モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

瑠璃立羽舞う(妻女山里山通信)

2010-04-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 妻女山・斎場山山系で早春の蝶といえば、ヒオドシチョウ(緋縅蝶)とルリタテハ(瑠璃立羽)です。ヒオドシチョウの翅は、鎧の緋縅(ひおどし)を連想させる文様。ルリタテハは黒に瑠璃色の帯と、どちらも武士や武具を連想させるものです。英名は、Blue Admral(青い提督)ですから、やはり武官のイメージ。けっこう派手なのですが、日当たりのよい林道の温まった石などに留まっていると以外と保護色で見えないものです。歩いていて急に足元から飛び立ってハッと思うことがしばしば。

 やっと見つけて近づいても、人の気配ですぐに飛び立ってしまうので、なかなかすんなりと撮影させてくれません。しかし、暫く待っていると必ず舞い戻ってきます。ひたすら辛抱強く待つことが肝要です。留まったら気配を殺し、姿勢を低くしてにじにじと近寄ります。誰も見ていないからいいようなものの、道路に這いつくばるようにしているところを見られたら、春の陽気でおかしくなったおじさんと思われるかもしれません。

 蝶が石に留まって翅を広げたら、しばらく待ちます。一度などは、接近してシャッターを切ろうとしたら、なんと小蠅が蝶に体当たりしておじゃん。再び三度辛抱強く舞い戻って留まるのを待ち、留まって落ち着いたところで気配を殺してにじり寄り、撮影したのが掲載のカットです。最も接近したカットは、レンズと蝶の距離がわずか3センチ。コツは、なるべく蝶を直接見ないこと。視線を感じると飛び立ってしまいます。こんな時、液晶ファインダーが役立ちます。辛抱強く待ったかいがありました。

 このルリタテハは、時折もう一頭の蝶が舞ってきて、一緒に舞い踊っていました。縄張り争いのような激しさやぶつかり合いはなかったので、ペアの飛翔でしょう。ちょうど満開のキブシ(木五倍子)の花で吸密をしたり、春を謳歌していました。翅を広げると目にも鮮やかな瑠璃色の帯が輝いていますが、閉じると地味な樹皮模様です。越冬時は木の虚などで閉じているので、保護模様なのでしょう。

 瑠璃とは本来「吠瑠璃(べいるり)」(梵 vairya)の略で、宝石のラピスラズリのことでしたが、あまりに希少なため、日本では青いガラス製品をいうようになったと思われます。正倉院の白瑠璃碗(はくるりわん)、 紺瑠璃杯は、ペルシャのササーン王朝時代(226-651)のガラス製の器です。瑠璃は青色なのに白瑠璃碗というのは変ですが、ガラス製品一般を古語では瑠璃というようにもなったのでこういう名称なのです。瑠璃色は、空の青を由来とします。ラピスラズリのラピスは、石。ラズリは地中海の群青の空の色。イタリア代表の愛称アズーリもイタリアの空の色から。ラピスラズリは、絵の具のウルトラマリンの原料ですが、この色を使うと他の色を全て食い尽くしてしまう非常にたちの悪いやっかいな色で、高校時代の美術班の顧問は、ウルトラマリンブルー使用禁止令を出したほどです。

 ここ数日で気温が急に上がり、杏や桜も満開になりました。妻女山・斎場山も木々の芽吹きが始まり、少しずつ森の見通しがなくなってきます。この時期、低山歩きにはゴーグルが必須です。花粉用の眼鏡タイプのものですが、クロメマトイが大発生して、次々に目に飛び込んでくるのでとても裸眼では歩けないのです。山菜の季節到来ですが、森の見通しが悪くなると熊鈴も必要になってきます。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。山藤は樹木で。他にはキノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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貝母と片栗が開花しました(妻女山里山通信)

2010-04-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 妻女山の奥に、毎年人知れずひっそりと咲く貝母(バイモ)と片栗(カタクリ)の群生地があります。まだ数輪ですが、ここ数日の暖かさで開花し始めました。見頃は来週末でしょう。初めは真上を向いていた蕾が、やがて下をむき出すと開花が始まる印です。

