




妻女山の桜が満開になりました。とはいえ4月とは思えない寒さと寒風に、訪れた人も本当に寒そうでした。ここ妻女山には、古い順から、赤坂山古墳、善光寺大地震の供養塔、戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社、明治35年5月22日の東宮殿下御遊覧の石碑、大正7年4月1日に真田伯爵が清野小学校に二百円の寄付をされた折りに登山したという記念碑、信州サンセットポイント百選の妻女山展望台などがあります。
招魂社を、第四次川中島合戦の時に布陣したと伝わる上杉謙信にまつわる神社と勘違いされる方が多いのですが、ここには謙信にまつわる遺跡や建物は一切残っていません。そもそも、ここは戦国当時は赤坂山といい、直江山城守が陣したと伝わっています。謙信本陣は、さらに上の斎場山の円墳上と伝わり、七棟の陣小屋が建てられたと伝わる陣場平は、さらに上の高原です。
東宮殿下御遊覧と真田伯爵の石碑は、共に赤坂山古墳の上にあります。古墳の上に石碑を建ててしまったわけです。その祟りではないでしょうけど、両人のお手植えの松なるものもあったのですが、松食い虫にやられて枯れてしまいました。招魂社周りの土塁も謙信や戦国時代の合戦とは一切関係がありません。江戸時代の絵図を見ると、古墳以外なにもなかったことが分かります。
ただ、斎場山(旧妻女山)も妻女山(旧赤坂山)も、この地の産土神である信濃国造の妻女・会津比売命にまつわる聖地ということを松代藩も心得ていて、善光寺地震罹災者慰霊碑や妻女山松代招魂社をここに建てたものと思われます。妻女山と会津比売命については、前の記事をお読み下さい。
春とは思えないほど寒い日でしたが、周辺ではカンスゲやタチツボスミレが満開です。桃色のウグイスガグラの花も芽吹き始めた新緑の中に見られます。
わが家の山にある桜の写真を撮ろうと思っていると、突然大きな鳥が舞ってきて満開の桜に留まりました。最初は鳶(トンビ)かなと思ったのですが、胸が白いのでノスリかなと思いました。帰って調べるとやはりノスリでした。しばらくキョロキョロ周囲を見渡した後で、悠然と飛び去っていきました。
森では色々な鳥のさえずりが聞こえます。この間は、メロディをさえずる鳥がいました。明らかに旋律を奏でているのです。聞きながら思わず口ずさんでしまったほどです。なんだろうと見上げると、雀よりひとまわり大きな鳥が、枝に留まった雌を相手に歌っているのです。ウソでした。普段は「フィー、フィー」と口笛のような澄んだ声で、単調な節を歌うだけですが、こんなにハッキリした旋律を奏でるとは知りませんでした。
ウソの名の由来は口笛を意味する「おそ」からきています。さえずる時に左右の脚を交互に持ち上げることから別名「弾琴鳥」とも呼ばれます。また、天神様の使いとしても有名です。
一番下の写真のキャプションは鹿島槍ヶ岳となっていますが、鹿島槍は右の雲に隠れた山で、見えているのは爺ケ岳です。
★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。