夕刊に、仙台のグリーフケア研究会だ主催する、「わかちあいの会」
に震災で家族を亡くした遺族8人が参加した、という記事の掲載
があり、タイトルが「分かち合う痛み」とありました。
ふと、2005年の第一回イスキアの集いを思い出しました。
あの時、初女先生の講演会で質疑応答というのでなく、もっと
思いを共有したいと、「分かち合い」としました。
しかし、「分かち合い」という言葉に対する、人々の警戒心の
様なものも感じ、「イスキアには丸いちゃぶ台があって、それを
囲んで、…」などと「分かち合い」について、司会のTさんが
優しく皆さんの心の垣根を取り払うように話してくれました。
オウム真理教などの事件を見て来た為か、分かち合うなどと
言うと、言葉だけでもう警戒されてしまうような、世の中の
雰囲気があったように思います。
でも、初女先生の講演会では、それからずーっと「分かち合い」で
やってきました。
今では、それがとても自然な事として、皆さんが受けとめて
くれています。
分かち合うことに、警戒せず心をひらいて下さっているのです。
いろいろな事がありましたが、6年前より人と人の繋がりが
確かになって来ているのかもしれません。
私の知っている、ほんの一部かもしれないけれど…
「分かち合う」という言葉が、温かい言葉だと感じられるように
なった世の中が、嬉しい!
8月の初女先生の講演会では、たっぷりと皆さんと分かち合いを
したいなーと思っています。
きっと、初女先生もそれを望んでいる筈だもの…
悲しい事も辛い事も、嬉しい事も分かち合えたら
大丈夫、前を向いて歩いて行けるって思えるよね。
きっと…
に震災で家族を亡くした遺族8人が参加した、という記事の掲載
があり、タイトルが「分かち合う痛み」とありました。
ふと、2005年の第一回イスキアの集いを思い出しました。
あの時、初女先生の講演会で質疑応答というのでなく、もっと
思いを共有したいと、「分かち合い」としました。
しかし、「分かち合い」という言葉に対する、人々の警戒心の
様なものも感じ、「イスキアには丸いちゃぶ台があって、それを
囲んで、…」などと「分かち合い」について、司会のTさんが
優しく皆さんの心の垣根を取り払うように話してくれました。
オウム真理教などの事件を見て来た為か、分かち合うなどと
言うと、言葉だけでもう警戒されてしまうような、世の中の
雰囲気があったように思います。
でも、初女先生の講演会では、それからずーっと「分かち合い」で
やってきました。
今では、それがとても自然な事として、皆さんが受けとめて
くれています。
分かち合うことに、警戒せず心をひらいて下さっているのです。
いろいろな事がありましたが、6年前より人と人の繋がりが
確かになって来ているのかもしれません。
私の知っている、ほんの一部かもしれないけれど…
「分かち合う」という言葉が、温かい言葉だと感じられるように
なった世の中が、嬉しい!
8月の初女先生の講演会では、たっぷりと皆さんと分かち合いを
したいなーと思っています。
きっと、初女先生もそれを望んでいる筈だもの…
悲しい事も辛い事も、嬉しい事も分かち合えたら
大丈夫、前を向いて歩いて行けるって思えるよね。
きっと…