 バイモは、前にも書きましたが、享保(1716-1736)年間に中国から咳止め、解熱、去痰などに効く薬用植物として入ってきた花です。帰化植物ですが、そんなに繁殖力が強いわけでもなく、薬用として栽培されていたためか、山野草として見られるところは多くありません。この群生地も、薬用畑として栽培されていたものが野生化したものです。そのためか、植物図鑑にもあまり載っていません。

 俯いて咲き、花弁の外側が葉とほぼ同じ色なので、遠目では咲いているのかよく分からない花です。しかし、近づいて覗き込むと内側は黄色みを帯びた緑色で、赤紫の網目模様が見えます。葉の先はくるりと丸まって、地味ですがなんとも愛らしい花です。茶花として人気があるのも頷けます。

 この群生地は道から離れており、非常に迷いやすいところにあるので紹介はできません。また、希に猪や熊も出没します。去年の暮れには熊の足跡がありました。日本羚羊(ニホンカモシカ)は毎日現れます。よく見ると茎の上がないものがいくつも見られましたが、これはニホンカモシカが食べたようです。まさか咳止めの薬として食べたのではないでしょうが、本能的に体にいいことを知っているのでしょうか。

 そしてカタクリの花。万葉集の中の大伴家持が「もののふの 八十乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」(巻18)とうたったように、古代はかたかごと呼ばれていたといわれています。色々な解釈があるようですが、これは八十人もの乙女達が水を汲みに来たのではなく、俯いて咲く桃色のカタクリの花を大勢の賑やかな乙女達に見立てたのではないかと私は思うのですが…。ここでいうもののふは、武士のことではなく、古語の朝廷につかえるという意味のようです。堅香子の花の高貴さを表すために用いたのでしょう。

 大伴家持は、天平18年(746年)7月に越中国国守に任ぜられ、天平勝宝3年(751年)まで赴任し、その間に220余首の歌を詠んだそうです。この歌もその間のものでしょう。都を懐かしむ気持ちもあったのでしょうか。

 カタクリの花弁が反り返るのは、花弁の体温が25度を超えたときだそうです。首都圏の里山では絶滅が心配されて保護されているところがありますが、ここ北信濃では人知れず咲く群生地があちこちにあり、八十乙女らが春風に揺れながら静かな会話をしています。
 
★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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森のあんず満開記念とっておき穴場紹介(妻女山里山通信)

2010-04-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 最初は、上平展望台の上にあるあんずの古木。下側の道路から撮る人がほとんどですが、一本上の道からの撮影がお勧めです。枝振りが大きく見え、背景に有明山と白馬岳が入ります。やや黄ばんで見えるこのあんずの色が、私の記憶の中にある森のあんずの色です。古木は、民家の庭先や畑の隅など村内にたくさんあります。こまめに歩いて探すのがいいでしょう。

 次は、曹洞宗禅透院の裏山から。背景に鏡台山へと続く大峯山。俯瞰で見るあんずの里はまさに桃(杏)源郷。大峯山の裾に広がるあんず畑が一望できます。薬師山を挟んで、その南にある大城山興正寺の山門の「子持龍」は天才・立川和四郎富昌の作。嘉永二年(1849)、薬医門形式の山門を建てるにあたり、村では当時名声を誇っていた諏訪出身の立川流内匠二代和四郎富昌に白羽の矢を建てました。

 和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。

 和四郎富昌の作品は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。善光寺の幻の五重塔建立の根拠となった千曲市岡地天満宮惣金の厨子は富棟の作ですが、その前の唐獅子は富昌の作です。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。(出典:『岡地探訪乙路の県天満大自在天神とその周辺』岡地天満宮刊)

 上平展望台の上の道を登って墓地の手前の畑道を左へ下りると信濃三十三番札所第六番「洗渕山観龍寺」の下に出ます。この裏手の坂上田村麿が東征の際の草創で、かの川中島合戦の時にも山陰にあったため兵火を逃れたという古刹です。大峯山へは、この裏手の夕日山から登ります。まもなく境内の桜が咲くでしょう。

 観龍寺から表通り(あんずの里ハイキングコース)へ出て少し下って最初の小路を左に入ると、すぐにあんずの木に囲まれた「白塚古墳」があります。ここは民家の敷地内にある古墳です。おばあさんが「うちの庭だから入っていいよ。中も見ていって」と言ってくれたので、遠慮無く見学、撮影させていただきました。古墳時代後期の横穴式古墳です。見事な庭園越しに満開のあんず畑が見えました。この上にある大欅の稲荷からここまでいくつかの古墳があったと言われており、墳丘らしきものも見られます。

