24日クリスマス礼拝から帰って来て、直ぐにKさんに
「本当に久し振り(十数年振り)にクリスマス礼拝に行けました」と
電話をしたら、「今年一番嬉しい事だわ」というお返事が返って
きました。
思えば、創が生まれた時も教会で祝福していただき、亡くなった時も
牧師先生に送って頂いたのに…
息子を亡くした苦しみと悲しみの中で、その思いを手紙に書き
牧師先生に送ったところ、先生からの「神もひとり子をキリストを
失くされている…」という御返事に自分の思いを受けとめて
もらえなかったという気持ちから、心が折れて教会に行けなく
なりました。
今年、関口教会で初女先生と礼拝を共にさせて頂き
11月には、ベルギーのkさん達と松原教会の礼拝に預からせて
頂きました。
そして、星野道夫さんのお姉さんから頂いたクリスマス礼拝の
ご案内が…
ゆっくりだけれど、凍っていたものが融けだし何かが少し
動き始めたのかなと思っています。
昨日、ブログに「揺れてもいい」を書いていて、初女先生の芯って
なんだろうと思った時、信仰という言葉が心に浮かんできました。
「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」
この言葉の中に貫いている信仰が、先生の芯になっている
のではないだろうか…
今の日本人は仏教でもキリスト教でも、信じることに何か
アレルギーを持ち過ぎているのかのしれない…
自分の芯をもう一度見つめ直してみようと思いました。
そして、「何があっても、土台は日々の生活よ」という先生の
お声が聞こえてくるような気がしました。
「本当に久し振り(十数年振り)にクリスマス礼拝に行けました」と
電話をしたら、「今年一番嬉しい事だわ」というお返事が返って
きました。
思えば、創が生まれた時も教会で祝福していただき、亡くなった時も
牧師先生に送って頂いたのに…
息子を亡くした苦しみと悲しみの中で、その思いを手紙に書き
牧師先生に送ったところ、先生からの「神もひとり子をキリストを
失くされている…」という御返事に自分の思いを受けとめて
もらえなかったという気持ちから、心が折れて教会に行けなく
なりました。
今年、関口教会で初女先生と礼拝を共にさせて頂き
11月には、ベルギーのkさん達と松原教会の礼拝に預からせて
頂きました。
そして、星野道夫さんのお姉さんから頂いたクリスマス礼拝の
ご案内が…
ゆっくりだけれど、凍っていたものが融けだし何かが少し
動き始めたのかなと思っています。
昨日、ブログに「揺れてもいい」を書いていて、初女先生の芯って
なんだろうと思った時、信仰という言葉が心に浮かんできました。
「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」
この言葉の中に貫いている信仰が、先生の芯になっている
のではないだろうか…
今の日本人は仏教でもキリスト教でも、信じることに何か
アレルギーを持ち過ぎているのかのしれない…
自分の芯をもう一度見つめ直してみようと思いました。
そして、「何があっても、土台は日々の生活よ」という先生の
お声が聞こえてくるような気がしました。