モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

旅人の  宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群(妻女山里山通信)

2010-04-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 長男の引越のために中信の深志へ。ここで彼の学生生活がスタートするわけです。布団とわずかな荷物で濃霧の碓氷峠を越えた日が昨日のようですが、必要最小限のものは今も昔も変わらぬものと思いきや、やたら目に付く電子機器。新聞も週刊誌もテレビも不要だけれど、ネットは必須。もはや終わっているつまらないテレビなんぞなくてもいいけれど今年はW杯があるので。ワンセグチューナーをPCにさせばよしと。あちこちの下宿にも光繋ぎ放題の文字。これもご時世。

「旅人の  宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群(たづむら)」(万葉集以下同様)
 遣唐使に出る我が子を読んだ歌。「旅の途中に霜が降ったら、どうか空飛ぶ鶴の群れよ、私の息子をその暖かい羽で包んでやっておくれ」という意味です。親心は古代も今も不変ということでしょうか。
「ちはやぶる 神の斎垣(いかき)も 越えぬべし 今は我が名の 惜しけくも無し」
 これは恋歌なのですが、これぐらいの気構えで勉学に遊びに励んで欲しいというのも、また親の願い。

「士(をのこ)やも 空しかるべき 萬代(よろづよ)に 語り続ぐべき 名は立てずして」と嘆いた山上憶良よりも(でも皆知っているほど有名ですが…)、坂本龍馬にならずともよいけれど、「世に生を得るは事を成すにあり」ぐらいの気概は欲しいかな。しかし、「世間(よのなか)を 憂しと痩さしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」が親の実情であったりもして…。「生けるもの つひにも死ぬる ものにあれば 今(こ)の世なる間は 楽しくおあらな」とラテン系で生きようとなるべし哉。

 帰路に道を間違えて高速に乗り損ない山道へ。このままだと行方不明者や殺人事件のあったとんでもない深山の峠道へ行ってしまうと気がつき、急遽別の峠道へ。道を迷うと他の町へ行ってしまうのではなく、山に迷い込んで遭難しかねないのが信州です。山奥の熊が出そうな峠のてっぺんにある展望台でひと休み。天気が良ければ鹿島槍ヶ岳初め飛騨山脈の大展望が拝めるのにと、後ろ髪をひかれつつひたすら武田信玄も超えたという猿ヶ馬場峠を目指しました。4月になるというのにわずか1000m少しの山に大量の残雪。おかしな年です。

「信濃路は 今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に 足踏ましむな 履(くつ)はけわが背」
 信濃路は、開墾されたばかりなので、切り株も多いから踏んで怪我をしないように履をはいていってくださいと、万葉集に詠われているような風景です。いくつもいくつも山を超えないと目的地には着かないわけです。これ以前に信濃(科野)への道も当然あったのでしょうが、「続日本紀」に、大宝2(702)年から12年の歳月をかけて東山道神坂道の補助街道として吉蘇路(きそじ)が完成したと記されています。

 無事に峠を越えて姨捨山展望台へ。長野自動車道の姨捨SAよりも標高が高いので、ここの眺めは特筆ものです。ちょうど川中島が暮色に染まり始めたので、撮影を兼ねてしばらく休憩。夕暮れのパノラマ写真用のカットを撮影しました。このページの一番下のカットをクリックすると大きなパノラマ写真をご覧戴けます。春は曙といいますが、春景暮色も捨てたものではありません。桜杏桃の頃にもう一度来たいと思います。なんと森の杏はもう咲き始めたそうです。

★鏡台山や五里ケ峯のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧下さい。
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