 最後は、林道芝平樽滝線の途中から見えるあんずの里のバーズアイビュー。ピンク色に霞む森集落が眼下に一望できます。中央奥には森将軍塚古墳。かなたに北アルプスの白馬三山。右に目をやれば戸隠連峰と高妻山(戸隠富士)が望めます。その大きなカットとパノラマ写真は、MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)4月9日のフォトルポの3ページ目をご覧下さい。杏の古木や花のアップのカットもご覧戴けます。この週末は、最高の見頃となるでしょう。
 あんずの里の開花情報は『あんずの里2010情報サイト』で。散策のお供に「あんずの里マップ」を。観光案内所やお店などでもらえます。

 あんずの里探訪のお帰りには、すぐ近くですから妻女山と斎場山にもお立ち寄り下さい。桜が咲き始めました。
★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。あんずの写真も[樹木]にたくさんあります。
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森のあんずは見頃です!(妻女山里山通信)

2010-04-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 6日に最高気温が20度になったために、朝方は蕾だったあんずの花が一斉に開きました。低い集落内はすでに満開で散り始めているものも。夕日山の信濃三十三番札所第六番洗渕山観龍寺近辺も見事に咲き誇っています。観龍寺は、坂上田村麿が東征の際の草創で、茅葺きの屋根が特徴。

 あんずの里スケッチパークでは、楊貴妃、平和、ライバルなど色々な種類のあんずの花が楽しめます。アップの写真は、そのスケッチパークで撮影したものです。観光客は、ほとんどが窪山駐車場と上平展望台周辺に集中しますが、穴場は十六世紀のはじめ(清野国俊の頃か)節香徳忠和尚を請し立てたと伝わる禅透院。サンシュユはすでに花の終わりでしたが、杏は満開でした。この寺の裏山にジグザグに登る道があり、そこからの俯瞰は特筆ものです。また、その北にある興正寺の山門の「子持ち龍」は天才・立川和四郎富昌の作。

 また、薬師山から俯瞰するのも一興。「花さかり 山は日頃の 朝ほらけ」の芭蕉句碑があります。もう一つは、林道芝平樽滝線の森が眼下に一望できるポイント。そのカットは、MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)4月9日のフォトルポの3ページ目をご覧下さい。バーズアイビューで見下ろす森のあんずがご覧戴けます。現在が見頃ですが、この週末はその最後のチャンスになると思います。
 あんずの里の開花情報は『あんずの里2010情報サイト』で。

 前の記事で、楊貴妃は若さと美貌を保つために、全身に杏仁油を塗っていたと書きましたが、杏仁にはシアン化合物が含まれているんです。現在はそれを取り除く技術があるそうですが、楊貴妃の頃はどうしていたのでしょう。シアン化合物は青酸に変化しますから身体に毒です。保湿抗菌清浄作用があるそうなので果実を食べるだけでなく杏仁油も利用したのでしょうが、楊貴妃からはいつも杏仁の香りがしたのでしょうね。楊貴妃の香りは杏仁豆腐か…。

 子供の頃、焼酎漬けの杏仁が好きでした。けれども成分が強くアルコールも含まれるので、食べ過ぎると鼻血がでました。現在売られているものは、アーモンドパウダーに香料で杏仁の香りをつけたものがほとんどです。本物の杏仁の成分は、不飽和脂肪酸、たんぱく質、炭水化物、ナトリウム、カリウム、カルシウム、亜鉛、ポリフェノール、ビタミンB17、ビタミンEと豊富ですが、極微量の青酸成分が咳止めなどの効能がある反面、微量とはいえ毒性分なので過食は禁物です。

 ところで、あんずの里へ雨宮から入る際に、倉科との分岐で「富士見橋」を渡るのですが、いつも疑問に思うのです。ここから富士山など拝めるはずがありません。どういう理由での命名なのでしょう。あえていえば、北方に戸隠連峰の高妻山が見えますが、別名を戸隠富士ともいいます。ひょっとすると、それが命名の由来なのでしょうか。不思議です。

