淵が「水菰(みこも)かる」を「水篶(みすず)かる」と読み間違えたものが、訂正されずに今日まできてしまったというのが定説になっている。ミコモとは水辺に生えるマコモのこと。
 しかし、信濃に生えているのは「こも」ばかりではない。葦や茅もあり(中略)やはり真淵が訓んだ「すず」が正しいと思う。薦・葦・茅の様な禾本(かほん)植物をひろく「すず」と称したとしてよいであろう。---というような内容です。

 私達が学生の頃は、古墳時代に渡来人がもたらすまでは日本では鉄は作られていなかったと教わりました。その後、褐鉄鋼を利用すると弥生式土器を焼くのと同じ位の低い温度でも鉄を作ることができるという事がわかったのです。日本の神話を象徴する葦原こそが、鉄バクテリアが長い年月をかけて褐鉄鉱を作り出し、古代の鉄の産地となったというわけです。また、信濃、埴科、更級のシナも鉄を意味するそうで、とすればシナノとは、鉄出(いずる)野という意味になります。「みすずかる信濃」という枕詞は、砂鉄から作る「たたら製鉄」がもたらされて、みすずを刈る必要がなくなってもなお、信濃の枕詞としてのみ残ったというわけです。

 なお、信州の方言で「ずく」というのがありますが、これは古代の製鉄からきているというのが、不肖私の説です。昔からずくを出すのは大変なことだったのです。また、信州では「うんこをまる」と言いますが、これも古語。古事記に「糞まる」とあります。古語が方言として現代に生きている証だと思います。
 ということで、その葦と鉄バクテリアが作った鈴や高師小僧はないかと探してみたのですが、残念ながら見あたりませんでした。
 これに関しては拙書『信州の里山トレッキング東北信編』川辺書林で再編集したコラムを載せています。平安堂やAmazon等でお求め頂けます。カラー668枚の写真と地形図を使ったコース地図 「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」このコラムが絶賛されているそうです。是非ご一読を。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。鉄バクテリアの写真は、キノコ4に特別出演の形でアップしてあります
コメント (3)
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