 あんずの里は、開花期のみ賑わいますが、ぜひ梅雨時の晴れ間、オレンジ色の果実が鈴生りに成っているときに訪れてください。山里中甘酸っぱい杏の果肉の香りが漂っています。それはもうひとつの桃源郷、いや杏源郷の表情(かお)です。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。あんずの写真も[樹木]にたくさんあります。
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何をどう学ぶかは自分で考えるべし(妻女山里山通信)

2010-04-07 | 歴史・地理・雑学
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 長いトンネルを抜けた後に待っていたのは、眼前にそびえる北アルプスの絶景でした。春とはいえ朝はまだ冷え込みの厳しい信濃路は、低山でも北側にはまだ残雪が見られます。しかし、気温はグングンと上がり、最高気温は21度。古城の桜も一気に花開き、山里の杏も朝は蕾だったものが夕暮れには見事に開いていました。

 ノーベル物理学賞受賞者の小林誠さんが神戸大学での講演が秀逸でした。「深い専門知識と広い視野の両立が課題」「未知の領域の解決の糸口は思いがけないところにある」「習った知識はすぐに陳腐化する。知識の背後にあるものの考え方を身に付けてほしい。体系的な理解ができれば次に起こる事象や取るべき対応が判断できる」等々。
「考え方は一人一人違っていていい。学ぶとはどういうことか、自分で考えて学生生活を充実させてほしい」何をどう学ぶかは自分で考えないといけないのが大学です。

 生前、私も大変お世話になった方ですが、山崎豊子のベストセラー小説『沈まぬ太陽』のモデルになった小倉寛太郎さん。映画化もされましたが、実はアフリカ研究家、動物写真家、随筆家としても大活躍。自然や人類に対する洞察にもすぐれたものがありました。これは彼の東大での講演ですが、これから大きな学問を修めようとする若者にはぜひ読んでほしいと思います。氏の話から「遊び」も重要な要素であることが分かります。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉がありますが、これにも巧妙なレトリックがあって、気を付けないといけません。歴史というのは英雄史観や階級史観が入り込みやすく、扇情的でセンチメンタルで、容易く人を魅了します。非常に偏った一面的なものの見方に収斂してしまう危険性があるわけです。小林誠さんが述べておられる「深い専門知識と広い視野の両立」「糸口は思いがけないところに」「体系的な理解」が重要なのは、そういう硬直した袋小路に入り込まないため。柔軟で広い思考力をつけろということなのでしょう。また、ノーベル賞をとる功績は、失敗から得られたものが多いというもの特筆すべきことです。失敗は成功の元。チャレンジ精神を忘れずに。
 この日、古城の桜の開花宣言がでました。
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森のあんずが開花しました!(妻女山里山通信)

2010-04-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 森のあんずが開花したというので山の整備の前に写真を撮りに行きました。あんずはソメイヨシノのようにハイブリッドではないので、同時に咲くというわけではありません。森でもたくさんの品種が見られ、咲く時期は品種によって微妙に違います。在来種は遅めかというと、先に満開になっているのもあり、なかなか揃いません。標高や日当たりによっても違います。そこがまたいいのです。

 街道筋や村内は三分咲き、ところによっては満開も。上平展望台近辺はまだ蕾と様々です。今週末には見頃となるでしょう。ひと目十万本ともいわれる森のあんずは全国的にも有名ですが、穴場は倉科や松代町の東条集落。その間の集落や山間にもあんずがあり楽しめます。また、森でも在来種を探すとひと味違う花見が楽しめます。探すこつは、畑の中で一本だけほかと違う木や、民家の庭にある木を探すこと。特に古い木には説明板がついています。

 あんずの里の開花情報は『あんずの里2010情報サイト』で。昨年のあんずの里の様子は、MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)
4月9日のフォトルポをご覧下さい。在来種のあんずの花がアップしてあります。

 息子達はあんずの花は桜より香りがあって好きだといいます。香りといえば果実がなって落果すると集落中があんずの果肉の香りに包まれます。ただ、昔よりもあんずの木が少なくなって、そのむせかえるようなあんずの甘酸っぱい香りも弱くなったような気がするのは残念です。子供の頃から、アンズ干し、アンズのシロップ漬、紫蘇巻きアンズ、あんずジャム、杏仁は、よくおやつで食べた懐かしい味です。今は焼酎漬けが好みですが…。杏露酒もあります。アプリコットタルト、ロールケーキにあんず、あんずアイスにあんずソフトもオススメです。

 あんずは夏の季語なんですね。やはり、花より団子ならぬ花より果実なんでしょうか。
「唐桃を 舌で転がす 三十路哉」 別に四十路でも五十路でもいいんですけどね…。唐桃はあんずの古い呼び名(平安時代の「和名類聚抄」)ですが、中国風の妖艶な感じがします。森のスケッチパークには、楊貴妃という名の杏の木があり見事な花を咲かせます。ライチ好きは有名ですが、あんずも好んで食べたということです。 また、若さと美貌を保つために、全身に杏仁油を塗っていたといわれています。

 中国では杏子と書き、あんずの林を杏林といってその名の病院があるように医者のことをいいます。昔、中国の名医が治療代の代りに数年で林になる杏を植えさせ、果肉と杏仁を採ったという故事に由来しています。
 日本で果肉を食べるようになったのは、主に明治以降で昔は杏仁をとって薬用とするのが目的だったということです。杏仁豆腐は、中華料理のデザートの定番ですが、夏バテ、冷え性や便秘、喉にいいそうです。動脈硬化や高血圧の予防、老化防止や骨も丈夫にするそうですから、花を愛でるだけでなく積極的に食べたいものです。

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旅人の  宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群(妻女山里山通信)

2010-04-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 長男の引越のために中信の深志へ。ここで彼の学生生活がスタートするわけです。布団とわずかな荷物で濃霧の碓氷峠を越えた日が昨日のようですが、必要最小限のものは今も昔も変わらぬものと思いきや、やたら目に付く電子機器。新聞も週刊誌もテレビも不要だけれど、ネットは必須。もはや終わっているつまらないテレビなんぞなくてもいいけれど今年はW杯があるので。ワンセグチューナーをPCにさせばよしと。あちこちの下宿にも光繋ぎ放題の文字。これもご時世。

「旅人の  宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群(たづむら)」(万葉集以下同様)
 遣唐使に出る我が子を読んだ歌。「旅の途中に霜が降ったら、どうか空飛ぶ鶴の群れよ、私の息子をその暖かい羽で包んでやっておくれ」という意味です。親心は古代も今も不変ということでしょうか。
「ちはやぶる 神の斎垣(いかき)も 越えぬべし 今は我が名の 惜しけくも無し」
 これは恋歌なのですが、これぐらいの気構えで勉学に遊びに励んで欲しいというのも、また親の願い。

「士(をのこ)やも 空しかるべき 萬代(よろづよ)に 語り続ぐべき 名は立てずして」と嘆いた山上憶良よりも(でも皆知っているほど有名ですが…)、坂本龍馬にならずともよいけれど、「世に生を得るは事を成すにあり」ぐらいの気概は欲しいかな。しかし、「世間(よのなか)を 憂しと痩さしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」が親の実情であったりもして…。「生けるもの つひにも死ぬる ものにあれば 今(こ)の世なる間は 楽しくおあらな」とラテン系で生きようとなるべし哉。

 帰路に道を間違えて高速に乗り損ない山道へ。このままだと行方不明者や殺人事件のあったとんでもない深山の峠道へ行ってしまうと気がつき、急遽別の峠道へ。道を迷うと他の町へ行ってしまうのではなく、山に迷い込んで遭難しかねないのが信州です。山奥の熊が出そうな峠のてっぺんにある展望台でひと休み。天気が良ければ鹿島槍ヶ岳初め飛騨山脈の大展望が拝めるのにと、後ろ髪をひかれつつひたすら武田信玄も超えたという猿ヶ馬場峠を目指しました。4月になるというのにわずか1000m少しの山に大量の残雪。おかしな年です。

「信濃路は 今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に 足踏ましむな 履(くつ)はけわが背」
 信濃路は、開墾されたばかりなので、切り株も多いから踏んで怪我をしないように履をはいていってくださいと、万葉集に詠われているような風景です。いくつもいくつも山を超えないと目的地には着かないわけです。これ以前に信濃(科野)への道も当然あったのでしょうが、「続日本紀」に、大宝2(702)年から12年の歳月をかけて東山道神坂道の補助街道として吉蘇路(きそじ)が完成したと記されています。

 無事に峠を越えて姨捨山展望台へ。長野自動車道の姨捨SAよりも標高が高いので、ここの眺めは特筆ものです。ちょうど川中島が暮色に染まり始めたので、撮影を兼ねてしばらく休憩。夕暮れのパノラマ写真用のカットを撮影しました。このページの一番下のカットをクリックすると大きなパノラマ写真をご覧戴けます。春は曙といいますが、春景暮色も捨てたものではありません。桜杏桃の頃にもう一度来たいと思います。なんと森の杏はもう咲き始めたそうです。

★鏡台山や五里ケ峯のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧下さい。
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やっと撮れた緋縅蝶(妻女山里山通信)

2010-04-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 妻女山で春一番の蝶といえば、ルリタテハヒオドシチョウ(緋縅蝶)です。どちらもタテハチョウ科の代表的な蝶です。今年も陣場平や五里ケ峯でも目撃して撮影を試みたのですが、なぜか嫌われて撮影できませんでした。

 夢中で樹液を吸っている時だと割と簡単に撮影できるのですが、日向ぼっこの最中は陽射しが弱かったり風があったりすると、すぐに飛び立ってしまいます。今回陣場平でやっと撮影できました。はねの表は、鎧の緋縅(ひおどし)を連想させる文様ですが、裏は地味な樹皮模様。ハネがボロボロなのは、オス同士の縄張り争いの戦いのためでしょうか。自分の縄張りを荒らすオスが現れると、猛然と襲いかかります。 夏眠中に風雨でボロボロになるという説もあります。

 イモムシは、春にエノキの葉を集団で食べ、成虫は花よりもクヌギなどの樹液に集まります。初夏に発生し、成虫で越冬。春に産卵して成長した幼虫が初夏に発生というライフサイクルです。羽化する時に不要になった羽化液を捨てますが、真っ赤なので緑の派の上にあるのを見ると驚きます。妻女山のような低山の個体は、真夏は夏眠するために姿を消します。夏眠はどこでするのでしょう。見たことがないんですが…。高山では真夏でも活動しているので、移動する個体もいるのでしょうか。

 緋縅とは、鎧(よろい)の縅の一。クチナシやキハダで下染めした上から紅で染めた紐(ひも)・革緒などで縅すもの。「緋威」「火縅」「氷魚縅」とも書く。[大辞林]ということですが、第四次川中島合戦で上杉謙信が布陣したと伝わる陣場平は、緋縅蝶にはイメージがピッタリの場所だなと思いました。緋縅の緋は、日本の伝統色の緋色のことですが、実際の緋色はヒオドシチョウの色よりも濃い色です。

「緋縅の 篝火揺れる 山桜」
 緋縅蝶の舞う様は、まるで陣場に燃える篝火のよう。山桜はまだ蕾ですが、花散る梢の間を緋縅蝶が舞う日も間近です。毘と龍の旗がなびく戦国の陣場平にも、兵共(つわものども)の間を縫うように飛ぶ緋縅蝶が見られたかもしれません。

 貝母(バイモ)の蕾もずいぶんと膨らんできました。帰化植物でも薬用だったためにあまり野生化はせず、群生地もほとんど知られていません。茶花として人気があり、園芸種は色々売られていますが。そのため植物図鑑にもあまり載っていないため、知られていない花といえるかもしれません。もちろん絶滅危惧種ではないし、かといって除草対象の有害植物というわけでもありません。ちょっと中途半端な宙ぶらりんの花ではあります。

 あと10日か二週間もすると満開になるでしょう。もっとも、満開になっても俯いて咲くのと、花の外側が葉とほぼ同じ色なので、遠目では全く目立たない地味な花ではありますが、なぜかそこが好きですね。よく見ると蕾がいくつか何者かによってちぎられていました。近くの蕗もそうです。日本羚羊の仕業です。両方とも苦味がある植物です。お腹の調子が悪いときに食べるのでしょうか。動物は自然の薬草を知っているのではないですかね。栄養価があって美味しいなら彼らは全部食べ尽くしますから。

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